第四十七話 お前まで来たのかよ…
シリル君とレイモンドさんを追い返した俺は気分転換に空が見たくなって屋根の上に転移した。
さすような冷気が肌を打った。
プロイセンの冬は厳しい。
屋根の上で踏みしめる雪はまだ柔らかい。昨晩も雪が降ったようだ。
青緑色の湖の中心にこの城は建てられていて、ほとりは一面の雪景色だった。
傾斜のきつい屋根の上に、足跡をつけていく。
小気味よい音を楽しんでいれば、少しだけ平らになっている場所を見つけた。
屈んで手で雪を払い、赤い屋根瓦に足を引っ掛けて腰を下ろす。
湖には城影が映っていた。時折強く吹き付ける雪煙以外に水面を動く影はない。
湖の周りは木々で覆われ、西の方角にあるノイシュヴァンシュタイン本城まで木々が続く。
プロイセンのノイシュヴァンシュタイン本城は白いレンガと蒼黒の屋根を持つ美しい城だ。山中から麓を見下ろすように建てられた世界でも指折りの名所は山のほとりにあるこの城からでもよく見えた。
…国王であるシリル君はあそこで寝泊まりしているのだろう。
結構遠いなと、改めて思う。
それなのに、いつも俺が目覚めればシリル君は来るな、とも思う。
きっと、注意深くこのあたりの魔力を探っているのだろう。俺が起きたら飛んでこれるように。
ーーー大声を上げて泣き叫びたかった。彼に建ててもらった城の上にいたって、全然気分転換になりやしない。
座りの悪い傾斜のついた屋根の上から見る空は、いつもより天に近い気がした。
太陽の姿はなく、空は分厚い雲に覆われている。
何をするでもなく、徐々に暗くなっていく空をぼうっとみていたらーーー急に、近くに大きな魔力の波動が現れた。
転移魔法だな、と頭の隅で思う。
また誰か訪ねてきたらしい。しかも今度は始祖竜じゃない。
人間相手だとかなり大雑把になってしまった俺の魔力レーダーに頼るのはやめて、クイズ形式で考えてみる。
始祖竜じゃなくて、転移魔法が使えてーーー俺の周りを取り巻く魔素が色めき立つような人間。
…魔素にこれほど愛されてる人間なんて、一人しか思いつかないけど、え、なんで来たの?
慌てて身を起こしたせいで、ちょっと屋根から落ちかけた。
浮遊魔法で大声を立て直す。
困惑している間に転移魔法が完成した。
鈴の音とともに現れた黒いマントに身を包んだ人影。
寸分の隙もない涼やかな美貌を纏った彼は、いつもと変わらぬ凪いだ表情で俺の真横に降り立った。
言葉を失っている俺を見下ろしーーー「久しぶり」と何食わぬ顔で挨拶してきた。
「デニス、元気だったか?…本当に赤竜になってるな、おめでとう」
赤竜になってからおめでとうっていうのは初めて言われたな。
なんか平然と俺の真横に座ったし…いや、「ちょっと詰めろ」じゃなくてさ。俺の身体は反射であなたの言葉には従うけどさ。
いや、待って?拳一つ分開けた距離に腰かけないで?
「ジョシュア様、なぜここに!?」
大声をあげれば「うるさい」とちっともうるさそうじゃない顔で言われた。
ああ、ジョシュア様だ。この綺麗すぎる人形と喋ってるみたいな感覚、間違い無くジョシュア様だ。
ジョシュア様は俺の方に流れていたマントを引き寄せて整えると、長い足を折りたたんで、少し窮屈そうにしながらも後ろの屋根瓦に寄りかかった。
夜空みたいな瞳が俺に向けられていた。
瞳の中を金色の魔素が流れていった。
ああ、機嫌が良さそうだ。
俺はいまだに言葉が見つからずにボケっと元主人を眺めてた。
ジョシュア様はひとしきり俺を眺めた後でーーー彼にしては珍しいくらいに弾んだ声で言った。
「お前の魔力は凄まじいな…普通の人間じゃ、近づくこともできないのではないか?」
…指摘されるまで、すっかり忘れてた!!!
慌ててバラの傘を呼び出そうとして…やめた。
いやだって全然平気そうだもんこの陛下。
一応聞いてみた、
「俺の魔力痛いですか?」
間髪入れずに返答がくる。
「とても心地よい」
とても心地よい、ときたか。
シリル君もエリザベータも跪いて息を乱していた魔力が、とても心地よい。
ーーーやっぱこの人、人間離れしてんなあ!!
