第五十四話 邪竜
目を開ければ、俺はあたり一面真っ黒な壁で覆われている部屋にいた。
慌てて体を起こす。
身体に痛みはない。
ここはどこだ?
魔力の気配を探る。
でも何も感じなかった。
信じられないことにここには魔力が存在していないらしかった。
「俺は死んだのか?」
ーーー声は出るな。
息をついたところで…頭の中に直接響く声。
「赤竜、成竜化おめでとう。なかなか会いにきてくれないから寂しく思っていただんだ」
「…誰ですか?」
なんとなくの予想はついた。
それでも得体の知れない「もの」の正体が知りたくて俺はあえて口に出した。
頭の声の主は喉を鳴らすように笑った。
「わかっているだろう?君らの父であり母であり、時に邪竜と呼ばれるものだよ。初めまして、今代の赤竜」
ーーー邪竜。
突然の邂逅に頭が真っ白になり…すぐに我に帰る。
大変だ、こんなチャンスは二度とないかも知れない。
「邪竜様、お願いがあるんですが」
緊張で声が震える。
邪竜は頭の中で「なんだい?」と呑気そうに返してきた。
「黒竜から愛し子を奪わないでもらえませんか」
言葉が落ちた。
沈黙が暗闇に落ちた。
一分にも百時間にも感じる時間が流れーーー頭の中の声は「愛し子ってなんだい」と返してきた。
え?
まさか愛し子のことを知らないのか?
俺と彼女が一秒だって忘れられない出来事を「そんなこと」で片付けられた衝撃で混乱の中にいれば、「そんなことよりさ」と上機嫌な声が聞こえる。
そんなことよりってなんだろう。
俺の中ではそんなことっていうのは前の話題がどうでもいい時にいう言葉な気がするんだけど、今俺はどうでもいい話をしてたんだっけ。
「赤竜のそばに黄色竜いるよね、あれ、殺してくれない?」
は?今なんて言った?
直接頭に響いてくる声がこびりついたように頭から離れない。
「おーい、聞いてる?あれ、言語違う?」
上機嫌すぎる声に背筋が逆撫でされたようだった。
俺は唐突に理解した。
今話しているのは「人間」ではないのだ。
「赤竜、おい、赤竜?デニス?ブライヤーズデニス?赤竜?おい、何か言え」
赤竜?赤竜?
機械音声のように同じ調子で名前を連呼される。
「き、聞こえてる。聞こえてるから静かにしてくれーーー」
不快な声を止めたくてなんとか言葉を絞り出した。
いつも慰めるように寄り添ってくれる魔素もいない。
慣れ親しんだ魔力もない。
とてつもない孤独の中でいつもの俺がどれほど魔素に頼り切ってたのかを思い知る。
「なんで静かにするの?聞こえてるなら返事して?黄色竜を殺して。あれは不完全すぎる。好みじゃない」
邪竜は待ってくれなかった。
俺が呆然としようがお構いなしに自分の主張だけを繰り返す。
俺の耳が急に不調をきたしたのでなければ、さっきから邪竜は信じられない要求を繰り返している。
黄色竜を殺せと、何度も何度も言っている。
好みじゃない?
何を言っているんだこいつは。
黄色竜を消せと本気で言っているのか?
