第三十七話 兄の錯乱
巨大な魔力の接近を感じ取ったのか、勘のいい騎士たちが青ざめているのが視界の端に映る。シャランと転移魔法の涼やかな音がして転移魔法が完成するーーー俺は無言で騎士たちにシールドをかける。
空中がメリメリと避けて黒い裂け目から顔を出したのはーーー
「赤竜!頼みたいことがあるんだけどーーー」
「おとといきやがれ」
…ぶん殴って空間の裂け目にお帰りいただきました。
俺は何もみていない。満面の笑みを浮かべた青竜なんて見ていない。
「ちょ、避けなかったら頭部が吹っ飛ぶパンチやめろ!ーーー覚えてろよ〜また来るからなぁぁぁぁ」
せっせと空間の裂け目を黒の魔素で塞いでいたら負け犬の遠吠えが聞こえた。
…二度と来ないで欲しいんだが。お前のこと世界で一番嫌いなんだが。
馬鹿が作った裂け目を塞ぎ終えた俺はーーー怯えるようにこちらを伺っている騎士団連中を見て…深くため息をついた。
「なんも進んでないのに疲れた…おい、エリザベータ、さっさと戻ってこい」
手招きしたらまたもや瞬足で戻ってきたエリザベータ。
「今のって青竜様でしたよね?あの、世界最強と名高い…」
「うん、そうだけど」
「それが何?」と聞いた声が若干尖ったのでエリザベータが慌てたように「なんでもないです」とお利口に口を閉じた。そうしてくれ、この調子じゃ四の鐘になってしまう。
「まずブリテンからついてきた奴らは騎士団を辞めてきたでいいんだよな?」
大事なことなのでもう一度確認する。
エリザベータは胸に手を当てて「そうです」と頷いた。
ーーー馬鹿だなあ。俺についてきたって危険なだけでなんのいいこともないのに。
「ーーー騎士団長だった頃の俺とは多分全然違うよ、これからの赤竜は。…今なら戻れるように口利きするけど?」
チラリと隊員たちに目を向ける。
ベール越しだから視線は感じないのだろう。何やら集まってこそこそと話している。…やたらと「青竜」「団長」と聞こえるから、話の内容は想像がつくけど
「彼らを説得するのは無理ですよ赤竜様、生半可な覚悟のやつは置いてきました。ーーーここにいるのは赤竜様のもとで剣を触れないなら死んだほうがマシって隊員だけです」
ーーーすっごいドヤ顔で、すっごい怖いこと言われた。
見覚えのある顔を数え直してみると…37人もいるぞ?騎士団の三分の一くらいここにいるぞ?
………。
「いつから騎士団って俺の狂信者の集まりだったの?」
エリザベータよ、エリザベータさんよ。「これでもふるいにかけたんですよ〜」じゃないんだよ。かけなかったらどうなっちゃってたんだよ。
…急に後任を任せたジュリアンが心配になってきた。若手の有望株ほとんどここにいるんだけど。今の騎士団ちゃんと回ってる?
