第三十九話 ガマガエ…宰相ともお話ししよう
シリル君が不満そうに見上げてくるのでーーー
俺は、ずっと跪かせたままの宰相を呼びつけて説明させることにした。
「シリル、あいつと話がしたい」
顎をしゃくると、シリル君がすぐさま壁際へかけていった。
その間に王子に向けて「下がれ」と命じる。
王子たち一行は得意げな顔で部屋を出ていった。
入れ替わるようにして、二人の伴を引き連れた宰相がねっとりとした笑みを浮かべてこちらへ近寄ってくる。…睨む演技はいつの間にかやめたらしい。
…ガマガエルみたいな顔をした宰相は、気持ちの悪い視線を俺に向けたまま無言で傅いた。
再びシリル君が俺の横に戻ったのを確認し、「名乗らせろ」とシリル君に言えば、今度はすぐさまシリル君も「赤竜様に名乗れ」と伝言をしてくれた。
宰相は好々爺のような笑みを浮かべ「ヴィルヘルム=プロイセンでございます」と名乗った。
…こいつも王族か。プロイセン家は先先代王の家系だ。魔力が弱まって今のホーエンツォレルン家に国王の座を譲ってはいるが、今でも継承権を有する家系でもある。
わざとらしくギラギラとした魔石のついた指輪を四つくらいはめてるし、マントに描かれた魔法陣はパッとみただけでも呪いや闇の魔術系の陰険なもので間違って攻撃しようものならとんでもないことになるんだろうなって読み取れる。
油ぎったほおの肉は垂れ、宰相の官服がはち切れそうなほどに太っているこのマスキラ。ちょっとこっちをみないで欲しい、お前もこの顔が好きか、くそ、ジジイにも人気なんだよな!俺のナイスフェイスは!!
口元は笑顔なのに目が笑ってないし、めちゃくちゃ腹黒そうだけど…みた感じ、魔法使いとしてはそこそこ有能そうなのがまたなんとも腹立たしい。
シリル君をのぞけば一番空間魔法の魔力を有してるのはこのおっさんだろうな。
先代女王と比べても遜色ないかもしれない。ーーーこんな有力王族があの陰謀を知らなかったとは思えないんだが、こうして粛清を免れて宰相まで上り詰めてるんだから油断ならない。
「ヴィルヘルムーーー先ほどの俺の処置について思うことはあるか、宰相として答えろ」
シリル君に顎をしゃくれば心得たというように頷かれた。
「直答を許す」とちょっと誇らしげに言っている。
…そういうのも態度に出すなって言いたいが…今日のところはまあいいか、わかってくれたなら。
宰相は「ははあ」なんてわざとらしく首をかしぎ…「お答えいたします」と顔を上げた。ねっとりとした視線が俺の爪先から頭のてっぺんまでを滑っていき、俺は精神力を最大限に動員してなんでもない風を保った。背中の鳥肌がやべえ。
「赤竜様の采配は素晴らしいかと思います。我が国は軍事国家…有り余る力を放置すれば、今のように内乱が起こります。赤竜様のご寵愛をめぐって内乱が起きる前に魔物の領域を侵攻し、領地を拡大するのが最善かと思います」
得意げな顔を向けてくるおっさんに俺は引き攣った笑みを返した。
…腹立たしい表情をしているがまさに俺の思っていたことなんだよね。
やっぱ悪人顔のやつって有能なんだよな。
でもさ、でもさ、でもさ!
気のせいじゃなければ俺が嫌そうな顔をするのさえ喜んでいる気がするんだけど!!このおっさん!!ねえ、変態なのかな!?
「いかがでしょうか?」と首など傾げてくる宰相に、俺は鳥肌立ちまくりな右手をさすりながら無言でうなずき、「シリルとハインリヒの采配については?」と質問を重ねる。
「ははあ。素晴らしいかと思います。ハインリヒ王子はいまや反王族派の旗印…何かしら重用する姿勢を見せなければ国内の魔法使いはまとまらないでしょう。さらにシリル王を向かわせた西側は魔物の森の巣窟…敵も強いですが魔素も多い。真の軍事力はこちらに向けるべきです」
そう!俺が言いたかったのはこれ!