「む、無理だ」
理解不能だし理解したくもない。
そういう気持ちで宙を睨みあげた。
姿の見えない相手に怒りを向けるつもりで。
しかし思ったような反応は返ってこなかった。
ただ、「ふーん」と言われた。
お前の意見なんて聞いてないんだけど、そう言われた気がした。
頭に流し込まれる声は喜怒哀楽で言えば喜びでしかない調子で話し続ける。
「無理じゃないよ?赤竜は強い。黄色竜と違って完璧に近い」
そうじゃない、俺が言いたいのはそういうことじゃない。
俺が強いとか黄色竜が好きじゃないとか、そんな話をしているはずじゃなかった。
背中を得体の知れないものが撫でて行っているような不気味さ。
言葉を喋るのに意味が通じない相手にはどうすればいいのだろう。
しかも要求は最悪だ。
腑に落ちないことしかなかったが、まずは不気味さを少しでもなんとかしたくて俺は必死に言葉を選ぶ。
「…完璧だとか好みじゃないとか、何で決めてるんだ?」
邪竜は驚いたように「わからない?」と叫んだ。
わかるわけないだろうと叫び出したいのを堪え、「説明してくれ」と声に出す。
「魔素の量と質だよ!黒竜も微妙だと思ってたけど、黄色竜は最悪だよね。なんで二つに分かれてんの?微妙なのをさらに分けたらもっと微妙になるに決まってるよ。先代の黄色竜はなにを考えてたんだか」
双子のことを「二つに分かれている」と表現するのか。
あいつ魔力微妙だねと耳にする機会は今まであったけど、邪竜が言っているのはそんな次元ではない気がした。
黄色竜の存在を「最悪」と称したこいつには、頼んだ魔道具に不具合があって、新品と交換するような無機物に対するような冷酷さがあった。
「…帰りたい」
気づけば口にしていた。
話すだけでこれほどまでに消耗する相手と同じ空間にいたくなかった。
邪竜は不思議そうに「まだ話の途中だよ?」と頭の中でこぼした。
「そんなに黄色竜を殺したくない?自分の魔力を移したから?」
「違う」と口にするのも億劫で、俺は黙って首を振った。
伝わったのかは定かではないが、頭の中の邪竜は「わがままだなあ」と言った。
突然人から魔力を奪って訳のわからない空間に閉じ込めて弱っている子供を殺せと要求してくる邪竜に「わがまま」という概念があることに驚いた。
黙っていれば「じゃあ本題に入ろうか」などと、先ほどと打って変わって低い声で邪竜が告げた。
今までのが本題じゃなかったのか。
ついでで黄色竜は消されようとしているのか。
怒りを通り越して頭痛がした。
邪竜は俺がうずくまろうが一切気にした様子もなく淡々と喋りたい内容を頭に流し込んでくる。
「青竜と協力して世界の魔素を調節するんだ。褒美はやるから」
魔素の調整が必要なのは聞いていたし理解もできる。でも青竜と協力なんて絶対に嫌だ、それが俺が咄嗟に思ったことだった。
でも、気になったのは後半だった。
俺にだってわかっていた。邪竜の考えることは俺とは違う。
魔素を調整したら何を与えるつもりなのか、絶対に確認した方がいい気がした。
「…魔素は調整します。やり方の指示は受けたくないです。ーーー褒美とはなんんのことですか?」
「よくぞ聞いてくれた」と話す邪竜は満足げに言った。
「青竜とも相談したんだが、黒竜を与えるのがいいのではないかと思った。赤竜は黒竜がお気に入りなのだろう?黒竜は一人の人間に固執しているそうだから、消せばいいと青竜が教えてくれた。青竜は賢いからとても頼りになる」
愛し子も理解しない邪竜がなぜ、ジョシュア様を狙ったのか。
不思議だった。
先代は邪竜様と面識はなさそうだった。
それでも邪竜様のイメージは残されていた。
気まぐれで始祖竜以外に興味がない。
唯一の例外は「邪竜様の愛し子」。
「ーーージョシュア様を消すことが俺への褒美?…ふざけんなよ」
骨が折れそうなほどに拳を握りしめていれば、邪竜様は「すごく怒ってるな。勘違いだったか」とあっさり引き下がりやがった。
「じゃあ褒美は何がいいの?」とも。
…少し考えればわかることだった。
邪竜様を扇動し、ジョシュア様を、黒竜を不幸に陥れようとしている存在がいることに。
「青竜を殺したい」
自分の口からこんな残酷な希望が出るとは思わなかった。
でも、全ての元凶が青竜だと知らされれば、もう憎しみしか浮かばなかった。
しかし、脳内の暢気な声は「ダメに決まってんだろ」と俺の要望を一蹴する。
「青竜と赤竜が揃ってないと世界の魔素がもっと減るんだよ。生き物がたくさん死ぬんだぞ?人間だっていっぱい死ぬ。嫌がるだろ、始祖竜たちはそういうの」
自分は生き物が減ってもなんとも思っていないらしい邪竜は「赤竜は全く頓珍漢なことばかり言うな」と呆れたようにつぶやいた。