なんかこの肩透かしを喰らう感じまで懐かしくて、「そうですか」と笑いながら言えば、真顔で「うん」と返された。
ジョシュア様のあまりの変わらなさに、俺はなんだかとても安心してしまった。
不覚にも泣きそうになって、唇を噛み締める。
ジョシュア様は俺の横顔をじっと眺めて…驚いたように言うのだ。
「なぜそれほど悲しそうに魔力を揺らす?そんなに私がきたのが不愉快だったか?」
ああ、ジョシュア様は魔力で心情を判断するんだった。
くそ、今の俺は周りの魔素がおせっかいで寄ってきちゃうからいくら隠そうとしたって感情筒抜けじゃんか。
珍しく少し焦った様子で立ち上がろうとする彼のマントを掴んで引き止める。
…笑みを作ったけど、泣き笑いになってたかも。
「違うんですーーー陛下たちのことは微塵も恨んでいません。ただ、今はなんだか懐かしくて」
ジョシュア様は「よくわからない」と眉を寄せた。
正直な人だ。…感情を読めないから、言葉にするしかないんだろうけど。
「懐かしくて、嬉しくて涙が出そうです」
ジョシュア様はじっと俺の頭上…多分魔力を見ている。
「嬉しいのは嘘だ、悲しそうだ」と被りを降った。…そこはスルーして欲しいな!!!
「来た時から、悲しそうに青の魔素が揺れていた。ーーー辛いことがあったか?いじめられているのか?」
再び腰を下ろしたジョシュア様が母親みたいなことを言うから、俺は思わず吹き出した。
ジョシュア様はちょっとホッとしていた。うん、魔力の色が変わったんだろうね。
それにしてもーーー
「人間だったときはまだしも、今の俺を誰がいじめられるんです?」
揶揄うように言えば、ジョシュア様は眩しいものでもみるように目を細めて「そうだな」と頷いた。
ジョシュア様は沈黙した。
俺は元主人に、聞きたいことがありすぎて、口を開けたり閉じたりしていた。
なぜ俺をプロイセンに?
いつから赤竜にしようとしていましたか?
邪竜様の気配は感じますか?自分の死期を感じたりしますか?
なんで側妃なんてとったんですか?
…彼女は、元気ですか?
口をモゴモゴさせている間に、ジョシュア様は何かを決断したらしい。
「デニス」と短く名前を呼ばれた。
その声色が完全に俺に指示を与えるときのもので、俺は無意識に背筋を伸ばして「はい」と即座に右膝をついていた。
「デニスーーー手合わせをしよう!」
え?急に?
俺の困惑を正しく読み取っているだろうにジョシュア様はぐいっと俺の右手を引いた。
ワクワクと彼の黒の魔素が煌めいていてーーー魔素にも負けないくらいに明るい表情をしたジョシュア様が「嫌なことがあったときは剣をふればいい。全部忘れられる」と脳筋理論を展開してきた。
…なんだそれ。
「いい考えですね!!!」
ジョシュア様との手合わせ!ワクワクで先ほどまでの悩みは彼方へ飛んでいった。単純な性格だと自分でも思うけど、今の俺はジョシュア様圧倒できちゃうんだぜ?やりたいに決まってるよな!
「いい場所あるんですよ!」
俺はジョシュア様の手を取って森の深部にある空き地へ転移した。
ジョシュア様は俺がかけた転移魔法にも一切動揺を見せずに、浮遊魔法でふわりと着地する。
彼はすぐさま腰に下げていた空間魔法の鞄に手を突っ込み、愛剣の黒いロングソードを取り出した。
俺も亜空間に手を突っ込みーーー飛びかかってきた魔剣を受け止めた。いや、せめて柄の方を俺に向けような?俺の指が切れないからって毎回斬りつけられるのも複雑な心境よ?
右手に剣を持ったジョシュア様は魔力を膨らませて、シールドをかけようとしていた。そんな彼を止める、
ふふふ、だって…
「ジョシュア様?ーーー強い方がシールドを貼らないと、意味ないですよ?」
ふう!ジョシュア様に「強い」って言えるの気持ちい!
ドヤ顔で言ってやればーーー初めて見たくらいに珍しい、拗ねたような顔のジョシュア様が「そうだな…」と頷いた。
鼻歌でも歌い出しそうな俺は右手を一振りしてドーム状にシールドを貼った。
ジョシュア様は黒魔法だから黄色の魔素多めにしとこう。
ジョシュア様は目を細め半透明のシールドを透かすようにみた。
一言、「見事だな」と感想。
「…どうも」
口元が緩まないように必死で抑える。
ーーージョシュア様に褒められるのは正直悪くないな?
