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死に至る罪  作者: 猫蓮
暴食編
22/61

踊り明かす

 夜が更けた頃、尿意を感じて目が覚めた。眠気眼を擦りながら側屋に向かった。すっきりしたと同時に目が冴えた。うーん、どうしよう。このまま戻ってもすぐには眠れそうにない。


「…………よし」


 母屋に向かう足を止めて、体の向きを変える。ふんふんふ~んと鼻歌交じりに放牧地の中に入る。解放された場所に立って、思いっ切り体を伸ばす。

 目を開けると上空に大きな丸い月が浮かんでいる。今日もまた、月明かりで地上が照らされている。けれど、星は見えない。淡い輝きの星は強い月光にかき消されてしまうからだ。新鮮な空気をめいいっぱい吸って、溜息混じりの息を吐く。


「残念……」


 グラ領に入ってからは夜外に出ることができなかった。加えて、雨が降っていたり満月だったり。なんともタイミングが悪い。満天の星を見たかった。遮る物一つなく、余計な人口照明もないこの地では、それはそれは神秘的な光景であるだろう。

 冷たい風が吹く。草を巻き上げ髪を靡かせる。


 体が震える。寒い。

 うう、夜はまだまだ冷えるみたいだ。冷えた体を温めるように自分の腕を擦る。うん、戻ろう。


 母屋に戻る途中、羊舎の方から小さな物音が聞こえた。あれ、扉が開いている。戸締りを忘れたのだろうか。

 不用心、と思ったけどわたしたちが来たことも少なからず関係しているのだろう。不測の事態はどうしても心が乱されるから。


 気づいたからにはそのままにしておくのは気が引ける。扉を閉じておこうと近づく。近づくにつれ音が大きくなる。

 うん? 犬が吠える音?

 恐らくベルの相棒の牧羊犬なのだろう。名前は確か――


「カニスさん?」


 牧羊犬は牧場の見張りを担う大切な存在だ。羊の群れの誘導や外敵から羊たちを守る賢く強かな犬種。

 だから不用意に吠えたりはしないはず。それもこんな夜更けに。考えられる可能性として、羊舎に何らか危険が迫ってる。


 急いで羊舎に向かう。息を殺して扉の隙間から中を覗き見る。窓から月光が差し込み灯りのない建物内を照らす。カニスの吠え声の合間にぐちゃ、ぐちゅ、と水を含んだ音が聞こえる。


 カニスが吠えている先を凝視すると暗闇にナニカが蠢いている。そこは月明かりが届かない場所だった。少し前のめりになりながら目を凝らしているとその方からナニカが飛んできた。それは真っ直ぐカニスに向かい、当たる。キャン、と鳴いてカニスが吹き飛ぶ。


「カニスさん!?」


 思わず大声を出して羊舎に飛び込んだ。カニスの元に駆け寄ると目を疑った。驚きのあまり声も出なかった。

 カニスの傍らには羊の頭が落ちていた。強引に引き千切られたような跡があり、絡まった羊毛が血に染まっている。よろめきながら立ち上がったカニスは再びその方に向かって吠える。目を向けると暗闇の中に光る二つの眼が浮かんでいた。それは広場で戦慄していた男性から引き受けた記憶と同じものだった。


「人喰い、狼……?」


 町を騒がせた、グラ領で恐れられている存在。人を食べる狼さんの正体は若い男性だと思っていた。あの男性の記憶から動物の狼ではないことは判明している。ではなぜ今、彼は羊を食べているのか。分からない。以前として、姿が見えない人物から声は聞こえてこない。


 羊は守るべき存在だ。正しき道に導き、世話し守らなければならない。穢れのない子羊の血でなければ罪は赦されない。このままでは主に捧ぐ贄になりえない。それは、それだけはいけない。


「姿を見せなさい!」


 近くの壁に立て掛けてあった杖を手に取る。一端が湾曲した細長い直棒の杖でクルークと呼ばれる物。ベルと初めて会った時に彼女が持っていた杖だ。カァンっと地面を強く叩く。暗闇を睨め付けて威喝する。

 まだ見ぬ相手に憤りを感じていた。血が沸騰したように全身に熱を帯びる。


 びちゃりと音がした。暗闇に蠢くそれの動く気配。足先から月明かりによって姿が鮮明に映し出されていく。その首には冠が刻まれていた。光る眼は得物に狙いを定めたような捕食者の目をしていた。その眼から視線を外さず歯を食いしばる。それの全身が露わになった。


「ベルさん……!」


 口の周りを赤く染めた彼女はニィっと笑うように口を歪めた。その折に鋭く尖った八重歯がきらりと光る。


 真っ赤に染まった手。

 尖り伸びた爪から血が滴り落ちる。

 黄ばんだ貫頭衣にも日焼けして黒くなった肌にも血が飛び跳ねている。

 無造作に口元を拭い、顔の下半分が赤に染まった。


 動物特有の匂いが篭った羊舎に血生臭い匂いが混ざり悪臭に変わる。不快臭が鼻を刺し堪らず顔を顰める。


 カニスがベルに向かって激しく吠える。歯をむき出しにして威嚇している様子から、カニスは目の前の人間がもう相棒(ベル)ではないと判断していた。やっぱり賢い犬だ。


 ベルはもう、正気を失っている。これが暴食の力なのか。

 人喰い狼の正体はベルだった。けれど、今の彼女にはベルの意識はない。ベルの自我は消え失せ、暴食の化身に成り下がった。


 きっと彼女は無意識下で欲情を抑えていたのだろう。羊飼いとして忙しくも充実した生活は考える暇を奪っていたのかもしれない。

 何にせよ、意識外に追いやった欲情が睡眠障害として現れた。ベルの意識がなくなると抑止力が取り外されて溜まりに溜まった欲が爆発した。慎ましく節制した生活により、一層凶悪な(カタチ)になってしまったのだろう。


