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銀色の旅路――すべてを繋ぎ、愛するための戦記。  作者: 銀のさくら
回想第三部:まだここにいます
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33/49

第一話「ゆめとカレン」

■ 登場キャラクター紹介

【01】いおり

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233188/

【02】ゆめ

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233190/

【03】ななみ・リリカ

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233192/

【04】ユウリ・セシリア

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233193/

【05】ステラ

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233195/

【06】リナ・ミナ

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233196/

【07】レイナ

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233197/

【08】カレン

https://mitemin.net/imagemanage/top/icode/1233199/

すずの記録には、最初にこう記されていた。


「対象記録――ゆめという存在の記憶から抽出した、カレンという個体の記録。記録者、すず。協力者、もか」


資料室の窓の外で、細い月が厚い雲の縁に呑まれていく。

机の向こうで、もかが袋からビスケットを取り出し、こり、と小さな音を立てた。


「ゆめちゃんの記憶って、不思議だよね。今の姿になる前は、わんちゃんだったんだもん。……なんだか、ひだまりみたいな匂いがする」


すずは記録帳の背をそっと撫で、次の頁へ指をかけた。


「はい。いおりに向けていた能動的な愛情とは別に、彼女の深層には、身を委ねることでしか得られない安らぎの記録が残っています」


もかがビスケットを口の中で転がしながら、すずの横顔を覗き込む。


「その相手が、カレンさんなんだね」


「ええ」


すずは頷き、静かな声で言った。


「――それでは、始めます」


◇


親戚が集まる日は、家じゅうが落ち着かなかった。

居間では大人たちの声が幾重にも重なり、縁側からは芝生の青い匂いが流れ込む。

庭では、幼いいおりが笑いながら駆け回っていた。


その足元を、小さなクリーム色の犬が離れずについていく。

いおりが転ばないように。

知らない手に驚かないように。


泣き出したとき、すぐに駆け寄れるように。


ゆめは短い耳を立て、庭の隅々まで気を配っていた。


幼いいおりのそばにいるときのゆめは、いつだって守る側だった。

小さな身体に似合わないほど、張り詰めた責任を背負っていた。


けれど、カレンが現れると、その緊張はふっとほどけた。


カレンは、いおりより十ほど年上の少女だった。


騒がしさの中にいても不思議と急かす気配がなく、ゆめに近づくときは必ず一度足を止める。


そして、犬の目線までゆっくり腰を落とした。


「……触ってもいいかな?」


柔らかな声だった。

答えを待つ声だった。


大人たちは、ときに可愛がる名目で無遠慮に手を伸ばしてきた。

撫でる手が悪意からでなくても、その速さや重さに身をこわばらせることはあった。


けれどカレンは違った。

奪うように触れず、試すようにも撫でず、ゆめが近づく余白をきちんと残してくれる。


ゆめは、その距離が好きだった。


そろ、と鼻先を寄せる。

カレンの指先からは、石鹸と紙の匂い、それから陽の当たった布みたいな匂いがした。


危なくない。


そう判断した瞬間、ゆめは自分でも驚くほど素直に、その手へ頬を押しつけていた。


「ありがとう」


カレンは小さく笑った。


その笑い声を聞くと、ゆめの中で何かがゆるむ。

いおりのそばにいるときの「守らなくちゃ」という熱とは違う。

ただ隣にいてもいいのだと許される、深い安堵だった。


カレンの横では、ゆめは何もしなくてよかった。

周囲を見張り続けなくてもいい。物音にすぐ反応しなくてもいい。


四肢にこもっていた力が抜け、鼻先のこわばりも、陽だまりに溶ける雪みたいに消えていった。


ある午後、親戚たちの声が少し遠のいたころ。

縁側の光の中で、カレンは座布団に座り、ゆめを膝へ抱き上げた。


「今日は眠そうだね」


囁くような声と一緒に、細い指が毛並みをなぞる。


ゆめは一度だけいおりのいる庭へ目をやった。

あの子は今、別の子どもたちに囲まれて楽しそうに笑っている。


すぐに駆け寄らなくても大丈夫だと分かると、ゆめは安心して身体を預けた。


カレンが、静かに歌い始める。


それは、いおりの家でも聞いたことのある旋律だった。

誰かが夕暮れの台所で口ずさむような、古くてやさしい歌。

言葉の意味は分からなくても、その響きだけで胸の奥が温かくなる。


ゆめは膝の上でゆっくり仰向けになり、腹を見せた。

無防備な姿を晒すのは、本能に逆らう行為だ。

それでも、ここなら大丈夫だと思えた。


カレンの指先が耳の裏をくすぐる。


「ふふ……そんなに安心してくれるんだ」


その声は少しだけ嬉しそうで、少しだけ寂しそうだった。

幼いゆめに、その理由までは分からない。


ただ、カレンが笑うたび、どこか壊れやすいものをそっと包むみたいに触れてくることだけは感じていた。


挿絵(By みてみん)