あたりは薄暗くなっていた。
月明かりもなく、視界が悪い中で俺たちは向かい合って剣を構えた。
十メータほど先で剣を構えた彼を見てーーー俺は違和感を覚える。
だって、いつもオクスだったのに今日は構えが違う。
俺もよく使ってるロングポイントの構えだ。相手から距離をとって戦いたい時に最適な構え。
「いつものオクスじゃないんですね?」と指摘すればーーー少しきまりが悪そうに「いつもは相手の型に合わせて構えを決めてる」と教えてくれた。
………。
手加減されてたってことですね!まあ、そうですよね!
つまりジョシュア様は手合わせの時に相手の得意な方を一通り見られるようにあえて不利な型を選んでたのだ。
完全に舐めきっているが、まあ舐め切られてもおかしくないほどに俺とジョシュア様の間には実力差があったのだから仕方がない。
一人で肩を落としていれば、ジョシュア様が急かすように「早く構えろ」と言ってくる。
仕方なくフォームタークに剣を構え、顔を上げればーーー少年の様に瞳を輝かせたジョシュア様と目が合った。
え、なんで始まる前からそんなに楽しそうなの?
俺の疑問はすぐに解けた。ジョシュア様が弾むような声で「初めて格上と対戦する…控えめに言って私は今非常に高揚している」と教えてくれたからね。
なるほどね。「最強」なジョシュア様は自分より強い相手と戦いたくても叶わなかったってことだ。
…正直、めっちゃわかるな?その気持ち?
周りに無謀だと言われようがジョシュア様に挑み続けていた俺と同族の匂いがする。わかる、強い奴と戦いたいよね。
口元をニンマリと上げればーーー準備完了と悟ったのか、ジョシュア様が義務的に確認してくる。
「ルールは?」
「いつも通り、実践形式」
「有効打は?」
「いつも通り3カウンテッド・ブロウズで」
「魔法の使用は?」
「制限なしで!」
ジョシュア様が静かに「わかった、始めよう」と頷いた。
ジョシュア様の手元から金色のコインが放たれた。
コインは規則正しく回転しながら光を反射し、放物線を描いてーーー地面に落ちた。
さあ、祭りの時間じゃあ!
ワックワクで突っ込んでいった俺はーーージョシュア様を吹き飛ばしそうになって思わずブレーキをかけた。
ジョシュア様は俺の剣を受け切れないと判断したのか咄嗟に転移魔法を使って避けてたけど着地の瞬間が乱れててーーーああ、俺の方が強いってこういうことか、と肌で感じる。
少しつまらなくなりながらも、定石通りに魔力を相殺し、ジョシュア様の剣筋を流していればーーー息を切らしたジョシュア様が「手加減される相手が顔を歪める気持ちがとても良くわかった」と無表情で感想をくれた。
うん、よかったね?
十合打ちあったとで胴に一発有効打を入れる。
カウントひとつ目。
ジョシュア様は僅かに顔を歪めてすぐさま転移魔法で距離をとりーーー。
…まあ、許すはずもないので転移魔法を追尾して俺は連続してもう一度胴に有効打を入れた。これでツーカウント。
ジョシュア様は一つ短く舌打ちするとーーー手元で黒魔法を急に爆発させた。
これには俺もびっくりして思わず距離を取る。
ジョシュア様、え、今の大丈夫?完全自爆覚悟のやつだったよね?
案の定頬に傷を作ったジョシュア様が視界に入って俺はちょっと慌てる。
…ジョシュア様はそんな俺を見て「今のでも無傷か…余裕そうな顔だな」と顔を歪めた。
いや、余裕だな、じゃなくてさ!
「心臓に悪いんで怪我するのやめてもらっていいですか!?ジョシュア様に傷がついてるの元臣下としてめちゃくちゃ嫌なんですけど!」
…と激しく抗議したのだが、完全に無視して再び打ち込まれた。
ジョシュア様、オンサイドからの全力の振り切り!って、おおい、聞けや!