そして俺の六個になった心臓を全て止めそうなことを言い放ったのだ。
「青竜の親切心を受け取っとけばいいのに。『愛し子』だっけ?赤竜の愛し子は黒竜だって青竜が言ってたよ。黒竜はすでに番を決めてるから面倒なことになってるって。黒竜に構うくらいならボクの愛し子をもっと見てやってほしいんだけど。ーーーおい、聞いてるか赤竜?」
黒竜が、赤竜の愛し子。
彼女が俺の愛し子。
ーーーゾッとした。
心から納得してしまった自分に吐きそうだった。
なぜ気づかなかったのか。
そうか、愛し子の定義は別に人間であるとは限らないのだ。
人間だった時から彼女しか目に入らなかった。
彼女の運命に選ばれたジョシュア様が憎かった。
主としても一人の魔法使いとしても尊敬もしていたけどいなくなってくれればいいのにと思わないわけではなかった。
彼女の幸せを願うと言いながら、正反対の願いを抱き続けた対価が今のこの状況なのかもしれない。
青竜が憎い。なぜか彼女を標的として定め、俺たちの関係を邪竜様まで使って破壊しようとしてくる青竜が殺してしまいたいほどに憎い。
…でも、気づいた。
もっと許せないものがあった。
俺は自分の醜さが一番嫌いだった。
全部俺が悪かったんだなんて悲観主義者になる気はないが、青竜を介して、俺自身が彼女の不幸のパーツになっていることは揺るがない事実だった。
「そろそろ帰ったら?地上で君を待ってる人がいるよ」
邪竜様が頭から消えていく気配がした。
呼び出すのも突然で幕引きもいきなりだった。
俺の都合など完全無視でーーーこれが邪竜なのだと思った。
体を起こせば、周りにあった薔薇の蔓が一斉に床の下へと消えていった。
ひどい夢を見た。
いや、あれは夢とは言えないかもしれない。
邪竜様に呼び出されたのだ。
魔素を安定させろと言われた。
同じことを言ってきた奴がいた。
青竜だ。
青竜は邪竜様の命令を自分に都合がいい形に歪めて広めてる。
愚かにも俺はそれに全く気がついていなかった。
全身が冷たくて、不快だった。
俺は眠りながらひどく汗をかいていたらしい。
自分に洗浄魔法をかけつつ、あたりを見回す。
ここはシリル君の寝室か?
ベットから浮遊魔法で飛び出せば、入り口のドアが勢いよく開いた。
駆け込んできたのはシリル君とーーー両手を彼に繋がれた黄色竜の双子。
双子が生きていることにひどく安堵した。
間違っても殺されたりしないように「完璧」らしい俺が守らなきゃいけない。
…邪竜様の指示は守ったほうがいいな。黄色竜だけじゃなくて黒竜も「微妙」とか抜かしてたし。
黒い部屋を思い出すだけで首筋がヒヤリとした。
俺の一言で大事な存在が消し飛ぶ部屋。
目を閉じて精神を落ち着かせる。
不安にさせるなみんなを。特にせっかく安全地帯に連れてきた双子には悟られるな絶対に。
「ローゼシエ?」
シリル君が不思議そうに呼びかけてきた。
一つ、大きく魔素を吐き出す。
…大丈夫、俺はみんなを守れる。人間だった時とは違うんだ。
瞳を開ければ、シリル君、双子竜が揃ってベットサイドに立っていた。
「やっと起きたか!」
シリル君が心底安心したように叫んだ。
安心させるために笑う。
俺が笑ったからか、三人の空気が緩んだ。よかった、俺はうまくやれてるみたいだ。
「寝すぎなんだよ!三日も眠りこけてたんだぞ!」
リラも負けじと叫んでくる。
…三日経ってるのか、案外短くてよかった。邪竜様のところ時空が歪んでる感じがあったからちょっと不安だったんだ。
騒ぎ立てる二人の横で静かに俺を見上げていた白い子供が、小さく言った。
「ーーーローゼシエ、そっち、行っていい?」
溢れ落ちそうなほどに大きな瞳が不安げに揺れる。
俺は首が引きちぎれんじゃねえかって勢いで頷いた。
ーーーよかった、無事で。
何度も心の中でつぶやく。
邪竜様のことは口外できない。
始祖竜同士でもだめだ。邪竜様に認められた竜としか話題にも上げられない。
白は無言で走り出した。
リアが「あ、こら!」と引き留めようとしたが手を振り払ってこちらへ一直線だ。
顔が緩むのを自覚しつつ両手を広げて受け入れる。
白の精一杯の体当たりは羽のように威力がなかった。
両手が腰に回される。全然一周してねえ。ちっちゃいなあ…。
白銀の髪を見下ろしながら、両手を回していいのか迷う。
冗談じゃなく折りそうだ。
迷いに迷って背中に手をそっと添えればーーー安心し切ったような顔で白が見上げてきた。
「…パパ、元気になってよかった」
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
頭の中の霧が一瞬で晴れ、青空に虹がかかった気がした。
邪竜様がどうした!こんなに彼女に似てて、しかも俺と彼女の魔力で命を繋いだ子供がいて!
