22-乱入者あらわる
「ほう、娘っ子がこんなところに1人とはの。迷子でもなかろ」
「えっ……え、と」
篠原は言葉に詰まり、制御室の入り口から動けないでいた。
狐面の女は首をかしげ、じっと目線を送る。その目……すべてを見透かすような、圧のある両目。一部屋分の距離が、寸前に感じられるようなプレッシャー。
篠原が思わずあとずさりすると、女はコロコロと笑った。
「なに、そう怯えずとも良いではないか。傷付くぞ?」
「……」
スプリンクラーの水滴でズブ濡れな篠原は、胡乱な目で女を警戒する。
まったく得体の知れない女性だ。その片手がターミナルのコンソールに置かれているのを見て、冷や汗が背を伝う。
「それで、何者じゃ? 童遊びなら、場違いというものじゃが」
「……た、ターミナル。クラッキングに、きた」
「なんと。同じ目的かや」
子猫と遊ぶように終始楽しげな女性を見て、篠原は気付く。そのチャイナドレスに、水の一滴すら付いていない。
ますます恐怖を感じながら、それでも篠原は引くわけにはいかなかった。膝が笑うのを強いて、一歩。
「ど、ど、ど、ど、ど」
「落ち着かんか」
「ど、退いて。わ、私、やらなきゃいけないこと、ある、ます」
静寂。半笑いの表情が消え、篠原と狐面の女の視線が交錯する。
深海に沈みゆくような心地で、篠原はカチカチと歯を鳴らす。頼んでもない涙が、ジワリと視界を滲ませる。
だが、狐面の女の背後、モニターに映る銀の怪物を見た時に、彼女の迷いは吹き飛んだ。
息を吸い、恐怖を肺で押しつぶす。代わりに勇気を充填して、まっすぐに視線を返す。
「ど、退いて。友達を助けたいの」
「……よかろ」
やけにあっさりと、女性は脇に退いた。
それを頼んだはずの篠原は、口を開けて固まった。まさか、本当に退くとは。
「なぁにをグズグズしておる! 友達を助けると抜かしたのは貴様じゃろう!」
「え、えっ。い、い、いいの……」
「なんでわらわが邪魔せねばならんのじゃ。こっちの用は後で済ませる」
腕を組み、コンソールの脇に仁王立ちする女。
篠原は心臓がバクバク音を立てるのを感じながらも、ターミナルに歩み寄った。恐怖するその時間すら惜しいのだ。
震える指で画面を立ち上げ、真っ赤な進捗バーを見上げる。
「フォトニックヴェイン掌握率……80%。施設内利用可能設備、一部の監視カメラとドローン……あとシャッターも」
「ほう、見たら分かるのかえ?」
「う、上手く説明はできない、けど……番号が、順番メチャクチャだから……たぶん、全体を掌握し切れてない」
タイピング音を響かせながら、篠原は順繰りに現状を把握する。
ハッキング進捗バーは徐々に進んでゆく。早晩ここは完全掌握されるだろう。ファイヤーウォールは機能停止している。
集中が深まり、恐怖が遠ざかる。隣の女すら忘れ、篠原は画面にのめり込んでゆく。
そして一瞬映り込む、選択可能項目。
「今の……」
「ん? どうかしたかえ?」
声すら聞こえず、篠原は画面を戻す。
そして、見る。ここでハッキングして、どこかと動作を同期しているようだ。……どこと?
「これ……制御権を、外部にリレーしてる」
「……何じゃと?」
狐面の女の目が光る。その余裕のある佇まいが一瞬崩れ、モニターに向き直る。
篠原は項目をクリックし、ジッとその接続先を見つめる。
「……アドレスが一定時間で変わってる……秘匿されてるんだ。でも、ここと繋がってるなら、このコンソールがセキュリティホールになるはず」
「……データを抜き取ることもできるか?」
「たぶん……え?」
ずっと集中していた篠原は、そこでようやく、隣の女が自分を見つめていることに気づく。
彼女は真剣そのもの。ようやく遊ぶような雰囲気が消え、真摯な瞳だ。
「えっと……で、できる。と思う……けど。な、なんで?」
「仕事にいりようでの。……実はスパイをやっておるのじゃが」
前言撤回。真摯でもなんでもない。
篠原は一気に胡散臭いものを見る目になり、モニターに視線を戻した。
「なんじゃ! わらわが腹の内を明かそうというのにその態度は!」
「わ、分かったから。ちょっと静かにして……」
敵の狙いを探ることが先決だ。プラザのどのエリアが安全で、どのエリアが危険なのか。そのためにすべきなのは、通信データの解析である。
篠原は震える手でキーボードを叩き、画面上に流れる情報の羅列を睨みつけた。ポート番号のリストが次々と更新されていく中、彼女はその中に違和感を見つけた。通常の応答に紛れた、わずかに遅延のあるポート番号。直感が告げる。「これだ」と。
「これで……いけるはず……」
コマンドを入力し、自作スクリプトをポートに送り込む。応答が返ってくるまでのわずかな時間が、永遠にも感じられた。
1秒後、ターミナルのモニターが映り変わった。
多数のアイコンが並ぶ画面。同期していた外部PCのものだ!