…まあ、なんだかんだ言いつつも久々の模擬戦は楽しくて俺がわざと引き伸ばしてたらジョシュア様がすごく不服そうに「もう一発自爆してやろうか?」などと言ってきたので慌てて最後の有効打をこれまた胴に入れた。
俺が3カウント目を打ちつけた後ーーージョシュア様は無表情のまま歯を食いしばって、スッと剣先を下げた。
静かに胴の防具を撫でながら少し寂しそうに、
「見事に臓器の場所を避け、あざにもならなそうなライトタッチで三回の有効打。しかも私の剣が欠けるのを避けてほとんど打ち込んでくることもなく攻撃は受け流すーーー完敗だ」
と呟いた。
ーーーまあ、その通りなんだけどね?
「元から剣の腕は国随一だったもんな。…そこに圧倒的な魔力が足されれば手がつけられなくなる。…デニス、強くなりすぎだ」
いや、その通りなんだけどね?
「そんな正面から褒められると恥ずいっす」
気まずくなって目を逸らした俺を見たジョシュア様が目元を緩めてた。
…この人も、ずいぶん感情表現が豊かになったな。
その時、先程の魔力の爆発でできた傷口から溢れた深紅の血がジョシュア様の白すぎる肌を流れてーーー俺は思わず「ひえええ」と悲鳴を上げた。
「本当に、慣れないんで!手当てしてください!」
ジョシュア様は乱暴に手の平で血を拭う。
「大したことないだろう?…それに、お前も私も治癒魔法は使えない」
「帰って治せばよい」ってーーーその通りなんだけどさあ!
元主人に傷をつけたっていう罪悪感が半端じゃないんだよ…。
俺があまりにも気にするせいか、観念したように鞄に手を突っ込んだジョシュア様。すぐさま取り出した小瓶の蓋を開け、オレンジ色の液体を全く躊躇いなく頬の傷にぶっかけた。
「これでいいか?」
…いや、顎とか襟元まで滴ってるよ!なんでそんな乱暴なんだよ!
「自分のことはなんでそんなに適当なんですか!服まで濡れてるじゃないですか!」
大柄の俺が腰をかがめてせっせと赤魔法で水滴を飛ばしているのを、ジョシュア様が黙って見つめていた。
ジョシュア様の頬の傷だけでなく乱れていた服装や、埃まで綺麗にし終わった俺はーーーハタと気がついた。
俺、もうこの人の臣下じゃないじゃん!
慌てて距離をとって胸に手を置いて「失礼しました」と謝り出した俺を見て…ジョシュア様はなんだか眩しそうに「本当に我々を恨んでないんだな」と呟いた。
ん?恨む?
よくわからなくて首を傾げれば、ジョシュア様が凪いだ表情で「お前は本当にまっすぐだ」とまたもやよくわからないことを言った。
「?俺は別に普通ですがなんです?急に?」
そもそも追い出されたのは俺が弱かったせいだ。
そう言えば、すぐさまジョシュア様に「追い出したわけではない。ブリテン以上に、プロイセンにはデニスが必要だっただけだ」と言い直された。
「…でも、俺はブリテンにいたかったです」
どっかの誰かさん達が俺に先代プロイセン女王の魔石なんて食わせるからこんなことになったんだ。
恨みを込めて睨んでみたが、ジョシュア様は一切動じずに「ブリテンを大切に思ってくれてありがとう」と言った。
そして少しだけ悩むように眉を寄せた。
どうしたんだろう?
「デニスにこれほどまでに尽くされたのにーーー瀕死の状態の君を対外的に追い出すような形で国外へ出した我々を許さない気持ちは、まあわからなくもない」
と呟いた。俺が言い返そうと口を開くも、ジョシュア様は「こんなに早く赤竜にするつもりも、デニスを瀕死に追い込むつもりもなかったんだ」と静かに告げた。
「いや、俺を瀕死に追い込んだのは青竜ですよね?陛下夫妻に責任はないですよ?」
しかしジョシュア様は俺の言葉をやんわりと否定する。
曰く、青竜から守れなかった自分たちが悪いし、全て青竜様は計算してやったのだろう、と。
え、そうかな?あれ、本物のキチガイなだけじゃない?
「よし、こいつジョシュアの器にしよーえい!」みたいなノリで腹に穴開けられた記憶あるよ?