「話を進めますがーーー何を頼みますか?今言った通り火に飛び込めって言われたら飛び込むやつしかいませんが」
「あ、うん、大丈夫、そんなこと言わない」
速攻で否定しておく。
「やだな冗談ですよ」と綺麗な笑顔で笑いかけてきたが、俺は信じない。絶対半分くらい本気で言ってるだろお前。
頭痛を覚えつつーーーもう突っ込んだら負けな気がしてきたので、俺はさっさと望みを言ってこの集団を解散させることにした。
「ブリテン王宮周辺事情の偵察、プロイセンの内情の偵察、黄色竜の探索、愛し子の噂がないかの探索ーーー手分けしてこれをやって。優先順位は今言った順番」
ブリテン王宮の偵察を一番の優先順位に挙げた俺をエリザベータが非難するようにみてきたがーーー結構きな臭い状態で出てきちゃったからな。保守派の黒幕が全く掴めてないんだよ。
「あんな奴らにもう構わなくてもーーー」
スッとにらめばエリザベータは口をつぐんだ。…不満です、と顔には描いてあったがな。
「プロイセンのことを蔑ろにするわけじゃない…ただ、駒には駒に合った役割がある。ブリテンの騎士団員に合った役割は今言った通りだ。不満ならいらない。何か文句は?」
「ーーー文句などあるはずがありませんわ。私が振り分けなどは決めてよろしいですか?」
うん、と頷いたらエリザベータが恭しく膝を曲げて礼をした。
…こいつの礼儀作法、しっかりしてんだよな。まるで、王家の家庭教師に英才教育を受けたみたいに。
「あ、デニス様そういえばこちらに騎士団寮に残されていたお荷物がございます。ご家族からお預かりしたものもこちらに」
手渡された黒革のカバン。刻まれたブライヤーズ家の家紋に懐かしさを感じながら受け取る。
「ありがとう」
エリザベータを下がらせようとしたらーーー「おい、待て」と怒気を含んだ声が落とされた。
空気が張り詰め、皆が一斉に口をつぐむ。
集団の最後列で声をあげた一人の騎士が、立ち上がった。
燃えるような赤い髪の上背のあるがっしりとした騎士だ。
静かに歩を進める彼の表情は張り詰めたように強張っていて…その背には、見覚えしかない黒いマントがひらめく。
冷たい視線に射抜かれ、心臓が嫌な音を立てた。
向かってくるその人物を見据えながら、俺はエリザベータに「戻れ」と命じる。
「でも、」
立ち去ろうとしないエリザベータに再度早く行け、という意味を込めて手を振る。エリザベータの視線を感じたが、俺はまっすぐ近づいてくる騎士だけをみていた。エリザベータは後ろ髪引かれるようにしつつも桃色のおさげを揺らして集団の中へと戻っていく。
エリザベータと入れ替わるようにして俺の前に立ったのはーーー実の兄、ジュリアンだった。
俺に会う時はいつも意図して柔らかな色を灯していた瞳。
赤い瞳に浮かぶ冷え切った色と嫌悪感を浮かべる表情を見てーーー俺は、なぜか「やっぱりな」と思った。
うん、ジュリアン兄さんには嫌われてると思ってたんだ。
俺の後釜として騎士団長になったはずのジュリアンがなぜここにいるのかわからなくて、俺は「久しぶり」などというすごくどうでもいいことを言ってしまった。
ジュリアンからは「はっ」とあざけるような笑みが返される。
「顔くらい見せたらどうだ?」
苛立ったような声に肩をすくめつつーーーとっさに目算する。
ジュリアンと俺の立つ場所の距離3メータくらい、この距離で傘を外したら兄さんぶっ倒れそうだなあ。
こっそりジュリアンにシールドをかけようとしたらーーーなぜか悲鳴のように「俺に魔法をかけるな!」と叫ばれてしまう。
驚いて少し魔力が揺れた。その僅かな漏れた魔力だけでジュリアンは苦しそうに首に手を当てている。…相変わらず俺のことを睨んだままなんだけどな。
…ジュリアン兄さんって、落ち着いた人のイメージなんだがどうしたんだろう。
長い間俺のことが嫌いでも家族として優しくしてくれる分別を持った人なのに。
魔法もかけられなくて、でも実の兄を膝まづかせるのも嫌で俺が固まっていると「顔を見せろよ!」と再び怒鳴られる。
ジュリアンの瞳は血ばしっていたーーー俺が知らない間に何かがあったのだと悟る。
俺は渋々傘を下げた。
冷たい風が頬を叩く。ジュリアンは、予想通り崩れ落ち、呼吸ができないのか地面でのたうち回り始めた。
俺は仕方なく自分にバインドをかけた。
…あんまり気分がいい魔法じゃないんだけど、兄さんを苦しませるのは嫌だった。
自分の魔力に締め付けられるような感覚を持ちながら静かにジュリアンを見下ろしているとーーーなんとか呼吸ができるようになったらしいジュリアンが、ゆっくりと顔を上げた。
それでも苦しそうでーーーああ、この距離だとバインドでもダメなのかと悟る。
とっさに距離を取ろうとした俺を、掠れたようなジュリアンの声が引き止める。
「に、逃げるなよ、俺から逃げるな」
「逃げるんじゃない…俺の魔力が兄さんを害さないように距離を取るだけ、十メータ下がる、そうしたら普通に立ち上がれるようになる」
なぜか「兄さん」のところで乾いた笑い声を上げたジュリアン。
無視してすぐさま距離を取る。
一歩、二歩、三歩ーーー思った通り、楽になったようで、ジュリアンはすぐさま体を起こして仁王立ちになった。
俺たちは静かに対面しーーー先に俺が口を開いた。
「ジュリアン、なんでここにいる」
「騎士団長の仕事は?」と続けた俺にジュリアン兄さんは「黙れ!」と血色ばんだ。
歯を食いしばって唸るような呼吸をあげる兄を見て、俺はただ心配だった。
心が限界に見えた…俺の寝ていた三ヶ月間で、何があった?
