第二十三話 当て馬騎士の奮闘
嵐のような青竜様がいなくなったので、ようやくひと心地ついた気分になった。それに謎の呪文「ナツメソウセキ」でパシられているシリル君が戻ってくるまでお茶も飲めない。
ずっと所在なさげにしていた紬様もライラがソファへと引っ張ってきた。
三人で石の机を囲む。
ライラがカバンから紅茶の魔法瓶を取り出した。
ーーーシリル君いなくてもお茶、飲めんじゃん。
紬様も同じことを思ったようでライラに向けて控えめながらも、「その紅茶はどこから…?」と尋ねている。
間髪入れずに「自分で作ってきた!」と笑顔で答えてくれるライラ。
左様ですか。
コップまで持参している用意周到さである。
俺たちの分も注いでくれるようだ。
「はいどーぞ」
「おー」
何気なく受け取ってしまった俺と違って紬様は恐縮しまくっていた。そうだった、ライラって王妃だった。
俺は「どうぞどうぞ」「そんな恐れ多い」と言い合っている二人をしばしの間、眺めていたがーーーあ、紬様が折れた。
実は昨日から気になっていたことがあったデニスは紅茶を二口で飲み干す。
手元のステンレス製のカップを前世の仇のように見つめる紬を横目に、デニスはライラにコップを返しつつ尋ねた。
「ライラはいつまでここにいるの?もうすぐミーティアウィークだよね?」
ライラがしばらく戻らないって宣言したのは知ってたけど、なんだかんだ帰るんだろ?デニスはそう思って聞いたのにライラから帰ってきたのは予想の斜め上を行く返答だった。
「帰らないよ?ーーーミーティアウィーク中の防御魔法はパーさまに頼んできたし全く問題ない」
ちゃんと抜かりなく家出準備を終えている様子のライラ。
ーーーパーさまっているのはパーシヴァル王子の愛称な。ジョシュア様ほどではないがとんでもない黒魔力を有しているお人なので、ジョシュア様とパーシヴァル様が揃ってればミーティアウィークを乗り切るのは問題ないだろう。
家出準備が周到でなんだか呆れてしまう。
そもそも転移魔法をホイホイ使えるジョシュア様から逃げるのはなかなかに骨が折れると思うのだが…年間を通して一番監視の目が緩むのがミーティアウィーク前。つまり今である。家出チャンスなわけだ、ジョシュア様が自室に閉じこもってるからな。
ーーー9月末のジョシュア様の魔力荒れの時期を狙ってること、転移魔法の発動条件である「どんな場所か想像できること」を外すためにこんな田舎の拠点を選んでいること。全てがライラの「本気」を示しているのだ。ジョシュア様もブリテンで頭を抱えているのではないだろうか。知らんけど。
「…青竜さまに話を通してフランク王国を選択してる時点で嫌な予感はしてたけどな」
デニスが頭をガシガシとかきながら、疲れたように息を吐く。
少し拗ねたように口を尖らせうつむいたライラ。
「最近、ジョシュアが何を考えてるのかわからないの」
寂寥感たっぷりなライラの声。
紬が非難を込めた視線でデニスをみた。「余計なことを言うな」と紬の表情が語っている。
ーーーしかし、デニスは伊達に長年「当て馬」をやっていない。国王陛下夫妻の仲がこじれた時は絶対にお節介をやいてしまうのだ。
「何かあった?ジョシュア様が考えてることなんて国政かライラのことだけだろ」
努めて明るい声を出すデニス。
しかし、ライラから返ってきたのは諦観の笑み。
「ーーーうん。国のためだね。たしかに、その通りだ」
…地雷を踏んだ気がする。
紬が今度は物理的にデニスを叩いた。黙れということですね、すみません。
そんなデニスたちのやりとりを静かに眺めていたライラだったが、「大したことじゃないんだよ?」といつもの強がりをみせる。
「ジョシュアに守られっぱなしで、王妃としては何の役にも立ってないんだからせめて子供くらいつくれって言ってきた人たちががいてさーーージョシュアは『私が子供ができにくい体質になったせいなんだからライラは何も気にしなくていい』の一点張りなんだけど…色々考えちゃって」
こんな話を黙って聞いてられるデニスではない。紅蓮の髪の毛を逆立て、拳を膝へと叩きつけた。
どこのどいつだ。ライラたちの苦労を何にもわかってない…そう続けようとしたのだが、ライラが「最後まで喋らせて」とデニスを制した。
「…デニスが私に忠誠をくれてるのは有名でしょう?…あの人たちはデニスが独身を貫こうとしてるのも気に入らないみたいで」
ーーーそこまで口にしたライラが不自然に黙り込んだ。
自分の名前が出てくると思ってはいなかった。心臓が軋む。
桜色の唇が薄く開いては閉じる。
沈黙が落ちた。
ライラの魔力が不安定に波立つ。
堪忍袋の尾が切れそうだ。
慈愛に満ちた国王陛下夫妻と違って俺は気が短いんだ。
保守派の狸どもはライラに何を言った?
