32.神の駒は祈らない
最初に見えたのは窓の外を横切る黒い羽だった。
俺は足を止めた。
廊下の壁に長い影が滑っていく。
鳥にしては大きい。
そう思って顔を上げたときにはもうそいつは窓の向こうにいた。
黒い翼を広げた女。硝子越しに目が合った気がした。
女はゆっくりと微笑んだ。
エルミナ「……よかった」
聞こえるはずのない声が聞こえた気がした。
違う。女が窓へ手をかけていた。
エルミナ「お話のできる方がいらっしゃいましたねぇ」
俺は走った。
自分でもなんで走ったのか分からねえ。
まだ何もされてない。剣だって向けられてない。
ただ目が合っただけだ。
なのに。あの女に捕まったら駄目だと思った。
山賊「くそっ……なんなんだよ、今度は……!」
足がもつれる。
廊下の絨毯に靴先を引っかけて転びかけた。
壁に手をつく。
その手が赤い跡に重なった。
誰かがここに触れていた跡だった。
俺と同じように。倒れないよう壁へ手をついた跡。
その下に黒い服の男が座り込んでいた。
顔に目隠し。俯いたまま動かない。
俺は息を呑んだ。見たことがある。
あの二人の前へ立ったやつだ。
確か、誰かを後ろへ下がらせていた。
俺は――見ていた。
エルミナ「そちらの方は、もうお返事ができませんので」
後ろから声がし振り返る。
女が廊下へ入ってきていた。走っていない。
長い黒翼を静かに畳んでゆっくり歩いてくる。
エルミナ「代わりに、あなたへ伺ってもよろしいですか?」
俺は壁から手を離した。掌を見る。
自分のものじゃない血がついていた。
山賊「お、俺は……」
エルミナ「こちらで、何があったのでしょう」
山賊「知らねえ……いや、知らねえわけじゃ……!」
何を言ってんだ俺。知らないわけがない。
見ていた。男が斬られるところも女が倒れるところも。
倒れた仲間を庇ったやつがそのまま動かなくなるところも。全部見ていた。
エルミナが床へ膝をついた。
俺を見ないまま黒服の男の襟を整える。
胸元へ落ちていた目隠しの端をそっと直した。
その仕草だけなら眠っている人の身支度を手伝っているみたいだった。
エルミナ「……お疲れさまでした」
声が優しかった。その優しさが怖かった。
俺はまた走った。
曲がり角を二つ曲がった。階段を一つ上がった。
どこへ向かっているのか途中から分からなくなった。
こんなに広い城なんてまともに歩いたことがない。
最初に案内されたときはただすげえとしか思わなかった。
師匠が喜んでくれると思った。
広い部屋。柔らかそうな寝床。
毎晩宿を探さなくて済む。
帰ってきたらいつも同じ場所で休める。
それだけだった。
本当にそれだけだったんだ。
山賊「俺だって……わざとじゃねえんだよ……!」
誰に言ったのか自分でも分からなかった。
窓の外で黒い翼が動いた。
女が俺と並んで飛んでいた。
走っている俺を見ながら何も言わずに。
俺が速度を落とすと向こうも少し遅くなる。
速く走ると同じだけ速くなる。
追いつけないんじゃない。
こいつ...俺がどこへ行くか見てやがる。
山賊「ついてくんな……!」
エルミナ「お急ぎなのでしょう?」
窓一枚を隔てた向こうから穏やかな声が返ってきた。
エルミナ「でしたら、歩きながらでも構いませんよぉ」
山賊「俺が殺したんじゃねえ!俺は、そんなこと頼んでねえんだ!」
エルミナ「ええ。ではどなたが?」
山賊「銀色の髪の……二人……!」
エルミナの視線がわずかに変わった。
笑みはそのままだった。
エルミナ「ご一緒に、いらしたのですね」
山賊「違う……いや一緒には来たけど……俺は、こんなことになるなんて……!」
前方の窓が開いた。俺は足を止めた。
黒い羽が廊下へ滑り込む。
エルミナが行く手に立っていた。
エルミナ「……どこまで、知らなかったのでしょう」
逃げ道を探して左右を見る。
右には扉。左には下へ続く階段。
