第五十話 和国へ行こう
三人一列に並び、人型のまま東の空を飛ぶこと一時間。
肌にじゃれついてくる黄色の魔素の気配が一段と強まってきた。
視界は雲に隠れているが、時折り覗き見える地上に瓦礫の山が増えている。
先頭を飛んでいた白金竜が「止まれ」と言って手を振った。
急ブレーキをかけた俺の後ろから突っ込んできた黒竜を転移魔法で避ける。
一番飛ぶのが下手な黒竜は白金竜にもぶつかりかけ、「老体をいたわれ!」と怒られながら襟首を掴まれている。…黒竜は何も言わずにうつむいている。白金竜はさらに口を開こうとしーーー黒竜の顔を覗き込んだあと、ぎょっとしたように押し黙った。
ーーー?
二人の様子が気になり俺は浮遊魔法で近寄ったのだがーーー
「イタリア王国の王都はこの辺りだった。赤竜、あの魔法陣が見えるか?中心に立って魔素を補充しろ」
白金竜が俺から黒竜を隠すみたいに背中に押しやった。
不思議に思いながらも白金竜が指差す先を見てみるとーーーうっすらと魔力の線が見えた。
…まさか、瓦礫以外何もないここがイタリア王国の王都の中心部だったっていうのか?
俺の表情を見た白金竜が同じように視線を下に向けた。
ゴブリンの群れが視界の端を走り抜けていく。元王都には見向きもしない。低級魔獣の彼らでさえ、そこに何もないのを知っているようだった。
「ーーー始祖竜がいなくなった国のなれ果てはひどいものだな」
白金竜はそうこぼした後で、「早く行け」と俺の背中を叩いた。
黒竜はずっと白金竜の後ろで黙り込んだままだった。
途中からぴたりと静かになった彼女の様子は気になるが、この旅の目的地はここではない。
俺は言われたとおりに地面へと急降下して魔法陣の跡の中心へ向かう。
魔素だまりは美しい場所だった。
金色の魔素が巨大な竜巻のように螺旋を描き、使われなくなった魔法陣の上で虚しく輝き続けていた。
俺はためらうことなく渦の中心へと飛び込んだ。
流れるプールに入ったように渦に乗って俺は地上の魔法陣へとゆっくりと近寄っていった。
「赤の竜!なにしにきたの?」
「遊んでいくの?」
「にんげんはもういないよ」
魔素たちが口々に耳元で囁いていく。
返事はしないがくすぐるように指先を向ければ自ら俺の中へと入ってきてくれる。
ずっと自分が飢えていたのだとようやく自覚する。
飢餓感が金色の魔素たちによってどんどん満たされていく。
ーーー結局、渦の魔素を全て飲み込んでしまった俺は静かになったその地へ降り立った。腹はおかげでほぼ完全に満たされた。
魔法陣は徐々に光を無くしていた。
俺が足をつけた途端、凄まじい力で魔力を抜き出そうとしてきた。
慌てて飛び上がる。
鼓動が早くなった気がする心臓を押さえながら魔法陣を見つめていればーーー輝きはますます薄れ、最後に弾けるように少しの金色の魔素を吐き出して、跡形もなく消えてしまった。
…もしかして、やらかした?
全部吸ったせいで魔法陣に魔素が行かなくなって消えたよな?
「…ヤッベ」
荒野のような場所で立ち尽くしていれば頭上から「赤竜ー」と呼ぶ声がした。
顔を上げれば眩しい白金の光が目に入る。
白金竜のそばに彼女の姿はなかった。上で待っているのだろうか?