ここで紬様が「え、でもこのマスキラ遊び歩いてますけど」と呟いた。
ライラは律儀に紬様の方を向いた。
金の宝石は俺の方を見てたのに。ちょっとだけ紬様を恨む。
ライラが紬様を見て柔らかに口元を上げた。
楚々として可憐な笑みだった。怒ってたはずなのにうっかり見惚れるからやめてほしい。
「デニスのやんちゃはーーー私たちのためだからなぁ」
この発言に、紬様は困惑している。ーーーライラ、余計なこと言わないでいいから。というか自分のためだし。
全然納得していなそうな紬様が俺の方を見てきたがあえて気付かないふりだ。
それどころじゃないんだよ。とんでもなく嫌な予感がするんだ。
ライラを見据えて「それで?俺の独身がなんだって?」と話の先を促す。
ライラは自分で言い出したくせに先ほどから口の中で幾度も言葉を殺しているのだ。
ライラが生み出す沈黙を再び堪能する羽目になった俺たち。
ライラはようやく口を開いたと思ったら「聞いても絶対に怒らないでね?」なんて釘を刺してくる。
ーーー怒るようなことを言わないでほしいんだが、ライラの頼みであれば仕方がない。
渋々承諾する。
俺の歪められた表情を見て苦笑したライラが、
「デニスの子供でもいいから作れって言われてさーーーははは、冗談きついよね。しかもその場にジョシュアもいてさ、デニスと私が子供を作ることのメリットとデメリットとか話し合い始めちゃって…反対したいのに、ジョシュアの顔見てるとなんて言っていいのかわかんなくて、私ってわがままなのかなって思えて。…どうしようもなく、自分が不甲斐なくなった」
ライラの顔は歪んでた。
笑おうとして失敗してた。
デニスは唖然としてしまった。
ライラに言われなくても「怒る」ことさえできなかった。
一つも意味がわからなかった。
とっくに不敬罪のハードルを跳び超えている保守派の老害どもを極刑にしたいが、そんなことよりもーーー
「ジョシュア様は、俺とライラが子供を作る話に反対しなかったってこと?」
ライラが歪んだ顔のまま頷いた。
もう、笑おうとしなくていいと思う。見てるこっちが痛々しい。
それでも泣かない彼女はどこで泣くんだろうか。
頭が働かないんだ。
ジョシュア様はどういうつもりなんだ。
俺なら絶対ライラにこんな顔させないのに。
紬様がおずおずと手を挙げた。ライラが「なあに?」と首を傾げる。
「随分立ち入った話で私がこの場にいていいのかわからないのですがーーー逆に、第三者として言わせていただきますと、シャーマナイト陛下のお言葉は黒竜さまを王配にした国王としては非常に自然なものかと思います。ーーー黒竜様は一人が独占していいものではない。国益のために直系の子孫を一人でも多くと考えるのは臣下として当然のことかと」
俺がショックだったのは紬様の言葉にライラが何でもないことみたいに頷いたこと。
胸の奥にモヤが立った気がした。
黒竜様を尊ぶくせに張本人のライラの心を切り刻みまくってることを何で誰も気に留めない?
