第十一話「記録、継続」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおり
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【02】ゆめ
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【03】ななみ・リリカ
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【04】ユウリ・セシリア
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【05】ステラ
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【06】リナ・ミナ
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【07】レイナ
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【08】カレン
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白銀の奔流が消えたあと、廃墟には古い瓦礫と砂埃だけが残った。
さっきまで世界そのものが軋んでいたのが嘘みたいに、辺りは静まり返っている。
天井の裂け目から差し込む朝の光が、崩れた床も、ひび割れた壁も、等しくやわらかく照らしていた。
リナが広げていた地図の上からは、あの不気味な黒い印も消えている。
最初から存在しなかったみたいに、きれいに。
誰も、すぐには口を開かなかった。
終わったのだと認めるには、あまりにも長く、あまりにも深い時間を潜ってきたからだ。
ユウリは、ヴィエントを手放したあとの自分の掌をじっと見つめていた。
そこにはもう、刃の重みはない。
ステラの残響にしがみつくための形も、もう残っていない。
けれど空っぽではなかった。
皮膚の奥には、たしかな熱がまだある。
それは誰かの代わりではなく、ユウリという一人の輪郭を、静かに縁取る熱だった。
「……ステラは、あなたの歌の中にいます」
隣に立ったセシリアが、静かに言った。
顔色はまだ万全ではない。
それでも、先ほどまでの痛みに削られた蒼白さは薄れ、瞳には一人の女としての光が戻っていた。
ユウリは掌を握りしめたまま、顔を上げずに答える。
「今日も、歌いました」
喉の奥が少しだけ震える。
「……聞こえていたと、思いますか」
「ええ」
セシリアは迷わず頷く。
「聞こえていましたよ。誰よりも近くで」
ユウリはしばらく黙った。
胸の奥に押し込めてきた言葉が、今の自分の熱になってせり上がってくる。
「……セシリアさん」
ようやく顔を上げる。
「私、まだ……そばにいても、いいですか」
それは身代わりとしての申し出ではなかった。
ステラの代わりとして果たす義務でもない。
ユウリ自身の、むき出しの願いだった。
セシリアは少しだけ目を見開く。
驚きと、安堵と、長く待っていたものをようやく受け取った人の痛みが、その一瞬に滲んだ。
そして、やわらかく微笑む。
「当然よ」
その返事に、ユウリはふっと目を細めた。
「……その言い方」
かすかに口元が緩む。
「誰かに似ていますね」
セシリアは答えなかった。
けれど、その唇の端だけがほんの少し、悪戯っぽく動いていた。
◇
少し離れた場所で、リナが地図を静かに閉じる。
その動きに合わせるように、ミナがそっと隣へ寄った。
「……レイナさんに、届いたでしょうか」
ミナは朝の光の中で、小さく問う。
「今日の、この光」
声は澄んでいた。
かつてラヴァとして咆哮していた頃が嘘みたいに、澄み切っていた。
リナは結晶化した右腕を、隠さずにミナの前で動かしてみせる。
もうそれは恥でも傷でもなく、自分の歴史としてそこにあった。
「母はもう、いません」
リナの声音は淡々としている。けれど冷たくはなかった。
「でも、届いていると思います」
少しだけ間を置いて、続ける。
「母は、あなたのことをずっと……本当にずっと、忘れませんでしたから」
ミナの瞳が、じわりと濡れた。
自分を削りながら生きてきた長い時間。
与えることでしか赦されないと思い込んでいた歳月。