 これらはすべて仮定に過ぎない。けれど、それなら彼女に罪の意識がない辻褄が合う。ベルに食欲がないのも、狼が夜にしか現れないのも。


「ベルさん、あなたの代わりにわたしがいなくなった一匹を見つけます。必ず見つける、それで探し続ける。わたしが光の下へあなたを導く」


 もう一度、クルークで強く地面を叩く。それが合図となってベルが獣のように吠えて、襲いかかる。

 右爪を振り被る単調な攻撃。それほど速さは無い。危なげなく躱して反撃にクルークを振るう。先端の部分を両手で持って、鉤の部分を頭に打ち付ける。脳天直撃と共にクルークは壊れる。

 ベルは少しよろめいただけですぐに体勢を立て直す。わたしの方に振り返り、だがすぐに足元に視線を落とした。ベルの足にカニスが咬みついているからだ。蹴るように足を振り払っても離れないカニスに意識が逸れている隙に距離を詰めて殴る。

 拳はベルの腹にめり込む。血混じりの唾液を吐きながら勢い良く後方に吹き飛ぶ。轟音を立てて壁に激突した。足元に居るカニスと共に壁を睨む。


 憤怒の力を込めた一撃だ。直撃すれば無事では済まない。死んではない、よね? 死んでないであってほしい。あわよくば気を失っていたらいいのだけど。

 埃が舞っていてベルの姿は見えない。近づきたいところだけど動かず警戒する。

 目の前にナニカが迫る。咄嗟に顔の前で手をクロスし、後ろに跳躍する。強く蹴ったせいで距離が伸びて壁にぶつかる。


「っ、ぅがああぁぁ!」


 背中の衝撃が腕に伝わり、共鳴するように激痛が理性を蝕む。ガードした腕は大きく引き裂かれていた。痛い痛い痛い。痛みで意識が朦朧とする。


 薄く開いた視界にベルの姿が映る。先程わたしがいた場所に彼女は立っていた。あの一撃では気絶させることはできなかったみたいだ。カニスが再びベルの足に咬みつこうと跳び掛かるが、その前に足蹴にされて大きく吹き飛ぶ。


「カ、ニス……さっ」


 叫ぶように発した声は呻き声に交じりの掠れた声を漏らすだけ終わる。


 ベルは倒れてピクリともしないカニスに歩み寄る。首を掴み上げて、もう片方の手でおしりを掴む。大口を開けて、腹に咬み付いた。首を捻って咬み千切り、咥えたモノを吐き捨てる。


「やぁ……。や、め……っ」


 ぐちゃぐちゃと音を立てて齧り付く。空いた隙間からボトリとナニカが地面に落ちる。赤をまとう物体。


「ダメ。…………ダメーーーっ!!」


 食べるのに夢中になっているベルに向かう。不思議と痛みは感じなくなっていた。わたしに気づいたベルは手に持ってるモノを投げ捨てて、対抗するように襲い掛かる。


 本能で行動しているせいか攻撃手段は同じだった。上体を逸らして躱し、体を(ひね)るようにして拳を右肩にぶつける。ベルの上体が(ねじ)れて無防備に差し出された左腕を掴んで握り潰す。腕が(ひし)げて肌の色が変わる。痛苦な叫び声を上げるベルの足を引っ掛けて押し倒す。


 仰向けになった彼女の上に陣取って無傷の右手を繋いで床に圧しつける。見下ろす形で前のめりになったところで背中に衝撃が走り、慌てて手を地面につける。潰した左手を鞭のようにしならせて攻撃された。

 ベルとの距離が近くなる。不味いと思った時にはすでに遅かった。ベルは首を伸ばして眼前に晒されたわたしの首に咬みつく。

 痛覚が戻っており、あまりの痛さに視界が真っ白になった。息が詰まる。ジュルジュルと音を立てて血を吸う。意識が朦朧とし、力も入らなくなってベルの上に伸し掛かる。視界が霞む。


 それでも、と必死に意識を繋ぎとめる。繋いだ手に存在を感じさせるように強く握り、もう片方の手をベルの頭に回す。抱き締めるようにして、そして手で目を覆い隠す。


「大、丈夫っ。ベルさんは、一人じゃ、ありません」

「ウウウ、ガゥルル」

「はい。わたしっは、ここに、ぃます。迎ぇ、に、来ました」

「ゥ、ぁグ。…………ぅああ!」

「おかえりなさい、ベルさん。一緒に、かえ……ぃま」

「ぁ、え? な、ぁ、っあ、カン、ナギ? …………っカンナギぃ!!」


 ベルが意識を取り戻して、首の圧迫感がなくなる。だけど、あれ。どうしてだろう。目が開かない。すごく、眠たい。起き上がって彼女の顔が見たいのに、笑いかけて安心させてあげたいのに、力が入らない。


 ベルがわたしの名前を呼ぶ声を最後に意識を失った。

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