ーーー俺が思ってる以上に、事態がややこしくなっている気がする。
冷や水を被せられたみたいに熱が引いていく。
茹っていた赤の魔素が冷静になる。俺が大人気なく怒ってる場合じゃない。ライラを悲しませて現在進行形で放置しているジョシュア様のことを軽蔑したい…けど、あの人も色々抱えてるのを知ってるし。嫌いになりきれない。でも後で一発くらい殴りかかろう。目を覚まさせなきゃいけない。じゃなきゃ俺に彼女の隣にいる権利をくれ。
ライラが一昨日「過保護で怒ってる」って家出の理由を教えてくれた時…それだけでこんな大掛かりなことをするなんて変だとは思ってた。
だってあのライラだぞ?誰より周りに迷惑をかけるのを嫌うのに。何か大事な情報が共有されてないんじゃないかと薄々感じてたがーーーこれは流石に予想外。
「デニスは私の大事な騎士で、子供を作る道具ではない…そう言ってきたけど、正しかったのかわからない」
ライラは俺の方を見なかった。俯いてしまった彼女に紬様が寄り添っている。
ライラが視線をよこさないのがありがたい。どんな顔していいかいいかわかんないもん。でも、ライラが断ってくれてすげえホッとした。だから、ライラとの子供のことを考えて不謹慎にも浮き足立ちかけてた心は丁重に仕舞い込んでおく。
ライラの背中をさすっていた紬様が冬の湖のような声を出したのはその時だった。
「和国と違って男女平等が行き届いたブリテン王国でも王族に属するフィメルはーーー誰しもが、血の継続について向き合う宿命があるのでしょうね…ただ、国に定められた相手とライラ様のように心を通わせることができるフィメルは稀だと思うんです。私はライラ様が羨ましい」
思わず紬様を見た。
ライラも弾かれたように顔を上げていた。
紬様は虚空を眺めながら口元だけで笑っていた。温かみのある雀色の瞳が鋭利な光を宿していたーーーどうやら紬様は国の婚約者と「心を通わせることができていない」らしい。
時計の針の音がやけに大きく響いて、紬様がふっと目元を和らげた。
見慣れた柔和な表情でライラを見つめかえす。
「ごめんなさい、変なことを言って…シャーマナイト陛下もデニス様もライラ様を大事に思ってるのは側から見ててもわかります。ライラ様が目の前にある幸せを忘れてるみたいだったから、ちょっと意地悪言いました」
ライラがゆっくり首を振った。
さっき、紬様の横顔が知らない人にみえた。
頬骨に冷たい影がさしていてーーー皇族として生まれた彼女の生き様を垣間みた気がした。
黙り込んでしまった俺とライラ。
紬様が明るい調子で「そういえば!」と彼女にしては大声を出した。
「あの、ミーティアウィークとライラ様やパー様?がどう関係するのですか?」
この話題はおしまいですよ、そう言われた気がした。
わかったよ、持ち越しだ。ーーーどうせ、ジョシュア様がいないと話にならないしな。
良くも悪くも切り替えが得意な三人は「普段通り」の仮面を付け直した。
紬の素朴な質問に対応しようとしてーーーある事実に気がついた。
「そうか、紬様の住む和国のあたりはミーティアウィークがないのか」
デニスが驚きで長いまつ毛を瞬かせると、ライラも同じことを思ったのか「ミーティアウィークって竜大国の地域にしかないんだっけ」とこぼしている。
紬様は慌てたように視線を彷徨わせながら、「物知らずな田舎者ですみません」なんて縮こまっている。
さっきまでの気迫のようなものはすっかり霧散した。振り幅が激しい。
「授業で習った知識はあるんです。ーーー魔石が空から降ってくるんですよね?」
その通りだと頷いたライラが頬に手を当てつつ…俺を見た。
お前が説明しろという顔である。なんでだよ。二つ返事で承諾するけどさ。
なぜ俺がという疑問はさておきーーーミーティアウィークを経験したことがない紬様になんと説明するべきか少し悩む。