そのすべてが、「忘れられていなかった」というたった一言に触れた瞬間、ようやく居場所を得た気がした。
「……よかった」
ミナの呟きはかすかだった。
それでも、たしかに風に乗って、どこか遠くの空へ運ばれていった。
◇
ななみは少し離れた場所から、いおりの横顔を見つめていた。
記憶の濁流を越え、六本指の手をさらし、それでも立ち続けた従妹。
その瞳には今もなお空白がある。
幼い日々のすべてが戻ったわけではない。
けれど、その空白はもう拒絶の壁ではなかった。これから書き足していける余白になっていた。
「……いおりの幼少期の記憶が、完全に戻ることはないかもしれません」
ななみの言葉に、隣のリリカが小さく頷く。
「でも、これからまた作れますよね」
リリカはまっすぐ前を見たまま言う。
「いおりちゃんが、いおりちゃんとして笑える時間を」
「……はい」
「私たちも、その中にいられますよね」
ななみは一拍、黙る。
それから少しだけ視線を逸らして答えた。
「……いられます。当然のことです」
リリカが、にっと笑った。
「じゃあ十分です。それだけで、お釣りが来るくらい」
そう言って、彼女はポケットを探り、琥珀色の小石を取り出した。
朝の光を受けて、あの日の約束だけを閉じ込めたみたいにあたたかく光る。
「いおりちゃん。これ、覚えてないよね」
いおりが不思議そうに覗き込む。
「……それは?」
「昔、いおりちゃんが私に『持ってて』って言ったやつ」
リリカは少し笑う。
「砂場で、地球の反対側まで掘ろうって約束した時に」
いおりは、その小石をそっと指先でなぞった。
名前も、景色も、まだ霧の向こうだ。
それでも石に触れた瞬間、左手の結晶がかすかに拍動し、心地よい熱が掌に広がった。
「返さなくていいですよ」
いおりが静かに言う。
リリカが目を丸くした。
「……え?」
「また一緒に、持っていてください」
いおりは小石から目を上げ、やわらかく笑った。
「私、これからは今の私で新しく覚えていけるから。だから、それはリリカさんが預かっていて」
その微笑みは、完璧な聖女のものではなかった。
少し不器用で、けれど確かな優しさを持った、一人の少女の笑顔だった。
リリカは一瞬だけ泣きそうな顔をして、それから鼻をすすって笑い返す。
「……じゃあ、また借りておくね」
小石を大事そうに握る。
「いおりちゃんが本当に取り返しに来るまで、私が絶対になくさないように」
ポケットへ戻す指先は、もう震えていなかった。
その様子を見届けてから、ななみが不意に小声で言う。
「リリカさん。……戻ったら、報告書を書かなければなりません」
「報告書?」
リリカがきょとんとしてから吹き出す。
「……ああ、始末書ですね」
「管理局の枠外で行動し、端末を損壊させた件です」
ななみはきわめて真面目な顔で続ける。
「……正確な記述が求められます」
「ななみさん、本当にそういうところ変わりませんね」
リリカは肩を揺らして笑う。
「全部終わったあとに最初に出る話が、始末書なんだもん」
「何がですか。必要なことです」
ななみは即座に否定した。
だが、その横顔には、以前のような息苦しい義務感はもうない。
ただ明日へ続く日常を、自分の足で引き受けようとする、生真面目な一人の女性がそこにいた。
◇
カレンは、一人で廃墟の奥を振り返っていた。
風は止み、もう根源の叫びもない。
長いあいだ耳の奥にこびりついていた呻きが消えた世界は、驚くほど静かだった。
かつて父が夢見た、誰も怯えずに眠れる場所。
施設という形では、それは叶わなかった。
むしろ多くを傷つけた。
それでも、今ここに立つ彼女たちの姿として、その夢は不完全なまま確かに残ったのだと思えた。
「お父さん」
唇だけが動く。
誰にも聞こえない、小さな囁き。
「終わりましたよ。……ようやく」
番人としての役目。
父の過ちを、一人で背負い続けようとした沈黙。
刑のように自分へ課してきた長い時間。
そのすべてが、朝の光の中で少しずつ溶けていく。
「カレンさん。……これから、どうするおつもりですか」
ななみの問いに、カレンはすぐには答えなかった。
少し考えてから、静かに息を吐く。
「分かりません」
正直な言葉だった。
「……けれど、一人ではないと、あの子たちが教えてくれたので」
それから、ほんの少し笑う。