俺のことを、パパと、呼んでいる!!!
「…何があっても守ると決めた」
邪竜がどうした。かかってきやがれ。白に何かあったら世界中の魔素をぐちゃぐちゃにしてやる!
急に天を仰いで目頭を抑え出した俺をみて白は不思議そうな声で「どーしたの?」と問うてきた。
ごめん、ちょっと感激と衝撃と愛しさが爆発しちゃって答えられない。
俺たちのやりとりをシリル君がすごい冷めた目で見ている。
「…完全にライラの思惑通りじゃん。どんだけ単純なの?『私をママ、デニスをパパって呼べば意のままに動かせるよ!ママちょっとパパと喧嘩中だから任せた娘よ!』とか言われてたのわかってる?ねえ、手のひらでコロッコロよ?」
…ちょっと待って、シリル君のボヤキ聞こえちゃったよ?
俺は恐る恐る腰元にいる天使へと視線を下ろした。
「パパこっち向いた!」って言わないで!今の俺にはまだ衝撃が強いから!
両手で顔を覆い隠しながら俺は聞いてしまった。
だってどうしても気になった!
「…俺がパパなら、ママは誰?」
ドキドキドキドキ。
俺の天使は完璧な角度で小首を傾げた。
当たり前じゃない、とでもいいそうな得意げな顔で、小さな口を開いた。
「ライラ!黒竜がママだよ!」
「オーマイゴッシュ」
何その幸せな設定!考えたの誰?!超賛成するよ??
「娘よ!パパはお前を愛している!」
鼻息荒く叫べば、びっくりしたように身体を引かれた。
まずい、落ち着け俺。かっこよくてイカしてて反抗期になろうが「パパと結婚する」って言われるマスキラになるんだ!
俺が決意も新たにしていると、走ってきたリラが白を回収していった。
腕を取ってシリル君の横まで引きずっていくと、こっちを威嚇してくる。
「リラが優しいからって調子乗んな!というかお前まだ21らしいじゃん!俺たち12だから親っておかしいだろ!」
イタリア語だった、どうやらリラだけがプロイセン語を話せないようだった。
俺は毛を逆立てているリラから視線を外し、思わずシリル君に確認してしまった。だって二人の容姿は7〜8歳って言われても納得できちゃうくらい小さな子に見える。
「そいつ年齢のこと言ってんのか?この双子は12歳だよ、ガリガリでもっとちっちゃく見えるけど、医療機関で調べさせたから間違いない」
シリル君は不機嫌そうな顔ーーーこれは多分二人の子供を育てた大人への怒りだなーーーでぼやいた。俺が眠っていた間に裏は取ったのか。
…。
「ーーー歳の差なんか関係ねえ!俺がお前ら二人にお腹いっぱい食べさせて大きくなるまで守ってやるから!」
胸を張って言えば、天使から「パパかっこいい!」と声援が飛んできた。
これは調子に乗りまくってしまいそうだ。リアが「何言ってんだがわかんねえんだよ!」と歯をむき出しにしてきているが俺の上機嫌はそんくらいじゃ治らない。後でプロイセン語の勉強しような?
