プロローグ
プロローグ
黒都ヴェスペアの空に黒い染みが生まれた。
最初は雲の切れ間に浮かんだ小さな点だった。
それが、ざり、と震えた。
青空の一部が横へずれる。
雲が途切れ細かな黒い線が明滅する。
染みは瞬く間に広がり、街を覆う空を端から蝕んでいった。
通行人「……何だ、あれ」
露店の店主が顔を上げる。
屋根の修繕をしていた男が金槌を持つ手を止める。
黒いノイズの向こうから低い弦の音が響いた。
やがて空に一つの映像が浮かび上がる。
黒い玉座。その背後を這う幾重もの鎖。
左右には目元を黒布で覆った黒服の下僕達。
そして頬杖をついた俺。
咎人「――顔を上げよ、ヴェスペアの民よ」
⬆️咎人
我ながらいい声が出た。
咎人「我が名は咎人。葬月の頂に立ち、この黒都を統べる者である」
ゆっくりと脚を組み直す。
それに合わせて外套が揺れた。
風を担当する下僕が目隠しのまま僅かに指を動かしている。
実にいい仕事だ。
咎人「本日より、諸君らには特別に――」
紫苑「咎人様。始まっておりますか?」
⬆️紫苑
咎人「……始まってるよ」
紫苑「では、配信というものを始める準備は、いつ頃に」
咎人「これが配信」
紫苑「こちらが」
玉座の脇で紫苑が宙に浮く術式を見つめた。
幾重にも重なった紫の光輪。その中心には今まさに空へ映している俺の姿がある。
この特異魔法は景色と音を切り取り離れた空間へ映し出す。
今回は都市の空を丸ごと使っている。
せっかくの初配信だ。小さく始める理由がない。
咎人「今ここでやってることを街のみんなにも見せてるわけ。俺達が何食って、何して暮らしてるか、とか」
紫苑「なるほど……。城内の様子を外部へ公開なさるのですね」
咎人「そうそう」
紫苑「警備上、伏せておくべき情報などは」
咎人「まあ適当に。俺達最強だし」
紫苑「承知いたしました」
話が早い。
紫苑「では、皆様にも咎人様の素晴らしさをご覧いただけるよう、努めます」
こちらを見る目がふわりと細くなる。
真面目な話をしていたはずなのにもう嬉しそうだった。
下僕「失礼いたします。ご朝食をお持ちいたしました」
黒服の下僕が銀の盆を運んできた。
その目元も黒い布で覆われている。
幹部を除くうちの下僕達は全員この格好だ。
統一感は大事である。
下僕「本日はオムレツでございます」
咎人「お、いいね」
白い皿の上にふっくらした黄色いオムレツ。
その表面にはケチャップで猫の顔が描かれていた。
咎人「……可愛い」
下僕「ありがとうございます」
咎人「紫苑、これ撮って」
紫苑「はい」
俺は皿を持ち上げ術式の正面へ向けた。
咎人「見てくださーい、可愛いでしょ?最強の俺にはちょっと合わない感じがギャップ萌えって感じ?」
紫苑の指先が光輪に触れる。
黒都の空いっぱいに俺の顔が映った。
咎人「オムレツをね」
紫苑「……あ。はい」
いつものことなので俺も特に声は変えなかった。
映像がすっと下がり今度こそ猫の顔が空に浮かぶ。
街の上空を蝕む黒いノイズ。
その中央に巨大なケチャップの猫。
実に平和だ。
咎人「これ、うちの子が描いてくれたんですよ。ひげの感じとか上手じゃない?」
下僕「恐れ入ります」
咎人「今度、俺の顔も描ける?」
下僕「練習いたします」
紫苑「……その際は私の分にもお願いできますか」
下僕「かしこまりました」
咎人「紫苑、同じの食べたいの?」
紫苑「はい。……ですが、少々食べづらくなってしまいますね」
もう出来上がった時のことを考えて困った顔をしている。
その時だった。
神「……お前らさあ」
玉座の前に金色の光が灯った。
小さな亀裂が開きその向こうに頬杖をついた男の姿が現れる。