つい先日、面会のための宝石を選んでる際に紬様が友達と一緒にスタージュエリーを買ったと言う話を聞いた気がする。となると、10月1日から二週間の間に魔石が空から降ってきて、防御の魔法陣が必要なことくらいは知っているのだろう。学園からミーティアウィークに合わせた臨時日課の連絡来てるだろうしな。
王族とミーティアウィークの関係が知りたいのだろうとあたりをつけたデニスは紬に「王族が管理している防御の魔法陣は知っていますか?」と尋ねてみた。
「王族の魔法陣?ーーー初めて聞きました」
よしきた。この辺を詳しくってことだな。
「竜大国は強い魔法の加護を与えられている代償なのでしょうか。一年で二週間ほど魔石が降ってくる期間があります」
紬様が顔色を変えた。
「隕石が昼夜問わず降り続けるってことですよね?」と唇を震わせながら尋ねられたので「ただの石ではなくて魔石ですが」と訂正しておく。
「ミーティアウィークの影響で怪我人や建物の損害が出ないように竜大国各国はそれぞれが防衛の魔法陣を所持しています。…そして、その魔法陣が各国の王族の固有魔法を持ってしか起動しないよう細工されたものなのです」
だからライラは本来国で防御の魔法陣に魔力を注いでるべきお方なのだがーーー
紬様にまで「帰らなくて平気なのですか?」と心配されているブリテン王国正妃は紅茶で喉を潤しながら「うちの王族は有能なので私がいなくても大丈夫」と返している。
それでもやっぱり心配らしい紬様が「本当にライラ様はここにいていいのですか」と今度は俺に確認してきた。
知らんよ、でも本人がいたいって言うんだから俺は賛成するよ。
「ジョシュア様一人でも正直、あの人は人間辞めてるので何とかできると思いますがパーシヴァル様もいますので余裕ではあると思います。…魔法陣的には」
含みのある言い方をしたのは、あれだ。社交面の問題が大アリだからだ。
王宮主催のパーティーではライラがいないことで大騒ぎになること間違いなしだからな。ライラは王宮にいたほうがいいに決まってる。
ライラとジョシュア様は常に一緒にいると思われてるし、実際そうだ。
だからライラが「過保護だ」なんて言い出している。
ライラは「周りに私が一人でも行動するんだってまずわからせないとーーーでも、でも結局みんなに見守られてるし…子供の初めてのお使いみたいだな、自分で言ってて切なくなってきた」と落ち込んでいる。
元気出せよって頭を撫でに行ったら結構乱暴に振り払われた。
俺、10000ダメージ。
比喩でなくふらついた俺を見てもライラは怒った顔のままだ。
何でもーーー
「ジョシュアとデニスが結託して過保護を加速させてるのは知ってんだからね!デニスも共犯だし!」
共犯。しかも、よりによってジョシュア様とまとめられて…。
床に両手両膝をついて悲しんでいたらーーー鈴の音がした。
音の発生元に視線が集まる。
空間の裂け目から出てきたシリル君がギョッとしたように俺を見た。
「何してんの?」って聞きながら引かないでほしい。
十名ほどの人員を確保してきたというシリル君。
ライラに「よくやった」と褒められても微妙な顔をしていた。
視線は水筒に縫い付けられている。気づいちゃったか。
「え、お茶飲みたいって話じゃなかったっけ?」というシリル君のぼやきはライラの天使の笑みによって黙殺されている。
「コック班は交通機関で今日の深夜到着だから明日の朝食まではありもので我慢な。使用人優先で連れてきた」
シリル君の言葉でライラが「え、じゃあ今からお願い聞いてもらえるの!?」とうさぎみたいに跳び上がった。
翼じゃなくて足で跳び上がるところが何とも鈍臭くてライラらしい。
紫の翼を揺らしながら地面を歩くライラは紬様の腕を引いて扉の方へ。
使用人を探しに行ってしまった。
魔法陣の振動音を残してフィメル二人がいなくなりーーー取り残されたのは野郎二人だ。