口元を緩めて双子を見ているとーーー靴の裏を鳴らすようにしてシリル君が近寄ってきた。
…気のせいじゃなきゃ凄まじく機嫌が悪そうなオーラで近寄ってきた。
え?俺なんかした?
魔力漏れ防止のための薔薇傘を頭上で開きつつ、シリル君の怒りの原因を探る。
…心当たりがありすぎるな。
シリル君は顔を下げたまま、俺の間の前にやってきてーーー突然、右下腹をぐーで殴ってきた。
衝撃とともに、わずかに走った痛み。
よろけた俺の腕をすかさず掴んだシリル君ーーー怒りに顔を歪めて言った。
「プロイセンを離れてたった二日だぞ…ちょっと目を離したら、すぐに、大事なもん無くす癖どうにかしろよ!なんで心臓なんて簡単に差し出すんだよ!」
あー、そのことか。
殴られた場所を無意識にさする。
眠っていた三日の間にずいぶん回復したらしく、俺の体内では前と同じとは言わないが、十分問題ないレベルで魔素が循環しているようだった。
「黄色竜は瀕死だったんだ。あれしか手はなかった」
俺の言葉に、シリル君は「それは聞いた」と悔しげにつぶやいた。
「白金竜たちから全部聞いた。ローゼシエが迷いなく自分の心臓を差し出したことも、黒竜は治癒させたのに自分の治癒は断ったことも聞いた」
てっきり黒竜と俺の子供ができたって勘違いしてるのかと思ったけど、違ったらしい。俺が眠っている間に説明を受けたのだろう。
じゃあなんでこんなに怒ってるんだ?
三時間の約束を破ったから?三日間も眠ってたから?
「ーーーねえ、シリル君、何をそんなに…」
「怒ってるの?」と続けようとしたけど、びっくりして言葉にならなかった。
だってシリル君が目の前で大粒の涙をこぼし始めたから!
「え?ちょ、シリル君なんで泣いてんの?!」
「な゛い゛てねえ゛!」
どう見ても嘘である。多分心底困惑した顔をしている俺を睨みあげつつ、乱暴に高そうなローブの袖ぐりで顔を拭って、シリル君は叫んだ。
「俺のこと幸せにするとか言っといて、心配させんなよ!なんで自分のこともっと大事にできねえんだよ!俺は、俺は…お前を犠牲にしてまで幸せになりたいなんて微塵も思ってねえんだよ」
ぐっ、刺さるな。
俺も黒竜が心臓を差し出すって言った時に似たようなこと思った。自分のこともっと大事にしろって。
でも俺は「犠牲」になったつもりなんてないのだ。
「目の前で子供が死にかけてんだ。できることはするだろ。それに、白の方は俺には他人には思えなかった。小さい頃の彼女にそっくりだ」
シリル君は唇が切れそうなほどに噛み締めながら俯いた。
涙が赤いカーペットにふたつ、三つとシミを作った。
「ーーーローゼシエの顔を見てれば言われなくてもわかる。ご丁寧に黒竜も釘を刺していったしな。『私たちの子供をよろしくねって』」
…黒竜!なんて罪なセリフを残してくんだ。俺が舞いあがっちゃうだろうが。
俺はシリル君を宥めるつもりで頭を軽く叩いた。
柔らかい黒髪に指を通していれば、苛立ったようにはたき落とされる。
懐かない猫みたいだなと思いつつ、俺たちのやりとりを黙って眺めていたらしい子供達に振り返った。
「ーーーこっちにおいで…じゃわかんねえか。ヴィエニクイ!」
手招きすれば、白が抵抗するリラをひきづるようにしてやってきた。
俺はいまだに俯いてるシリル君の前に二人のちびっこを差し出す。
「シリル君、まだ言ってなかったんだけどさ、俺この二人に借りがあるんだ」
シリル君がゆっくりと顔を上げた。
おおお、すげえ眉間に皺が寄ってる。
でも多分今からの宣言でもっと不機嫌になるな。ごめんな、俺が赤竜で!
