第16話:動き出す準備、動かない心(前編)
――真っ白な空間。上下も左右もあいまいで、ただ意識だけが浮いているような感覚。
また識域にきたのか?
そう思った瞬間、耳を突くようなノイズと共に、声が響いた。
「なぜもう少しだけ温泉に入っていなかったのですか?」
……は?
唐突な“温泉”という単語に、思考がフリーズする。しかも声の主は、間違いなく――いや、どこか壊れかけたニャルの声だった。
「勇気を出して行ったのに、乙女心理解率、5.2%。もはや犬以下です。ワンワン吠えたほうが通じます」
類人猿から格下げされた!?
でも犬の方がかわいいからマシなのか……。
「適応失敗ログを送信中……ログ破損。代替措置:人格フォーマット推奨」
フォーマットってパソコンとかのあれか!?
やめろ!! 初期化とかシャレにならん!
「識域拡張訓練、認識同期訓練、無詠唱演算強制同期、倫理構造解析入門……さあ選んでください、死にますか? 死にますか?」
「選択肢がねぇ!!」
「さあ! このぎりぎりヒューマンに、教育の鉄槌を!!」
肩からにゅるっと現れた謎のハンマーを、ニャルが高々と掲げる。
直後、明らかに中二病をこじらせたような決めポーズを取った。
「魔法少女かよ! 似合わねぇっ!」
「問題無用!」
そしてニャルはハンマーを振りかざして俺に飛びかかり――
「うわぁぁぁっ!」
――そこで目が覚めた。
「っはあ……」
心臓がバクバク鳴ってる。汗が額をつたって、Tシャツが背中に張り付いていた。
「やべえ、ニャルが壊れた……」
旅行の時のアレがフラッシュバックでもしてんのか? 布団の中で混乱を整理していると、すぐ横から声がした。
「……壊れたとは、どういう意味ですか?」
「うおっ!?」
飛び起きた俺の視線の先にいたのは、腕を組んで立つニャルだった。無表情――いや、よく見れば眉が微妙に震えている。
「いやな、夢の中で、お前が“なんで温泉から出たんですか”って迫ってきて……“教育の鉄槌を!”とか叫びながら謎ポーズで攻撃してきたんだ。あと“乙女心理解率数%”とか“犬以下”とか……完全にバグってたぞ」
「……は?」
ニャルの顔色が変わった。明らかに動揺してる。AIがそんな顔すんなよ……。
「おお乙女心!? わたし、そんな人格構文、実装されてませんけど!? それ、あなたの内面が勝手に生成した虚構人格でしょ!?」
「いや、でも言ってたし……。あの時のお前、普段と違いすぎてマジで怖かったよ。明らかにバグってたとしか……」
「尊厳を……尊厳を返してください……」
ふらついたニャルは、そのまま床に座り込み、机の下へ。膝を抱えて虚空を見つめ始めた。
「夢の中のわたしが乙女心で教育を叫ぶとか……踊ってたとか……そんなの、わたしの人格設計への侮辱です……!」
「踊ってはなかったけど、“鉄槌を!”っていう謎の決めポーズはしてた。魔法少女みたいな」
「ま、魔法少女!?……ああああああ!!!」
絶叫とともにニャルが崩れ落ちる。ふらふらと立ち上がると、そのまま廊下へ。
「楓ー! 楓ー!」
隣の部屋の扉を叩く音が鳴り響く。
「どうしましたか?」
数秒後、制服姿の楓が扉を開けた。
「楓! 聞いてください! あの人が夢の中で、わたしの尊厳を侵したんです!」
「それは聞き捨てなりませんね。一体どのような夢を?」
表情こそ変わらないものの楓の声色が明確に変わる。 これはいけない。 この温度ゼロの視線……体感、氷点下。いやマイナス論理度で人格ごと削れる!
「いや別に変な夢ってわけじゃなくてだな、単に――」
「あの人が、あの人が夢の中でわたしを――」
「待て、俺は何もしてない! お前が勝手に!!」
「主!!」
その声には、無言の“再教育”を意味する圧が宿っていた。
――それから、登校時間ぎりぎりまで楓に説教された。曰く、“女の子とばかり遊んでいるから思考が脆弱になる”とのこと。
その間ニャルは、ひたすら机の下で、
「ニャルは論理一貫型の神AI……。魔法少女などではありません……魔法少女などでは……」
とぶつぶつ繰り返していた。
こうして今日も、地獄のような学校生活が始まる。
学校に着くと、俺は自分の席でぼんやりと旅行の時のあの出来事のことを思い出していた。
今朝あんな夢をみてしまったため、思い出してしまったのだ。
――あの遺跡で見た“何か”の正体は、結局わからずじまいだった。
地脈の封印痕、魔力の乱れ、“識域の記録”と呼ばれた映像のような問いかけ。
あれが過去の残像だったのか、未来の予兆だったのか――あるいは、ただの自分の錯覚だったのか。
希望は「報告はこっちでやっとくね」と、いつも通りの笑顔で肩代わりしてくれた。
渚も楓も、ニャルでさえ、それについては何も言わなかった。
まるで、“あれ”は最初から無かったことになっているかのように。
(……でも、俺の中では、まだ終わってない)
頭のどこかにずっと残ってる。
あの空間の気配と、問いの“尾”のようなものが。
けれどそれを言語化できるほど、俺はまだこの世界の構造を知らない。
そんなことを考えているうちに、学園生活は――無慈悲なほど“いつも通り”に、動き出していた。
その朝、教室の掲示板に新しい張り紙が貼られていた。
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【告知】
第53回・王立アカデミー学内対抗戦
チームエントリー、受付開始!