シリル君が「ちょっとデニスいい?」なんて手招きしてくる。
仕方なく歩み寄ったところ、誰もいないのに声を落としたシリル君が至極真面目な顔で、
「お前の副官やばくない?」
と国王とは思えない発言をかましてきた。
若者か。
いや、シリル君も二十七歳だから若いんだけどさ。
「シリル君の言葉遣いもやばい」って返したらバツが悪そうな顔になったがーーーごほんとひとつ咳払い。
やはり、内緒話するみたいな声量で「そんなことはどうでもいいんだよ」と眉を寄せた。
「お前の副官さーーーあれ、ほんとに報告受けた暗殺者であってる?なんか化け物クラスに見えたんだけど」
シリル君が言ってる副官とは、当然エリザベータのことだろう。
デニスはエリザーベータが化け物?と首を傾げている。
「確かに優秀な副官ですけどーーーそんなにですか?」
シリル君は重々しく頷いた。何でも、転移してきたシリル君の目の前にエリザベータは立っていたらしい。
ホラーすぎる出来事に悲鳴をあげたシリル君をエリザベータは全スルー。
一言、彼女は告げた。
「あの女ーーーあの和国の女がデニス様と一緒にフランク王国に行ってるのは真実ですか?」
あっ。
やばいってそっち!?
てっきり能力的な意味かと思ったよ!
シリル君は固まってしまったらしい。
エリザベータはそのシリル君の反応を見てーーーふふふふふと不気味に高笑いしたそうだ。
「皇族だか何だか知らないけど、私がいくら頼んでも行けない場所に行くなんてーーー目障りだ。消すか」
「ーーーって言って目にも止まらぬ速さで走って行ったんだよおおお。フィメルこええよおおお」
ーーーー帰ったら、エリザベータは説教だ。いや、やっぱり今すぐ説教だ。
寝台の横に放り投げてあったらしい魔力通話へ駆け寄って行ったデニス。
高速で画面を操作し、当の本人に「おい、エリザベータ!?遊んでないで頼んでおいた任務はやってんだろうな!」と目を三角にしている。
頭を抱えたままうずくまっていたシリルが、ふと真顔になった。
誰も聞いていないのがわかっているだろうに、宙に向けて放った言葉。
「ーーーこの俺の転移魔法の到着位置を察知するって…魔力の感知能力どうなってんだよ。暗殺者としてだいぶやばいよな?」
◯
使用人のいる前ではライラもごねなかった。
なので昨夜は無事客間で睡眠を貪ったデニス。
フランスであろうがきっちりと朝の鍛錬をした後でライラ付きの料理人の作る魔素も栄養もたっぷりな朝食を腹一杯に食べた。
デニス、ライラ、シリル、紬が紅茶など飲みながらのんびりと語り合っているとーーー天井につけられた巨大な魔石が眩いばかりの光をあげた。
「あ、青竜さまだ」
ライラの華やいだ声に続き、スコールのような青魔力。
「ジャーン!」とセルフ効果音付きで現れた青竜様。そろって自分を見上げている面々へ向け、
「何ノロノロしてるの!人間なんてすぐ死ぬんだから早く動きなさい!」
息つく間もなく暴言である。
しかし、ライラが弾ける笑顔で「おはよー!」と返しているのでデニスとしては何の問題もない。
「おはよう、黒竜。…ほら、言語学習と執筆の手伝いをするって昨日言ったでしょう?机と椅子出しなさい、人数分!」
シリル君の「え?そんな約束してないけど?」という抗議は当然の如く無視された。
人化の術を使って豪奢な青髪美女になった青竜様に命じられ、デニスたちは他の客間からせっせと机やら椅子やらを運び込んだ。
みんなで一つの大きな長方形の机を囲むことになったのだがーーー席順を決めていたところで、ライラが異変に気がつく。
「あれ?シリルは?」
あれ、ほんとだ。黒髪ガリガリ王がいなくなっている。
ライラに応えたのは紬様だった。少し言いにくそうに「青竜様たちがいなくなったタイミングでどこかへ行かれました」とほおをかいている。
油断も隙もない。
シリルくんは逃亡を図ったらしい。
「今代の赤の愛し子はどうしようもないな」