「赤竜!どうだって…お前、まさか全部吸ったのか?世界で一番大きい魔素溜まりの魔素を全部吸ったのか?!」
…やっぱりまずかったらしい。
「…腹が減っててつい」
お腹をさすりながらそっと白金竜から目を逸らす。
白金竜が「ありえん」と呟く声が聞こえる。
…悪かったよ。気づいたらなかったんだって。
「ーーーどれだけ飢えていたのだ?…というか魔法陣、消えてないか?」
隠してもしょうがないので「さっき魔力の供給がなくなって消えました」と白状すれば白金竜が「は」と声を漏らしながら目を剥いた。
「消えたって、おま、お前…あれだけの魔素が集まってくるまで数十年はかかるぞ?黄色竜になんて言うつもりだ?」
ーーーなんてこった。これから黄色竜を説得しに行かなきゃ行けないのに、俺はやってしまったらしい。
「…白金竜の知識でどうにかできませんか?」
縋る思いで頼んでみたのだが「無理だ」とキッパリ首を振られた。
「魔法陣は描き直せるが魔素がなければすぐ消えてしまう。…黄色竜が許してくれるといいな?」
…終わったかもしれない。
顔を覆って黙り込んだ俺をしげしげと眺めていた白金竜が「でもよかったな」と明るい声で言った。
この状況で、何がよかったって?
半目になりながら顔を上げる。
「魔素が溜まったじゃないか。竜化できるんじゃないか?」
白金竜に指摘されて、はたと気づく。
…確かに、今ならこの前はやめた最後の仕上げができるかも。
ただ問題はーーー
「…竜化する前に身体をちょっといじろうと思うんですけど、そしたら多分また腹減ると思う…」
白金竜が「魔素だまりを一つ枯らしておいてまだ足りないと言うのか…」と若干引き気味に言った。
燃費悪くて悪かったな!
「ーーーまあ、とにかく竜化してくれ。そしてボクたちを背中に乗せて飛んでくれよ。黒竜のスピードに合わせていては和国にいつまで経ってもつかん」
…黒竜のこと遠回しにディスってないか?この竜?
まあ、確かにめちゃめちゃ飛ぶの遅いなとは思ったけどな?
思わず浮遊魔法で後ろから押してあげたくなったけどさ、流石に控えたよね。過保護すぎるってブリテンの頃からよく注意されてたし。
「ほれ、何をぼさっとしておる。お前の時間がないんじゃなかったのか?」
白金竜の目がやたらと輝いているのが気にはなったがーーー俺は瞳を閉じて、自分の中の魔素に集中した。
ーーーわざとスカスカにしてあった場所どこだっけ。
ーーーああ、この辺りか。…こっちにも回路を繋げた方が効率がいいな。
ーーー鍵をかけてたのは1、2、3…4ヶ所だったな。
「ーーーよし、竜化します。白金竜、少し上で待っていて」
「了解だ!ーーー半世紀ぶりの赤竜だな?」
弾むように言って空へと駆け上がっていった白金竜。
その白銀の光が随分と小さくなったことを確認しーーー俺は人化を解いた。
輪郭を形作っていた魔素が次々にはじけ、心臓に凝縮されていた魔素が急速に全身へと駆け回る。
グングンと高くなっていく視界。
魔素のしたいがままにすればいい。だってこっちが俺の本当の姿だ。
「ーーーでっけえ」
赤竜になったはじめの感想はすごい間抜けなものになった。
だって、目線が高い。
竜化した先代赤竜の姿を見たのはほんの数回だったし、全部遠くからだった。
グッと伸びをして、翼をいっぱいに伸ばした。
白金竜の気配を探って、飛び上がる。
少し上へ行くつもりが、すげえ勢いがつく。
グングン上へ上がって行くのが楽しくて空気抵抗を減らすために身体をまっすぐにしてーーー
「うわああ!ぶつかってきたのかと思ったぞ!」
そのまま雲を突き抜けて白金竜たちの前に躍り出た。
…怒られたけど。まあ、俺もちょっと嬉しくなっちゃって勢いつけすぎた感はあったな。一回しか羽ばたいてないけど。
「…見事な竜化だな。先代よりも少し大きいし魔素の純度は比べるまでもない」
手放しに褒められ少し照れる。
白金竜はしばらく俺を観察していたがーーー急に「ゴホン」とわざとらしい咳払いをした。
「えーボクは普段動かないから少し疲れた。ここまでの道案内もしたしな。…和国までは赤竜の背中で眠ることにするから落とさないように魔法で守ってくれよ」
白金竜はそう宣言しーーー背中に隠れていた黒竜の腕を掴んで、俺の前に押し出した。
彼女の表情は見えない。まだうつむいている。
「ーーーだから、お前らは少し話せ。…ボクではこいつを泣き止ませられなかった」
黒竜は白金竜に背中を押され、少しだけ前へ動いた。
首を傾ければギリギリ届く距離に彼女の姿がある。
…今、泣いているって言った?