これ以上怒らせないように黙っていると、ようやく呼吸を落ち着けたジュリアンがゆっくりと口を開いた。
「なんでここにいるかって?ーーー母様に頼まれたからだよ、お前の大切で仕方ないサークルストーンを届けろってな」
ジュリアンはそういうとーーー胸ポケットに手を突っ込み、何か光るものを取り出した。無造作に投げつけられたそれを片手で掴みーーーカナリーイエローを目にした俺は、思わず顔を綻ばせた。
そう、これは俺の一番のお気に入りのサークルストーンで魔石の純度も大きさもカットも間違いなく世界最高水準の一品。ミシェーラちゃんが俺のために特注であつらえてくれたものだ。
「彼女」の瞳の色にそっくりなその石を見て温かい気持ちになっているとーーージュリアンがなぜか舌打ちした。大きく響いた音に、俺は静かに視線を上げた。
苛立ったようなジュリアンを見て戸惑う。
とりあえず受け取ったサークルストーンを胸に刺しーーー再び兄に対峙する。
「ありがとう」
できるだけ心を込めて言ったつもりなのだがーーージュリアンは何が気に入らないのか再び顔を激しく歪めた。
「それだけかよーーーお前が突然消えて、残していった騎士団には何もないのかよ!」
ジュリアン怒鳴りながら殴りかかってきたのと、エリザベータが血色を変えて飛んで来るのが同時だった。
俺は指を鳴らすことで二人を浮遊魔法で静止させるとーーーひとつ、ため息をついた。
自分の動きが止められるなんて思ってなかったのか、ジュリアンが目を白黒とさせて空中で手をばたつかせている。
無様な様子の兄からなるべく視線を逸らしつつ、エリザベータを近くまで呼び寄せた。
鳥のように両手を広げて優雅に近寄ってきた彼女を横に着地させる。
ジュリアンが立てなかった三メータの位置。
空中で浮遊魔法を解除されても一切動じることなく降り立ったエリザベータはすぐさま「御用でしょうか」と恭しく膝を折った。
「ーーー兄さんが怒ってる原因に心当たりはある?…なんか俺がやめたくてやめたみたいに聞こえて不愉快なんだけど」
言葉にしたせいかーーー若干怒気が、外に漏れた。
空間の魔素の濃度が僅かに上昇し、暴れていたジュリアンが青ざめて大人しくなった。離れた場所にいた騎士たちまでもが全員這いつくばったところで、俺は自分の魔素が漏れていた事実を知る。
ただ一人何事もなかったかのように跪いたままのエリザベータが「赤竜様にお答えします」と穏やかに応じる。
「騎士団長殿がお怒りになっているのはブリテンで流されている事実無根の噂が原因かと思われます。『デニス=ブライヤーズ元騎士団長は王家を裏切ってプロイセンに寝返った』…まさか、騎士団で信じるものがいるとは思いませんでしたが、ねえ?」
わざとらしく首をかしげたエリザベータを見てーーー俺は馬鹿らしくなってきて、息を吐いた。
俺の怒りがおさまったせいか、様子を見にきていた魔素たちが「なんだ、オオゴトじゃないのね」とでもいうようにもといた場所に戻っていく。
…俺の魔力操作がザルみたいに思われるんだよなあ。魔素たち俺のこと好きすぎて俺の魔力が揺れると集まってきちゃうんだよなあ。
眉間を揉んでいるとーーー空中に浮かんだままのジュリアンが「俺だって初めは信じなかった」とうめくように溢した。
「弟だーーー性格だって、よく知ってる。王家の方々にどれほど尽くしてきたのかも…弟に跪くなんて嫌だったけど、デニスのーーー」
「デニスとは呼ぶな」