「そうだな」と頷いてシリル君を睨めば…バツが悪そうに目を逸らされた。
ハインリヒ王子の挑発に乗せられただけあり、やはり俺の意図は伝わってなかったらしい。
そして問題はーーー
宰相を見ればにっこりと黄ばんだ歯を見せて微笑み返された。
…首筋の裏を寒気が通り抜けた。がんばれ俺。挫けるな俺。
「お前はーーー国内をしきれ。反王族派の旗頭がいない間に、シリル派に鞍替えさせろ」
宰相は俺の言葉を予想していたのか「全力を尽くしましょう」と頷いてくれた。
シリル君が唖然としたように「俺のいうことは一つも聞いたことないのに」と呟いている。
…お口にチャック!!!
再びシリル君をにらめばーーーなぜか、宰相が声をあげて「はっはっは」と笑い出した。
ゾッとして宰相を見やる俺たち。
え、気が狂った?
ひとしきり笑った後で宰相はーーーストンと無表情になった。
空気の温度が一段下がった。
沼底のように澱んだ瞳を向けられ、思わず唾を飲み込んだ。これが、長年プロイセン王宮を牛耳ってきたであろう老獪ジジイの本性か。
宰相は無表情のままシリル君に顔を向けた。
シリル君は一歩後ずさりかけて踏みとどまっている。
…背筋丸めてる場合じゃないよ!しっかりして、シリル君!
「シリル王、赤竜様に私めからご質問しても?」
シリル君が怯えたように俺をみた。
俺はよくわからないまま一つ頷く。
「直答を許す」ーーーシリルくんが早口で告げた。
すると宰相は無表情を一転、怒りのこもったギラギラとした視線でシリル君を射抜いた。
「ーーー愛し子というのは凡人にとっては残酷なものですな。赤竜様ーーー貴方様をみた瞬間全てを悟りました。老いぼれの目と耳と鼻と…全ての五感が貴方様に尽くしたいと訴えております。高次元の存在が我が国に舞い降りたから抵抗するのは無駄でありただ魅了されるのみであると。…加えて人間同士のやりとりへの理解も深いご様子。おいぼれが積み上げてきたものなど貴方様の前では役に立たない。そのあなた様が愛し子であるシリル王を立てろというのであれば全力で従う所存…ただし、見返りを求めてはいけませんか?」
「ーーーシリルは、俺の愛し子ではない」
咄嗟に口にした時、シリル君の表情が凍りつき、宰相はニヤアと笑みを深めた。
こいつ、多分シリル君が愛し子じゃないってわかってたな。
あえて俺の口から言わせやがった。
というか笑い方、気持ちわるーーーと思わず口から「うへえ」といった感じの音が漏れかけたが必死に自分を抑え、言葉を続ける。
「だが、先代の愛し子であるシリルは好ましい魔力をしているので大事にする。ーーーいい心がけだ、見返りを与えるのか決めるのは俺だが…聞くだけ聞いてやる」
苛立ちを隠して言い切ったつもりだが、この腹黒には全部バレてる気がして仕方ない。
「ははあ、お優しい赤竜様に感謝を。ーーー私の望みはただ一つ…孫に加護をお与えください。ーーープロイセン侯爵家に再び王位を」
ーーーなるほど。
この爺さん侯爵なんだ、という新情報はさておき。
…愛し子であればシリル君の直系が王位につくのが筋だ。
でも違うなら?ーーーシリル君だけでなく、現存している王家の血筋には等しくチャンスがあると考えたのか。
宰相は俺に愛し子がいないという点に活路を見出したらしい。
まじで気持ち悪いけど、俺がここに来て数日で情報収集して俺に嘆願したの?
