第三話「カレンの記録」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおり
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【02】ゆめ
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【03】ななみ・リリカ
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【04】ユウリ・セシリア
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【05】ステラ
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【06】リナ・ミナ
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【07】レイナ
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【08】カレン
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すずの記録には、その日、これまでで最も欠けたログが綴られていた。
セシリアから提供された機密資料と、カレン自身が遺したわずかな書き置き。
その切れ端同士を、どうにか糸で留めるように繋ぎ合わせた再構成だった。
資料室の窓の外では、分厚い雲が夜空を完全に塞いでいる。
もかは袋の中から琥珀色のドロップを取り出し、口の中でころりと転がした。
「カレンさんの記録……この飴みたい。透けてるのに、肝心なところだけ見えない」
すずは記録帳の背を指先でなぞり、静かに頁をめくる。
「はい。彼女は、誰かに見つけてもらうためではなく、見つからないまま終わるために歩いていました。……始めます」
◇
いおりがアムネシアへ送られた日、カレンの時間は、静かに壊れた。
大人たちは口を揃えて「特別な施設だ」と言った。
その先は、誰も教えなかった。
事情を隠しているのではなく、触れてはいけないものを前にした人間の顔だった。
そして追い打ちをかけるように、いおりが可愛がっていた小さな犬――ゆめも、もうこの世にいないと告げられた。
その時、カレンの中で何かが決定的に冷えた。
どうして、いおりだけが。
どうして、ゆめまでいなくなってしまったのか。
誰も答えないのなら、自分で探すしかない。
カレンは一人で動き始めた。
数年をかけて各地のレイヤーを調べるうち、彼女はある異変に辿り着く。
アムネシアから、何かが漏れ出している。
施設に近づくほど、霧は濃くなるだけではなかった。
重い。まとわりつく。
粘り気を持った何かが、世界の輪郭そのものを鈍らせていく。
通常の処理では押し返せない、異質な圧力が、確かにそこにあった。
ある雨の日。
カレンは、アムネシア外縁部の立ち入りを禁じられた遺棄区域へ足を踏み入れた。
崩れかけた建物の奥、湿気を吸った壁と、錆の匂い。
誰もいないはずの空間にだけ宿る、長い放置の気配。
埃をかぶった机の引き出しの奥で、ひどく錆びついた金属の箱が眠っていた。
なぜか、それを見た瞬間に分かった。
ここに、自分が知ってはいけないものが入っている。
蓋を開ける。
中にあったのは、一冊の古びた手記だった。
頁をめくった瞬間、カレンの指が止まる。
見覚えのある筆跡だった。
震えるように細く、それでも最後まで投げ出さなかった、丁寧な文字。
「……お父さん」
それは、かつて医療研究者としてアムネシアの初期設計に携わっていた父の記録だった。
父は、人々の痛みをなくしたかった。
怯えずに眠れる場所を、本気で作ろうとしていた。
その理想だけは、嘘ではなかった。
けれど計画は途中で変質した。
別の誰かが、ミナという少女の特異なエネルギーに目をつけた。
救うためのはずだった場所は、いつしか一人の少女を巨大な機構に組み込むための場所へと歪んでいった。
父は止めようとした。
だが、止めきれなかった。
記録の行間には、研究者としての分析よりも、間に合わなかった人間の呼吸が残っていた。
知ってしまったあとで、それでも働き続けてしまった者の後悔が、頁の端々に染みついていた。
手記の末尾には、掠れた文字で遺言が記されていた。
『俺は間違えた。止められなかった。もしこれを読んでいる人がいるなら、どうか止めてほしい。俺にはもう、時間がない』
その一文を読んだ時、カレンはすぐには泣けなかった。
父が善人だったことも。
父が加害の一端を担ってしまったことも。
