第一話「ミナの最初の石」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおり
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【02】ゆめ
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【03】ななみ・リリカ
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【04】ユウリ・セシリア
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【05】ステラ
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【06】リナ・ミナ
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【07】レイナ
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【08】カレン
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すずの記録には、こう残っている。
「対象記録――ミナという個体の幼少期、およびレイナという人物の手記に基づく補完。記録者、すず。協力者、もか」
資料室の窓を、細い雨が絶え間なく叩いていた。
端末の淡い光の前で、もかは珍しく口を挟まず、砕きかけたビスケットを指先に挟んだまま止まっている。
室内には古い紙の匂いと、まだ誰にも回収されていない約束の残り香のような沈黙があった。
「ミナちゃん……あんなに温かい石焼き芋を焼く子が、どうして『触れないで』なんて言うようになったのかな」
すずは眼鏡のブリッジを静かに押し上げ、記録の断層へ視線を落とした。
「彼女の熱は、最初から誰かを温めるためだけのものではありませんでした」
その声はいつもどおり静かだったが、言葉の奥には、記録者として切り離せない痛みが滲んでいた。
「それは、愛したものを守るつもりで、逆に銀色の静寂へ閉じ込めてしまう力だったのです。あまりに純粋で、あまりに幼い、祈りの失敗でした」
もかが息を呑む。
すずは新しい頁を開いた。
「――始めます」
◇
ミナは、幼い頃から自分の手が“おかしい”ことを知っていた。
花に触れれば、やわらかな茎は一瞬で銀色の結晶へ変わった。
飛んでいた小さな虫を捕まえようとすれば、その羽ばたきは途中の形のまま冷たい沈黙へ閉じ込められた。
拾い上げた木の実も、撫でようとした子犬の首輪も、愛しいと思って手を伸ばしたものほど、彼女の指先はそれを生きたまま止めてしまう。
触れたかっただけなのに。
好きだっただけなのに。
そのたびに世界は音を失い、ミナの周りには銀色の石ばかりが増えていった。
庭の片隅には、風に揺れなくなった草花が並び、彼女の歩く場所だけ、季節から切り離された冬のように冷えていた。
だからミナは、誰にも触れなくなった。
大人たちは「特別だ」と言ったが、ミナにとってそれは祝福ではない。
ただ、自分の好きが誰かを壊してしまうという、どうしようもなく静かな恐怖だった。
その境界線を、初めて笑って越えてきたのがレイナだった。
「ねえ、ミナ。それ、どうやってやってるの? すっごく綺麗!」
レイナは、ミナが石にしてしまった枯れ枝を両手で掲げ、陽に透かして笑った。
まるで失敗を責めるでも、気味悪がるでもなく、本当に宝石でも見つけた子どものような目だった。
ミナは反射的に両手を背中へ隠した。
「……触らないで。石になるから」
「ならないよ」
レイナは即答した。
その迷いのなさに、ミナの方が怯む。
「なるの。みんな、嫌がるし……壊れちゃうし」
「でも、ミナは壊したくてやってるんじゃないでしょ?」
ミナは答えられなかった。
そんなふうに言われたことがなかったからだ。
次の瞬間、レイナはなんでもないことのように、ミナの指先へ自分の小さな手を重ねた。
ミナの心臓が、ひやりと縮む。
来る、と思った。
指先から銀色が走って、この温かな少女まで冷たい彫像にしてしまう、その瞬間が。
けれど――何も起きなかった。
レイナの手はそのままだった。
柔らかくて、あたたかくて、少し汗ばんでいて、生きている手の温度をしていた。