「なんでだよ…ヒッ、はい、赤竜様の仰せのままに。えっと、赤竜様の才能は本物だったし、何より陛下と父様が弟を気に入ってしまったので俺にはどうしようもなかった。ーーーだから、ずっと部下としてやってきました。それなのに、こいつは裏切った!俺たちを裏切ったんだ!!」
許さない、裏切り行為だ、ふざけている…恨みを募らせた俺への恨みを募らせたジュリアンの言葉は支離滅裂で全く容量を得なかった。
戸惑う俺にーーーエリザベータが「私からもうひとつご報告が」と声をあげる。
ジュリアンが叫びまくっているので聞き取りにくかったが、エリザベータに顔を向けるとーーー彼女は落ち着き払った様子で、
「赤竜様の兄君はここひと月錯乱状態だと言われております」
となんとなく予想がついていたことを彷徨してくれた。
暗い顔になってであろう俺のことを気遣うように見上げながら、エリザベータは続ける。
「赤竜様への私怨を募らせている様子で、本日の会に出ると言って聞かなかったので、こちらでも独自に調査しました。話は騎士団長就任の一月前まで遡ります…」
まず、ジュリアンにとっての悲劇は父様の言葉だったらしい。
「デニスの後任を選ばなければいけなくなったーーーブランドン、お前を私は推そうとおもう」
なんと、父様が選んだのは長男のジュリアンではなく、次男のブランドンだったのだ。
しかし、長男であるジュリアンは父親の決定に猛反発、またブランドン自身が「俺はやりたくない、デニスについていきたい」などと言ったために結局はジュリアンが騎士団長に就くことになった。
…ブランドン兄さんがきちゃってないか慌てて首を巡らせ出した俺に、エリザベータが笑いながら「赤竜様が抜けた今、ブランドンがいないと騎士団が成り立ちません、皆に引き止められて渋々残留していますよ」ーーーだそうだ、うん、よかったよ。
でもなあ、正直、父様の決定は正しかったと思う。その証拠に…
いまだに血走った目で俺へと叫び続けているジュリアンを見ていると、気遣うような声でエリザベータが「赤竜様の父君はこの結果を予想していたのでしょう」と首をふった。
「元騎士団長だった方です…リーダーとしての資質を誰よりも客観的に捉えており、赤竜様の後任は自分でも厳しいだろう、と仰せでした。だからブランドンを推すとーーー赤竜様は傑出したリーダーでした。お一人で騎士団をまとめ、危険な任務があればまずはご自分が対処にあたる…なおかつ、陛下と黒竜様の側近で、黒竜団や魔法士団にも一目置かれていました。代わりになるものはいるはずがないが、一番適任はブランドンであろうと」
父様がそこまで評価してくれてるなんて知らなくて、俺はうっかり泣きそうになった。
ーーー追い出されたけど、見ててくれる人はいたんだな。
エリザベータはなおも続ける。
「父君はジュリアン殿を説得していました。『お前には才能があるが、それはあくまで凡人の範囲内でだ。デニスは歴代でも最高の団長だった…あの子の後は荷が重いからやめておけと、お前では壊れてしまうぞと』…お言葉通りになろうとしているわけです」
エリザベータと視線を合わせーーー俺は何度目かもわからない、重い息を吐いた。
…気づいてはいた。
ジュリアン兄さんは俺のことが嫌いだろうな、と。
まだ学生だったとき、父様に命じられて俺とジュリアン兄さんはアーマードバトルをしたのだ。剣技を教えてくれていた当時騎士団に入りたてだった兄さんの剣先が「こんなに遅かったっけ」って思い始めてた頃。