絶対賢いじゃんこいつ。気持ち悪いけど!
俺はシリル君を見た。
シリル君が自分の子供に継承させたいって言うなら尊重してやりたいし。
ただ、肝心のシリル君はこの話題にちっとも関心がないように見える。
先ほどと変わらぬ表情で恨めしそうに宰相を睨み続けているのだ…ううん、どうしよう。
迷った末ーーー俺は結論を先送りにすることにした。
「ーーー望みはわかった。まずは結果を出せ」
要望を認めるとも断るとも言ってないのに、勝利を確信したらしい宰相は満足げに「仰せのままに」と頷いた。
宰相が微笑むたびにテカテカと光る金歯を目にしながら「こいつの子供もガマガエルみたいな王子だったらどうしよう」と本気で心配していると…
シリル君が慌てたように立ち上がった。
「見慣れない魔力反応!?…ロングソード!」
シリル君が廊下へ続く扉に向けて剣を構えた。
シリル君の慌て様を見た宰相とその側近たちが慌てたように立ち上がった。
何が来たのかわかってた俺は「あー、やっぱ鉢合わせしちゃったか」と額をこすりつつ、黙って椅子に座していた。
ーーー程なくして。
どんどんどんどん!
ーーー入り口を叩く音がした。突然の物音。
シリル君はすぐさま「様子を見てきます」と走り出した。
…来ているのは先ほど去ったハインリヒ王子だな。
そして用件もおそらくーーー
「赤竜様、ご報告です。ハインリヒ王子がいうには…」
「パラスに、白金竜が来ているーーーでしょ?」
シリル君はぽかんとした表情で「ご存知でしたか」とこぼした。
ご存知だよ。
いや確かに白金竜様がめちゃくちゃ自分に隠蔽魔法かけてて俺のとこに秘密でこようとしてる気満々なのも全部気づいてて、わざと無視してたんだよ。
あーどうしよう、なんかもう疲れたんだよなあ。
「帰ってもらってくれない?」
シリル君にいってみたのだがーーー青ざめた顔で、「ご自分でお伝えください」と拒否された。
宰相たちが可哀想なほどに青ざめながら身を寄せ合い、
「…わしはついに耳がおかしくなったか?今、白金竜と聞こえたのだが?」
「宰相、私も聞こえました。それに先ほどは青竜様も訪れたと噂で聞きましたぞ」
「青竜はまだしも白金竜様など伝説の存在ではないか。そ、それがなぜパラスにいるのだ?まるで王族を待つ諸侯のようではないか」
…動揺しすぎて考えてること垂れ流しだな?
うーん、よし決めた。
「追い返そう」
パチン、と指を鳴らせば遠くから「そんなーーーー」と悲鳴のような声が聞こえた気がした。
あんぐりと口を開けたシリル君の後ろからハインリヒ王子一行が「白金竜様が突然消えました!も、も、もしかして我々に何か失礼が?」となだれ込んできた。
俺は混乱する彼らを放置して再びカウチに寝そべりつつ、目を閉じた。
「シリル、説明しといて」
「え、お、俺?」と戸惑った声が聞こえたがーーー昼寝しようと思うんだ。
シュルシュルと薔薇の蔦が俺を覆い隠すのを感じながら…再び夢の世界に旅立った。
「いいかよく聞けーーー赤竜様は始祖竜の中でも最強であられる。だから、青竜様が訪ねて来ようが、白金竜様がパレスで待っていようが、気分じゃなければ追い返す…みてみろ!眠かったんだ!気分じゃないんだよ今日は!わかったなら解散!」
「え、まさかさっき白金竜様が消えたのってーーー」
「赤竜様の転移魔法に決まってんだろ!」
「ばかな、相手を転移させるのには膨大な魔力が必要だし、そもそも相手を目視もしてないのにーーー」
「俺に聞かないで!あの美しすぎる寝顔を薔薇の蔦の隙間から俺たちに晒している赤竜様が起きている時に、ご自分で、聞いてください!」
◯