女は近づいてこない。待っている。
俺が何を答えるか。どっちへ逃げるか。
山賊「俺だって……知ってたら、こんなこと……!」
エルミナ「何を、ですか?」
山賊「ここが……あんたらの城だって……!」
言った瞬間。自分の声がひどく情けなく聞こえた。
エルミナが少しだけ首を傾げた。
エルミナ「……別の方のお城なら、よろしかったのですか?」
何も言えなくなった。違う。そんなつもりじゃない。
そう言いたかった。けど言えなかった。
最初の男が出てきたとき。
掃除の道具を持っていたあの男を見たとき。
俺はもう分かっていたはずだった。
ここには誰かがいる。誰かが暮らしている。
空っぽの城なんかじゃない。
それなのに俺は――。
山賊「……師匠の、役に……」
声が掠れた。
山賊「俺だって、一回くらい……師匠の役に立ちたかったんだよ……」
エルミナ「そうですかぁ」
女は俺の言葉を遮らなかった。最後まで聞いた。
聞いたうえで言った。
エルミナ「こちらの皆さんも、同じだったと思いますよ」
廊下の向こうへ視線を向ける。黒い服がまた一つ扉の前に倒れていた。
エルミナ「大切な方のお役に立ちたかったのでしょうねぇ」
喉が詰まった。俺だって止めたかった。
本当だ。あんなふうに殺す必要なんかないって。
もうやめろって。言おうとは思ったんだ。
……思っただけだ。
俺は階段へ飛び込んだ。
後ろから追いかけてくる足音がした。
ゆっくりした音だった。俺は走っているのに。
距離が開かない。
エルミナ「そのお師匠様は、どちらに?」
答えなかった。答えたら師匠のところへ来る。
師匠を巻き込みたくない。そう思った。
それは嘘じゃなかった。
でも師匠に知られたくなかった。
その気持ちも確かにあった。
この城をどうやって手に入れたのか。
俺が何を見ていたのか。何も止めなかったことを。
全部。
山賊「……俺だって、止めてえよ……」
階段の下へ足を滑らせるように走る。
山賊「止めてえんだよ……こんなの……!」
後ろで女が静かに言った。
エルミナ「でしたら、止めるためのお話をいたしましょう」
優しい声だった。どこまでも優しい声だった。
エルミナ「あなたが、もう逃げなくてもよくなるまで」
ヴァルアスが角を曲がるとレイが立っていた。
剣を肩へ載せもう片方の手で壁に掛けられていた絵を直している。
傾いていた額縁を水平に戻すとこちらへ顔を向けた。
レイ「あ。いた」
ヴァルアス「……人違いではないか?」
レイ「まだ何も言ってないけど」
ヴァルアスは踵を返した。その先にラザルドがいた。
ラザルド「おや。奇遇だねぇ」
ヴァルアス「奇遇であるものか!挟んでおるではないか!」
ラザルド「ああ、そう見える?」
ヴァルアスは窓を見た。大きな窓だった。
外へ出られる。
そう思って一歩近づいたところで窓の向こうに牙が並んだ。
巨大な口が、にい、と開く。
その横からガングレリが顔を覗かせた。
ガングレリ「いらっしゃいませぇ。お帰りの出口はこちらでぇす」
ヴァルアス「どこへ帰されるのだその出口は!」
レイ「選べるだけ親切じゃない?」
ヴァルアス「どれも終わっておるだろうが!」
ガングレリが窓から身体を滑り込ませる。
三方を塞がれた。
ヴァルアスはゆっくり両手を上げた。
ヴァルアス「……話し合おう」
ラザルド「うん。そのために止まってもらったんだよ」
レイはガングレリの方へ顔を向けた。
レイ「ほら。頑張って。シェンリィ今ちゃんと仕事してるんだから」
ガングレリ「俺ちゃんも今めちゃくちゃ仕事してるんですけどぉ?」
レイ「もうちょっと格好いいところ見せたら?帰ってきたら褒めてもらえるかもよ」
ガングレリ「別に俺ちゃん、そういうために働いてるわけじゃないしぃ?」
レイ「じゃあ手抜いてたって伝えとくね」
ガングレリ「皇帝ちゃん。今すぐ全部喋ろっか」
巨大な口がヴァルアスの背後でさらに開いた。
