表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

 その計画について母は詳細を記していた。伯父は自分の説得によって立ち直ったのだと母から父へ伝えさせ、同時に伯父はこれからも登城できるよう取付けたらしい。

 きっと父は油断していた。なまじ美しい父は己が男としての魅力に恵まれていたことを知っていた、だから密かに平凡な容姿の伯父を見下していたのだろう。

 何より伯父は母の兄だ、どんなに想い合っていてもそれが親愛であると疑わなかった。遠い昔こそ近親婚は盛んだったが、血が濃くなる事による弊害が知られ今では禁じられているというのが常識であるからに。父以外の人間だっておそらく同じこと。伯父はこれらを感じ取っていたに違いない。

 父にとっては不幸にも伯父と父は髪色も目の色もよく似ていた。もし伯父の血を感じさせる子供が生まれても血縁上の繋がりがあるからだと欺けられる。


 二回目の流産以降、体調を崩したことで母は父と体を重ねずに済んでいたようだった。だからこそ回復したならば否が応でも母は父に抱かれる事となる。父は母を欲していた、子ができようとできまいとかまわないのだ。

 それを見越して伯父は母に避妊薬を渡した。流通している気休めの品ではなく、先祖が残したレシピを元に自ら再現した実効性ある物を。そして父に抱かれる前は必ず飲むよう言いつけたと。

 その避妊薬に副作用が無い事と効果のほどは確認済という点からして、伯父は避妊薬のレシピを見つけたことでこの復讐劇を考えついたのではないだろうか。

 避妊薬は需要の多い品だ、それほど完璧な品となれば詐欺のような高値でも求められるに違いない。もし本格的に開発していれば母の生家が没落することはなかっただろう。だからこそ伯父は秘伝のままにしたのかもしれない。妹を売った二人に対する復讐として。


 父との行為では苦痛しか記さなかった母だったが、伯父との営みには今までの記述からは考えられぬほどに幸福感を覚えていたようだ。

 私は妻との行為しか知らぬが母の心情がわかってしまう。愛した人と結ばれることがいかに満たされるか、私は知っているのだから。

 愛する人が己の子を授かってくれる喜びもわかっている。性別が違ってもそれは同じらしい。妻は言っていた、好きな人の子供がおなかにいるのってこんなにも幸せなんだねと微笑んで。

 復讐計画は順調に進み、母が三度目の懐妊を迎えた。今までの妊娠期間とは違い穏やかな記述には納得しかない。私が母に可愛がられるのは当然のことだったのだ。

 そうして八ヶ月あまりを経て母は私を産んだ。母にそっくりな容姿と本当の父から髪色を受け継いだ王子を。


---

ごめんなさい、ナタリー。貴方をちゃんと育ててあげられなくて、でもどうか彼らの元で元気でね。貴方の幸せを願ってるわ。

---


 己は禁忌の末に生まれた子供である。その事実は衝撃的だったが動揺はしなかった。更なる驚愕が私を待ち構えていたのだ。

 王家の慣例に倣い、母は離宮で出産予定だった。そのため出産予定日の一月前に移動し始めたが、移動途中で産気づき……男女の双子を産んだのだと。

 この国では双子を不吉なものとして見ている。根拠が無いにも関わらず古い人間の中にはそれを信じ切ってる者が多い。おかげで私の娘も廃されそうになったものの何とか撥ねのけたが、母にもそうするべきだったと強いるのはあまりにも酷だろう。私が押し通せたのは王という立場が大きい。父は古い人間であり、下級貴族出の王妃の意見は通らぬ事が殆どだった。

 ナタリーと名付けられた私の妹は伯父によく似て平凡な顔立ちだったらしい。母に似たのは金の髪色と右胸に二つ並んだほくろだけだと。

 彼女の存在を知っているのは母とその場に居合わせた医師と行者だけ。侍女などの移動は後にずらしていた事や、王家の人間とわからぬよう最低限の者での移動だった為それだけで済んだ。