「なんで赤様寝てるにゃ?黒様は寝ないにゃ」
「ばかめ、魔素が足りてないんだよ」
「なんで赤様の魔素足りてないにゃ?」
「プロイセンがすっからかんだからだよ」
子供の声が耳元でする。ついでに額に柔らかい感触もする。
目を開けると…猫の肉球が押しつけられていた。
「ーーー?」
ゆったりと目を瞬かせていれば、猫はサッと手(あし?)を引っ込めた。
…肘をつき、ゆったりと身を起こすとドームのように赤い薔薇が床の下へと吸い込まれていった。
ぼんやりとした思考のまま、額に手を当てる。
「赤様起きたにゃ!」
「やっとか…お主、七回太陽と月が回ったぞ」
「…猫と、蛇が喋ってる」
黒い毛並みに金色の瞳の黒猫と銀色の蛇が俺のカウチの隅っこに鎮座していた。
あくびをしながら観察してみたが…魔素で発光するこの魔獣たちの正体は聞くまでもない。
うん、喋る魔獣なんて竜種以外じゃそうそういないからな。
「…なんで、白金竜と黒竜のしもべ魔獣がここにいる?」
寝起きのせいで声が掠れる。
しもべ魔獣たちは「お使いで来たにゃ!」「伝言だ」とそれぞれがらしい言葉で答えてくれる。…白金竜様ってしもべ魔獣まで慇懃だな?
いっぺんに話し出そうとする二匹に「ちょっと待って」と言い置き、俺はゆっくりとカウチから足を下ろした。
柔らかな絨毯の感触を足裏で感じながら、水でも飲もうと浮遊魔法で飛び上がれば…部屋の隅から人影が走ってきた。
「デニス様あああ、もうお目覚めにならないかと思いました!このエリザベータ、心配で胸が張り裂けそうで!」
…うるせえ。
「どこに飛んでくつもりですか!!待ってください!!」
ぐいぐいとズボンの裾を引っ張られ、俺は渋々着地した。
…すかさずスリッパを差し出してきたので履く。
「七日も寝てたんですよ!?その間に378名の面会希望者が来ました!」
やかましく騒ぎ立てながらエリザベータは部屋の片隅に備え付けられた鏡台の前へと俺を引っ張っていく。
椅子を引かれて丸椅子に座った俺。眠そうな自分の顔と向き合う。
「お水です」
差し出されたミネラルウォーターのボトルを黙って受け取る。
キャップを開けようとしたら力加減がおかしくてボトルのてっぺんが破裂して水がこぼれた。
ビチャビチャになった右手から雫がしたる。
「あああ、濡れてしまいましたか?このボトルが脆すぎましたね、待ってください。私がコップに入れますから!」
部屋の隅まで全速力で走り、真っ白なタオルと鉄のコップを持って帰ってきたエリザベータ。
俺の右手と胸元を優しく拭って、ついでに新しいミネラルウォーターのキャップを開け、コップに水を注ぐ。
「いいですか?力を入れすぎちゃダメですよ?今ここに黒魔石のコップはないのです。これは赤竜様にとっては紙も同然の鉄のコップですからね?」
まだ眠いなあ。と思いながらうんうんと頷き、銀のコップを受け取った。
唇をつけて飲み出した俺をみてエリザベータがほっとしたように肩を撫で下ろしている。
コップを持ったまま大口を開けてあくびをしている間に、エリザベータは右手に持ったブラシで俺の髪の毛を溶かし、左手では赤魔法と青魔法を使ってタオルを暖めている。
よく働くなあと鏡越しに彼女を眺めていれば、温タオルが差し出された。
「さっぱりします、お顔を拭いては?」
俺はうんと頷いて、ほかほかと湯気をあげるタオルを大人しく受け取った。
顔を埋めていれば頭上から「可愛い…あまりにも弟力が高い…」という謎の呟きが聞こえてくる。
美容師免許でも持ってるの?と聞きたくなるエリザベータは俺の髪の毛に軽くワックスをつけ、少しだけ編み込みをし、右サイドの毛をあそばせ…芸能人の撮影前のセットか?ってくらい完璧に仕上げてくれた。