青竜様が短く舌打ちし、鈴の音を立てて消えた。
それからーーー待つこと、一瞬。
一分も経ってない気がした。
流石に最強の始祖竜との追いかけっこは分が悪かったようで首根っこを掴まれたシリル君が連れ戻された。
「勉強やだ、机なんて向かいたくない。俺だって忙しいんだ、勉強は家臣がやってくれる」
青竜にひきづられながらも駄々をこねるプロイセン国王。
青竜は「黙りなさい!」と怒りながら容赦なくシリルの体を俺の正面の椅子に押し込んだ。
「乱暴!絶対骨折れた!はなせ!」
小学生くらいが好みそうな叫びを上げながら暴れるシリル。
骨が軋みそうな力を入れて抑えつけながら魔力の縄で拘束する青竜。
ちなみに席順は大きな長机にライラとデニス、紬とシリルがそれぞれ隣りあって座っている。ライラが紬の前がいいと申したためで、デニスは自然とシリルと向かい合わせの形だ。
デニスは青竜様は流石の拘束術だと変なところに感心し、ライラは椅子にぐるぐる巻きにされていくシリルを連写している。二人してニマニマしているところを見るとどちらもご機嫌な様子だ。
紬は視線を伏せて「私は何も見ていません」と繰り返していた。…魔法大国プロイセンの国王が実はこんなだったとまだ受け入れたくないのだろう。「わかるよその気持ち」とデニスが頷いていた。
こうして無事に(?)始まった青竜主催の勉強会。おそらく世界初の試みである。
開始早々テキスト片手にデニスの前で立ち止まり、赤い頭を凝視している青竜。
デニスは精一杯気づかないふりをする。顔をあげてたまるかという気迫のようなものを漂わせながら、指輪の魔石に視線を落としていたのだが、
「ーーーお前、シンメトリーが極まりすぎて気持ち悪いな」
頭上から降ってきた言葉に「ほわ!?」と悲鳴をあげている。
こぼれ落ちそうなほどに見開かれた赤の瞳で青竜を見上げた。
「はい。俺、デニスブライヤーズ二十一歳。とっても傷つきやすいです」
「あらそうなの?」とたおやかに頷く青竜様。
だめだ!話が通じている気がしない!!
紬様が「デニス様ついに青竜様からもイケメン判定!」と囁いてシリルくんのツボに入っていた。みんな楽しそうで何よりだ。俺はちっとも楽しくない。
「青竜さま…それは暴言」
ライラが突っ込んでくれた。俺はちょっと涙目だ。気持ち悪いって…流石に面と向かって言われたことはあんまないぞ。
机に撃沈した俺の背中をライラがさすってくれる。
「なんでいきなり、そんなこと言うんすか…」
恨みを込めて苦情を述べたが、青竜さまはあっけらかんと言葉の刃を放ってくる。
「だって見れば見るほど魔力操作にも無駄がないし、顔の造形も筋肉のつき方も均等すぎて気持ち悪いなって」
また言った!また気持ち悪いって言った!
「デニスの魔力は赤だから青竜さまと相性悪いのかな?」
「いや、青竜さまは基本人間のこと嫌いだから割とこんなもん」
「マジかよ」
シリル君、ライラ、シリル君の順である。
知ってるよ…俺、始祖竜には好かれないって。
落ち込むデニスに興味を失ったのか、青竜は髪を靡かせながらライラとシリルへと向き直る。
「二人にはとっておきの課題を持ってきたわ。ーーーまずは綺麗な言葉を覚えなさい。単語帳なんてナンセンスよ」
青竜はひと息でそう言って、手に持っていたプリントを二人の前に置く。
いつの間にか復活しているデニスはライラのプリントを覗き込みーーー「へえ!」と感心した声を上げた。
「ーーーSi tu es heureuse, oublie-moi ; si tu es malheureuse, ne m’oublie pas
ユゴーかあ…青竜様、オシャレっすね」
「オシャレ?発表した中でも特にお気に入りなの。ありがとう」と笑った青竜様の反応にデニスはやや違和感を覚えた。
「発表した中」…なんて言い方、まるで作者が青竜様みたいじゃないか?
