牧場の羊
町の封鎖が解かれたのは、太陽が真上を過ぎた頃だった。昼食中にその伝を聞き、食事を終えるとすぐに町を出た。
思ったより早かった。今日は町から動けないと覚悟もしてました。いや、とてもとても助かりました。レビィの苛立ちが大変な事になってましたから。食事中は一言も発せませんでした。
わたし、空気を読める人なのでその辺はきちんと弁えてます。だからエクエスはそんなにチラチラ視線を向けなくても大丈夫ですよ。心配しなくても分かっていると鷹揚と頷くとさらに不安を募らせた。なぜ。
封鎖解除が早かったのは被害になったのは騒ぎになっていた広場の一か所だけだったからだ。自警団はこれから領内全域に警戒注意の呼びかけをするために西へ東へ駆けるのだとか。
一番は離れた村は速い馬が休みなく常に全速力で駆けて一日半かかるそうだ。現実的に言うと早くて三日。こればかりは広大すぎる領地が仇となっている。
被害に遭われた四人家族は全員お亡くなりになったとのこと。宿に戻る際に少し見えたが暴れ散らかり荒れた様子の室内は大量に飛び散った血で彩られていた。
聞こえた話では今回もバラバラにされていて足りないそうだ。
「これ、牧場の柵ですよね。入口はどこでしょう?」
町を出て小高い丘を越えた先に木の柵があった。端は見えない。辺りにはわたしたちの他に人影は見当たらないから聞くに聞けない。
柵を挟んだ向こう側、遠くの方に白い塊が見える。あ、動いた。恐らく羊で間違いないだろう。実物は見たことないので教わった特徴を元に判断しています。まあ、羊飼いの牧場に羊がいないはずがない。
羊が推定のびのびと動き回っているから目的の牧場で間違いないだろう。町の近くにはベルの牧場しかないって聞いたからね。しかし、ここから建物は見当たらない。
「柵に沿って歩けば辿り着くわ」
「そうですね」
レビィの提案に従って歩き出す。が、すぐに足を止めて振り返る。レビィと向き合う形になった。
「こちらからでしょう?」
「何言ってるの。こっちよ」
わたしは右、レビィが左に同時に歩き出したからだ。意見が分かれる。しょうもない言い争いだがお互い譲らず意固地になっていた。護衛の二人は我関せず、ではなくミレスは目で従えと睨んでいる。
もう、右が善しいのがどうして分からないのでしょう。
「なにだ?」
一歩も譲らずいがみ合っていると別の声が落ちた。声は牧場の方から聞こえた。振り向くと黄ばんだ貫頭衣を着て杖を持った少女が柵の中からこちらを見ていた。小麦のような橙色の瞳を大きく開いて小首を傾げる。動きに合わせて短く刈り上げられた髪が小さく揺れた。
彼女の首には冠の刻印が刻まれていた。給仕の方が言っていたベルとは彼女のことだろうか。少女と言うより少年と形容した方が適切な容姿をしている。
「あなたが暴食の末裔ですね。初めまして、わたくしはレビィと言います。あなたに用があって来ました」
「わだすにか? ちーっと待ってくんろ。今そっちさ行くだ」
「お手間を取らせるわけにはいきません。どちらに歩けば母屋に着けるか教えて頂けませんか?」
「母屋は反対にあるだ」
体を逸らして真後ろを指さす。どうやらわたしたちは建物とは正反対のところに着いてしまったようだ。通りに沿って歩けば着くと教えてもらったのに。
後から聞いた話だと、そもそも出る門が違っていたとのことだ。どうりで牛車を引いて納品しに来ると言っていた割には道があまり整備されてないと感じたわけだ。一応道はあるが草は生え、段差もあり、何かおかしいなと思ったのだ。
ベルの提案で非常に不躾であるが柵を跨いで、牧場内を突っ切ることになった。初めの内は断っていたけれど、牧場主自身が許可しているのと時間の関係で不承不承従った。最短距離にもかかわらず母屋まで随分時間が掛かった。それほど牧場が広いと言うことだ。
途中、羊が寄って来たので触れたり愛でたりと道草を食っていたのも要因の一つだったりする。モフモフしていて可愛かった。
「わだすはベルって言うだ。今はわだすとカニス――牧羊犬な――の二人で牧場を管理してるだ」
「わたしはカンナギと申します。こちらはエクエスさんとミレスさんです」
「よろしくだ。んでわだすに用ってなにだか? 肉? 皮? 毛? 羊なら数はいるけど、牛と鶏は数が少ねーだ」
