表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢の跡  作者: 常務
20/27

【07:00~】

【07:00~】

 疲れてスマホのタイマーで起きた栖原。昨夜の事は何も考えたくなかった。隣を見るとすでに田中はいない。そんな早くに起きて何をしているんだろう。起き上がろうとした時全身に倦怠感と痛さが走る。お酒も抜け切っていない。頭が気持ち悪い。

 スマホを掴んでタイマーを消そうとした時メッセージが入っていることに気づいて目が一気に醒めた。会社からのものではない。長い間期待して止まないあのアドレスからだ。でも、開いて見た瞬間、しまったと思った。色々としまった。返信は今すぐにしなければと時間や場所をとっさに打ち込んだ。送信ボタンを一秒でも早く押そうと中身の漢字の変換までおかしくなっている。メールの送信通知を見てから全身に脱力感が広がった。これで一区切りが付くであろう。でも次の一秒、場所と時間のおかしさに気づいた。自宅や行きつけの酒屋ではなく、あの子たちと約束していた時間と喫茶店にしてしまった。朝の回らない頭でうっかりしてしまった。できるだけもう他人を巻き込みたくなかったが、これはこれで説明がし易いだろう。頭を掻きむしりながら一階に下りた。

「おはよう」

「おう、早くない?」

「そう?朝ごはんを用意しようと思って、今日は電車なんだろう?」

 栖原は今までお酒が抜け切る前の車の運転を避けてきた。もちろん田中もそれをしっかりと覚えている。でも、この時間帯から電車で行こうとすると大遅刻になってしまう。車でもぎりぎりの時間だ。

「電車じゃ間に合わない」

「送ろうか?」

「いや、自分で行ける」

「そう」

 彼はそれ以上詮索してこなかった。急いでシャワーを浴びようと風呂場に行くと着替えが用意されていた。新しい下着とシャツ。

 シャワーを浴びながら約束のことを考えていた。彼女らはどこまで知っていて、どこまで知りたくて、どこまで知れるのか全く分からなかった。電話口で少し踏み込んで聞いておけば良かった。ホームページはすでに見たのだろう。じゃなければ自分が部長であった事を知るはずがない。なら田中が副部長だって事も知っているだろう。石田の弟が未だあの部活に所属しているらしいから、彼から何かを聞いたのかも知れない。でも弟にはそこまで言うつもりが無いとこの前会った時に言われた。部長がコロコロ変わっていた事くらいしか分からないだろう。顧問の先生の変わり方までは分からないはず。怖い予想を繰り返しながら下半身を洗っていく。

「まだかー、車でも間に合わなくなるぞ」

 考え事をするとついつい遅くなってしまう。今日も文書の整理が中心だから遅刻したって大した騒ぎにはならないけど、村上に何度も訳アリで許しを請うのも嫌だ。考え事を止めてスピードだけに集中した。

 結局その日は自分で運転してヒヤリとしながら会社に出勤した。彼が折角作ってくれた美味しそうな朝ご飯も手付かず。お昼に頂こうと思ってお弁当にしてと頼んだ所、お弁当箱なんて当の昔に捨てたと言う。残念に思いながらエンジンを起動させた。


「おはようございます」

「おはようございます、どうしたの、また遅れて。というかすごいお酒臭いね」

 十五分の遅刻だった。シャワールームでの思考実験が悔やまれる。お酒の話は触れたく無かった。

「ちょっと朝起きるのが遅くなって」

「栖原が寝坊ー?珍しっ」

 小塚が珍しい見物人のような表情で覗き込んできた。村上はちょうど朝会中でデスクが留守になっていた。自分のデスクにはほかのプログラマーから上がってきたバグの注意書きと更新の内容の資料が積まれている。契約には二年間のサポートまで特別事項として含まれている。もうこんなに早く更新をせねばならないのなら納期を延長してもらう方がましだった。そんな文句を心の中で繰り返しながらページを手繰っていく。安全性に重大な影響をもたらす場所もいくつか存在していた。相手はもう実用化に入ろうとしている段階だろう。今すぐにせめて緊急性の高い部分の修正アップデートだけでも送らなければならない。急いで共用サーバーにある各部分に関するインストーラをまとめて確認し始めた。今回もシステムの規模は決して大きくはなかったが、今までの社内専用の物と違って外部のユーザーがいる点でその部分が不慣れだったのだろう。最初、基本的な構文ミスも散見された。

