48:ラウラの過去(3)――戦争の兆し
「ねえ、お母様。わたしはここで一体何を成せばいいのでしょうか?」
「ここに座って、見ているだけでいいのよ」
少し離れた位置では、人々が大きい鍋を攪拌し料理を作っている。そのさらに先の方にはボロボロの衣類をまとった人たちが、それを得ようと行列を作っていた。
「それだけですか?他の方はたまに手を振ったりしていますが」
「あなたは貴族なのよ。そこの恥知らずのようなことをしてはいけないし、下賤で汚い者たちと関わってはいけないわ」
ラウラは母親のこういった考えが大嫌いであった。父親のように利用するだけの関係もいいとは思わず、どっちつかずの自分に嫌気がさしていた。
ただの集まりならば抜け出すこともできたが、間違っても貧民を寄せ付けまいと、周りは護衛で固められている。どうあがいてもラウラは、この場から動くことができなかった。
仕方なく行列をぼーっと眺めていると、前列の方に高く結んだ髪の毛が見えた。数人の子供たちと何か話している。イデアかもしれないと思い、ラウラはしばらく見つめていると、やがて顔をあげた。
なぜか前に着ていた服よりもボロボロで、顔が煤けている。はるか向こうにいるラウラのことを認識したのか、困ったような笑顔を浮かべながら、手を振る。それにつられたのか、同院らしき子たちもこちらに大きく手を振った。
母親の言うことなど無視して振り返そうかと思ったが、次の発言に顔を強張らせる。
「まあ、なんて汚い子たち。食事の質も悪いし、なんだか臭うわ」
眉間にしわを寄せると、鼻を摘まむ。すぐに三つ編みのメイドが横からハンカチを差し出し、それを受け取る。ラウラは呆れすぎて、かえって無表情になった。
「……お母様。以前孤児院では子供たちの笑顔を褒めていましたよね?なぜ今は侮蔑するんでしょうか?」
「だって、汚いものは汚いわよね?」
全く話が通じなかった。これ以上問答しても無駄だとラウラは終わらせることにした。
「そうですか」
「なあに?やだ、その表情あの人にそっくり。吐き気がしてくる」
あの人とはラウラの父親のことである。こっちの方が見ていられないと、ラウラは顔を逸らした。
それからラウラはイデアと何度も孤児院で会うことになった。この時までは苦労こそあるものの、唯々楽しかった。イデアに連れられ、いろんな店や建物を見て回ったり。時間が許すときは、少し離れた場所にある花畑などにも遊びに出かけた。様々な境遇、出身の子供たちとも引き合わせてもらった。
すべてがラウラにとって、一生の宝物になった日々だった。
状況が一変したのは、は街全体がきな臭い雰囲気に包まれた時である。武装した兵たちが増え、屋敷内を出入りするようになりラウラは父親に呼び出された。
「近々周辺国家と手を組んで、エルフの里を攻める」
父親はラウラの顔を見ることはせず、ラウラに背を向け行き交う人々を窓から見ていた。
「ええ、存じております」
「おまえには戦争を手伝ってもらう」
これは予想の範疇であった。街中で下賤な奴らが独占している、魔法や物資を奪えと叫んでいるのを耳にしていたからだ。
父親は種族に対する差別こそはしない。あくまでその者に価値があるか、ないかで判断する。しかし、国中の人たちと同じく、彼らが持つものに魅了されている。
「何かの交渉事でしょうか?」
「時が来た時に詳しく教えよう。その準備のため、外部の人間が屋敷にしばらく滞在する」
父親はやけに上機嫌だった。珍しいことであったが、指摘することはしない。
「決して追い払うことのないように。たとえあの女に、何を言われようともだ」
「……承知いたしました。お父様」
「間違えましたね」
家庭教師の男は嬉しそうにニヤリと笑うと、懐から小型の鞭を取り出した。事前に腕まくりするように命じられていた、ラウラの腕に勢いよく振り下ろす。
「……っ……」
反応をすればするほど、この男が喜ぶのは分かっていた。だから、ラウラは出来るだけ無表情を装う。反抗的な目も、見下すよう態度は決して取らない。
「もう一度、最初から解きなおしなさい」
「……はい」
暴行に慣れているのか、傷跡は残らず、すぐに消えてしまう。できるだけ怒った表情にならないよう、再び無表情さを取り繕うと、指示に従った。
「もう少ししたら、戦争が起きます。いえ、聖戦でしょうか。ようやくあの悪魔共から取り返す時が来たのですから……ハァ……ハハ…アハハハハ!」
言っていることは時勢に合ったものであるが、視線の先はラウラの傷ついた腕に向けられていた。
「私は内地にて安全に待機していますが、くれぐれもラウラ様はお気をつけて。戦場のヘマはこの程度ではすみません。実に素晴らしい……ああ……この腕が取れてしまったら大変ですから」
この家庭教師の性癖が歪んでいるのは、父親どころか多くの人が知ることである。しかしそれでも雇っているのは、教師としてかなり優秀だからだ。事実ラウラの知識の大変がこの男から得たものである。
何度も暴力を理由に訴えたが、見えるところに傷を残すことはしない故に見逃された。それに、父親は常にラウラに対し、全て自己解決できる能力を期待しているである。ラウラはなんとかこの男を解雇させるだけの状況を作ろうとしていたが、未だに何もできずにいた。
おそらく本格的に立ち向かうのは戦後になるだろう。それまではただ耐えるしかない。ラウラは歯を食いしばると、問題を正解させるために頭を働かせた。