納得してない俺をよそに、ジョシュア様は静かに話を続けた。
「ブリテン内の反王政派は口を揃えて『デニス=ブライヤーズ騎士団長は裏切った。それも王族が冷遇したせいだ。自国に見切りをつけた騎士団長は敵国に渡った。赤竜になるほどの騎士を手放したんだ』…などと好き勝手に非難しているわけだが、まあ、全て虚構だとわかって正直安心した」
安心したならよかったがーーー
…保守派の話、初耳すぎる。
「本当に保守派はロクなことしませんね」とかぶりをふれば、ジョシュア様はいつもの調子で「光に影がつきものなように、反対派がいない王政はない。…全て包み込めばいい」と言い切った。
ーーーどっかの王様に是非見習ってほしい寛容さである。
これだよ!このどっしりとした構えが臣下を落ち着かせるんだよ!
「シリルとはうまくやってるか?シリルがデニスのことを全く教えてくれないもので我慢できずに私が来てしまったわけだが」
え?そうなの?
「シリル君と黒竜はよく連絡取ってるみたいですけど」
ジョシュア様は俺の言葉に少し視線をずらして「ーーーそうなのか、知らなかった」と言った。
…黒竜とあまり話していないのだろうか?
いや考えすぎかもしれない。黒竜はサバサバとした性格だから自分の個人的なやりとりを何でもかんでも報告したりはしないだろう。でも、あいつのことだからジョシュア様とシリル君が拗れてそうなら仲裁に入るくらいしそうなのに。
うっかり「王妃様とうまくやれてないんですか?」なんて口を滑らせそうになって慌てて口をつぐむ。
もうお節介する立場じゃなくなっただろうが、バカか俺は。
ジョシュア様はカバンから水筒を取り出しながら「俺はシリルに嫌われたのか連絡をしても返事をしてくれなくなった」とこぼした。
…知らなかった。
でも、「ブリテンとは敵国になった」ってシリル君言ってたし、黒竜はセーフでもジョシュア様とシリル君は立場上、今まで通りの友人関係とはいかないのかもな。
ーーーこれも、俺のせいなんだろうか。
シリル君は彼女とジョシュア様に関する話題を一切口にしない。
外交を断ち切ったのも、俺のためなんて噂もある。
…シリル君の俺に向けてくる感情にいつまで目を背けていられるだろう。シリル君との間に赤竜と国王以外の関係性のラベルを貼りたくないって思うのは、わがままだろうか。
どっかの馬鹿王のことで再びナイーブになっていればーーー「また悲しそうな顔をし始めたな?」とジョシュア様が見上げてきた。
…この人、人間の機微はさっぱりなのに、竜の感情には聡すぎない?
というか筒抜けっていうのも、困るね!?
むっつりと黙り込んだのだが、ジョシュア様は意外にもお節介を焼いてきた。
「…口に出したほうがいい。ライラもよくそうやって溜め込むような顔をするが、結局言ってしまったほうがうまくいく」
ジョシュア様の口から聞く「彼女」の名前は結構なダメージを俺に与えた。
ただ、名前を聞いただけなのに、懐かしくて、暖かくて…甘くてほろ苦い。
ーーー結局、一ミリだって忘れられてないなあと改めて自覚する。
ジョシュア様の青みがかった群青色の瞳は反則だ。
ブリテン国民は誰もがみんなこの人の全てを見透かし、包み込むような瞳に憧れてんだ。
そんな人物が俺の前で、俺に向かって「全て曝け出せ」と命じてくればーーー俺の口は自然と開いていた。
「俺は…苦しいです。なんで、一人しか好きになれないのかーーーいつも、思います。自分を愛しんでくれる身近な人に、同じだけの愛情を返せれば自分も相手も幸せにできる」
あえてぼかして言ったのにーーーこんな時ばかりするどいジョシュア様は「シリルか」と言い当ててくれやがった。
なんでわかるんだよ…今こそいつものおとぼけを発揮してくれよ…。
恨むようににらめば「許せ」と眉をハの字にされた。
「ーーーデニスの魔力は一時期、前プロイセン女王にそっくりだった。…シリルが気づかないはずがない。同じ魔力を宿して自分の国を救世してくれる赤竜にーーー特別な感情を抱いても、なんら不思議ではないと思っただけだ」
なんら、不思議ではないかあ。
俺は思わずへたり込んだ。
ジョシュア様も一緒になって座り込んでくれるので、俺は思わず笑ってしまった。
「慰めるの、ずいぶん上手になりましたね?」
からかうつもりだったのに「そうか!」と嬉しそうにされてしまった。
調子狂うんだよなあ。この人と話してると。
でもわからない、としゃがみ込んだまま、ジョシュア様は首をかしげた。