 今私が知ったものの、紙上の者達は三人共もうこの世にはいない。母は先月、医師は十年近く前に、行者は今の行者から先代が亡くなり継いだと聞いた覚えがある。

 双子であることを父に知られれば妹はおろか私もただでは済まない。幸い三人とも私達兄弟に同情的だった。だから侍女達が到着するまでのほんの僅かな間のみ離宮で育てられ、その後は唯一子供の居なかった医師が妹を引き取った。母譲りの美しい金の髪と、伯父と同じ深緑の目を持った、私の妹を。

 妹は跡取りとならぬから、私が母に似ていて父に気に入られる可能性が高いから、何より妹は父が羨む伯父にそっくりだったからなんだろう。凝り固まった常識はそう簡単に変わるものではない、父が勘付くとは思えないが念には念をと言う事だ。そうでなければきっと母はナタリーを選んでいたに違いない。愛する男にそっくりな彼女を可愛がったことだろう。

 妹を守る為、医師はしばらくして王宮からも去ったと書かれていた。その後は連絡を取ることも無かったようだ。医師とその妻はずっと子供を欲しがっていたらしく年老いてから得た娘へ深く愛情を注いでいた。

 ……ここからは自我が芽生えるまでを除けば、私が見てきた日々が続くだろう。ぱらぱらと頁を飛ばす。相変わらず父との不仲は解消されることはない、むしろ私が生まれたことで母は父を遠ざけられるようになったのだから。私が記憶している時期にさしかかる、少し前の記述に指を止める。


---

覚悟していたけどやはり辛いわ。でも看取ることができてよかった、最後まで心配してくれてありがとう。

大丈夫よ、兄様。私はラドクリフの為ならいくらでも強くなれる。

兄様が私を守ってくれたように、私も最後までラドクリフを愛していくわ。だからその日までどうか待っててくださいね。

---


 この日記を読み始めてから心配だった。伯父が亡くなってしまったなら母はまた悲しみに沈んでしまったのではないかと、ただそれは杞憂でしかなかった。母は私が思う以上に強い人だった。

 一瞬でも母の愛を疑ってしまった自分を恥じる。愛は一つではない、わかっていたじゃないか。私は妻も子供達も愛しているだろう。

 ぱしと掌で両頬を叩き、気を引き締める。ここまで来たのだ、最後まで読み進めなければ。


---

ああ、なんてことなの!こんな奇跡が起こるなんて!

貴方達は本当に愛し合ってるのね。二人が幸せならばそれで十分よ。

あの男や頭の固い輩がごちゃごちゃ喚いているけど何があっても私は貴方達の味方よ。

今の私はあの頃のように弱いだけの王妃じゃない。今度こそ私が貴方達を守ってみせる。

---


 それは私が妻を紹介した日の記述だった。文面から母が私達を祝福している様が伝わってくる、いつもの整った文字もどことなく浮き足立っているように見えた。

 妻は平民だった。彼女を知ったのはまだ私が王太子だった頃、後学のために城下へと忍んで出かけた時の事だ。一通り確認を終えて最後に向かった教会で、子と遊ぶ彼女を見つけた。そういえばここの教会は孤児院が併設されていたなと冷静に考えられたのは一瞬だけで。

 元気の良い子供達は彼女を困らせるような事もしていたが、彼女は嫌な顔一つせずむしろ楽しげに子供達の相手をしていて。その晴れ晴れとした笑顔に私は心を奪われた。

 髪はぐちゃぐちゃで服だって泥だらけ。普段私に纏わり付く令嬢の方がよっぽど煌びやかなはずなのに、彼女は今まで見てきたどの女性よりも輝いて見えたのだ。

 ただそれが恋であることは理解しても叶えるつもりはなかったのだ。私は父と母を見て育ち学んでいたから。身分違いの、特に上位の者から一方的に恋情をぶつけられることは不幸せでしかないと。彼女を不幸にしてまで結ばれたいとは思えなかった。


 なのに心とは裏腹にお忍びの度、私は彼女の姿を探してしまった。彼女は教会に仕事で来ているのは服装でわかっている、だからたまにしか見つけられなかったがそれだけで良かった。彼女の幸せそうな笑顔を見るだけで私の心は満たされる。