ヴァルアス「貴様らの色恋を我への圧力に使うな!」
ガングレリ「色恋ぃ?何言っちゃってんのぉ?変なこと言うお口から先に――」
ラザルド「はいはい。そのへんで」
穏やかな声が割って入った。
けれどラザルドは笑っていなかった。
ヴァルアスもそれに気づいた。喉が鳴る。
ヴァルアス「……我は、あの者たちに城の者を殺せなどと命じてはおらぬ」
レイ「そこは聞いてないよ」
ヴァルアス「事実だ!我が来たときにはもう……!」
そこで声が止まった。
三人とも何も言わない。続きを待っている。
ヴァルアス「……兵を少し貸しただけだ。警護のために。あの者たちなら、あるいは……と……」
ラザルド「勝てるかもしれないって?」
ヴァルアスは答えなかった。
ラザルド「君の兵は...帰ってこられるといいね」
空気が変わった。
さっきまでの軽口が遠くなる。
ラザルド「うちには、もう帰ってこない子達がいるんだ」
剣を握る指がわずかに動いた。
ラザルド「だから、おじさんたちも今日は、笑って帰れないんだよ」
ヴァルアスの視線が床へ落ちた。
ガングレリが背後から顔を近づける。
いつものふざけた声だった。
だからこそ目が笑っていないことが目立った。
ガングレリ「口で説明してくれる?それとも、俺ちゃんが思い出の中から探そっか」
ヴァルアス「……銀髪の、男女だ」
レイ「それは知ってる」
ヴァルアス「神の使いを名乗っておった。城の出入りにも何かをしている。詳しいことは我にも……」
ガングレリ「ほかには?」
ヴァルアスの唇が動き一度閉じる。
それから絞り出すように言った。
ヴァルアス「……ブレンダに、何かをした」
ラザルドの目が細くなる。
ヴァルアス「力を与えると。本人もそれを望んだ。我は止めたのだ。止めたのだが……」
レイ「何をしたの?」
ヴァルアス「分からぬ」
ヴァルアスは自分の掌を見た。あの腕を掴んだ。
引き留めた。それでも止められなかった。
ヴァルアス「ただ……あやつが笑っておった」
誰も口を挟まなかった。
ヴァルアス「苦しんでいたはずなのに……途中から、笑って……」
声が細くなった。
ヴァルアス「……我の知っている、笑い方ではなかった」
華蓮の掌がアダムの肩へ滑った。掴まない。
指先を添えてほんの少し引く。
その動きにつられた重心を足払いが奪った。
身体が傾く。そこへ膝が入る。
アダムが息を詰めた。後方からイヴの大剣が迫る。
華蓮はアダムの襟へ指をかけその身体を半歩だけ動かした。
イヴの刃が止まる。仲間を斬らないための一瞬。
華蓮「……そこ、止まるんや」
紫の光が弾けた。
蹴りが二人をまとめて押し飛ばす。
門前の敷石を削りながらアダムとイヴが後退した。
華蓮は呼吸を整える。目は離さない。
殴れば壊れる。蹴れば体勢は崩れる。
けれどその後が妙だった。
痛みで動きが鈍る瞬間がほとんどない。
片方の腕が上がらなければもう片方がそこを埋める。
踏ん張れなかった足の分まで隣の者が支える。
二人分の身体を一つの考えで動かしているようだった。
華蓮「仲ええんやねぇ」
返事はなかった。
アダムの顔が城へ向く。同時にイヴも。
何かを聞いたように。何かが届いたように。
アダム「……咎人が」
イヴ「城へ入られました」
華蓮の笑みが薄くなった。
華蓮「余所見する余裕、まだあったん?」
一歩で間合いを潰す。アダムが細剣を上げた。
その剣へ拳を打ち込む寸前、華蓮は肘を畳み身体を回した。
狙いを変えた蹴りが横からイヴへ迫る。
イヴは避けなかった。大剣を盾にして受ける。
亀裂の入った刃が軋む。
二人の身体が門の陰まで吹き飛んだ。
アダム「これ以上」
イヴ「ここで力を費やす必要はありません」
華蓮「……逃がしてもらえる思うて?」
アダム「あなたに勝つことは」
イヴ「我々の願いではありません」
二人「我々には、願いそのものがありませんので」