「実はイタリア王国の魔素溜まりの魔素を取り込んで、守りの魔法陣を枯らしちゃったんだよなあ。だからこの二人、プロイセンで預かろう!」
俺のナイスな提案に対し、シリル君は口を引き結んだままだった。
俺の言葉をしばし噛み締めているようだった。
沈黙が流れーーー耐え切れなくなったリラが俺の腰をぐーで殴り出した時、シリル君が小声で言った。
「…お前、マジで二日の間にどんだけやらかしてんの?」
あ、やべ、めっちゃ怒ってらっしゃる。
そこからのシリル君は背景にブリザードを背負いつつ、俺にこんこんと説教を始めた。子供たちが「飽きた」と床でゴロゴロと転げ回ろうが、「お腹すいたあ」と泣き喚こうが完全に無視だった。
低い早口で俺の軽率な行動がどれだけ大変な事態を引き起こしてるのか説明してくる。
守りの魔法陣がどれほどまでに希少なものなのかを三回。
一気に魔素を取り込むことへの危険性を四回。
俺の飢餓がそこまでひどいならどうして先に言わないのかを五回。
…永遠に終わらない説教に痺れを切らした俺は、右手を勢いよく挙手した。
シリル君がようやく口を閉じてくれた。
眉間を寄せながら「なんだよ」と言わんばかりにガンをつけられる。
「そんなに怒ると思ってなかったんだ。シリル君が嫌なら、プロイセンの端っこにこいつらの城を立てるから、シリル君は関わらなくて大丈夫ーーーー」
って、俺としては精一杯のフォローだったのにね?
シリル君は何故か悲鳴みたいな声で「別に追い出したいなんて言ってないだろ!」って叫ぶんだよ。
びっくりしてちょっと飛び上がった俺と耳を塞いで背中から転がったリラ。
白だけが対照的に俺の方を見ながら「鈍いわ…あまりに鈍い…」と呆れたように目を細めていたが。
…ちょっと待って、俺の方を向いていってるってことは、鈍いって俺のこと?
「しろ!なんでそんな顔すんの?俺が鈍いってどういうこと?」
白は俺の言葉は完全に無視で、シリル君の方へ寄っていくと、聖母のような笑みを浮かべて「大丈夫、私はわかってるからそんなに落ち込まないで」と背中なんてさすっていた。
ちょっと待って、いいなシリル君。俺も背中撫でてほしい…。
密かに落ち込んでいれば、足元にいたリラがイタリア語で「お腹へった」とつぶやいていた。うん、お前は俺に似てるよ。単純なとことか特に。
シリル君は白の方を見ながら「お前、本当にライラに似てんな」と感想を述べていた。シリル君と黒竜はとても親しいので、シリル君が言うのであれば間違いなく似ているのだろう。
彼女と白が似ているというのが俺の欲目だけじゃないとわかって少し嬉しい。
そうだよな。
さっきの俺を完全に無視したところとか、シリル君を見る目も若干バカにしてるとことかすげえ似てるよな。ジョシュア様以外には結構塩対応なんだよあいつ。
白は、少しだけ首を傾げながら、
「ママに似てるかはよくわかりませんが、確かに少しお話ししただけで、ずっと前から知り合いのような気はしました」
と言っていた。何を言っても可愛いとこもそっくりだな、うん。
「ところで、お父様、私のお名前はシリルに付けていただくんでしたよね?」
俺の天使がこちらを向いた。
何か言っている。
正直「お父様もいいな…でもやっぱパパだな」などと思っていたので全然聞いていなかった。
「ん?なんか言った?白のいうことはなんでもオッケーだよ?」
俺のセリフでシリル君が頭を抱えていた。
「ローゼシエをポンコツにさせるとこも一緒なのかよ」は余計だと思う。