 けれど遠目で彼女の姿を追っていたのが、よりにもよって彼女に見つかってしまったのだ。どう考えても不審者だったろうに、彼女は一度私と話してみたかったのだと微笑んでくれて。

 これがきっかけで私と彼女はよく話すようになった。彼女の名を知って、年齢やら、父に憧れて今の職に就いた事、就いたは良いが男社会で同業者からは敵意を向けられがちである事、それでもやりがいがあって楽しんでること――彼女は私に多くのことを語ってくれた。

 反対に私は自分のことを殆ど話せなかった。もしも正体を知られて彼女との時間を失ってしまったらと思うと、自然と口数が減って。彼女はそれを察してか、私から無理に聞き出すことなく話役に徹してくれた。

 一目惚れだったが、彼女の内面に触れていくほど、どんどん深みにはまっていく自分がいて。完全に落ちてしまったきっかけとなったあの日を私は生涯忘れることはないだろう。


 己の身分がばれぬようにぼかした上で、あの日私は彼女にずっと心に引っかかっていたことを語った。

 父は親として夫としては劣っていたが優れた王であり、母は完璧な王妃であった。だから二人の子である私も秀でていなければならなかった、慢心することなく努力を重ねて虚勢を張ってどうにか私は理想の王子として少なくとも対外的には思わせることができた。

 けれど私は皆が思う理想の王子などではない。本当の私はただの臆病者で、人の上に立つにはあまりに感情的で、自分の居場所を守る事にもがいているだけなのだと。


『――それの何が悪いの?』

『つまりそれって誰かの理想の自分に負けないよう頑張ってるってことでしょ?偉いじゃない!』

『ただね、人って常に上を見ちゃうものだから応え続けてたらキリがないんだよね。だからできることをできる範囲でやりきればいい、どうしてもやり遂げたいことだけ更に頑張るぐらいでいいんじゃないかな』

『絶対に好かれる人なんていないもの。どんなに素晴らしい人でもそこが気にくわない人がいて、逆に同業者でも私のこと認めてくれる人もいるしね』


 彼女は職業柄、他者の相談を受けることが多い。そのせいか私の質問に対しても慣れた様子で口にした。きっと彼女にとっては何気ない言葉だったのだろう。

 だけど私は救われたのだ。弱くてもいいのだと、完璧な自分を描けなくてもいいのだと、相容れぬ相手がいるのは悪ではないのだと、私の中のしがらみを彼女の言葉は解き放ってくれた。ずっと息苦しく感じていた毎日が生きやすくなった。それと同じくして明確に彼女への恋情が私の中で育ちきってしまった。


 お互い惹かれあっていることはわかってた。けれどあと一歩が踏み出せなかった。彼女を愛している、だが私は彼女を苦しめたくはない。そうやって尻込みする私に代わって彼女の方から愛の告白を口にしてくれて。

 だから私も告白したのだ。自分が王太子であること、私では彼女のやりがいを奪う上にいらぬ苦労をさせてしまうこと、彼女には幸せになってほしいこと、それから……どうしようもなく彼女を愛していること。

 幸せになってほしいなどとのたまいながら、私は彼女を騙していたのだ。軽蔑される覚悟はしていたが、彼女は笑った。私を恋に落としたその笑みのまま言い切った。彼女とは離れてはならないと本能が訴えかけるほどに強く熱く。


『私、負けず嫌いなの。だからね、何があっても貴方を諦めるつもりはないよ。それに王妃だからこそできる事もあるだろうしね。どんな困難が待っていても私は貴方が良い、貴方と一緒ならきっと乗り越せてみせる。私も誰より貴方を愛してるから』


 その宣言通り、彼女はいかなる苦難にも真っ正面から向かっていった。彼女は私と母が手伝ってくれたおかげだと言っていたが……彼女は強い人だった。平民だからと貴族達から大いに嫌がらせを受けたが全くへこたれることなく、王妃としての教育も本来ならば貴族ですら数年かかる所を母と同じく一年で完璧に学びきった。それに早々に二人もの子を授けてくれた、その時の母の喜びようと言ったら。