頭上に光輪。背後には無数の星が流れる白い空間。
この世界の神である。今日は随分と顔が険しい。
神「お前ら、まじで最強だからって好き勝手しすぎじゃね?」
俺は皿を持ったまま紫苑へ顔を向けた。
咎人「あれれ?僕達より弱い神様がなんか言ってるよ紫苑ちゃん」
紫苑「……ちゃん」
紫苑の指が止まった。
空の猫がまた俺の顔へ切り替わりかける。
咎人「紫苑、今は神様も入れてあげて」
紫苑「は、はい。失礼いたしました」
神「うっせぇわ。大体、神より強くなるとかほんと意味わからんし。早く消えてくれんかの」
咎人「神様のくせに、器はペットボトルの蓋ぐらい狭いんですね」
笑いながらスプーンを入れる。
卵が柔らかく割れ湯気が上がった。うまい。
神「腹立つわぁ……。人が話しとる時によく飯食えるなお前」
咎人「冷めちゃうんで」
神「儂の話より卵か」
咎人「作ってもらったので」
下僕が音もなく一礼した。
神はしばらく黙っていた。
こめかみを指で押さえ長く息を吐く。
それからふっと口元を緩めた。
神「……でも、今回は違う」
咎人「ん?」
神「今日は、お前のためだけにとっておきを用意したのだ」
スプーンを止める。
それは少し気になる話だった。
咎人「なになに。聞くだけ聞いてあげますよ」
俺は皿を下僕へ預けた。
背筋を伸ばす。外套を払う。
背後の鎖をゆっくりと持ち上げる。
紫苑がすぐに気づき演奏隊へ小さく合図した。
低い弦の音が再び玉座の間を満たす。
咎人「この都市の……いや、この世界の王たる我が」
声を落とす。
咎人「申してみよ、下等な神よ」
紫苑が術式を調整した。今度は間違えない。
玉座も鎖も左右に控える下僕達も。
その全てを従えた俺が黒都の空に映し出される。
咎人「頂きに立つ我ら葬月に物申してみよ!」
完璧だった。
神「そういうとこなんだよなお前」
余韻を潰された。
神が一本の指を立てる。
その指先から金色の線が伸び空中に大きな円を描く。
円の内側に見知らぬ場所が映った。
咎人「お。何?召喚?」
神「察しがいいな」
咎人「勇者とか?」
神「……嬉しそうにするな」
嬉しいに決まっている。ついにだ。
神に選ばれた勇者が俺達を討つために旅立つ。
それはつまり神が正式に認めたということである。
この世界のラスボスは俺達だと。
咎人「紫苑。聞いた?」
紫苑「はい。咎人様に挑もうとする者が、また一人」
咎人「しかも神様公認」
紫苑「おめでとうございます」
咎人「ありがとう」
映像の中で神官達の祈りが強くなる。
床の魔法陣に光が走った。
神「よいか咎人。此度の勇者はお前を討つためだけに選ばれた者だ」
咎人「うむ」
神「お前の強さを知った上で儂が選んだ」
咎人「うむうむ」
俺は頬杖をつき深く笑った。
咎人「期待しているぞ。今度こそ我らを退屈させてくれるなよ」
紫苑が俺の横顔をちらりと見た。
嬉しそうに笑いかけてきたので小さく頷いてやる。
その間にも召喚は進んでいた。
魔法陣の光が一点へ集まる。
白い柱となって立ち上がり広間を照らした。
その中心に人影が生まれる。
一人の女だった。
神官「……成功だ」
誰かが息を呑む。
神官「勇者様……!」
光が薄れていく。俺はその顔を見た。
頬杖をついていた手が止まった。
女は眩しそうに瞬きをして周囲を見回し困ったように眉を寄せる。
「あの……すみません。ここ、どこですか?」
知っている声だった。
神「どうした、世界の王」
俺は答えなかった。
神「退屈はしなさそうだろう?」
紫苑「……咎人様?」
演奏は続いていた。
風も鎖も照明も全てさっきのままだった。
だから黒都の民は全員見ていた。
世界最強を名乗る男が玉座の上で硬直するその瞬間を。