俺が慌てて鼻先で彼女を掬い上げて頭の上に乗せたまま浮遊魔法で包み込んだのを見て、白金竜はやれやれと言わんばかりに首を振っていた。
背中の上へ移動した白金竜が歩き回っている気配がするがそれどころではない。
「どうした?泣くほど嫌なことがあったのか?」
頭の上の彼女を見たくて必死に上を向く。
ああ、バカか俺は。質問がおかしい。嫌なことがなきゃ泣くわけないだろ!
でもなんで?滅多に人前で泣いたりしないだろ?
必死に頭の中で今日出会ってからの出来事を巻き戻していればーーー彼女が頭の上で立ち上がり、妖精のように舞い降りてきた。
竜化した俺の腕の上に降り立つと、彼女はゆっくりと顔を上げた。
彼女の夜空の色の髪が風に流される。
水の幕の貼った紺色の瞳と目があった。
「ーーーやっと、こっちを見てくれた」
罪悪感で死ねるなら多分この瞬間に俺は死んでいた。
それでも俺はわざと他人行儀に聞こえる声で「泣いているレディを放って置くのは騎士道に反します」と答えた。
竜化はいいな。表情変化も人間ほど繊細じゃないし、感情がばれにくい。
できるだけ無表情を取り繕って、気になって仕方ないことをもう一度聞いた。
「なぜ泣いているの?」
口元を震わせながら「なんでもない」と仕切りに言っている。
…そんなに声を震わせて、どうして見えすいた嘘をつく?
「言ってよ、俺鈍感だから言ってもらえなきゃわかんない」
彼女は鼻を啜るばかりでなかなか言葉を発してくれなかった。
ようやく口を開いたかと思えば、
「ーーー行こう、デニスの時間がないのに迷惑かけたくない」
なんてわざとらしくはぐらかされる。…俺が知りたいのは泣いている理由なのに。
俺は一つため息をついて、彼女を手に乗せたまま移動を始めた。
風の音で彼女の声が聞こえなくならないようにシールドを貼る。
白金竜は背骨の窪みにいることに決めたみたいだ。時折寝返りを打つのでくすぐったい。
無理に聞き出すのも嫌だったがーーー俺のスピードだとすぐに和国に着く。
「…あと十分もすればついちゃうんだけど、その顔で紬様に会うの?」
俺の声を聞いた彼女が「嘘!?」と小さく叫んで魔力通話を取りだしている。
「イタリア王国出てからまだ五分だよ…飛ぶの早いね」
「まあ、俺元から運動神経いいし」
手の中で座り込んでいる彼女が「運動神経って竜なのに変なの」って少しだけ笑った。
…泣き止んだみたいでよかった。
「ーーーで、ついちゃうけど教えてくれないの?泣いてた理由」
ダメもとでもう一度聞いてみればーーー今度は返事があった。
「すっごい自己中な理由で言いたくなかったんだけどーーーこのままじゃデニス心配するもんね。言うよ」
ーーー彼女が気付かない程度に少しだけ速度を緩める。
先ほどから思念を飛ばしてくるしもべ魔獣たちには「やっぱりあと三十分待って」と伝言を頼む。
「ーーー俺が自己中なんて言うと思う?」
彼女は「デニスは言わないだろうね」と静かにこぼした。
「ーーー嫌になるよ。自分で手放したのにさ、バカみたいに傷ついて。…勝手に凹んでるところを保守派の幹部たちに見つかって、ここぞとばかりに妃を作られるし、青竜は好き勝手言ってくし、ジョシュアがーーー」
そこで彼女は言葉を切った。
俺は静かに続きをまった。
…彼女の華奢な肩が揺れていたけど、それを慰めるのはもう俺の役目じゃない。
だから、やめろ脳内の自分!「弱みに漬け込むべきでは?」じゃねえんだよ!