「……立ち止まることは、もうないと思います」
リリカがカレンへ歩み寄った。
「カレンさん。……私、また会いに来ます」
そして、いおりを振り返る。
「いおりちゃんと一緒に」
カレンはわずかに目を見開く。
「……なぜですか。私は、あなたたちを遠ざけようとしたのに」
リリカは肩をすくめた。
「会いに来たくなったので、会いに来るんです」
少し笑って続ける。
「……理由なんて、それでいいでしょ?」
カレンは呆れたように息をつき、そして降参するみたいに肩の力を抜いた。
頬が、春の雪解けみたいにゆるむ。
それは、この場所で彼女が初めて見せた、本物の笑顔だった。
◇
その光景を、すずともかが少し離れた場所から見守っていた。
もかは大事そうにビスケットの袋を抱え、鼻をひくつかせる。
すずはいつもの記録帳を手にしたまま、誰一人見落とすまいとするように、全員の姿を静かに目に焼き付けていた。
「すずちゃん」
もかが小さく囁く。
「みんな、いい匂いがするね」
「……匂い?」
「うん」
もかは嬉しそうに頷く。
「寂しい匂いも、痛い匂いも……ぜんぶ、お日様の匂いに溶けちゃったみたい」
すずは少しだけ目を細めた。
「……そう思います」
短い返事だった。
けれど、その視線はずっと、いおりとゆめの背中を追っていた。
最後尾で、いおりがゆめの隣に並ぶ。
ゆめは手のひらの中に、最後の一度のレミエルの余韻を大切そうに包んでいる。
「ゆめ」
いおりが静かに聞いた。
「……村を出る時、私が言ったこと、覚えてる?」
ゆめは微笑む。
「覚えてるよ。『行かなきゃいけない気がする』って、少し不安そうに言ってた」
「……そうだったよね」
いおりは朝の光に透ける自分の左手を見つめた。
六本指のままの、その手を。
「その時の私は、過去を取り戻すことで精一杯だった」
手袋はもうない。
異形は隠すものではなく、彼女が生き抜いてきた証としてそこに在った。
「でも、これからは『今』を覚えていける」
いおりの声は穏やかだった。
「ななみさんがくれた言葉も、リリカさんが持っていてくれた石の温かさも、みんなで流した涙も。……全部、今の私が新しく覚えていけるよ」
ゆめが、そっといおりの手を握る。
「私も覚えていくね」
その声はやさしい。
「……いおりがいつか、今のことをまた忘れてしまっても、私が隣で何度でも伝える」
いおりは、ゆめの瞳をまっすぐ見返した。
焚き火の前で交わした、あの不確かな約束。
今は明日を信じるための重りになっている。
「……うん。じゃあ、二人で持てるね」
「そうだね。二人で」
ゆめが頷く。
「あの村で、八百屋のおばちゃんや子どもたちが待ってるよ」
少しだけ笑って、手を引く。
「……帰ろう、いおり」
「うん。……帰ろう」
二人が歩き出す。
それに続いて、十一人それぞれの足音が、静まり返っていた廃墟にひとつずつ響き始めた。
それは終わりの音じゃない。
ここから先へ進んでいく、生きた足音だった。
◇
資料室の隅で、すずが記録帳を閉じた。
その隣でもかが、最後の一切れのビスケットを口に運びながら、モニターを覗き込む。
「これで、終わり?」
もかの問いに、すずは眼鏡を直し、静かに首を振った。
「終わりではありません」
少し間を置く。
「……続きがあります」
「続きって? みんな帰っちゃったよ?」
「記録は、終わらないので」
すずの指が、記録帳の最後のページをなぞる。
そのさらに先にある、真っ白な余白を。
そこには、まだ何も書かれていない。
けれど、何もないのではなかった。
これから彼女たちが刻んでいく、名前のない明日が広がっていた。
すずはペンを取る。
最後の一行を、一文字ずつ、丁寧に書き記す。
――記録、継続。
第五章:第十一話「記録、継続」――完
第三作『銀色の旅路』は完結編です。
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、第一作『銀色の結晶』、第二作『銀色の産声』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/
■銀色の産声――人願で綴る、明日のための戦記。
https://ncode.syosetu.com/n6938mi/
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