第四話「話せなかった」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおり
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【02】ゆめ
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【03】ななみ・リリカ
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【04】ユウリ・セシリア
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【05】ステラ
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【06】リナ・ミナ
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【07】レイナ
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【08】カレン
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夜の帳は、荒野を深く、重く塗り潰していた。
キャンプ地のすぐそばまで、銀色の霧が迫っている。
静止した波のようなその澱みが、遠くの廃墟の輪郭をぼんやりと縁取っていた。
地図に記された「黒い印」は、もう目と鼻の先にある。
明日には踏み込むはずの場所が、今夜はただ、言葉を失ったままこちらを見返しているようだった。
ミナは焚き火のそばに膝を抱えて座っていた。
火の爆ぜる音さえ、霧の沈黙に吸い込まれていく。
(……もし)
胸の奥で、冷たい声が響く。
(もし、私の熱が、薬なんかじゃなかったとしたら)
カプセルの中で感じていた、あの逆流する熱。
行き場を失って自分の内側に溜まり、やがて世界へ滲み出していった災厄の気配。
今も荒野を侵し続ける銀色の霧。
自分がカプセルに入ったからレイナが治ったのではない。
ただ、自分がアムネシアに繋がれ続けたせいで、病の進みが一時的に変わっただけなのではないか。
そして、自分が放ち続けたエネルギーこそが、この世界を壊し続けているのではないか。
一度形を持った疑念は、もう曖昧な不安には戻らなかった。
それは毒みたいに静かに、けれど確実に、ミナの思考の隅々へ染み込んでいく。
「……眠れませんか」
静かな声がした。
ミナが顔を上げると、毛布を肩に掛けたリナが立っていた。
焚き火の向こうに腰を下ろしたその瞳は、暗がりの中でも澄んだ湖のように静かだった。
責めるでも、急かすでもなく、ただここにいると示すだけの眼差し。
ミナはしばらく、自分の指先を見つめていた。
震えているわけではない。
けれど、何かに触れればまた壊してしまうのではないかという古い恐怖が、まだそこに残っている。
やがて、堰を切ったように言葉が溢れた。
「……リナ。私は、嘘をついていました」
リナは何も言わない。
ただ、ミナの言葉が続くための静けさだけを差し出している。
ミナは息を吸った。
今さら取り繕っても遅いと分かっていた。
けれど、それでも声にするのは怖かった。
言葉にした瞬間、長いあいだ胸の奥へ押し込めてきたものが、現実の輪郭を持ってしまうから。
「アムネシアにいた頃のことを……全部は、話していませんでした」
焚き火がぱちりと鳴る。
「私がカプセルに入ったのは、親友を救うためでした。レイナという子です。……私の熱が、その子の病気を治す“薬”になると聞かされて、私はそれを信じました」
そこで一度、声が詰まる。
リナは動かない。
その動かなさが、今は救いだった。
「でも、ずっと分からなかったんです。本当に救えたのか。あの子は治ったのか。私が閉じ込められていたあいだ、何が起きていたのか」
ミナの指先が、毛布の端を強く握る。
「カプセルの中で感じていました。熱の流れが変わっていくのを。制御されていたはずのものが、少しずつ外へ漏れ出していくのを。……霧が増えていくのを」
言葉にするごとに、隠し続けてきた恐怖が輪郭を帯びていく。
「私のせいで、レイナは石になったのかもしれない。私のせいで、結晶も霧も広がったのかもしれない。……それなのに私は、何ひとつ確かめないまま、逃げてきたんです」
最後の方は、ほとんど掠れ声だった。
それでも止められない。
「私の熱は、誰かを救う薬なんかじゃなかった」
頬を、熱い雫がひとつ伝う。
「世界を壊して、友達を奪って、今も誰かを蝕み続ける毒だったのかもしれない。……そんな周りを不幸にするだけの化け物が、あなたの隣にいていいはずがないんです」
ミナは顔を伏せた。肩が小さく震える。
