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『絹乃国』〜推しの小栗上野介を救いたい転生幼女、まずは天保の大飢饉から村を救います〜  作者: 天のまにまに
第5章:崩れ行く村

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第37話:限界点

 いや〜、まいったね。

 榮ちゃん、私の名前出すなよ、おい。

 私はあくまで黒子に徹します。

 名を捨てて実を取る。

 これがヘタレの生きる道、だよね。


 でも、あの御奉行、時代劇とは違ったイメージだったよ。


 代官とかお奉行様と言えば

「上州屋、お主も悪よのぅ」

「いえいえ何をおっしゃいますやら。お奉行様ほどではございませぬ」

 ハッハッハッ。


 てゆーやつとか


「良いではないか。もっと近う」

「いけませぬ。あ〜れ〜」

 クルクルクル。


 というやつしか知らなかったけど。

 現実には、あんな有能官吏もいるんだね。

 やってることも、積極財政+貧困対策だし。

 惚れちゃうわ〜。


 ◇◇◇◇


 で。

 安井様が来てから、田口の難民対策はずいぶん楽になったよ。


 いや、楽になった、は言い過ぎか。

 首の皮一枚つながった。

 これだね。


 まず、働ける男の人たち。

 この人たちの一部を、前橋領内の普請や山仕事に回してくれることになった。


 用水路さらい。

 道普請。

 川沿いの補修。

 山での木の伐り出し。


 日当は大した額じゃない。

 でも、銭がもらえる。


 それだけじゃない。

 田口で食わせなきゃならない人数が減る。

 人足として働いている間は、向こうでも食事が出ることがある。

 これが大きい。


 さらに、私たちが集めていた薪や柴、焼いた炭なんかも、前橋へ売る道をつけてくれた。

 さすがお奉行。

 行政チートである。

 そうだ、小栗神の使徒としてスカウトするか?

 無理だね、川越藩士を幕臣に取り立てるとか、誰ができるのよ?


「絹」

「はい」


「また変なことを考えているだろう」

「失敬な。榮ちゃん。私は安井様を心より尊敬していただけです」


「顔がにやけてたぞ」

「惚れちゃいそうだなって」


「⋯⋯お前、意味分かって言ってるのか?」

「三十二歳児ですので」

「またそれか」


 はい。

 またそれです。

 実際年齢を冗談にして伝えたので気が楽ですな。



 最初のうちは、本当にうまくいった。

 田口へ来た男の人たちの中で、まだ体力の残っている人は普請へ。

 農作業ができる人は開墾や畑仕事。

 山仕事の経験があれば柴刈りや薪作り。

 女の人も、元気なら炊き出しや洗濯、繕い物、干し野菜作りなんかを手伝ってもらった。

 働いた分は食事を少し増やす。


 でも。

 老人。

 子供。

 病気の人。

 この人たちの最低限の食事は減らさない。

 そこだけは継太郎さんが譲らなかった。


「働けぬ者を餓えさせて、何の庄屋だ」


 だって。

 うん。

 そうだよね。


 私も放っておけなくて、お父さんを説得して少しだけだけど残りの備蓄を寄付した。

 猛反対を食らったけど、例の「閻魔様に胸を張って」宣言で押し切ったよ。

 今頃、私お手製の味噌玉が誰かの口に入って喜ばれていると思うと、胸がぽかぽかしてきたね。


 でも。

 それで万事解決!

 とはならなかった⋯⋯。


 ある日、村の入口へ行って気づいた。


「⋯⋯あれ?」


 女の人が多い。

 それも、子供を連れた人。

 老人もいる。

 病人も増えた。

 逆に、若くて元気そうな男の人が少ない。


「榮ちゃん。最近、働ける人少なくない?」

「今さら気づいたのか」


「え?」

「働ける奴は、ここまで来る前に仕事を探してる」


 あ。


「前橋、高崎、倉賀野。大きな町へ人足に出る。奉公に入る。若い娘なら町へ働きに出る。体の丈夫な男なら、どこかで日銭を稼ごうとする」

「じゃあ⋯⋯」

「それでも食えない奴が、ここへ来る」


 言葉が出なかった。

 村の入口を見る。

 痩せた女の人が、小さな男の子の手を握っている。

 背中にはもっと小さな子。

 その隣には腰の曲がったお婆さん。


「亭主はどこだ?」


 人別を取っていた村の人が尋ねた。


「倉賀野におります」

「仕事は?」

「三日に一度、あるかないかで⋯⋯」


 女の人が頭を下げた。


「田口へ行けば、子供に食べさせてもらえると聞きました」


 胸が痛い。


 私は、どこかで勘違いしていた。

 食べ物を与える。

 体力を戻す。

 働いてもらう。

 それで田口の負担も減る。

 いい仕組みだと思った。


 でも。

 働ける人は、とっくに働きに行っていた。


 ここへ来るのは。

 働けない人。

 働き手を町へ送り出した家族。

 病気になった人。

 年寄り。

 子供。


 そして。

 どこへ行っても駄目だった人。


 その日から、村の入口に並ぶ人の様子が目に見えて変わってきた気がする。


 最初は十人。

 二十人。

 それが三十人。

 五十人。


 いつの間にか、仮小屋が足りなくなった。

 産土様の近くにも小屋を建てた。

 空いていた納屋も使った。

 寺にも頼んだ。

 それでも足りない。


 水場には列ができる。

 炊き出しにも列。

 便所も増やした。


「もっと掘れ!」


 福吉さんに叫ばせる。

 絹乃式、公衆衛生の覆面指導でごわす。


 いや。

 笑ってる場合じゃない。

 人が増えるってことは。

 食べる。

 飲む。

 そして。

 出す。


 当たり前だけど、これがものすごく大事だった。

 水場の上では絶対に汚物を捨てない。

 便所は井戸や川から離す。

 病人はなるべく同じ小屋にまとめる。

 食事を作る場所には入れない。

 手は洗う。

 煮沸できる水は煮沸する。


 できることはやった。


 でも令和の避難所じゃないんだ。

 水道なんてない。

 移動式トイレも下水もない。

 石鹸だって貴重品。

 病人も出る。

 医者なんて来てくれない。

 まともな薬もない。

 そもそも何の病気なのか分からない。

 栄養状態だって悪い。


「絹」


 榮ちゃんが帳面を見たまま言った。


「なに?」

「このままだと、春までもたない」


 心臓が嫌な音を立てた。


「何が?」

「全部だ」


 食料。

 薪。

 寝場所。

 人手。

 村倉。

 全部。


「安井様にお願いする?」

「もうしてる」


「⋯⋯そっか」

「向こうだって余裕はない」


 そうだった。

 安井様は神様じゃない。

 藩の蔵だって空になるし、金だって無限に湧いてこない。


 そして。

 冬が深くなるにつれて今度は別のものが増え始めた。


「ごほっ、ごほっ」


 仮小屋の中から咳が聞こえる。


 一人。

 二人。

 三人。

 熱を出す人。

 腹を下す人。

 起き上がれなくなる人。


「⋯⋯まずい」


 背中を冷たいものが走った。


 飢饉は食べ物がなくなるだけじゃない。

 弱った体に、次のやつがやって来る。


 流行病《はやりやまい》だ。


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