14-朝の一悶着
「んがっ!?」
(さー起きた起きた! いつまで寝てらっしゃるんですかご主人様は!)
「何言って、何時だ今……はぁーーーっ!?」
遅刻まで、残り30分。
そんなギリギリの時間に起きて、俺は死に物狂いで登校の準備を整えていた。
相当疲れていたらしい。夢も見ないほどの眠りは久々だった。だから寝過ぎた……!
「くそ、昨日は死ぬほどやかましかった癖になんでもっと早く起こさないんだよ!」
(起こしましたよ、ほら見てくださいこのアラームの履歴)
「うそぉ!? こんな鳴らしたのに起きなかったの!?」
窓から差し込む鈍い光を浴びながら、トーストを咥えたままパジャマを脱ぐ。
そこで固まった。
全く鍛えた覚えがない上半身に、筋肉の影が浮かんでいるのだ。
細枝のようだった腕はゴツゴツしているし、腹筋は彫刻のような溝がハッキリと主張している。呼吸のたびに動くので、たぶん俺の体。
太ももの銃創は、すでに新たな皮膚が覆っていた。昨日の傷が、早すぎる……。
ポトリと落ちたトーストにも気を配れず、阿呆のように口を開く。
「……なにこれ」
(ご主人様の就寝中に、フルパワーを出力できる肉体にアップデートを進めておきました。現在の進捗は50%)
「なにしてんの!? いやどうやってんの!?」
(いやぁ礼には及びませんって)
誰が一言でも有り難がったんだこのポンコツAI!
ツッコむ時間も惜しいわ! 血管の隆起した前腕が、ミチミチいいながら袖に通る!
「これ、制服壊れないだろうな……! 買い直す金なんて無いぞ!」
(ふふん、ご安心くださいご主人様。すべて、計算づくです)
「そ、そうだったのか。……その、怒鳴ってごめ……」
(ジャ・ジャン! ここに次回のトロ7の当選番号が!)
「貴様ァッ!」
結局言い合いになりながら、床のトーストを引っ掴んで家を飛び出した。
◆
「間に合え間に合え間に合え……!!」
朝の歩道を駆けながら、俺は祈るように繰り返す。
他のやつならいざ知らず、親のいない俺は遅刻なんてまたぞろ面倒なイベントになる。反省文と保護者のハンコなんて、かぐや姫でも躊躇う難題だ。
あと10分で遅刻! ギリギリだが、心には余裕があった。
なぜなら脚がとんでもなく速いからだ。住宅地の景色が溶けて、後ろに流れていくようなスピード。コーポレーションのモノレールすら追い抜かすスピードを、維持できていた。
(遅い遅い遅い! なーにビビってんですかご主人様!)
「速いわ!! 十分速いから!!」
(はー。時速何キロ? なんかアクビ出そうです私)
「他人事すぎる……!」
通勤ラッシュのサラリーマン達が驚く表情を作る暇もなく、人の波をかい潜る。
車止めポールを踏み台にして空中で体を捻り、鉄棒を蹴って更にジャンプ。大人のざわめき、子供達の歓声を背に、スムーズに着地して公園を抜ける。
なんという呆気なさ! 俺は今までこんな簡単なことができなかったのかと、心の枷がはずれる感覚!
「よしよしよし間に合う! この調子なら!」
(ま〜プロ目指すなら足りませんけど? 及第点です。ところで、そこ注意してください)
「え?」
(飛び出してきます)
直後、曲がり角から女性が飛び出してきた。
まずい、ぶつかる。モノレールより速い人体が衝突すれば、死は免れない。
高鳴る鼓動。拡大する視界。女性の驚く表情が目一杯に広がり、その髪が風に波打ち、止まろうとする筋肉の動きが見え肩にかけた鞄が酷くゆっくりと物理法則に従い戸惑う足運びが麻痺し俺の足が止まるには骨の一本でも犠牲にしなければそれなら安いか否フェンスに腕を
(はい、ここでこう!!)
パラサイトの、声。
同時に表示される、視界の青いシミュレーション。俺の体が辿るべき指標。
1も2もなく、それに従った。体を回転させて脇を抜け、勢いを殺して立ち止まる。
なんとか避けてホッとしていると、女性が大きくバランスを崩すのが見えた。
(はい更にこう!)
「あっやべ!!」
うっかりシミュレーションに従ってしまい、めちゃくちゃキザな抱き止めを行ってしまう。
女性の背中に手を回し、頭を支え、見開かれた目と視線がかち合う。サラサラと溢れる髪が、指の間をくすぐる。
「……えっ、と。ごめんね? よく見てなかった」
(“うっかり屋のお嬢さん、少々刺激的な出会いだったね。怪我はないかい?”はい復唱)
「ごめんなさい。本当にごめんなさい、怪我はないですか」
(はいダメ! 守りに入ったヘタレ!)
驚きから立ち直ったらしい女性を離し、平謝りする。もうやだ俺何してんの……。調子に乗るからこんなことに。
女性は栗色の瞳で、自分の体を色んな角度から見下ろしている。そして笑った。
「うん、大丈夫! 君は平気だったかな?」
「いや全然平気です。えーと俺、時間なくて! すみませんもう行かないと!」
(はー!? やる気あるんですかご主人様!? ルート攻略は初めが肝心なんですよ!)
「うるさいよマジで……!」
「え? あ、ごめんね! その、時間取っちゃったね!」
「あっいや、今のは違くて……いやもうホントすみませんでした!!」
ぶつかりかけて悪態までついて、印象最悪だ。本当なら大泣きしたい。だがもう、モタモタできない。
風を切る勢いで頭を下げ、また走り出す。
原付くらいの速度に抑えて走ったせいで、学校に着くまでずっとパラサイトのヤジが飛んでいた。