「はーっ……だ、第一段階はクリア」
震え、滴る汗。篠原はキーボードの周りが水溜まりの如く変貌しているのに気づき、ようやく自分の受けるプレッシャーを知る。
狐面の女は押し黙っている。モニターを見る目に、おふざけの色はない。
「つ、次……次は、制御権。どこにあるの、制御権……!」
「順調じゃの」
不意に、女が口を開く。それを聞きながら、篠原は止まれない。
「じゃが、奴らも気付いたようじゃ。帰ってくるぞ」
「え? か、帰ってくるって」
「無論、武装した連中よ。さぁて、どうする?」
果たして女性の言う通り、コンソールの脇に置かれた無線機から声が漏れてくる。
《ターミナル班はただちに制御室に戻りなさい。ネズミが紛れています》
「……!」
それは、死の宣告に等しい。
何の戦闘能力もない自分が生き残れる道理などない。交渉だってからっきし。隠れようにも、場所がない。
痛いほど打つ心臓の音の中で、またしても恐怖に飲まれかけ……ふと、思い出す。
堂本と、白鳥。その2人との約束を。
篠原は制御室の出口に背を向けた。蒼白になり、指も震え、涙すら出ない。
それでも、2人が命を懸けていた。自分だけ逃げ出して、この先も生きていくなんてできない。
……この先も、逃げ続けていくことなんて、できない。
「……くく。まあ、そうでなければのう」
狐面の女に言葉も返さず、篠原は作業を続行! その速度には、死を覚悟した人間特有の思い切りがある!
やるなら、とことんだ。コンソールの入力速度が上がり、皿のような目で次々情報が処理される。ダミーアイコンのパターンを読み、本物のデータポイントを見極める。
「あった」
掠れ声。制御権のキー。クリックして、ターミナルへ返還。
最期だ。篠原はスピードを維持したまま、サンシューターの周囲三方のシャッター制御権を奪取!
「これで!」
エンター音! 直後、シャッターがギロチンのように降下する!
最後に見えた狙撃手の顔は、驚きと、怒りと、そして焦燥に満ちたものだ! 堂本を撃ち続けて得意になっていたその顔が歪み、篠原は痛快な思いで笑いをこらえる!
勝った! 堂本は、必ずあの狙撃手に打ち勝てる! そうなれば、白鳥が率いる人質も脱出ルートを容易に発見できるだろう。やったのだ!
同時にドアが開き、銃口が現れる! 振り返る篠原は、しかし華々しい笑顔を浮かべていた! 怖くって、泣きたくって、それでも友のため、やるだけをやった。それがこんなに心地いいことだと、久しく忘れていた。
それが最期だと、覚悟もしていた。父と母は自分に無関心だったが、泣いてくれるだろうか。堂本はきっと泣いてくれるだろうな。そんなことを考え……。
「邪魔じゃ」
一瞬、篠原の視界に布が舞った。
違う、布ではない。翻って部屋の中央に着地したそれは、狐面の女だ。
2秒後、制御室の外に立っていた男たちの首から血が噴き出した。短い悲鳴が、血に溺れゆく。そして、バタバタと、倒れた。
彼女は扇子を開くと、口元を隠す。そして篠原を振り向いた。
「さて。取引じゃ、娘」
「……え?」
まだ状況が掴み切れない篠原が、間の抜けた声を漏らす。
制御室の外、血溜まりをゆっくりと広げる死体たち。……そう、死体だ。
「こ、こ、殺し、た……」
「当然、殺す。やらねばやられておったわ」
寒い日の服装でも話すような口調。女性は無表情に篠原を見ている。
無意識に一歩下がろうとする篠原は、ターミナルに背をぶつけた。
「いま、わらわはお主の命を救った。貸しひとつじゃ」
「……か、貸し?」
「そうじゃ。恩人に返すべきものがあろう」
ふわり。喉を撫でられ、篠原の背筋が震える。
いつの間にか、狐面の女が眼前に迫っていた。顎を持ち上げられ、強制的に視線がかち合う。
篠原はカラカラに乾いた口で、何か言葉を紡ごうと苦労する。そして、ようやく舌が動き出した。
「な……何を」
「お主は機械遊びが得意なようじゃ。そこのターミナルを用いて、外部PCのデータを抜け」
「な、な、なん、で……」
「質問の段階はとうに過ぎておるし、もう答えた問いじゃ。お主に選択の余地があるかえ?」