俺もまだ子供だったから…多分わざとらしかったのだ。
そして、騎士団長だった父様の目を誤魔化し切れるわけもなく。
「兄さん手加減してよ?」なんて軽口を叩きながら全身をフルプレートで固め、向かい合った俺たちにーーー父様は言ったのだ。
「ーーー手を抜いたら、承知しない」
今でも覚えている。こわばったジュリアン兄さんの顔。
父様の鋭い視線は間違いなく俺へ向けられていてーーー嫌な汗が背中を流れた。
試合開始直後、ジュリアン兄さんはすぐさまマスターハウと呼ばれるブライヤーズ家に代々伝わる秘伝の技…当時学生だった俺の知るはずのないマスターハウを使ってきた。
そして、迫り来る剣先を見た俺は自分の剣技ではジュリアン兄さんの攻撃をいなしきれないことを悟りーーーやってしまったのだ。
いつもは加減してた魔力の出力を最大まで上げ、ただ、兄さんの剣筋に、ぶつけた。
魔法剣の残酷なところは、込められた魔力に差がある剣がぶつかり合った場合ーーー弱い方の剣は折れてしまう。
当時すでに騎士団員だったジュリアン兄さんの一級品の剣を、俺は学生がよく使うような汎用品で叩き折ったのだ。
自分で言うのもなんだが、俺は魔法素材に魔力を流すのがとても上手なのだ。学生の時から剣同士のインパクトの瞬間に出力を最大に持っていける技術があった俺は、そうそう折れるはずのない騎士団の剣を叩き割った。
金属の折れた甲高い音が響き、静かな父様の「そこまで」の声が聞こえた。
兄さんの手に握られた先の折れた剣を見て、ああ、やっちゃったなと思ったことだけ覚えてる。
喜びさえも見せずに、淡々と試合後の礼をする俺を見て兄さんが呆然としていた。ーーーすぐに貼り付けた笑みで、「やられちゃったなあ」なんて肩を叩かれたけど…その言葉に温度がこもってないことくらいわかってた。
ーーー父様やブランドンも含め、皆剣の道に熟達したもの同士、持って生まれた才能は分かってしまう。
俺のことはまあさておき、ブランドン兄さんまでも「天才」の部類に入っていたのが、ジュリアン兄さんにとっての悲劇だろう。
ブランドンはいつもやる気なさげなくせに、剣技は全盛期の父様よりもすでに上だ。
弟たち二人と比べ、ジュリアン兄さんの才能は凡庸だった。
それなのに、おそらく一番騎士団長になりたいという野心を抱いていたのもジュリアン兄さんだった。
いつも寝てばっかりのブランドン、彼女のことしか目にない俺ーーーいつだってイラついていたのだろう。自分の望む剣の才能をもって生まれた弟たちに。
優しい人なのだ。俺のことが憎くても、騎士団長として敬ってくれ、実家に帰れば笑顔で接してくれた。
俺は、静かに立ち上がってブランドンに近づいていった。
エリザベータが「赤竜様…?」と不思議そうに呼びかけてくるので後ろ目に手を振っておく。
「お前なんて、いなければよかった!このブライヤーズ家の名汚しが!」
宙に浮かせたままの暴れ回る兄を俺は黙って見上げた。
お前なんて、いなければよかったかーーーうん、俺もよくそう思ってるよ。
「王妃様のことばっか追いかけてーーー既婚者なんだぞ?自重しないからこんなことになった、目をかけてもらってたのに保守派のお偉方の提案をなぜ飲まなかった!未練なんて捨てて、黙って王族入りしておけばよかったんだ!」