「冷たいね、ミナ」
レイナは握る力を少しだけ強くした。
「私が温めてあげる」
それが、ミナが初めて触れた、生きた体温だった。
レイナだけは石にならない。
レイナだけは、ミナを怖がらない。
レイナだけは、ミナの“触れたい”を終わらせない。
その事実は、幼いミナにとって世界の形そのものを書き換える奇跡だった。
それから二人は、毎日のように手を繋いだ。
銀色に凍った庭を駆けて、結晶になった花を並べ替え、木漏れ日の下で他愛もない話をした。
レイナはミナの冷たい指を当然のように握り、ミナはその熱をなくさないよう、こわごわと、けれど何度も握り返した。
ミナは知らなかった。
レイナが石にならないのは、力が消えたからではないことを。
大好きだと願うたび、会いたいと笑うたび、その感情の熱が行き場を失って、レイナの身体の奥へ少しずつ沈殿していたことを。
変化は、ある夕暮れに訪れた。
「……レイナ、それ」
繋いだ手の先、レイナの指が不自然に白かった。
日焼けの抜けた白さではない。
もっと硬く、光を弾く、嫌な静けさを帯びた色。
レイナは自分の指先を見て、あっけらかんと笑った。
「あはは。なんかね、最近ここだけ硬いの。転んでぶつけたかな?」
笑い話みたいに言う声が、ミナには遠く聞こえた。
翌日には白さが第一関節まで広がっていた。
その次の日には、月光を弾くような鈍い銀色が混じり始めた。
花と同じだ、とミナは思った。虫と同じだ。
自分が好きだと思って触れたものが、だんだん静かになっていく時の、あの色だ。
胸の奥に、初めて名前のある恐怖が生まれた。
自分のせいだ。
自分がレイナを好きだから、自分が手を繋いでしまったから。
その時、白い防護服を着た大人たちが現れた。
彼らはレイナの腕を機械で測り、数値を確かめ合い、難しい言葉を交わしたあとで、ようやくミナの目線までしゃがみこんだ。
その顔にあったのは露骨な悪意ではなかった。
むしろ、切実さに近い焦りと、奇跡を前にした人間だけが抱く盲信だった。
「ミナちゃん」
防護服のひとりが、できるだけ優しい声を作って言う。
「レイナちゃんを救いたいだろう?」
ミナはこくりと頷いた。
頷くしかなかった。
「……救えるの? 私のせいで、レイナが石になってるなら……」
「君だけが救えるんだ」
その言葉に、迷いはなかった。
「君の持っているその“特別な熱”を、私たちの装置に分けてほしい。装置がそのエネルギーを正しく流せば、レイナちゃんの症状を抑えられる。君の力を、壊すためじゃなく、治すために使えるんだよ」
ミナは息を止めた。
壊すためじゃなく。治すため。
ずっと欲しかった言葉だった。
彼らは嘘をついていたわけではない。
少なくとも、この時点では本気で信じていた。
ミナの熱がレイナを救う特効薬になり得ると。
たった一人の少女の特異な力が、病を押し返す奇跡になり得ると。
それが後に、ミナという存在そのものを巨大な装置の核へ変え、アムネシアという歪な救済の最初の鎖になるとは、まだ誰も知らなかった。
「……私が入れば、レイナ、治るの?」
声は震えていた。
それでも、問いの芯にあったのは恐怖ではなく願いだった。
「ああ」
大人は頷いた。
「君の熱があれば、助かるはずだ」
その“はずだ”の危うさに気づけるほど、ミナは大人ではなかった。
ただ、自分が全部あげれば、レイナの温かさだけは守れるのだと思ってしまった。
だから、ミナは頷いた。
自分の未来ではなく、レイナの明日のために。
◇
その夜、ミナには最後の自由な時間が与えられた。
向かった先は、白い壁の奥、月明かりだけが差し込むレイナの病室だった。
消毒液の匂い。規則正しい機械音。窓辺に滲む夜の薄青さ。
そのすべてが、子どもには静かすぎた。
ベッドの上で、レイナは身を起こしていた。
右腕はすでに肘の近くまで硬質な銀の結晶に覆われ、シーツの上で冷たく光っている。
この世のものとは思えないほど綺麗で、それだけに、どうしようもなく残酷だった。
「ミナ、来てくれたの」
レイナは笑った。
けれど頬の血色は薄く、笑うたび、その明るさが無理に灯されているものだとミナには分かった。
自分の“好き”が、この子をこんなふうにした。
そう思うだけで、胸の奥がきつく縮んだ。
「明日、装置に入るよ」
ミナはベッドのそばに立った。
結晶になった右手には、触れないように気をつけながら。
「なんで?」
「レイナを、治せるから」
ミナは言葉を選ぶように、ゆっくり続ける。