可愛いからちょっと見惚れちゃうだけだ。そのうち慣れる、多分。
白は呆れ顔になって、「ちゃんと聞いててください」と頬を膨らました。
え?何その顔?めっちゃ可愛い…と歓喜する心を押し込め、俺は真面目な顔で頷いて見せる。
「私の名前ですよ。しろ、なんて嫌です。素敵な名前を付けてほしいです」
ああ、そのことか。
「そうだった、白はどんな名前でも俺は可愛いと思うけど、シリル君に名付けをしてもらおうと思ってたんだよ」
自分の名前が出ると思ってなかったのか怪訝そうな顔になったシリル君。
ろくに考えもしないで「嫌だよ」と首を振った。
そして、何故か少しだけ悲しそうな色を瞳にのせて、早口でつぶやく。
「俺がつけるのはおかしいだろ。黒竜につけてもらえよ。パパとママなんて言ってるんだから、親がつけるのが自然だろ」
俺はシリル君が悲しそうな顔をする意味がわからなくて、思わず距離を詰めていた。俯いたままで顔が見えないので、顎に指をかけてぐっと引き上げる。
真っ赤な瞳と視線があった。ーーーすぐにそらされたけど。
俺は笑ってしまった。だって、すげえ動揺したみたいに目を泳がせてるから。
「シリル君…俺、言ったよね?この国で育てたいって。シリル君と俺で育てるんだよ、今、黒竜は関係ない。ーーーシリル君が嫌なら俺が名付けるけど」
シリル君が瞳の幅を1.5倍くらいに見開いた。
驚きすぎだと思って笑いが漏れる。
シリル君には何故か眩しそうな顔をされた。
「ーーーシリル君、俺を縛るものがないっていつも心配してんじゃん。…俺の自分の命よりも大切にする子供に名前つけていいって言ってんだけど、断るの?」
わざと煽るように言ってやればーーーアッフェルのように赤くなった後で、弱々しく頷いていた。
了承ととっていいんだよな?
俺はシリル君の顎に添えていた手を離し、俺は白の方に向き直った。
よかったな、名前つけてくれるって、そう言いたくて。
…何故か白には「うわあ」って顔で見られたんだけどさ!
「母様が言っていた意味がよくわかりました。初恋泥棒、色気スプリンクラー、愛のプリンス…バカみたいだと思ったけど、すごい納得…」
ーーーハハハハ。黒竜よ、白に何を吹き込んでるんだ。やめてくれよ!変な噂信じ始めてるじゃん!
「し、しろ、黒竜に聞いたことは全部信じなくていいんだぞ?あいつ面白がって話盛ることあるから」
「自分の目で確かめて話してるので平気ですよ?何をしようがお父様がかっこいいっていうのもよくわかりましたし」
「え!俺、かっこいい?」
うっそ、マジか、俺かっこいい?
テンション爆上がりしていたら、シリル君が「ちょっと静かにしろ」と苛立ったように叫んだ。
白とアイコンタクトして口を閉じる。
…なんだこの幸せな気持ちは。学生時代を思い出しちゃうじゃんか!
シリル君は魔力通話を少しいじっていたがーーー
白の方を見て、言った。
「ニーヴはどうだ?イタリア語で、雪だ」
白は「雪ですか」と小さく頷いた。
そして俺を見上げてくる。
どう思う?と行ったとこだろうか。
俺はシリル君の決めたことに全面的に賛成する気だったので「いいと思う!」と大きく頷き返した。
白は俺の反応を見て、決心がついたのか、シリル君に振り向いた。
そしてーーー
「ニーヴですね。…ずっと名前欲しかったから嬉しいです」
と、はにかんだ。
か、可愛い。どうしよう、今までのちょっと冷めた感じも良かったけど、年相応の純粋な笑みもすごい可愛い!