エリザベータがゾッとしたように「目をかけていたって、まさかあのおっさんの赤竜様へのセクハラ行為と某系王族の職権濫用としか思えなかった専属護衛命令の話してます?」と呟いている。
うん、わかる、俺も耳を疑ったけどさ。
静かにしもべ魔獣を出していた俺はーーー顔を上げた。
「ーーージュリアン、保守派と接触してるの?」
終始ジュリアンの目を見ることもなく黙り込んでいた俺に話しかけられると思っていなかったのか、ジュリアンが怯んだように言葉を途切れさせた。瞳に浮かんでいたのは僅かな恐怖と焦りーーー俺のことが怖いらしい。実の弟なんだけどな、これでも一応。
呆れていいのか悲しんでいいのか迷いながら「答えて」と催促するとーーージュリアンは焦ったように「悪いかよ!そうだよ、大臣たちは騎士団で孤立している俺のことを庇ってくれてるんだ!」とやけに早口で叫んだ。
気づけば舌打ちしていた。
ーーー油断した、俺が寝ている間に騎士団まで取り込もうとしてるのか。
まずいな、と思う。魔法士団は元から保守派の勢力の母体だったが騎士団は違った。団長だった俺を筆頭に現王家の勢力圏内だったはずだ。
その均衡が崩れ、騎士団まで取り込まれればーーーいよいよ、王家が孤立してしまう。
「彼女」は一人で戦っているのだろうか。
くそ、もう関わらないと決めたのに…。
ーーーだが、騎士団までが敵に回るのは、どうしても看破できない。
「エリザベータ」
名前を呼んだだけなのに「嫌です」と拒否の言葉が返ってくる。
ーーーおい。
「嫌ですよ、私に行って騎士団の実権を王家の革新派に戻してこいって命令ですよね?嫌です、私は赤竜様の副官ですから…」
プツン。
俺の中で、我慢の糸が切れた音がした。
表情が抜け落ちていきーーー自然と宙に舞い上がる。
ジュリアンが浮遊魔法が途切れたせいで地面に投げ出されていた。
エリザベータが何かに潰されかけてるみたいに地面に張り付き、額を擦りつけるようにして平伏しているのが見えた。
ーーーぜんぶがくだらなく思えた。
俺が少しだけ怒っただけで、皆が呼吸すらままならなくなる。
あたりの魔素が心配するように集まってきて俺の周りを渦巻いていた。
魔素濃度が濃くなって息がしやすくなった。
怒りを言葉に変換しなければあいつらには伝わらないんだと、思い出す。
「お前らは俺のことを何もわかっていない…目障りなものは視界に映るな。消し去りたくなる。ーーー俺の部下をやりたいなら、黙って命令を聞け」
エリザベータが平伏したまま、肩を揺らした。
ジュリアンが呆然とこちらを見上げたのがわかった。
ああ、可笑しいな。
仮面をかぶってたのはお前だけだと思った?ーーー俺は、変わったんだよ。
「ジュリアンーーー俺を恨むのはいいがわざわざ来るな。なぜ俺が自分にバインドをかけなきゃいけないんだ?…楯突いてはいけない相手もわからない、そんなんで騎士団長なんてやれるはずがないだろう。…兄弟としての最後の情だ、この魔獣をやるから俺の視界から消えろ」
手のひらに向けてふっと魔素を吹き出した。
俺から生まれでた赤い魔素が煌き、生まれ落ちた1メータほどもある赤い蛇。
しもべ魔獣である蛇はすぐさま俺の命令を理解しーーー不服なのか嫌だとでもいうように腕に絡みついてくる。
「こら、甘えるなーーージュリアンを助けろ。ただし人殺しはダメだ」
しょんぼりとしたように首を傾けた赤蛇はゆっくりと俺の腕を離れると、ジュリアンの元へ飛んでいった。呆然としているジュリアンの首元に蛇が巻き付いたのを確認してから、ジュリアンを転移させる。