「戻ってきてって頼みを断られるなんて思ってなかった。実際に会えば、頷いてくれると思った。…笑いかけてもくれないし、名前も呼んでくれなくなったデニスを見て勝手に傷ついた。ーーー絶対本人に言う話じゃない。ごめん、自己中ってこういうこと」
彼女は、笑った。
泣いてるのに、目を細めて、精一杯口元を上げて。
ーーーいや、無理だろ。
こういう顔をさせたくなくて、俺はずっと守ってきたんだっつーの。
あっさりとプロイセンに来てからの決心を放り出して彼女を抱きしめかけーーーすんでのところで思いとどまる。
…俺は赤竜だ。彼女の隣にはもういてやれないんだ。
中途半端な約束はできない。俺はすでにずっと隣にいるという約束を破ってる。
ダイヤモンドみたいな涙を流す彼女に俺は何を言えばいいんだろう。
絡まった毛糸玉みたいな思考のまま気づけば俺は口を開いてた。
「一緒のベットで眠れなくても、周りにどんな陰口を叩かれようとも、いつだって君の斜め後ろから見守れた護衛騎士の日々が幸せだったなんてーーー後から悔やんでも、もう遅いんだよなあ。青竜が俺の腹に穴を開けたあの時のことをふとした瞬間に思い出すんだ。俺が今みたいな力を持ってれば、俺が青竜を返り討ちにして君のとこに戻ることもできた。ーーーそういう夢を俺はよくみるよ」
彼女の涙の勢いがすげえ増した。
俺はオロオロと翼を震わす。
泣かないでよ、俺のせいかな?ごめんね?
彼女は嗚咽を堪えながら、「違う、私がいけないの」と首を振った。
透明な魔石が頬に当たって下へ落ちていく。
「黒竜なのに自分の護衛騎士も、愛し子も守れない」
愛し子…かあ。俺にはいないそれを亡くした始祖竜はどうなってしまうんだろう。ーーージョシュア様の残された時間は半年をきってるから、気が気じゃないんだろうな。
俺は少しでも彼女を元気づけたくて言った。
「ジョシュア様を守れないって決まったわけじゃない。頑張って邪竜様の愛し子を探してるんだろ?」
「頑張ってはいるけど、見つかってないんだから何の意味もないんだよ。いつだって大事な人はみんないなくなっちゃうんだから」
あまりに寂しげな声に俺は彼女の顔を覗き込んだ。
諦めの色が瞳には濃く滲み出ていた。
学生時代によく見た顔だ。幼い頃に亡くしたご両親でも思い出してるのかもしれない。
…ところで君の言う「みんな」の中に俺は入ってるのかな。
入ってないんだろうな、と思う。だって俺はいなくならずにここにいるし。
そんなことをつらつらと考えていればーーー不意に、夜の色をした瞳が俺の方へ向けられた。
「…こんなことを聞くのはずるいけど、どうしても知りたい。転移魔法をキャンセルしたりしてたけど私の顔も見たくない?」
は?
