第五話「縫いに行く」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおり
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【02】ゆめ
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【03】ななみ・リリカ
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【04】ユウリ・セシリア
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【05】ステラ
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【06】リナ・ミナ
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【07】レイナ
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【08】カレン
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夜明け前の荒野は、深い群青色に沈んでいた。
焚き火の跡から立ちのぼる細い煙が、冷え切った空気の中でほどけていく。
世界はまだ青と黒のあわいにあり、遠くの廃墟も、北西に淀む銀色の霧も、輪郭だけをぼんやりと浮かべていた。
ミナは、三輪車の傍らに立つリナの横顔を見ていた。
昨夜、あれほど激しく感情を露わにした少女は、今はもう、いつもの静かな「騎士」の顔に戻っている。
結び直された黒髪が朝の風に揺れ、ハンドルに結ばれたリボンが、小さな旗のように頼りなく、けれど誇らしげに震えていた。
リナは荷台から古びた地図を取り出し、膝の上で丁寧に広げる。
その指先が止まったのは、地図の端に刻まれた「黒い印」の上だった。
かつて一針も通すことができず、ただ「縫えない」という事実だけを記録した場所。
アムネシアの綻びが、今も剥き出しのまま息づいている沈黙の廃墟。
「……行きましょう」
リナの声は、朝の冷気を切るように澄んでいた。
ミナはその横顔を見つめたまま、静かに問う。
「……縫えますか。あそこの綻びを」
リナは地図から手を離し、自分の右腕へそっと触れた。
袖の下には、昨夜ミナに晒したあの銀色の結晶がある。
感覚の失われた、冷たい石の腕。
「今日の私が、そこを縫える確率は分かりません」
答えは、いつも通り正直だった。
慰めのための嘘も、前へ進ませるためだけの虚勢も、彼女は口にしない。
「けれど」
リナは地図を見下ろしたまま続ける。
「行かなければならないと思います。……縫えるかどうかより、今は、そこへ辿り着くことの方が大事な気がするので」
ミナは、その言葉に深く頷いた。
昨夜、自分はようやく知ったのだ。
レイナが最後まで自分を恨まず、むしろ独りにしたことを悔やんでいたことを。
自分が“薬”であったと信じてくれた親友の、その祈りの続きを、目の前の少女が今も抱き続けていることを。
その事実は、長年ミナの足元にこびりついていた罪悪感という泥を、まだ完全ではなくても、少しずつ別のものへ変え始めていた。
罰ではなく、祈りへ。
自己嫌悪ではなく、確かめに行く意志へ。
「一緒に行きます、リナ」
ミナは言った。
「……知っています」
短い返答だった。
けれど拒絶はなく、そこにはすでに当然のような響きがあった。
リナは地図を畳み、ペダルへ足をかける。
ミナが荷台に乗ると、その重みが車体に静かに伝わった。
キィ、キィ。
三輪車の規則正しい音が、まだ眠りきらない荒野を這い始める。
北西の空には、昨日よりも色濃い銀色の霧が立ち込めていた。
世界の境界線がゆっくり溶け、過去と現在が同じ場所で重なり始めているような、不吉で静かな朝だった。
しばらく、二人の間にあるのは金属音だけだった。
けれど、その沈黙はもう、かつての「言えないこと」を抱え込んだ重い沈黙ではない。
互いの傷を知り、その名を呼び合った者同士の、ひどく静かな共有だった。
無理に埋める必要のない、けれど確かに繋がっている沈黙。
「リナ」
三輪車の背中へ向けて、ミナがぽつりと口を開いた。
「何ですか」
リナは前を向いたまま応じる。
「……お母さんの名前を、教えてくれてありがとうございました」
ペダルの速度は変わらない。
キィ、キィ、という音だけが一定の間隔で続く。
リナはすぐには答えなかった。
しばらく風の音に紛れるように考え、それからようやく、静かな声を返す。
「……ミナが、ちゃんと知れて良かったです」
それ以上の言葉は、もう必要なかった。
レイナから受け継いだ一本の針。
それは、綻びを縫うための道具である前に、ミナという孤独を独りにしないための道標だった。
かつてアムネシアに溶けていった数万の少女たち。
彼女たちの記憶は霧となり、この世界を覆い続けている。
誰にも届かなかった「さよなら」は、綻びとなって各地に口を開けたまま残されている。
だからこそ、行かなければならない。
自分たちの足で。自分たちの手で。
リナの右腕の結晶は、昇り始めた朝の光を鈍く弾き続けていた。
痛みの証であり、時間の証でもあるその銀色を隠さぬまま、彼女は真っ直ぐ前を見ている。
ミナはその背中を見つめながら、胸の奥で静かに思った。
もう「逃げてきた」だけでは終わらせたくない、と。
自分の熱が何だったのか。
レイナに何を与え、何を奪ったのか。
この霧の先に何が残っているのか。
それを知るために進むことは、もう罰ではなく、選び取るべき明日なのだと。
キィ、キィ。
三輪車は、重く澱んだ銀色の霧の中へ、迷いなく進んでいく。
母が託し、娘が受け継ぎ、長いあいだ途切れたままだった時間の続きを。
今度こそ、自分たちの手で縫い上げるために。
第四章:第五話「縫いに行く」――完
第三作『銀色の旅路』は完結編です。
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、第一作『銀色の結晶』、第二作『銀色の産声』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/
■銀色の産声――人願で綴る、明日のための戦記。
https://ncode.syosetu.com/n6938mi/
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