デニスの抱いた淡い疑念はライラが「ユゴーって何。私も意味が知りたい、青竜様とわかり合いたい」と袖をひいたのでモヤのように溶けていった。
青竜様が無言で辞書を差し出してきたので、デニスが受け取ってライラへと渡している。
元来真面目な気質のライラだ。見慣れぬ言語に苦戦しつつもフランス語と向き合っている。
学生時代もこうして肩を並べ、夜遅くまでこうして課題に取り組んだものだ。
色なしの落ちこぼれだろうが王妃だろうがライラの気質は変わっていないように思える。
どっかのプロイセン国王と違ってひたむきで努力家なのだ。
「Tu esがYou are でHeureuses が幸せか。発音むずいな」
R音がうまく出せないライラを愛でつつーーー辞書を放り投げてGOGO翻訳に頼ったせいで青竜様にキレられているシリル君のことを視界から意図的に排除する。
…ライラの担当でよかった。いがみあう二人の間に立とうとしている紬様がちょっと哀れである。
Rの発音は舌を下の歯につけるんだよなんて教えていたら、ライラが
「デニスって…ほんとに何でもできるね」
なんて言ってきた。
そして残念ながら彼女が今しがた飲み込んだ言葉が俺にはわかってしまう。
マジックイングリッシュを同じように教えていた時の彼女はよく「ジョシュアもデニスも何でもできて嫌になっちゃうね」ってぼやいてたから。
透明度10000%の瞳をしたライラに褒められると悪い気はしないがーーー多分、ここで「俺って結構いい男だと思うんだ。あんなマスキラやめて俺にしときなよ」とか返しとけば当て馬騎士などと呼ばれないのだろう。
でも、取り繕ってはいるものの、彼女の表情がいまいち浮かないままなのは、彼女の横にあいつがいないからだ。
やめとけばよかったって後で後悔するのがわかっててもーーー俺の口は開いてしまう。
「ジョシュア様の方が何でもできるよ。フランス語も完璧だったはずだから、帰ったら教えてもらいな?」
俺はとんでもおせっかい野郎なので国王陛下夫妻が気まずいまま放置なんてできないんだよなあ。
さっき「ライラとフランス語勉強してます」って送っちゃったし。学業から魔法に至るまで非凡な才能を発揮するくせに妻の笑顔ひとつ守れない陛下からの返信はまだだ。執務中なのだろう。
「見たくない」「家出中だからそういうのはちょっと」とむずがるライラを無視して魔力通話のトーク画面を開きっぱなしのままで机の上でライラの方へとスライドさせた。
ライラは煩悶とした表情で俺の魔力通話を覗き込み、画面越しとはいえジョシュア様の言葉を久々に目にしたためか一瞬だけ瞳を溶けさせていた。
青竜様が戻ってきた。
俺たちを見て「あんたらもサボり?」と目尻を釣り上げる。
しかしライラはおっとりと「ジョシュアとちょっと」と答えてる。
金の瞳に流れたのは悲しみの青色魔素。続けざまに誤魔化すような黒色。
ライラの心がまだ憂いのかかったグラデーションなのを察してーーー青竜様が「仕方ない子ね」と肩をすくめた。
そのまま流れるような動作で自分が先ほど渡したプリントをつまみ上げて、少し鼻にかかったような声で言ったんだ。
「この詩はねーーー私の愛し子が最期に贈ってくれたの」
Si tu es heureuse, oublie-moi
あなたが幸せなら、私を忘れてください。
Si tu es malheureuse, ne m’oublie pas
あなたが不幸なら、私を忘れないでください。