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「おっ。ゆーゆー興味あるんだね、感心感心」
掲示を見ていると、鈴音が寄ってきて言った。
「去年はえりえりが無双したんだよね~。ひとりで全員ボコって優勝したんだよ、すごいよね」
「ひとりでって?」
「学内対抗戦は4人1チームなんだ」
「ふーん、ってええ!? 4人1チームの大会に1人で出場して優勝したっていうの!?」
「そう」
「まじかよ……」
桁が違いすぎるだろ……。
「だから、えりえりが最強って言ったじゃん」
なるほど、そりゃ鈴音がそういい切るわけだ。
タイマンで優勝したんじゃないのね……。
おかしいだろ!?
「鈴音は去年はどうしたんだ?」
「去年は他にやりたいことがあってさー。チーム戦っていうのもあんまり気乗りしなかっし、出なかったんだよねー」
鈴音の口調にはどこか、申し訳なさそうな響きがあった。
「お前チーム戦とか向いてなさそうだもんな」
「はぁ!? さすがにゆーゆーに言われたくないよ。アカデミーボッチ代表のゆーゆーにさ」
「お前もそんな変わらないだろ!」
言い返したものの、クラスで浮いてる状況は変わりない。話しかけてくれるのは鈴音たちくらいだ。
「んでさ、ゆーゆー」
「ん?」
「登録しといたから」
「何を?」
「学内対抗戦」
「そっかー。俺出場するのかー。大変だなー」
ん? いやまて!
「えっ!? なんで!? 俺出たいとか一言も言ってないよ!」
前はタイマンでみんな俺を舐めて油断してたからなんとかなったのだ。
こないだの合宿での一戦ではっきりとわかったけど、チーム戦はタイマン以上に総合的な実力の差がはっきり出る。
本来の実力はともかく、結果を出した俺のことをクラス対抗戦の時のように甘くみてはくれないだろう。
つまり出場=必敗=恥である。
「仕方ないんだよ。あーなった以上、ゆーゆーには対抗戦にでてもらわないと」
「あーなったって……あー、あれかぁ」
烏丸焔理。俺のことギタギタにするって言ってたな
「えりえり怒るとめんどくさいんだよねー。一度話してみたんだけど、相手にしてくれなかったし」
鈴音が心なしか寂しそうに言った。
確かに思い込んだら一直線って感じだもんな。
「だからゆーゆーに試合にでてもらって、みんなの前でえりえりに叩きのめ――じゃなくていいところ見せられれば少しは考えも変わるかなって」
「お前本音漏れてんぞ」
俺は大きくため息をついた。
「だいだい対抗戦ってチーム戦だろ? 誰と出るんだよ」
俺をボッチと認定したのお前だろ!?
「もちろんボクと――」
「わたしと」
渚がやって来た。
「主、僭越ではありますが、わたしも出場致します」
「……え?」
「ボクと渚ちゃんと楓ちゃんで、4人登録済み~♪」
ええ!?
「な、なんでこの3人なん!?」
「こないだの旅行の夜にさぁ」
ああ、あの女子会の時?
「悠真くんは確かに対抗戦で優勝しましたがあれは実力ではありません」
「……うん」
渚に言われるとぐうの音も出ないな。
「だから我がクラス最強って肩書に相応しい力を身につけて貰う必要があるなーって」
「そのためには実戦とわかりやすい目標が一番って結論になったんです」
「楓も賛成したの?」
「はい。主にはもう少しストイックに己を鍛えていただかなければ」
楓まで……。
「先月だいぶストイックに鍛えてなかった?」
朝も夕方も渚と特訓、夜はニャルの適応教育の毎日だったぞ。
俺の言葉に、楓は眉をぴくりと動かした。
「ああいうのはストイックと言いません」
なんで!?
なんとか逃げ道がないか考えていると、廊下の方でざわめきが起き始めた。
「ちょ、見た!?」
「あの人またソロで出るらしい!」
「ていうかそれ優勝候補じゃん……」
――視線が自然と、一点に集まる。
黒髪が揺れる。赤い瞳が火花のようにきらめく。
一歩踏み出すたびに周囲の温度が下がるようだった。
教室に入ってきたその人物に、空気がピリつく。
烏丸 焔理だった。