「ありがとう」と振り返った俺に、手についてワックスを拭っていたエリザベータは笑いながら「まだ終わりではありません」と首を振った。
「お召し物をかえましょう…シリル王が張り切ってたくさん用意してましたから」
エリザベータに連れられて奥の部屋に行こうとしたらーーークイっと、両袖が引かれた。
視線を下げれば…銀の蛇と黒猫が齧り付いている。
「…どうした?」
立ち止まって二匹に聞けば「伝言!」と叫ばれる。
少し逡巡し、エリザベータの方に顔を向ける。
「適当に動きやすそうなの見繕ってきて」
エリザベータは少しだけ不満そうな顔をしながらも、胸の前に手を当てて了解の意を示してくれる。
奥の扉へと足早に歩き去った彼女の背中を見送った後、俺は二匹をくっつけたまま中央のローテーブルへと飛ぶ。
…途中でスリッパが脱げてあらぬ方向へと飛んでいきそうだったんだけど、黒猫がしっぽでキャッチしてくれた。ナイスだぞ。
二匹をローテーブルに座らせた俺は、ソファに着地した。
あぐらをくみ…「伝言って?」と再度問いかける。
二匹が同時に口を開いたので、俺は「白金竜様のから聞く」と黒猫を遮った。
「なんでにゃ!」
…尻尾をパタパタさせる黒猫かわいいな?
というかあいつ、ほんとに猫をしもべ魔獣にしてるのか?さっき一瞬目に入ったけど空中飛ぶのすごい大変そうだったぞ。
俺が「しもべ魔獣も飛ぶのが下手とか…飼い主とペットが似るって本当だったんだな」などと失礼なことを考えていれば、(多分)ドヤ顔をしている銀の蛇がスッと前に進み出た。
「白金竜様からの伝令として我はここに参った」
そうでござるか。
「暴走した怖めの飛竜の群れがベルギー王国首都に来ててすごい困ってる」
…知らんよ!
「呼び出しても来ないと思ったからわざわざ転移魔法で行ったのに赤竜は私に喋らせてもくれなかった」
…数日前の出来事がフラッシュバックする。
パラスに白金竜がきてたんだよなーーー救援要請だったのかあれ。
俺がへえ、と興味なさそうに頷くと銀の竜が若干ショックを受けたように後ずさった。
「直ちに助けに来いーーーという伝言だったのだが、赤竜様が寝ている間になんとか飛竜自体は追い払った」
「よし、解決だな…次「最後まで聞いて!」
お、おう。
しゃ!と牙を剥き出して怒りをあらわにする銀蛇。
大人しく耳を傾けないと噛みつくぞ、ということらしい。こわいこわい。
「三日前に白金様はもう一度ここに来た」
え、暇なの?
「赤竜様は白金竜様が耳元で泣いても起きなかった」
恨みがましそうにしたをチロチロする銀蛇。
…え、なにその目?俺が悪いの?
無言で見つめ合う俺たちをよそに、黒猫が毛繕いしながら「あれはうるさかったにゃ」と呟いている。…お前も三日前からいるのね?
「だから赤竜様には王都の魔法陣を治してほしい!魔力ちょうだい!」
だから、のあとなんて!?最後で急に強欲になったのなんで?
「いや、無理だよ」
冷静に断れば再び銀竜は「しゃ!」と牙を剥き出してきた。
うおい、それびっくりするからやめろよ。
「なんて無慈悲な!」
いや、無慈悲っていうかさ…
思わず頬を掻きながら、苦笑いしてしまう。
「そもそも助ける義理もないんだけど、それ以上に今俺この国から動けないから無理なお願いなんだよね」
「だからごめんよ」と眉を下げて見せれば、銀蛇は「これないのであれば仕方ない」と力なく外へ飛んでいった。
窓枠をすり抜ける時も、何故か何度も振り返る銀蛇。
「…またくる」
…なんだか申し訳ないことしたみたいになってるけど、俺なにも悪くないよね?