華蓮が地面を蹴った。
二人が立っていた場所へ紫の光が走る。
拳が触れるその寸前。門の陰が遠のいた。
そこに続いていたはずの敷石が見知らぬ廊下へつながる。
二人の身体がその奥へ滑り込んだ。
華蓮の指が外套を掠める。
黒い布だけが手の中に残った。
次の瞬間廊下は消えた。目の前にはいつもの門柱。
華蓮は短く息を吐いた。手の中の布を離す。
華蓮「……そういうことか」
二人が見ていた方へ目を向ける。
城の中。咎人が向かった場所。
華蓮「玄関で待っとったんは、帰ってくる全員と違うんやね」
紫の光が脚へ集まった。
華蓮「……ほんま、気ぃ悪い連中や」
華蓮は正門を抜け城内へ駆け込んだ。
俺は廊下の途中で足を止めていた。
壁際に小さな花瓶があった。
出かける前には花が挿してあった。
今は倒れている。
水が床へ広がり、折れた花がその中に沈んでいた。
その少し先に黒服の部下が倒れていた。
俺は膝をついた。肩へ触れる。
返事はなかった。さっきから何度目だ。
呼ぶ。触れる。息を確かめる。そして次へ進む。
それを繰り返している。
咎人「……モノ」
モノ「うん」
咎人「この先にも誰かいるかもしれない。道を空けてくれ」
モノは床へ手をついた。
崩れていた柱の一部が小さな立方体に分かれて浮く。
通れるだけの道が静かに開いた。
紫苑がその奥を確かめる。
少し離れた場所では仲間たちが部屋を開け一人ずつ呼びかけていた。
俺は部下の目隠しを直した。
帰ったら休ませるつもりだった。
土産を渡すつもりだった。温泉の話をして。
今度はお前たちの番だとそう言うつもりだった。
何一つ渡せていない。
俺だけが両手いっぱいに持って帰ってきた。
そのとき。
床に広がっていた水の表面が揺れた。
風はない。けれど廊下の先が歪んだ。
そこにあったはずの扉が横へ滑る。
知らない通路が一瞬だけ重なった。
そこから二人が歩いてきた。
銀色の髪。黒い衣服。
片方の剣は欠けもう片方の唇には血が残っている。
俺は立ち上がった。紫苑の手が刀へ伸びる。
咎人「紫苑。皆を下がらせろ」
紫苑「ですが、咎人様――」
咎人「まだ、捜していない部屋がある」
それだけで紫苑は言葉を止めた。
一度だけ深く頭を下げる。
紫苑「……承知いたしました」
俺は二人へ向き直り手袋を直す。
指先についた血は拭わなかった。
アダム「――咎人」
イヴ「粛清対象を確認しました」
俺はゆっくり口を開いた。
咎人「我が城へ踏み入り、我が仲間を殺したのは、貴様らか」
アダム「はい」
イヴ「我々が行いました」
即答だった。言い訳もない。誇る様子もない。
掃除を終えたと報告するような口調だった。
鎖が足元へ落ちた。
一本。もう一本。
石を打つ音だけが廊下に響いた。
咎人「……そうか」
声は思ったより静かだった。
怒鳴る気にならなかった。
怒鳴って何かが戻るわけじゃない。
相手を怯えさせたところで部下達は起きない。
俺は二人を見る。それから剣を見る。
咎人「名乗れ」
アダム「僕はアダム」
イヴ「私はイヴ」
二人が同時に剣を立てた。
二人「神造使徒。御意を遂げるため、神託に肉体を与えられたもの」
神。その言葉が廊下へ落ちた。俺は目を細めた。
咎人「……あれの差し金か」
アダム「我々は原初の一対」
イヴ「二つの肉体に一つの御意を宿すもの」
二人「我々に祈る必要はありません」
胸元の装飾が淡く光った。同じ形。同じ順番。
片方が明るくなるともう片方も同じだけ輝く。
アダム「何を正しいとするか」
イヴ「何を誤りと定めるか」
二人「その選択は我々が目を開くより先に終えられています」
俺は二人の顔を見る。よくできた顔だった。
傷つけば血も出る。息をする。言葉を話す。
けれど自分たちが口にしているものの重さを何一つ持っていない。
アダム「葬月の抹消」
イヴ「それが我々に許された唯一の生です」