「ーーーっ、そんなわけないだろ?」
驚きすぎて空から落ちかけたわ。一瞬ぐらついたので、背中に乗った白金竜から「しっかりしろ!」とヤジがとぶ。ごめんって。
彼女は俺の方を見つめたまま「じゃあどうして?」と首を傾げた。
先ほどまでの憂いの色は消え、涙は乾いていた。見覚えのある無表情が彼女の内心を隠してしまったようだ。
「ジョシュアはデニスに会えたって言った。…私だけ、何で会うこともダメなの?保守派のジジイが言うようにあなたを王族に取り立てなかったから?」
「ーーージジイなんて口が悪いな」って思わず言ってしまった。
「茶化さないで真面目に答えて」って睨まれる。君の怒ってる顔、俺かなり好きなんだけど自覚してるのかな?
王族になりたいなんてかけらも思ったことがなかった。
そんなこと彼女も知っているはずなのに。
視線を伏せて言うんだ。
「周りを敵ばかりに囲まれると何を信じていいかわからなくなるの。ーーー都合よく『デニス様は王族になりたい本心を隠していただけですよ』なんて言ってくるし」
俺がちょっとムッとしながら「あいつらの言うことなんて聞かなくていいよ」って言ったら「でも他に喋る人いないんだよ」って昏い顔で笑われた。
「ジョシュアはパー様と『もしも半年後にジョシュアがいなくなったら』に備えて色々と準備してる。執務の引き継ぎとか国王しか知らない魔道具の動かし方とか。邪魔したくないから私は保守派の愚痴を聞いてやるか、街で邪竜様の愛し子を探してる…邪竜様の愛し子ってどんな感じなんだろうね。まだ覚醒してないんでしょ?」
待て、保守派の愚痴を聞く?何だそれは?
帰ってから詳しく調べさせようと思いながら眉を寄せていればーーー彼女が「ねえ、答えを聞いてないよ」と話をぶり返してきた。
「顔も見たくないんじゃないなら何で私を避けるの?」
「理由くらい聞かないとまた泣きそう」って無表情で言うのはやめてくれ!
泣かせたくなるから!
「ーーーそれはさ、」
…いや、わかるだろ、言わなくても。
俺がそう思って口を閉じれば「最後まで言ってよ」と顔を歪められた。
「ーーー君がくれたものは…それが決別であっても、俺は大事にするよ。ジョシュア様とは違うに決まってる」
そんな顔をしないでほしい。
俺が間違ってるのかもってせっかく固めた決意が揺らぐから。
「…離れてからわかったこと、いっぱいあるじゃん。俺はプロイセンの赤竜になったし、前みたいにはいかない」
これからも会うつもりがない、という俺の意志はバッチリ伝わったらしい。
彼女は口を一文字に結んで、顔を下げた。
髪の毛しか見えなくなった。
以前であればすぐに頭を撫でていたであろう場面。
落ち込んでいる彼女を前にしても何もしない。
不可抗力があったとはいえ自分が選んだ選択肢。
胸が痛え。
ドロドロに甘やかして悪意から遠ざけ続けて、そんな愛し方しかできなかったけど離れてみて思う。
多分愛し子でもない俺がこの世界で君へ向けるべき愛情はそうじゃなかったんじゃないかって。
俺は君からの愛を欲しがっちゃいけないんだ。
ひっそりと与えるのは自由だと今でも思ってるけど。
「…もう、わかってるだろ?黒竜の愛し子はジョシュア様で俺じゃない。君の隣にはもう運命がいる。ーーーそんな当たり前のことをさ、赤竜になってようやく理解したんだよ」
俯いたままの彼女からの返事はなかった。
落ち込んでる彼女を目の前にして悲鳴を上げ続けている心をごまかすみたいに俺は大きく息をつきーーー和国に向けて再び飛び出した。
ーーー俺たちが諦めるってことは、死ぬのと同じことだぞ?