ていうかまた来るってなに?え、もう解決したんでしょ?
困惑したまま窓を見つめていれば、目の前の黒猫が「次は僕にゃ!」と右手を上げた。
「ーーーどうぞ」
なんでもない風を装ったけど、声が震えてた。
「彼女」からの伝言ってなんだよ。
いまさら、俺に話すことなんてないのに。
…心臓の鼓動がうるせえ。
知らぬうちに息をつめている俺に気づいていないらしい黒猫は呑気に尻尾をぱたつかせながらーーー恐ろしいことを言った。
「ーーーーというのが伝言にゃ」
「ーーーなに言ってんだよ」
…低い声が出て、魔力が爆発したみたいに膨れ上がった。
俺を中心に三メータくらい台風のように魔素の粒子が渦巻いていて、台風の目にいる黒猫は警戒するように毛を逆立てた。
俺は黒猫の襟首をそっと掴み…
「主人に伝えて…もう俺に関わるなって」
黒猫が何かいいたそうに口を開いたけど、俺はすぐにそいつをブリテン王宮へと転移させた。
慣れた場所だから、離れてても座標指定くらいできる。
渦巻く魔力の中心で頭を抱えてたら離れた場所から「赤竜様!?」と悲鳴のような声が聞こえた。
ああ、エリザベータだ。魔力をしまわなきゃ。
必死に感情を押さえつける。
落ち着け、いまさらなにを言われたって関係ないだろ?
もう関わらないって決めたんだ。
俺はずいぶん時間をかけて自分の中から漏れ出てしまった魔素を押し込んでいった。
魔素が薄まってくるとエリザベータだけでなくシリル君も心配そうにこちらをみやってるのがわかった。
最後の魔素をしまい終えた俺は、ゆっくりと顔を上げた。
笑顔で「悪い、心配かけた、怪我はない?」…普通の調子で言ったんだけど、何故か二人は泣きそうな顔で顔を見合わせてた。
俺は浮遊魔法で浮き上がるとエリザベータの前に降り立った。
手にしている上下の服は赤地に金の刺繍が施されたいかにも「プロイセン王家」って感じの服だった。
「着せて」
俺が両腕をひらけばエリザベータは「はい」と一つ頷いて今来ている服のシャツのボタンを外し始めた。
堂々と着替え出した俺たちをみてシリル君が目を白黒させているのがおかしい。
「お、お前、赤竜!?フィメルに着替えさせられてなんも思わないのか!?」
俺は呆れ返りながら「フィメルもなんも、仕事だぞ?」と返す。
そもそも、屋敷に使用人いたしな?
「小さい頃から着替えと入浴は手伝ってもらってたし、学園に入る前はフィメルの使用人がメインだったよ?」
成人してからも陛下夫妻の外交に側近として同行してたときは家の使用人ついてたしな。
「普通じゃない?」と言い切った俺に向けて、シリル君が「このボンボンが!」と地団駄を踏んでいる。
…慣れてないと、羞恥心を感じるものなのか?
というか、それよりもーーー
「シリル君こそ着替えてる間は席を外すものだよ?」
わざと揶揄うように言ってやれば、慌てたように踵を返し、逃げるようにして扉へ駆けていった。
元気だな?
エリザベータに「右足あげてください」「はい、次は左足です」「…また痩せましたね、ジャケットの生地が余ってます」などと言われながら着替え終わった俺。
ーーー俺の屋敷の使用人に負けないくらい手早かったな?