「私が熱をあげれば、レイナの石、溶けるんだって。大人たちが言ってた」
レイナはすぐには返事をしなかった。
ミナの力が自分を蝕んでいる正体だとは知らない。
けれど、ミナがどこか遠くへ行こうとしていることだけは、子どもの勘で理解していたのかもしれない。
「……そっか」
それだけ言って、レイナは視線を落とした。
そして、動かなくなった右腕の代わりに、まだ温かさの残る左手を伸ばした。
ミナは一瞬ためらった。
自分が触れれば、また壊すかもしれない。
その恐怖は最後まで消えなかった。
それでもレイナは待っていた。
拒まない手で、まっすぐに。
ミナが恐る恐る指先を重ねると、レイナは強く握り返した。
「ありがとう」
震える声だった。
たった一言なのに、その熱はミナの中へ深く沈んだ。
ありがとう。
ごめんね、ではなく。
こわい、でもなく。
ありがとう。
それが二人のあいだで交わされた、最後の体温になった。
ミナはその瞬間を忘れないと誓った。
手の熱さも、レイナの涙の光も、自分を握る力の弱さも。
全部、忘れたらいけないと思った。
自分がここからどこへ行っても、この温度だけは失くしてはいけないと。
◇
翌朝、ミナは無機質なカプセルへ横たわった。
白い天井。幾本ものケーブル。
忙しく行き交う研究者たちの足音。
子どもひとりを眠らせるには広すぎる装置の内部は、病室よりもさらに静かだった。
研究者たちは慎重に、ミナの身体へ端子を取り付けていく。
その手つきに乱暴さはない。
犠牲を当然として扱う冷酷さも、少なくとも表面にはなかった。
ただ、奇跡が起きると信じたい者たちの、祈りに似た切実さだけがあった。
「これで、レイナは治るんだよね?」
ミナは蓋が閉まる前に尋ねた。
小さくて、けれど一度も逸らさなかった問いだった。
防護服の男は静かに頷いた。
「ああ。君の熱が装置に満ちれば……レイナくんも、救われるはずだ」
“はずだ”の意味を、ミナは考えなかった。
考えたら怖くなってしまうからかもしれない。
あるいは、信じる以外にできることがなかったからかもしれない。
重い蓋が閉まり、視界が少しずつ暗くなる。
音も遠のき、意識は泥の底へ沈むように鈍っていく。
その寸前、ミナの胸にあったのは、自分の未来への怯えではなかった。
(レイナが、また走れますように)
ただ一つの、汚れのない祈り。
その願いはあまりにも純粋で、だからこそ危うかった。
誰か一人を救いたいという幼い人願が、やがてアムネシアという巨大な装置を駆動させ続ける最初の火種になる。
数え切れない少女たちの記憶と、熱と、さよならを巻き込みながら燃え続ける原初の火が、この瞬間、静かに灯ったのである。
◇
資料室に、すずの声が戻ってきた。
雨はまだやまず、窓硝子には細い筋が幾重にも流れている。
端末には、記録の末尾に添えられた注釈が表示されていた。
「記録者注。この記録を直接語ったのは、ミナ本人ではありません。……ある人物が遺した手記より引用。その人物の名は、レイナ。ミナが動力源として封印された後も、彼女を忘れなかった唯一の人物です」
もかは、膝の上のお菓子袋を握ったまま固まっていた。
さっきまで気軽に摘んでいたビスケットはもう一枚も減っていない。
「レイナさんって……誰なの?」
もかの声は小さかった。
「その人、どうなったの? ミナちゃんを、忘れなかったって……」
すずは端末の明かりを落とし、眼鏡を外して眉間を押さえた。
ほんの短い沈黙のあと、記録者の声で、けれど記録者だけではいられない響きで答える。
「――次の記録で、分かります」
もかが、顔を上げた。
「ミナさんの犠牲の裏側で、レイナが何を見たのか。何を抱えたまま生き、そしてその想いを誰へ託したのかを」
雨音だけが、しばらく室内を満たした。
古い記録は終わっているはずなのに、その先にまだ続きがあることを、二人とも知っていた。
回想第二部:第一話「ミナの最初の石」――完
第三作『銀色の旅路』は完結編です。
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、第一作『銀色の結晶』、第二作『銀色の産声』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/
■銀色の産声――人願で綴る、明日のための戦記。
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