ブランドン兄さんの声が耳の奥で聞こえた気がした。
◯
和国の上空に着くと紬様の言っていた「江戸城」はすぐにわかった。
金鯱を目印に、黒光りする天守へ向けて俺は白金竜を背中に、黒竜を掌に乗せたまま身体を縦にしてグングン高度を落とした。
紬様は5重の屋根を持つ天守の最上階、艶のある望楼に角に立っていた。
紅の着物を身につけ空を見上げる彼女に向けて一直線で進む。
風を起こしつつ天守へとまっすぐ向かう俺をみて悲鳴が上がっているのには気づいていた。江戸城を囲う大きな大きな堀の中。所狭しと建てられた黒い屋根の建物から蟻のように次々に人が出てきている。遠くの方から「敵襲じゃー!」なんていう叫び声が聞こえた。
減速したけど殺しきれなかった風圧で黒い屋根瓦が数枚剥がれて翼に当たった。
彼女の目の前でぴたりと止まって見せれば「…そのお姿で来られるとは思っていませんでしたわ」と呆れたように言われる。
「魔素を補充してきたから晴れて竜化できるようになったんだ」
どう?と胸を張って見せれば「すごいと思います」と真顔で言われた。
ねえ、おもってる?
竜の姿だと発声がしづらかったので、俺は人化した。
紬さまが俺の顔をじっと見ている。
ストンと紬さまの横に降り立てば、こちらを見つめたままで「嫌なことでもありました?」なんて聞いてくる。
「何もないけど」
「ーーー何もないってお顔に見えませんが。あ、もしかして…」
紬さまは少し離れたところに浮かんでいる黒竜を見て、何やら頷いた。
「喧嘩したんですね」
いや、喧嘩なんてしてねえーーーと言いかけてやめる。
俺たちは喧嘩したのか?確かに泣かせたけど…。
「ひえ、こちらへ来ないように朕を守れ」という中年マスキラの声がした。
思考を中断する。声のした方に顔を向ける。
「ーーー誰か中にいるの?」
不思議に思って和国風のカーテンの奥を覗き込もうとすれば、紬様に「お目汚しになるかと」とやんわり止められた。
「皇王がいらっしゃいますーーー到着をお知らせしたところ、御休息…わかりやすく言いますと寝屋ですね。そちらからわざわざ天守までいらっしゃったのです」
ふうん。例の激ウザ親父か。
俺は興味本位で近くにあったカーテンをめくってみた。
紬様の「お待ちください」という焦ったような声が聞こえるが、辺境の王様にはちょっとだけ興味がある。
中は緑色の草を編んで作ったような床に和国風の色鮮やかな龍とか虎とかが描かれた金の屏風が並べられてた。
家臣たちが俺をみてお化けにあったみたいな顔で固まった。
泡を吹いて倒れる彼らに目を取られていれば、一番奥から「お、お前、誰の許可を得てここにーー」という声がした。
「…あの太っちょが皇王か」
濃紫色の着物に黒いお椀のような帽子を被り、喚いているおっさんをしばらく観察する。
距離があるとはいえ、俺に向かって喚く元気があるとはやっぱり肝が据わってるな?