「大変だね」

 小塚はまだ自分の隣にいたらしい。彼女の顔を見る余裕さえも失っていた。

「そっちはもう終わっただろう?」

「まあね、バグることは無いんだからさ」

 喧嘩を売ってきたのかと一瞬疑ったが、朝からこれ以上気分を悪くしたくなかった。お昼休みのお相手としても受け流した方が良いだろう。

「全くもう!」

 書類を高く持ち上げて机に叩きつけながら文句だけ大きめな声で出して響かせた。近くのデスクにいる何人かのプログラマーがうつ伏せ気味になっている。宣伝の部屋にいる一番端の人たちもこっちを向いてきた。

「悪いけど、今は忙しんだ。またお昼時に」

「それは見ればわかるわ、頑張って」

 小塚もさすがに空気を読んだのか、速足で去っていった。今日もハイヒールの音がトントンと響いてくる。ズボンの裾が少し広めのすっきりしたグレーのスーツを着こなしてきた。ベルトだけちょっとした工夫が入っていて、ピンクのラインが一本周に入っている。

 彼女が去ったあと、さりげなくスマホをチェックした。彼からの返信はない。ため息が出た。


 悩みに悩んで、下林は結局もう一度石田によく話を聞くことにした。彼がアドレスを紙に仕込んで渡してきたことからきっと少しは詳しく知っているだろう。あの書記が石田の兄もしく姉なのかも確認したかった。先生よりは聞きやすいだろう。卒業してからも抜けなかった理科部のグループチャット。ずっと黙ったまま現役生のやり取りを懐かしんで眺めてきたけど、今日は久しぶりに使おう。チャットの中から石田だけに個人メッセージを送り、急だけど今日会えないかとの誘いをした。返事を待っている間もやりかけた漢文が全く手に付かない。好きな漢詩が入ってるけど、今ゆっくり楽しむほどの余裕はない。大工屋の言う通りなら岡崎はきっと何かを知ってた上で自分たちに頼んできたことになる。なぜ自分で動かないのかと疑問に思ったけど、彼の高二からの経緯を考え直せば今の運びは一番自然だった。単に自分では動けないだけだからである。


 薬のせいで今日も起きるのが遅くなってしまった。枕横にスマホを置くのは睡眠に良くないと聞いたことがあるが、眠る前に音楽をかけてリラックスすることが大好きだ。そのスマホがいつぶりか通知のライトが光っている。着信とメール以外のアプリの通知は全て切ってあるので、昨夜の返信に決まっている。どんな感情か自分でもよく分からないまま、頭真っ白でロックを解除した。目の前の文字はただ場所と時刻を示している。夜六時?そんな時間に仕事が終わるものなのか。今の世の中は。まあ午前だったら色々と用意しなければならなかったので夕方で助かった。


【07:40~】

 予想に反して、石田からの返信は早かった。夏休みなのに立派な生活リズムを維持しているみたい。

「今日ですか?午前中に部活があって、午後からならいつでも大丈夫ですよ」

「今日部活あるの?」

「はい。長期休暇の時間割で入ってます」

 長期休暇中の毎日の部活動の時間帯は生徒会部活動管理チームの役員の話し合いで改めて決められている。その時間は毎日最長四時間を超えてはならず、たびたび修正議案が上がっていたが、これ以上の譲歩はできなかったみたい。

「じゃ学校に行くわ」

「いらっしゃるんですか?分かりました。お待ちしてます」

「宜しく。初めから行くね」

 話の具合によっては大工屋と一緒に岡崎を訪ねることも考えて活動の始まりの時間に合わせることにした。もう勉強ところでは無くなってしまったので、やりかけた問題は一旦片付けて、出かける支度をすぐに始めた。今度は母が言ってきた。

「夕方に出かけるんじゃなかったの?」

「ちょっと変更になっちゃって、今日一日中外に居そう」

「あら、まあたまにはオフでもいいわよ、行ってらしゃい。でも、今日はなんか予報が雨だよ」

「え、雨?」

 お天気が面倒くさい。あっちこっちで雨具を手にするのは煩わしかった。

「昼からだったかしら、七十%だとか」

「じゃレインコートを鞄に入れといてー」

 下林は服を選びながら母にお願いをしていた。今日は動きやすい服装が良いね。上は黒のTシャツが良いかな。ズボンはいつもので済ませてっと。

「傘で十分だよ?」

「今日傘は邪魔くさい」

「レインコートの方が畳むの面倒くさいわよ」

「あー、じゃー折り畳み傘にしてー、もう時間がないー」

 鞄にメモと部活動中に発行したり、もらったりした書類もファイルから取り出して投げ込んだ。毎月の月報と大会の報告誌がメインだが、どう使うか分からないからとりあえず持っておくことにした。