 頁を目で追ってその光景を思い出す。最初は伯父のことで埋まっていた頁は、私が生まれてからは私の事へと移り変わり、私が結婚してからは私と妻について、妻が双子を授けてからは孫の話題ばかりになっていく。そしてその時が訪れた。


 最後に父が現れた頁を私は開く。それは私が伯父の子であると知った時から予測していた通りの内容だった。私の子が生まれてしばらくして父は病に倒れ、寝台から起き上がれなくなった。

 命日となったその日、父のたっての希望で母が一人で看取ることなったわけだが……父は思い当たらなかったのだろうか。自分がどんな仕打ちを母にしてきたのか。愚かな人だ、その言葉以外浮かばない。

 母は情に厚い女だ、だから最期くらいは優しくしてもらえるなんて甘い考えを持っていたに違いない。母がずっと復讐を目論んでいたなんて一度も想像しなかったんだろう、父は母が募らせてきた怒りに本当の意味で向き合った事など無いのだから。

 けれど実際、二人っきりとなった母が告げる言葉なんてわかりきっている。


---

男が愛してると嘯きながら伸ばしてきた手を払いのければ、男はひどく驚いていた。

気持ちが悪い。最後まで人を不愉快にさせて……本当に嫌い、大っ嫌い。

あの時からずっと憎くて憎くてどんなに憎んでも足りない。一度たりとも許したことなんてないわ。貴方、私を苦しめる事しかしてこなかったじゃない。


ああけど貴方に感謝してることもあるの、貴方のおかげで私達は結ばれることができたのだから。

私がそう伝えれば男は狼狽えていた。けれどわかっていない様子だったからはっきり言ってやったわ。

貴方の子供なんて死んでも産むものか――ラドクリフとナタリーは兄様の子供だと。


その時の男の顔と言ったら。まるで悪魔でも見たような目をしていたわ。

……けど貴方が生み出したのよ。私と兄様を地獄に落としたから、その悪魔達は生まれたの。

知らないままでいるには貴方は罪を重ねすぎたのよ。

---


 復讐を終えた母の胸に残ったのは何だったのだろう。きっと今の私と似たような感情だったであるような気がした。だからこそ私は母と違う選択をする。私はずっと幸せだったから。

 表紙を閉じて日記を暖炉へくべる。端から緑の表紙が黒く焦げていく、一瞬勢いを増した炎はすぐに落ち着いてパチパチと灰を飛ばす。最後の紙片が消え終わるまで私はその光景をただ眺めていた。

 これで痕跡は消えても罪が消えたわけじゃない。でもこれで母の罪が知られる事は無い。私は母のように誰かに知らせるつもりはなかった。共犯者は私だけで良い。それでも私は彼女がいれば笑えるから。


「やっぱりここにいたんだね、ラドクリフ」


 こんこんと小さく響いたノックの音に返事をすれば妻が部屋へと入ってきた。台詞からして私を探していたようだが、何か手伝うことはある?と彼女は気遣ってくれる。それに私は首を横に振った。

 他の品は昨日までに全て片しておいたから、あの日記が最後の品だ。ただ細工箱は貰っておこう、いずれ伯父と同じ丘で眠る母の墓へ埋めるためにも。あとは女中達に任せればいいだろう。


「あれ、綺麗な箱だね。何が入ってたの?」

「……何も入ってなかったよ」


 手に持っていた細工箱に気付いた妻の質問に私は上手く笑えただろうか。中に入っていた物は私だけの物だ、彼女は知らなくて良い。

 子供達が私を呼んでいるのだと告げて妻は先にドアへと向かう。ふわりと彼女の美しい金色が波打つ、誘うよう振り向いた彼女の深い緑が私をまっすぐ見ていた。


「ああ、今行くよ。ナタリー」


 私の愛する人は今日も幸せそうに笑っている。それだけで、私は、それだけが、私の。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