「ローゼシエ、何も面白いものはございませんわ。…皇王、この方は始祖竜であられます。礼を欠くような振る舞いはお控えになるようーーー」
俺の横をすり抜け、俺の視線から皇王を隠すように立ち塞がった紬様。
皇王は俺が見えなくなったせいか、若干落ち着きを取り戻したらしい。
「ーーーちょっとばかし竜大国で人脈を得たからと父に向かって何と言う口を聞く。不敬罪に問うてやろうか?」
怒気を発する皇王。
しかし紬様は動じることもなく「はあ」と呟いた。
そしてーーー皇王を無視して俺の方へと振り返った。
心底申し訳なさそうに眉を寄せ、緑の床の上に跪いた。
額を床につけ、
「皇王の無礼をお許しくださいませ。ーーー井の中の蛙、大海を知らぬものですので」
と言い切った。
当然皇王は茹で蛸のように赤くなり、荒い足音を立てて立ち上がったのだがーーー
だんだん飽きてきた俺は紬様に「そういうのいいよ、黄色竜の場所まで一緒に行くんでしょ?立って」と手で示した。
そして静かに立ち上がる後ろでこちらへ来ようとしていた皇王に向けてーーー
「寄るな、誰がお前に自由な行動を許した?」
苛立ちを込めて言った。
魔力が少しこもってたらしく、皇王が真っ青になってその場にへたり込んだ。
いまだに見つめられているのが嫌で、「頭が高い」と命じればひしゃげるようにして頭をつけている。
…はあ、魔力なんてほとんど出してないのに。そんな怯えられたら弱いものいじめみたいじゃん。
「いこーぜ。紬さま」
はい、と頷いた紬さまの右手を取って歩き出す。
事前に黒飛竜の手袋はつけてある。ここ魔力ない奴らばっかだし、ぶつかられたりしたら大変だからさ。
再び短いカーテンをくぐり、やたらと艶のある木の床板が敷かれた廊下に出た俺たち。紬さまの手を離して俺は飛竜を呼ぶために再度空中へと躍り出た。
後ろには白金竜と黒竜が続く。
「紬さまのことはーーー」
任せていいかと言い終わる前に宙へ浮かんでいた黒竜が金色の光を指先から生み出していた。
紬さまのことは黒竜が運ぶようだ。紬さまを浮遊魔法で包み込んだ後、手を取って中へと飛び出している。
俺の方を見て静かに頷く黒竜。俺もありがとうの意味を込めて一つだけ頷き返した。
「行くか。ーーー南西の山の方で落ち合う予定だからまっすぐ向かうぞ」
「「わかった」」
速度を落としつつ空を飛ぶ。俺は地上を眺めながら時折手など降ってやってりしていた。白金竜から「賑やかなやつだな」と呆れたような声が聞こえる。
黒竜と紬さまは何やら話し込んでいる様子だったがーーー
「彼を薔薇の上に送り出しておいて、よくそんなこと聞けましたね」
というなかなか辛辣な紬さまの呟きが聞こえた。
彼って誰だか知らないけどさーーー十中八九俺だろ?黒竜友達少ねえもん。
…紬様よ、「薔薇の上に送り出す」は言いすぎじゃねえ?
黒竜はしょんぼりと「会ってもくれないからーーー騙し打ちみたいにして来た今回で聞き出すしかないと思って。…キッパリと関わるなって釘を刺されたけど」
「ーーーは?関わるなって言われたの?本当に?」
おーい、声が大きいよお。振り返らなくても「マジか」って顔してる紬さまの表情が目に浮かぶようだよ〜。
飛竜の山についたので、リーダーを任せてあった青飛竜を呼び出す。
黄竜はここから西へ三十分ほど飛んだ山の中に身を潜めているらしい。
…俺は意識の半分後ろに持ってかれながらも何とか報告を聞き終えた。
「本当にーーー紬のいう通りだよ。薔薇の棘の上に送り出したのは私たち。何もいえない」
「いや、それはそうだけど、でもお気に入りのサークルストーンもカナリーイエローだし、城の装飾もあの色でしたし、全然未練たっぷりっていうかーーーうわあ、拗れてますねえ、あなたたち」
飛竜に向けて「出発するぞ」と指示を出しながら、俺はしっかり背後の話し声も拾っていた。…紬さまの呆れた声色が何だか居た堪れない。悪かったな、未練たらたらで!
「お待たせしました赤竜さま。いつでも我らは向かえます」
暴れ回ってる黄色竜たちがどっか行かないうちに出発したいよな。
ソワソワとしている青飛竜の頭を「お疲れ」と言いながら撫でてやる。
「ーーーよし、西に向けて出発!」