そのとき、廊下の奥から足音が近づいた。

軽くはないが、苛立ちに急いた歩調でもない。

何かを考え込みながら歩く大人の足音だった。


現れたのは、カレンの父親だった。

目の下には深い疲労の影が落ち、衣服には長時間机に向かっていた者の匂いが染みついている。


けれど、娘の膝で眠たげに目を細めるゆめを見つけた瞬間、その険しさがわずかにほどけた。


「カレン」


呼ばれた少女は歌を止め、顔を上げる。


「……お父さん」


男は縁側の光の端に立ち止まり、しばらく何も言わずに二人を見ていた。

それから、そっと手を伸ばし、ゆめの小さな頭を大きな掌で包み込む。


温かい。

けれど、その温かさの奥に、眠れない夜を幾つも越えた人間の震えが混じっていた。


「お父さんの作っている場所はね」


父は、自分に言い聞かせるように呟いた。


「いつか、こういう温もりで満たされるべきなんだ」


カレンは黙って父を見上げる。

難しい言葉を待つのではなく、その顔に何が浮かぶのかを見ていた。


「誰も怯えなくていい場所。誰も、痛みや孤独に追い立てられずに眠れる場所」


父の視線は、ゆめの小さな胸が規則正しく上下するのを追っている。


「それがお父さんの夢なんだよ」


夢、という言葉だけが、幼いカレンにもくっきり残った。


理屈は分からない。

何を作っているのかも、どうしてそんなに疲れた顔をしているのかも、まだ分からない。

けれど父が今、目指すものの形を、この小さな犬に重ねていることだけは伝わった。


怖がらずに眠ること。

誰かの膝の上で、何の役目も背負わず、ただ安心して目を閉じること。


それが、夢。


カレンは膝の上のゆめを見下ろした。

この温かさを、自分は知っている。

守らなくても、強くなくても、ここにいていいと思わせてくれる体温を。


そしてそのとき、幼い彼女の中に、言葉にならない小さな誓いが落ちた。


もし父の夢に本当の形があるのなら、それはきっと、難しい図面や理屈の中ではなく、この膝の上にあるのだ、と。


挿絵(By みてみん)


帰り際、玄関で靴を履きながら、カレンは振り返った。

いおりはもう別の遊びに夢中で、ゆめだけが廊下の途中まで見送りに来ている。


カレンはしゃがみ込み、もう一度だけその頭を撫でた。


「また来るね」


たったそれだけの言葉だった。


けれどゆめは、尻尾がちぎれそうなほど振った。

その約束を、日のよく当たる場所へ埋めるみたいに、記憶の奥へ大事にしまいこんだ。


守るための緊張とは違う。

帰ってくると信じられる相手を待つ、あたたかな期待として。


◇


記録の再生が終わると、資料室に静けさが戻った。

すずはそっと記録帳を閉じ、画面の明かりを落とす。


もかは袋の底に残っていた最後の一片をつまみ、すぐには口に入れず、指先でころころと転がした。


「……そっか」


もかの声は、いつもより少しだけ小さい。


「カレンさんのお父さん、“夢”って言ったんだね。ゆめちゃんの温もりみたいな場所を作りたかったんだ」


「はい」


すずは短く答えた。


「後にカレンさんが一人で背負うことになるものは、このとき既に形を持っていたのでしょう。まだ理論でも使命でもなく、膝の上の小さな体温として」


もかは、ふっと眉を寄せる。


「優しい話なのに、なんでこんなに寂しいんだろう」


その呟きに、すずは少しだけ目を伏せた。


「優しさが、そのまま救いになるとは限らないからです」


静かな声だった。

だが、言葉の底には硬いものがあった。


「父が叶えられなかった“誰も怯えずに眠れる場所”という理想は、カレンさんにとって抽象的な概念ではありませんでした。ゆめが教えた、触れられても怖くないこと、身を委ねても壊れないこと、その実感そのものだったのです」


もかはようやくビスケットを口に入れ、さくりと噛んだ。

それから、どこか慎重に訊ねる。


「じゃあ……ゆめちゃんにとっても、カレンさんは特別だったんだね。いおりちゃんとは違う意味で」


「ええ」


すずは眼鏡の位置を直した。


「いおりは、守る対象でした。ゆめが能動的に寄り添い、見張り、支えようとした相手です。ですがカレンさんは違う。ゆめが、守ることをいったん手放してもよいと感じられた、数少ない相手だったのでしょう」


「守らなくていい場所、か……」


もかはその言葉を繰り返し、少しだけ目を細めた。


「それって、すごく大事だね。だって、ずっと誰かを守ってる子は、自分が休んでいいって分からなくなっちゃうもん」


すずは、静かに頷いた。


「おそらく、そうです。記憶が書き換えられ、姿を変え、名前すら別のものになった後でも、その温度だけは消えなかったのでしょう」


もかは袋をたたみながら、ぽつりと言った。


「でも、今のカレンさんって……そんな温かい匂いの人なのに、すごく寂しそうなんだよね」


資料室の空気が、わずかに張る。


すずは次の頁へ指を置いたまま、しばらく答えなかった。

やがて、凛とした声で言う。


「優しい人ほど、理想の残骸のそばに取り残されることがあります」


もかが顔を上げる。


「……一人で?」


「はい。一人で」


すずの言葉は淡々としていたが、その淡さがかえって重かった。


「次の記録で、少し見えてきます。彼女が何を受け継ぎ、何を失い、それでもなお何を待ち続けていたのかが」


もかは小さく息をつき、空になった袋を机に置いた。


「じゃあ、ちゃんと見よう。カレンさんが、何を夢って呼んで、何を一人で抱えちゃったのか」


すずは答えず、ただ頁を開いた。


回想第三部:第一話「ゆめとカレン」――完

第三作『銀色の旅路』は完結編です。

キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。


もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、第一作『銀色の結晶』、第二作『銀色の産声』も併せて手に取っていただければ幸いです。


■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。

https://ncode.syosetu.com/n7557ma/


■銀色の産声――人願で綴る、明日のための戦記。

https://ncode.syosetu.com/n6938mi/


■専用Xアカウント

https://x.com/gin_no_sakura_y?s=21

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