咎人「……神の駒か」
アダム「駒に幸福は不要です」
イヴ「駒に明日は不要です」
二人「命令の果てに我々が残らずとも、御意が残ればそれでいい」
俺は短く息を吐いた。
背後で誰かが部屋の扉を開ける音がした。
部下の名を呼ぶ声。返事を待つわずかな沈黙。
二人はそれにも顔を向けなかった。
アダム「勇者の御前へ貴様を通すな」
イヴ「咎人という特異点を世界から取り除け」
二人「我々はその二つを直接仰せつかりました」
鎖を握る指に力が入った。
勇者……母さんがこの城にいるのか。
あの山賊もこいつらも。全部そこにつながっている。
けれど今聞き返す言葉は喉を通らなかった。
二人の向こうに倒れた黒服が見えた。
その手が廊下の奥へ伸びている。
誰かを逃がそうとしたのか。
誰かに知らせようとしたのか。
もう聞けない。
咎人「……我の前から、何人を奪った」
アダム「必要とされた数だけ」
イヴ「排除いたしました」
鎖の一端が床を砕いた。二人は動かない。
俺も動かなかった。
咎人「その言葉を覚えておけ」
声が廊下の奥まで通った。
咎人「神の命令であろうと、ここで流れた血は貴様らの刃から落ちたものだ」
アダムの胸元から光が広がる。イヴも同時に。
襟の下に隠れていた細い紋様が首元へ浮かび上がった。
一つずつ解けていく。
アダム「対象との接触をもって」
イヴ「我々に課された制限は解かれます」
傷口へ光が流れ込んだ。裂けた皮膚が閉じる。
歪んでいた指が戻る。
欠けた大剣へ白銀の輪郭が重なった。
砕けた刃を補うように硬い光が形を成す。
そのたびに二人の胸元に浮かんでいた紋様が一つずつ消えた。
蓄えていたものを使っている。俺を殺すために。
万全の状態で目の前へ立つために。
空気が重くなった。
床を走る光が二人の足元で一つの円になる。
アダム「その炎を知っています」
イヴ「その空間を知っています」
アダム「その力がどのように他者を圧倒するのか」
イヴ「その強さが何を信じて成り立っているのか」
二人「我々はそれを終わらせるために造られました」
部下達。スルト。
城へつながらなくなった紫苑の裂け目。
ばらばらだったものが嫌な形につながっていく。
二人の剣に同じ文字が浮かんだ。
二人「《葬月否定――アンチ・エクリプス》」
鎖が音を立てた。まだ消えてはいない。
二人が俺の手元を見る。
アダム「その鎖も」
イヴ「例外として残すつもりはありません」
俺は鎖を持ち上げた。輪が手の中で噛み合い一本の刃になる。節を持つ黒い剣。
廊下へ落ちた影の中からさらに鎖が伸びた。
二人の左右へ。天井へ。背後へ。
逃げ道を数えるように静かに広がっていく。
咎人「よかろう」
俺は二人へ剣を向けた。
咎人「貴様らだけに、責任を取らせるつもりはない」
二人の表情は変わらない。
それでいい。今は聞いていればいい。
咎人「駒を捨てれば、盤上で流れた血まで片づくと思っているのなら...その手を動かした者にも思い知らせてやろう」
鎖が止まり音がなくなる。
遠くで聞こえていた呼び声も足音も。
その一瞬だけひどく遠くに感じた。
咎人「神が貴様らの生まれる意味を定めたというのなら、我は貴様らがここへ来た結末を定めよう」
アダムが細剣を構える。イヴが大剣を掲げる。
二人の光が重なった。俺は笑わなかった。
いつもなら待ったかもしれない。
音楽が盛り上がる瞬間を。誰かがこちらを見る瞬間を。
今は何も要らなかった。
咎人「我らは、月を喰らう月蝕」
剣の節が一つだけ開いた。その奥から黒い鎖が覗く。
咎人「満ちた力を誇るがよい。授かった使命を掲げるがよい。そのすべてを携えて我が前に立て」
二人を見据える。
咎人「――喜べ。今宵、貴様らは月となった」
背後に帰ってこられなかった者たちがいる。
その先へは通さない。
咎人「貴様らを照らす神ごと、我が闇に沈めてやろう」