スパイだから? だからこんなに強くて冷酷なのか? 篠原の脳内はグルグルと回り始め、まとまらない。
だが結局、女性の言う通りだ。選択の余地などなく、従うほかない。
「で、データ、全部?」
「……いや、わらわがこれより挙げるモノを。まずは“儀式”。そして“取引先”に関するデータじゃ」
もう、訳がわからない。暗号じみているし、支離滅裂だ。
篠原は浅い呼吸で、モニターに向き直る。ある意味で、先ほどの死の覚悟より切迫していた。
この女には、常識も理屈も通じない。狂人のルールに従わなければ、次は自分が、外に倒れる男たちのようになるだろう。
いや、それならまだマシかもしれない。首筋に感じる視線に、篠原は涙目になりかける。早く、データを探さなければ。
震える指先でタイピング。何度も間違えて、画面を戻す。そのたび、プレッシャーが強まるような錯覚に陥る。
そして、永遠にも思える時間を経て、見つける。複数のメールファイルだ。
「……こ、こ、これ」
「この媒体に吸い出せ」
差し出されたメモリチップを受け取り、篠原は必死に作業を回す。
ファイルの中身をできるだけ見ないようにしつつ、メモリ内部に保管してゆく。“紅龍堂”“シュトルム”“黒潮会”。期日までに武器の輸送を完了されたし。数十億単位のやりとり。
(これは、なに……私は、なんのデータを)
見ないようにしていたつもりが、いつしか篠原は呆然と見上げている。“ナハシュ・シンジカート”。良い取引を祈っている。遅れは許さない……
「急がぬか」
静かな声で、我に返る。そうだ、今はこんなことで手間取っている場合ではない。
狐面の女はしかし、そう言いながら、モニターに映る文面を食い入るように見つめている。1行たりとも見逃さないとでも言うような集中だ。
「儀式……儀式、は、これ」
次のメールファイル。今度は命令調の文がつらつらと並んでいる。どうやら何か、手順のようなものが記されているようだ。
“クァーラ様”。“招来”。観測者と生贄。まず血で大地を洗い、おいでになった御神体をドローン中継によって大勢が観測することで……。
「読むな。お主には刺激が強かろう」
ぱ、と手で視界を覆われる。篠原は驚いてのけぞり、狐面の女を見た。
意外にも、彼女は親切心で動いているらしい。溜め息を吐いて、のけぞった篠原の背を支えていた。
「もうよい。はあ、かなりスタンダードな儀式をやろうとしているようじゃの」
「ぎ、儀式?」
「こちらの話じゃ。メモリチップを寄越せ」
篠原は混乱しつつも、コンソールからチップを引き抜く。
それを受け取ると、狐面の女は即座にきびすを返した。制御室での用は済んだとばかり、出て行こうとしている。
恐怖からの解放。しかし、あまりにも疑問が多すぎる。
知らなくていいことかもしれない。それでも篠原は我慢できなかった。
「ま、まって」
「なんじゃ」
「ぎ、儀式とか、シンジカートとか。いったい、なに」
「……」
遠ざかる後ろ姿が、立ち止まる。部屋に広がる奇妙な沈黙。
「知ってどうする」
「し、知ってたら……知ってたら、皆を逃がせるかも」
「逃げればよい。皆のことなど放ってな」
「……」
篠原は答えない。ただじっと、狐面の女の背を見つめ続ける。
やがて女性はくたびれたように溜息を吐き、肩越しに振り向いた。
「“クァーラ”も、“儀式”も。こけおどしと思っておれば、怪我では済まぬ。……急いでプラザから離れよ。2、3人なら奴らも見逃す」
それだけだった。狐面の女性は、音もなく歩き、廊下の向こうへと消えてしまった。
実在すら疑ってしまうほどの、華麗な消失。篠原の胸中は、解放感やら恐怖やらでゴチャゴチャだ。
だが、まだ終わっていない。堂本はサンシューターと戦い、白鳥は人質を率いて逃げようとしているはず。
自分がサポートしなければ! ターミナルはいまや取り返したのだ!
モニターに向き直る篠原は直後、映るモノを見て眉根を寄せた。
「……これ……ま、まさか」
そしてすぐに理解し、戦っている銀の怪物近くのスピーカーに音声を繋ぐ!!
「気をつけて!!」