最後には絶望の中で助けを求めていたことも。
どれも否定できないまま、胸の中でぶつかり合った。
手記の隙間から、一枚の写真が滑り落ちる。
そこに写っていたのは、若い頃の父と、カレンの膝の上で無防備に眠るゆめだった。
陽だまりのような午後。
何も壊れていなかった頃の記録。
父が夢を語り、ゆめがその夢のやわらかな象徴だった時代。
カレンは写真を拾い上げ、胸に強く抱き寄せた。
ゆめはもういない。
いおりも奪われた。
父の夢は、こんな場所の奥で錆びついた遺言に変わっていた。
無垢な救済なんて、この世界には存在しない。
その理解が、涙の代わりにカレンの中へ沈んでいく。
目の光が失われたわけではない。
むしろ逆だった。
甘さだけを削ぎ落とした、冷たい理性だけが、異様なほど鮮明に残った。
(お父さんの過ちを、誰にも知られてはいけない)
最初に浮かんだのは怒りではなかった。
告発でもない。守らなければ、という感情だった。
父の名誉を守りたいからではない。
これ以上この過ちが連鎖するきっかけを、外へ撒き散らしたくなかった。
誰かが正義の顔でこの事実を暴けば、また別の誰かが、この根源に触れようとする。
知ろうとする。使おうとする。
それだけは、絶対に駄目だと分かってしまった。
(私が、一人で終わらせる)
それは決意というより、自分に科した刑だった。
施設が存在しているあいだ、カレンは外側から漏れ出す圧を抑え続けた。
誰にも知られず、誰にも頼らず、境界が押し広げられないよう食い止め続けた。
けれど、やがて施設は崩壊する。
それは、根源を抑えていた巨大な蓋が失われたことを意味していた。
廃墟となったアムネシアの周辺では、滲み出しが以前とは比較にならない速度で加速した。
カレンは何度もその場所へ通った。
通うたび、世界の輪郭は曖昧になっていく。
根源に触れ続けるうち、彼女の身体にも見えない残滓が積もっていった。
時折、指先の輪郭が霧に溶ける。
自分の手が、自分のものではないみたいに遠のく。
足元の地面と自分との境界すら、薄く剥がれていく感覚に襲われる。
(いつか、私も消える)
その予感は、決して大袈裟なものではなかった。
怖くないわけがない。
誰にも看取られず、名前の形も残さず、ただ輪郭から先に薄れていく未来。
それでもカレンは立ち止まらなかった。
父の遺言を読んでしまったのは自分だ。
いおりを追いかけると決めたのも自分だ。
なら、この結末を引き受けるのも自分でなければならない。
そう思い込まなければ、足が竦んでしまうからでもあった。
ある夕暮れ。
ひどく古びた地図を広げたカレンは、余白に、小さな文字を書き残した。
『まだここにいます』
それは救難信号ではなかった。
見つけてほしい、助けてほしいという祈りですらない。
ただ、自分がまだ完全には霧に溶けていないことを、自分自身に言い聞かせるための言葉だった。
名前を失う前に。誰の記憶からも零れ落ちる前に。
せめて文字だけでも、「ここにいた個」として残しておきたかった。
だから、その一文は願いではなく、最後の抵抗だった。
◇
すずが記録帳を閉じると、資料室には琥珀色のドロップが砕ける、ごく小さな音だけが残った。
「カレンさんって……ずっと、あそこにいたんだね」
もかがぽつりと呟く。
「施設があった時も、なくなってからも。ずっと一人で。お父さんの言葉を守るために、自分まで削りながら」
すずは眼鏡を直し、静かに頷いた。
「はい。彼女は父の過ちを背負い続けました。告げることも、分け合うことも選ばず、自分の存在が消える瞬間まで、孤独な番人であろうとしたのです」
もかは窓の外を見た。
雲の切れ間から、わずかに月光が差している。
「『まだここにいます』って……あの言葉、誰かに届いたのかな」
その問いに、すずはすぐには答えなかった。
次の頁――リナが書き加えた応答の記録へ視線を落とし、ようやく口を開く。
「届いたと思います」
声は静かだったが、今度は迷いがなかった。
「次の記録が、それを証明しています」
回想第三部:第三話「カレンの記録」――完
第三作『銀色の旅路』は完結編です。
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、第一作『銀色の結晶』、第二作『銀色の産声』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/
■銀色の産声――人願で綴る、明日のための戦記。
https://ncode.syosetu.com/n6938mi/
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