「…お前は逆になんで着替えさせるのに慣れてる?」
不審に思って問いかければ「暗殺はメイドにも偽装します」とドヤ顔で言われた。
…左様ですか。
「というかお前まだ暗殺者なの?俺を殺したいんじゃなかったっけ?」
言外に俺はもう殺せないぞ、と言ってやればエリザベータは「はい!」と綻ぶように笑った。
????
「だから、もう任務は終わりじゃないの?」
「いえ、終わりじゃありません!」
「…ターゲットは?」
「制約魔法で言えません!」
一連のやりとり、全部笑顔である。
相変わらずこいつなに考えてんだかわかんねえ。
疲れたように息を吐いた俺の腕をエリザベータが取った。
「では次は下へ参りましょう!」
続いて俺はエリザベータに手を引かれ、一階にある食堂に連行された。
食事はいらないって言ったのに、「七日も寝てたのは魔素不足だからじゃないんですか!?」と押し切られてしまったのだ。
観音開きのドアを開けたエリザベータに続いて食堂へ入ればーーーロングテーブルを埋めつくさんばかりに大量の魔石が積み上げられていた。
山になった魔石は太陽光を反射し、目を眩ませるほどだった。
光で溢れた部屋の一番奥の隅に仏頂面のシリル君が立っている。
ーーーえ?
「なんでこんなに大量の魔石が?」
近寄って、一つ掴み上げる。
…透き通るように透明な紫魔石は手のひらに収まるほどに大きく、傷はあるものの加工すれば屋敷が一個買える価値があるものに見えた。
いくつか手に取ってみたがどれも似たり寄ったり…最上級ランクで市場に出回ってる代物だった。
「これ、どうしたの?」
思わず振り返ってエリザベータに聞けば、彼女は可笑しそうに「あの王様に聞いてください」と部屋の奥を指さした。
…シリル君が用意したのか?
無意識に首を傾げた俺のもとに、シリル君は仏頂面のまま近寄ってきた。
「魔素足りてないんだろ?」と聞いてくれる心遣いはありがたいんだがーーー
「流石にこの等級の魔石をもらうことはできないよ…一瞬で飲み込んじゃうと思うし」
誇示しようとすれば、シリル君が苛立ったように魔石を掴み、そのまま口元に押し付けてきた。
ーーーびっくりしつつも、そのまま口を開いて飲み込んで見せる。
…シリル君の指先に唇があたっちゃったのは不可抗力だと思うんだけどさ、シリル君はワナワナと唇を震わせ、アッフェルのように真っ赤になってた。
自分でやったくせに照れたのか…自爆するとはアホだな?
口元をぺろりと舐めた後、再度「本当に食べちゃっていいの?」と確認したら背を向けてしまったシリル君が「黙って食え!」と叫んできた。
エリザベータがそんなシリル君をフォローするみたいに「赤竜様が心配することはなにもないです」と愉快そうに目を細めた。
「ここにある魔石は全て西への侵攻でシリル王が討伐した魔獣のものです。…他の兵士への山分けは既にすんでいます。シリル王から赤竜様への貢物ですので、気にせず食べてください」
「おい!エリザベータ!?」
…名前を呼んで睨むだけで、否定はしないのかよ。
なるほどね。
「本当にシリル君は俺が好きだねえ」
うんうん、と頷きながらひゅっと魔石の山を飲み込んだ。
…一息でなくなっちゃった。
少し寂しくなりながらお腹を撫でていれば、振り返ったシリル君が「ちょっとはマシになったか?」と早口で言った。
「5%くらいは回復したかも?ーーーありがとう」
心を込めて言ったのに、シリル君は眉を顰めた。「ちなみに足りないのは?」
…それ聞いちゃうのか。
二人のまっすぐな目が俺を見つめている。
ーーー正直に言わないとあとが怖そうだ。
「半分ーーーは盛ったかな。完全体になるにはあと六割くらいいると思う」
愕然としたように「5%でこれ…その十二倍かよ」と呟いている。
ごめんて、魔素容量が大きすぎるんだよ。