第37話:限界点
いや〜、まいったね。
榮ちゃん、私の名前出すなよ、おい。
私はあくまで黒子に徹します。
名を捨てて実を取る。
これがヘタレの生きる道、だよね。
でも、あの御奉行、時代劇とは違ったイメージだったよ。
代官とかお奉行様と言えば
「上州屋、お主も悪よのぅ」
「いえいえ何をおっしゃいますやら。お奉行様ほどではございませぬ」
ハッハッハッ。
てゆーやつとか
「良いではないか。もっと近う」
「いけませぬ。あ〜れ〜」
クルクルクル。
というやつしか知らなかったけど。
現実には、あんな有能官吏もいるんだね。
やってることも、積極財政+貧困対策だし。
惚れちゃうわ〜。
◇◇◇◇
で。
安井様が来てから、田口の難民対策はずいぶん楽になったよ。
いや、楽になった、は言い過ぎか。
首の皮一枚つながった。
これだね。
まず、働ける男の人たち。
この人たちの一部を、前橋領内の普請や山仕事に回してくれることになった。
用水路さらい。
道普請。
川沿いの補修。
山での木の伐り出し。
日当は大した額じゃない。
でも、銭がもらえる。
それだけじゃない。
田口で食わせなきゃならない人数が減る。
人足として働いている間は、向こうでも食事が出ることがある。
これが大きい。
さらに、私たちが集めていた薪や柴、焼いた炭なんかも、前橋へ売る道をつけてくれた。
さすがお奉行。
行政チートである。
そうだ、小栗神の使徒としてスカウトするか?
無理だね、川越藩士を幕臣に取り立てるとか、誰ができるのよ?
「絹」
「はい」
「また変なことを考えているだろう」
「失敬な。榮ちゃん。私は安井様を心より尊敬していただけです」
「顔がにやけてたぞ」
「惚れちゃいそうだなって」
「⋯⋯お前、意味分かって言ってるのか?」
「三十二歳児ですので」
「またそれか」
はい。
またそれです。
実際年齢を冗談にして伝えたので気が楽ですな。
最初のうちは、本当にうまくいった。
田口へ来た男の人たちの中で、まだ体力の残っている人は普請へ。
農作業ができる人は開墾や畑仕事。
山仕事の経験があれば柴刈りや薪作り。
女の人も、元気なら炊き出しや洗濯、繕い物、干し野菜作りなんかを手伝ってもらった。
働いた分は食事を少し増やす。
でも。
老人。
子供。
病気の人。
この人たちの最低限の食事は減らさない。
そこだけは継太郎さんが譲らなかった。
「働けぬ者を餓えさせて、何の庄屋だ」
だって。
うん。
そうだよね。
私も放っておけなくて、お父さんを説得して少しだけだけど残りの備蓄を寄付した。
猛反対を食らったけど、例の「閻魔様に胸を張って」宣言で押し切ったよ。
今頃、私お手製の味噌玉が誰かの口に入って喜ばれていると思うと、胸がぽかぽかしてきたね。
でも。
それで万事解決!
とはならなかった⋯⋯。
ある日、村の入口へ行って気づいた。
「⋯⋯あれ?」
女の人が多い。
それも、子供を連れた人。
老人もいる。
病人も増えた。
逆に、若くて元気そうな男の人が少ない。
「榮ちゃん。最近、働ける人少なくない?」
「今さら気づいたのか」
「え?」
「働ける奴は、ここまで来る前に仕事を探してる」
あ。
「前橋、高崎、倉賀野。大きな町へ人足に出る。奉公に入る。若い娘なら町へ働きに出る。体の丈夫な男なら、どこかで日銭を稼ごうとする」
「じゃあ⋯⋯」
「それでも食えない奴が、ここへ来る」
言葉が出なかった。
村の入口を見る。
痩せた女の人が、小さな男の子の手を握っている。
背中にはもっと小さな子。
その隣には腰の曲がったお婆さん。
「亭主はどこだ?」
人別を取っていた村の人が尋ねた。
「倉賀野におります」
「仕事は?」
「三日に一度、あるかないかで⋯⋯」
女の人が頭を下げた。
「田口へ行けば、子供に食べさせてもらえると聞きました」
胸が痛い。
私は、どこかで勘違いしていた。
食べ物を与える。
体力を戻す。
働いてもらう。
それで田口の負担も減る。
いい仕組みだと思った。
でも。
働ける人は、とっくに働きに行っていた。
ここへ来るのは。
働けない人。
働き手を町へ送り出した家族。
病気になった人。
年寄り。
子供。
そして。
どこへ行っても駄目だった人。
その日から、村の入口に並ぶ人の様子が目に見えて変わってきた気がする。
最初は十人。
二十人。
それが三十人。
五十人。
いつの間にか、仮小屋が足りなくなった。
産土様の近くにも小屋を建てた。
空いていた納屋も使った。
寺にも頼んだ。
それでも足りない。
水場には列ができる。
炊き出しにも列。
便所も増やした。
「もっと掘れ!」
福吉さんに叫ばせる。
絹乃式、公衆衛生の覆面指導でごわす。
いや。
笑ってる場合じゃない。
人が増えるってことは。
食べる。
飲む。
そして。
出す。
当たり前だけど、これがものすごく大事だった。
水場の上では絶対に汚物を捨てない。
便所は井戸や川から離す。
病人はなるべく同じ小屋にまとめる。
食事を作る場所には入れない。
手は洗う。
煮沸できる水は煮沸する。
できることはやった。
でも令和の避難所じゃないんだ。
水道なんてない。
移動式トイレも下水もない。
石鹸だって貴重品。
病人も出る。
医者なんて来てくれない。
まともな薬もない。
そもそも何の病気なのか分からない。
栄養状態だって悪い。
「絹」
榮ちゃんが帳面を見たまま言った。
「なに?」
「このままだと、春までもたない」
心臓が嫌な音を立てた。
「何が?」
「全部だ」
食料。
薪。
寝場所。
人手。
村倉。
全部。
「安井様にお願いする?」
「もうしてる」
「⋯⋯そっか」
「向こうだって余裕はない」
そうだった。
安井様は神様じゃない。
藩の蔵だって空になるし、金だって無限に湧いてこない。
そして。
冬が深くなるにつれて今度は別のものが増え始めた。
「ごほっ、ごほっ」
仮小屋の中から咳が聞こえる。
一人。
二人。
三人。
熱を出す人。
腹を下す人。
起き上がれなくなる人。
「⋯⋯まずい」
背中を冷たいものが走った。
飢饉は食べ物がなくなるだけじゃない。
弱った体に、次のやつがやって来る。
流行病だ。