「牧場に用はありません。正しくは英雄の末裔であるあなたに、と言うのが適切でしょう」
「英雄の、末裔?」
初めて聞くように単語を繰り返す。目を瞬かせナニソレと首を傾げる。サニーと同じ反応だ。かく言うわたしもレビィに言われるまで知らなかったけど。英雄譚ってそこまで広まっていないのではないかと疑念が生まれる。
「ベルさんの首に刻まれている刻印が末裔である証拠になります」
「首になにか付いてるだか?」
場所を指で指し示す。正面にあるから鏡越しでも間違いなく見えると思うけど、ベルは自分の首を掻いて眉を顰める。肉体に刻まれてるから触れても表面上に違和感はないから触るだけでは分からない。
「鏡で自分のお顔を見たことありませんか?」
「鏡なんてモンはここにはないだ」
水の反射とか……もなさそうだ。本当に知らない様子だ。誰にも教えてもらわなかったのだろうか。家族とか町の誰かでも。刻まれたのがここ最近のことだったりする? うーん、こんなことなら町でもっとベルのこと聞いておけば良かった。今では後の祭りだけど。
「えっと、頭の中におかしな記憶とか流れてきませんか?」
「ないだ」
「変なことが起きたりは……」
「変ってどんなだ?」
惨敗。レビィと顔を見合わせる。レビィは困惑して眉尻を下げている。きっとわたしも似たような表情になっていると思う。
ベルは暴食の末裔で間違いないと思うけど本人にその意識は皆無。苦しんでいる様子も力に振り回されている様子も見られない。
「あ、日が暮れちまうだ。羊さ戻しに行かねえと。なにも無いとこだけど、ゆっくりしていくだ」
ベルが話の途中で離席した。止める暇どころか声を掛ける暇もなく、言うだけ言って駈け出した。まあ、最初から止めるつもりはないけど。それより優先すべき事柄が発生したから緊急会議だ。
「レビィはどう思います?」
「刻印があるので末裔であることは確かです。どちらにせよあなたが力を使えば分かることです」
「待ってください。無関係な人に使うことは出来ません。少し様子を見ませんか?」
「それも……そうですね。すみません。少し急いてしまいました」
レビィは小さく息を吐く。その顔に元気はなかった。疲れが溜まって余裕がなくなっているんだろう。そうだ、レヴィは王女なんだ。移動続きで疲れも溜まっているのだろう。いくら領王から許可を得たとしても本来のお役目もあるだろうし、焦りが生じるのは無理もない。
しばらくしてベルが戻ってきた。滞在させてほしいとお願いをすると「好きなだけいるといいだ」と快諾してくれた。
「ふわぁ~あ、わだすはもう寝っからここにあるの好きに使っていいだ」
「ご飯は食べないのですか?」
「腹減ってねえし大丈夫だ」
「そう、ですか」
夜の帳が下りてすぐにベルは欠伸を漏らした。目を擦ってとても眠たそうにしている。羊飼いは朝が早いと聞いたことがある。力仕事もあるだろうしお疲れなのだろう。あるいはすでに羊飼いとして早寝早起きの生活が習慣ついているのかもしれない。
いや、羊飼いに関わらず農民は太陽とともに活動すると聞く。思えばグラ領では夜間に灯りが付いている家が少ない。夜は寝ている時間帯だから外に出歩くことはおろか、夜空を見ることもないのだろう。宿屋の店主の言葉の意味をようやく理解した。
ベルを見送ってから台所にお邪魔して置いてある食材を適当に使わせてもらった。さすが、牧場というだけあってお肉やミルク、卵が新鮮だった。
一つ予想外だったのがエクエスが料理できるということだ。
「エクエスさん、お料理の経験があるのですか?」
「野営の時なんかは自分たちで用意しなくてはいけませんので自ずと覚えました。と言っても、簡単なものしか作れませんが」
「それでも凄いです」
というわけでエクエスと一緒に料理をした。野営の話を聞いたら遠い目で一言「大変でした」と呟いたのでそれ以上は聞かないでいた。団長に振り回された苦い思い出みたい。
牧場の構造はベルに聞いた――構造図を渡された――ので各自部屋を使わせてもらって床に就く。今日はグラ領に習って早く寝る。明日はベルに着いて回る予定なので頑張って早起きするつもりだ。
親交を深めるためというのもあるけど、一番は羊飼いの仕事に興味があるからだ。間近で見られるまたとない機会、これを逃す手はない。
……興奮してなかなか寝付けなかった。