「さっき余裕ぶってて突然どうしたの」

「いや、だから予定が変更したの」

「あ、そう」

 突き放した言い方が鼻についた。かと言って口論にまで発展させるのもなんだかバカバカしい。

「そう!」

 同じトーンで返して流すことにした。急いで家を出ると財布を忘れたのに気づいて結局乗りたい電車の一本後になってしまって時間が遅れた。


 石田の方はと言うと、朝から先輩の突然のメールに驚いたが、内容が面会だと見て大体その内容が読めた。急いで兄を呼び起こした。石田の兄も現在夏休み中である。

「おはよう」

 普通挨拶はしないけど、話の切り口に使ってみた。

「お」

 起きるやだるそうにレポートか何かを見ている。朝早くから夏休みの課題に追われていた。

「昔の件だけどさ、もっと詳しく教えてくれない?」

「昔の件って、田中の件か?」

 受け答える時も視線はレポート用紙に落としたままだった。そのせいか、まともに相手にされていない気分がした。

「そう。先輩が話を聞きたいって言ってきた」

「なぜいきなりそんな昔のことを掘り返すん?」

「よく分からないけど、一人だけじゃなくって、三、四人が知りたがってるみたい」

「だから、それは大人の事情でもみ消されて、結局委員会は解散したの。それだけ」

「それはいつも聞いてる事じゃない、もっと他に知ってる事とかさ」

「他に?それは知らないや」

「じゃホームページの件は?」

 兄は突然苦笑いをして睨んできた。石田はつい腰が引けて一歩下がった。

「それは自分に聞け」

 それ以上の事情は本当に知らないように見えて石田は諦めて部屋を出た。でもこれくらい喋っておけばなんとなく納得してくれるだろう。所詮興味半分に違いない。


【08:00~】

 大工屋は家でずっと電話を気にしていた。あれから全く返事が来ないではないか。これじゃ出発の時間すら決まらない。そうだ。さっき一人で行くのかと聞かれて気づいたが、関にも連絡しておいた方が後腐れがない。そう思って通話ボタンを押した。

「はい、関です」

「おはよう」

「おはよう」

 何度か会った事があるし、会話も結構していたのに、電話口になるとお互い遠慮がちな口調になっている。

「昨日岡崎に今日の約束の件を伝えたんだけどな」

「うん、そうなの?連絡ありがとう。それがどうかした?」

 お礼を言われた時に話の流れでただのお世辞だけだとは分かっていながらなんだか嬉しかった。

「約束の前に渡したい物があるって言い出して、今日来いと言われたからさ」

「そうなの?じゃ今はもう向かってるってこと?」

 彼女にしてはびっくりしすぎたように聞こえる。そんなに変な事を言ってるのかな。

「それが、一人だけじゃちょっと怖そうで誰かと一緒にと……」

 その理由をもうちょっと綺麗に仕立て上げたかったけど、つい本音が出てしまった。本意なら『一応彼女だからだと思って』とでも言っておきたかった。

「あたしは今日空きだけど?一緒に行こうか?」

 今度はいつもの落ち着きを取り戻した。声に安心感を感じた。

「ありがとう、助かったー」

 緊張がちょっと解けたのか、ため息まで出てしまった。向こうからちょっとした笑い声が聞こえてやるせなかった。

「何時に行くつもりなの?」

 それが問題なのだ。下林に連絡したせいで今伝えることができなくなってしまった。まさか今まで態度が決まらないとはあれは余計な連絡だった。

「うーん」

 無駄にも程がある時間稼ぎをしておきながら次の言葉が頭から出てこない。

「十時とかはどう?」

 向こうから言ってきた。助け船だ。ありがたかった。あいつー。

「うん、それで良いと思う」

「じゃ十時にホスピスでね」

「了解。本当にありがとう」

 途中から主導権が変わっていた気がしたけど、下林のせいにした。電話を切った後スマホに向かって舌打ちした。


 今日も夏季の補講が一杯詰まっていた。生徒の理解力があまりにも低いのか、自分の授業が下手なのか、授業時数内で全ての内容を扱い切れず、単位認定のための必須補講を強いられた。先の学期末試験の範囲は普通なら中間試験で扱う物に遅れてしまった。以前に使っていた問題をそのままコピペして教務部に提出した。どうせその内容が新作じゃない事など分かるはずも無かった。シラサワはもう温度が上がってきたアスファルトの上を歩いていた。口はそう呟いていた。『あの老い狸』と。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