シャランと鈴の音が鳴りーーー涼やかな音で、俺の怒りも徐々に引いていった。
地面に降り立った後で…いまだに額をこすりつけたままのエリザベータに「顔を上げろ」と命じる。
赤くなった額をそのままに、赤い瞳が俺を見上げてくる。
柄もなく不安げなその表情を見て、俺は思わず眉を上げた。
「エリザベータ…反省したなら、俺の命令が聞けるな」
エリザベータが静かに、ただし激しく首を縦に振った。
くつくつと喉が鳴ってしまう。
素直なやつだ。
「毎日とは言わないからちょくちょく顔を出して騎士団から保守派を追い出せ」
「承知いたしました」
再び低頭した彼女の頭を軽く叩く。
「いいこ」
ーーーこの性格ひん曲がり桃色暗殺者だが、結構ウブなのでこういうベタのなのに弱いんだよな。
耳まで赤くなっている桃色頭をもう一度さらりとなぜてーーー俺は、転移魔法で自分の部屋に戻った。
室内で先ほど受け取った荷物を見聞していたら城の外から「飴と鞭!」という叫び声が聞こえたのには笑ってしまった。
俺は先ほどから怒ったように斬りかかってくる魔剣を適当にあしらいつつ、家族からの荷物を確認していく。
申し訳程度の服と容量最大ギリギリまで剣が詰められていた空間魔法の袋ーーー武具類がやたら多いことからも、詰めたのはブランドンだろう。
「ジョワイユーズはこの柄頭が愛しいんだよなあ。お、シャルルマーニュのサーベル…いや、レイピアなんでこんなに入れたの?俺に何を刺させるつもりだよ兄さん」
ロングソード、ハーフソード、ダガーに短剣…山のように所持しているコレクションの中からきっちりと俺が気に入っている武器が選び抜かれていて、愛しいコレクションとの久々の再会に思わず口元が上がる。
そんな俺に気づいたのか(?)魔剣はますます勢いを増して斬りかかってくるのだ。
弾くのも面倒になってきた俺は無造作に魔剣の刃を掌で受け止める。
動きを封じられ、抗議するように震える魔剣を強引に柄に戻した。
「ーーーまるで放置されて怒った彼女みたいだな、おい」
柄を一つ叩けば、嬉しそうに震える魔剣。
勝手に飛び出そうとした魔剣を押さえつけた際に銀の刀身に浮かび上がるつかの近くの紋様に一瞬触れーーーん?
ちょっと触って、今、思ったんだけどさ。
…気のせいじゃなければ、赤竜になった俺に合わせたかのようにとんでも性能になってる気がするのは気のせいか?
気が進まないながらも、もう一度魔剣を取り出しーーースッと刃に指を滑らせる。
頭を抱える。
なんだこれは、なんだこれは!
「…転移魔法越しに、攻撃できんのお前?」
信じられなくてうっかり話しかけると、「そうだよ!」と言わんばかりに斬りかかってくる魔剣。
冷や汗が浮かんで額を擦る。
この魔剣、つまりは魔力さえ込めればここから世界のどこへでも攻撃できるのだ。非常にやばい、悪人に渡ったらどうなるかなんて考えたくもない、とんでもないブツになってしまった。
「お前ーーー俺が寝てる間に何があったの?」
白銀に光る刀身を軽く叩けば、抗議するように震える魔剣。
それはまるで自分のせいじゃないとでも言うように。
そういえば、魔剣が欲しがって以前魔力を込めたような…
恐る恐る調べてみればーーー魔剣の中の魔力が変質し、とっても素敵な感じになっていた。
「俺の魔力を何書き換えてんだよ!魔剣のくせにオリジナリティ出してんじゃねえよ!」