白改めニーヴの愛しさに、心のシャッターを切りまくっている俺とは対照的に、シリル君は明らかに安堵の表情を浮かべていた。
ぶつぶつと何か言っている。
シリル君の呟きを拾ったらしいニーヴが笑っていた。
「名前がダサくていじめられないかなってどんな心配ですか」
その時、シャツの裾を力強く引かれた。
視線を向ければ、むくれた顔のリラがいた。
リラは精神年齢も7歳くらいなんじゃないかな?俺の甥っ子がこんな感じだったんだけど。
「(イタリア語)お腹減った!!!」
こいつ力だけはバカみたいに強いな!シャツを引きちぎりそうだ。
「(イタリア語)…悪かったよ。何食べたい?黄色魔石でいいか?」
シャツから手を外させ、リアを片手でヒョイっと抱き上げていれば、リラがホッとした顔をした。
…そうか、プロイセン語わかんないんだもんな。さっきから退屈だっただろう。
「(イタリア語)妹はなんでプロイセン語わかるんだ?」
リラに聞けば、キョトンとされた。
俺が再度口を開こうとすれば、いつの間にかそばにきていたニーヴが代わりに答えてくれた。
「先代黄色竜の記憶はニーヴに引き継がれました。魔力はリラへ。だから言葉などの知識は私が持っています。リラは大人がしゃべっていたイタリア語しかわかりません」
…なるほど。先代の記憶があるのであれば、ニーヴが大人びているのにも納得だな。
食堂へと歩きながら、ニーヴが言った。
「…この世界はボクたちにはあまり優しくなかった。兄様だけならどうにでもなったんだろうけど、ボクのそばを離れないでいてくれた」
ニーヴはあえてプロイセン語で話していた。
きっと兄に聞かせないためだろう。
…ニーヴは聡明な子供だった。自分のせいで兄までもが逃亡しなければいけなくなったことを正確に理解していたに違いなかった。
ーーーでも、リアにとっては「大切な魔石」のように大事なニーヴがいてくれたことがきっと生きる目的だったんじゃないかって、思うんだよな。
確かに子供二人で和国まで逃げなければいけなかった双子は「優しくない世界」を生きてきたのだろう。何も与えてくれないのに「イタリア王国を再建しろ」とだけ言われるのだろうからやってられないな、うん。
でも、ボクたち《《には》》っていうのは違う気がしたから訂正しておく。
リアにも聞かせたかったからイタリア語で。
「…みんな、嫌なことばっかでいいことの方が少ないけど、毎日なんとか生活してるんだよ。別に君たちだけじゃない」
「そうなの?」と首を傾げられたので力強く頷いてやった…のに、「他人はどうでもいいや」って、おい。俺いいこと言ったじゃん、どうでもいいってひどくない?
ニーヴはどうしてもリアに聴かせたくないのか、やはりプロイセン語で話し続ける。
…リラ君、俺を蹴るな。プロイセン語で喋ってるのはお前の妹だからな?!
「ボクは赤竜が守ってくれるって言って、リラを説得してくれて嬉しかった。リラは自分で全部守るって言ってたけど、僕たち二人とも日に日に弱っていってるのもわかってた。死んでもいいなんて嘘だったよ、リラを残して逝きたくなかった。幸運魔法を使う黄色竜なのに幸運なんてこの世界にあるわけないって思ってたけどーーーリラのことも守ってくれる赤竜なら信じられるって思ってる。だから、リラのことを責任もって守って。この世界から消えるなんて許さないよ」
見透かすような金色の瞳から逃れたくて、俺は笑った。
笑うべきだと思ったから。
ニーヴはなんでこんなに鋭いんだろう?
誰かが俺のこと告げ口したんだろうな。
シリル君かな…いや、このフェンシングの突き並みの鋭さは彼女かもな。
「…大丈夫だよ、無責任に放り出したりなんかしない」
俺は馬鹿みたいに一途だって言われるし、自分でもそうだと思う。
彼女には決して選ばれることがない絶望が消えることもないんだろう。
プロイセンに来て、赤竜になって、邪竜様にも会って自分の状況が客観視できるにつれて、思う。
ーーー彼女の幸せを俺は邪魔している。
俺が俺である限りこの狂わしいほどの想いは消えないだろう。
だったら、もう、選択肢なんてないようなもんだ。
邪竜様の登場は俺に新たな希望を与えてしまったのだ。
「デニス=ブライヤーズ」を消して貰えばいい。
あの方ならできる気がした。世界の魔素を安定させるって約束すればな。
自虐的思考もいいとこだけど、もう俺にはこれしか思いつかないんだ。
でも、せっかく前に進もうとしてる双子に情けない俺の中身なんて知られたくないから笑った。