焚き火の明かりが、その細い背中の痛々しさを余計にはっきり照らしていた。
長い沈黙が落ちる。
夜風が一度だけ、リナの長い黒髪を揺らした。
そして。
「……知っていました」
リナの声は驚くほど平坦だった。
ミナが弾かれたように顔を上げる。
涙に濡れた視界の向こうで、リナの表情は崩れていなかった。
けれど、その静けさは冷たさではない。
長いあいだ自分の中で反復し続けた言葉を、ようやく外へ出す時の静けさだった。
「母の名前は、レイナといいます」
ミナの呼吸が止まる。
「……え」
「ずっと、聞かされていました」
リナはミナを見たまま続けた。
「ミナという大切な友達が、自分のために装置へ入ってくれたのだと。……その熱のおかげで、自分は生き長らえたのだと」
言葉の一つひとつが、ミナの胸の奥へ沈んでいく。
否定したいのに、できない。
月光の下に立つリナの瞳の形が、記憶の底に残る誰かの眼差しと重なってしまったからだ。
「……似ている」
ミナの喉から漏れたのは、それだけだった。
あの優しい、透き通るような瞳。
幼い日に手を握り返してくれた、レイナの目だ。
リナはゆっくりと立ち上がり、焚き火を挟まず、ミナの正面へ回った。
逃げ道を塞ぐためではない。
俯いたままでは届かない言葉を、まっすぐ届く距離で伝えるために。
「母は、あなたを一度も恨みませんでした」
その声には揺るぎがなかった。
「……いいえ。最期まで悔やんでいたのは、自分だけが生き残ったことではありません。あなたを独りにしたことです」
風が吹き、リナの右腕の袖がめくれた。
露出した銀色の結晶が、焚き火と月光を受けて鋭く光る。
その光は、ミナにはまるで自分の罪そのもののように見えた。
自分が広げたものが、今この子の身体にも食い込んでいる――そう思って、また息が詰まりかける。
けれど、リナの瞳にあったのは拒絶ではなかった。
「……だから」
そこで初めて、リナの声が震えた。
「あなたが自分を責め続けることを、私は許しません」
怒りではない。
その震えは、何年も押し殺してきた一人の少女としての感情が、ようやく言葉になった時のものだった。
リナの瞳から、一筋の涙が落ちる。
「母が感謝していた人を、母が大切に想っていた人を……その人自身に、化け物だなんて呼ばせたくありません」
右腕を隠さないまま、リナはそれをミナの前へ差し出した。
壊れの証でもあり、それでもなおここまで来た時間の証でもある腕。
「これがあなたのせいだとしても」
リナははっきり言った。
「それでも、だからこそ、私はあなたを独りにしません。母がそうしてほしいと願ったからではなく……今の私が、そうしたいからです」
ミナの唇が震える。
声にならない何かが喉で崩れる。
「話してください、ミナ」
リナは一歩近づいた。
「あなたが抱えてきた沈黙を。言葉にならなかった罪悪感を。……私が、全部縫い合わせますから」
その言葉で、とうとう何かが決壊した。
ミナは嗚咽を漏らして崩れ落ちた。
焚き火の前で膝をつき、子どものように、みっともないほど真っ直ぐに泣いた。
何十年も押し込めてきた孤独が、今さら形を持って喉を裂いて出ていく。
「……ごめんなさい」
額が地面へつく。
「ごめん、なさい……レイナに……あなたに……私……」
言葉は途中で壊れて、涙に混じった。
謝りたい相手が多すぎて、何から許されたいのか自分でも分からない。
ただ、ずっと言えなかった「ごめんなさい」だけが、何度も零れる。
リナはその前へ膝をついた。
目線を下げ、ミナの隣に並ぶ高さまで自分を落とす。
「話してください」
静かな声だった。
「私はここにいます」
それは慰めのための台詞ではなかった。
約束だった。
逃げないという宣言だった。
「……それだけが、今の私にできることですから」
荒野の夜は相変わらず冷たい。
霧はすぐそばまで迫っている。
明日には、黒い印の向こう側へ踏み込まなければならない。
それでも、二人のあいだにある空気だけは、焚き火の熱よりもずっと確かな体温を帯びていた。
話せなかったものがようやく言葉になり、独りで抱えるしかなかった痛みが、初めて「聞かれるもの」へ変わった夜だった。
第四章:第四話「話せなかった」――完
第三作『銀色の旅路』は完結編です。
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、第一作『銀色の結晶』、第二作『銀色の産声』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/
■銀色の産声――人願で綴る、明日のための戦記。
https://ncode.syosetu.com/n6938mi/
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