「なぜ、さっきのが苦しいんだ?…私からすれば、皆の思いが成就するわけではないのは仕方がないことのように思える」
ーーー正論だった。
でも…頭ではわかっていても、うまく想いを片付けられないから、多分今こんなに苦しい。
俯いたまま、ぐちゃぐちゃの頭の中から必死に言葉を紡ぐ。
…人間の感情がわからないことに悩んでいるジョシュア様には言葉で伝えなきゃダメで、そのことは時に自分も気づいていたかった本当の気持ちを浮かび上がらせてくれたりする。
「俺だって叶うことなら、相手と両思いになって幸せになっちゃいたいんですよ。…しかも、シリル君なんてかっこいいし、権力もあるし、愛し子だし。そんな素晴らしい人に大事にされてーーー同じ想いを返せないことでひどく傷つけてるのがわかってーーーこんなこと絶対にシリル君には言えないけど、俺も泣きたいんです。好きになれるんなら俺だって好きになりたいよって」
ジョシュア様はしばらく無言だった。
そして「デニスに与えられたあの城からは…確かに大きな愛を感じるな?」とちょっと的外れなことを言った。
言った後でちょっと心配そうに俺を覗き込んだ。
笑ってるとわかって安心した顔になっている。
一連の動作を見なくても…ジョシュア様が必死に言葉を選んでくれたんだろうなっていうのくらい、長い付き合いだからわかる。
慰めるのなんて苦手なくせにーーー本当に、温かい人なのだ。
俺にとっては永遠の恋敵であるジョシュア様が嫌なやつであればいいのに。
俺の愛し子がシリル君であればいいのに。
ーーーそんな、色の境目がしっかりした世界であれば俺はきっとこんなに苦しくないのに。
考えても仕方ないことが頭をぐるぐると回って…一人で唸っていたら、ジョシュア様が「私は見る目がある」とまたよくわからないことを言い出した。
「学園在籍時からデニスのことを側近にしたのは我ながら慧眼だった。ーーープロイセンの魔力が安定するまで、ブリテンの側近は決めないつもりだ。…何、私は500年、ライラは何千年と生きる。100年くらいシリルに譲ってやろう」
うんうんと一人で納得し出したジョシュア様の頭を「そこまで呑気なんですか!」と叩きかけた。その辺の友達じゃなくて陛下だったことを思い出したからギリギリ思いとどまったけどな!
「なぜ怒る」
不思議そうな顔すんな!
知ってるだろ!邪竜様のこと!
オブラードに包みつつも「もっと深刻になれコラ」と伝えたのだがーーージョシュア様はいつもの凪いだ表情で「私はまだ死なない」と言い切った。
「邪竜様のお考えはわからない。でも、やりたいことがたくさんあるんだ。死ぬつもりはないーーーましては、誰かの命を引き換えにするつもりはない」
そう言って俺を射抜いたジョシュア様の瞳は鋭くてーーー俺の心臓はいやな音を立てた。
…どうやら、青竜様の「ジョシュア様身代わり計画」をすんなり受け入れたことには怒ってるらしい。
すぐに俺が赤竜になって計画が白紙に戻ったから俺も忘れかけてたのに、きっちり覚えてるのかよ。
ーーーまあ、俺も反省してないからにっこり笑ってやったけどな。
とはいえ、目から鱗だった。
「邪竜様の愛し子が見つかっていない以上、ジョシュア様の死は仕方ないだろう」とみんな諦めかけてるのに。
張本人は全く受け入れていなかったらしい。
信じられないことにジョシュア様は本気で邪竜様と争うつもりのようなのだ。
「ライラは必死になって邪竜様の愛し子を探してくれているし、もし間に合わなければ天界で邪竜様本人に私が説明すればわかってくれるはずだ」といつものトーンで言った。
「だから、デニスは何も心配するな。私は彼女をこんなにも早く置いて逝くつもりはないから」
…ああ、ほんとにジョシュア様がいやなやつならよかったのに。
これほどかっこいいマスキラが彼女の旦那じゃなければとっくに奪い去ってるんだよな、クソが。
「そうですか」と口を尖らせた俺に目を細めたジョシュア様だったがーーー突然立ち上がった。
どうした?
「…デニスの過保護な部下二人が探してる。…シールドが強すぎて魔力反応が追えないからだな。戻ってやれ」
ジョシュア様は「また来る」となんでもないことのように言って去っていった。
「私のことは避けないってわかったからな」というのはずいぶん余計な一言だっただと思う。
「ーーー何度も彼女から逃げ回ってしもべ魔獣を消せば、そりゃあ避けてること伝わるか」