第三話「廃墟の入口」
■ 登場キャラクター紹介
【01】いおり
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【02】ゆめ
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【03】ななみ・リリカ
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【04】ユウリ・セシリア
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【05】ステラ
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【06】リナ・ミナ
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【07】レイナ
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【08】カレン
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北西へ進むほど、世界から湿り気が失われていった。
道端の草は色をなくし、踏まれる前から砕けるみたいに乾いている。
剥き出しの岩肌は陽の光を冷たく弾き、風がその隙間を抜けるたび、笛のような高い音が鳴った。
それは、どこか遠くで誰かが泣くのを堪えている声に似ていた。
ななみは歩調を緩めない。
黒い革手袋に包まれた右手が、時折、意志を持つ生き物のように小さく震える。
そのたびに左手で手首を押さえ込み、震えを物理的に“管理”下へ戻そうとした。
隣を歩くリリカは、ポケットの中の琥珀色の小石を何度も指先で転がしている。
からり、と乾いた感触が指先を打つたび、村を出る朝に見た、いおりの顔がよぎった。
「……ねえ、ななみさん」
重たい沈黙を押し返すように、リリカが口を開く。
いつもの軽さを装ってはいたが、声は少しだけ強張っていた。
「いおりちゃんのこと、考えてたんです。村で、ゆめちゃんから聞いた話」
ななみは視線を前方から外さないまま、短く応じる。
「……はい」
「記憶を燃料にして戦うなんて、そんなの、あまりにも残酷じゃないですか」
リリカは空を見上げた。
青いはずの空は、北西へ近づくほど白く、冷たい膜を一枚重ねたように見える。
「いおりちゃんは、そんな場所で、ずっと前に立ってた。ボロボロになるまで戦って、最後は自分を使い切って……。それなのに、再会した時には、あんなふうに笑ってくれた」
村でスープの湯気越しに見た、いおりの穏やかな横顔。
欠けているものを抱えたまま、それでも“今”を丁寧に生きているような、静かな笑顔。
あの顔を見たからこそ、どこかで思っていた。
失われたものは、もう戻らなくてもいいのかもしれない、と。
けれど、本当にそうなのだろうか。
その笑顔を支えていたものの底に、まだ消えていない痛みがあるのだとしたら。
「私、どこかで勝手に安心してたんです」
リリカが、握った小石を見下ろす。
「いおりちゃんはもう大丈夫なんだって。あの子はちゃんと生きてるから、私たちはそれを見届ければいいんだって」
そこで一度、息を切る。
「でも、たぶん違いますよね。笑ってるから終わり、じゃない。笑えるようになっても、消えてないものがある」
ななみの喉が、ほんのわずかに動いた。
いおりが自分を覚えていなかった、あの午後。
その事実は、痛みであると同時に救いでもあった。
忘れていたからこそ、いおりは穏やかに笑えていたのかもしれない。
だが、穏やかさは空白の証明でもある。
「……行きましょう」
ななみがようやく言う。
それ以上、何かを足すことはしなかった。
けれど、その短い言葉には、引き返さないという意志だけがはっきりと宿っていた。
二人は再び歩き出した。
◇
廃墟は、盆地の底に沈むようにして建っていた。
一見すれば、ただの遺棄物件だ。
コンクリートの壁は大きく崩れ、剥き出しの鉄骨が錆びた骨のように夕闇へ突き出している。
窓ガラスは一枚残らず砕け、空洞となった窓枠だけが、訪れる者を無表情に見下ろしていた。
かつてアムネシアに関連していた観測所か、中継拠点か。
管理局の記録には、用途の詳細すら曖昧なまま“遺棄物件”とだけ記されていた場所。
二人は無言で近づいた。
入口まであと十メートル。
そこで、まるで見えない壁にぶつかったかのように、二人の足が同時に止まる。
「……重い」
リリカが、息を浅くしながら呟いた。
今まで遭遇してきたどのハザードレイヤーとも違う。
濃いとか、冷たいとか、そういう単純な話ではない。
空気そのものが粘度を持つ泥になって、皮膚や肺や思考へまとわりついてくるような圧迫感だった。
ななみも短く息を吐く。
端末上の汚染指数はB1。処理不能な数値ではない。
むしろ記録だけ見れば、慎重に対処すれば十分対応可能な範囲だ。
だが、身体が感じている“重さ”は、その数字をまったく信用させなかった。
ななみは視線を落とす。
廃墟を囲む地面は乾ききって、白くひび割れている。
けれど、入口へ続く細い線だけが不自然だった。
「リリカさん。足元を」
「……え?」
リリカがしゃがみ込み、目を凝らす。
扉の前。
ひび割れた土の上に、何度も踏み固められた跡が残っていた。
新しいもの。数ヶ月前と思しきもの。
さらに古く、ほとんど地形の一部みたいに沈んだもの。
どれも歩幅が近い。荷重のかかり方も似ている。
複数人ではない。おそらく、ずっと同じ一人だ。
「……誰かが、通ってた」
リリカの声が小さくなる。
「たぶん、何度も。長いあいだ」
ななみはしゃがみ込み、土へ指先を触れた。
ひどく冷たい。
乾いているのに、指の奥にまで沈むような冷たさだった。
けれど、その冷たさの底には、ただの放棄ではないものがある。
執着。義務。
あるいは、祈りに近い何か。
「守ってたのかもしれませんね」
リリカが、廃墟の口を見上げたまま言う。
「追い返すためじゃなくて、中の何かが外へ出ないように。……あるいは、中に置き去りになったものを、独りにさせないように」
風が吹く。
その言葉だけが、やけに長く耳に残った。
一人で、ずっと。
それは、ななみ自身が管理局で抱え込んできた孤独と、どこか似た匂いがした。
ななみは立ち上がり、手袋をはめ直す。
右手の震えは、ここまで来るあいだよりも明らかに強くなっていた。
建物の奥から滲み出しているのは、悪意というより、悪意になる前に凍りついた絶望だった。
入口には、かつて厳重だったはずの電子ロックの残骸がぶら下がっている。
切れた配線が垂れ、錆びた金属板が風もないのにわずかに揺れていた。
扉は完全には閉じていない。
隙間から、古い紙と、冷え切った雨のような匂いが流れ出している。
ななみが手をかける。
きぃ……。
錆びついた金属が上げた悲鳴が、廃墟の静寂を乱暴に引き裂いた。
その音に混じって、ほんの一瞬だけ、幼いいおりの笑い声を聞いた気がした。
――いや、違う。笑い声ではない。笑い声の形をした、もっと別の何かだ。
ななみは奥歯を噛みしめる。
「リリカさん」
「はい」
「三メートル以内を維持してください。離れないで」
“場合によっては”という軽口は、今日は返ってこなかった。
リリカも、この場所では冗談が浮かないことを知っている。
「分かってます」
短い返事。
それだけで十分だった。
二人は、光の届かない内部へ足を踏み入れる。
一歩。
境界を越えた瞬間、外の風の音が途切れた。
世界が、そこで切断されたみたいだった。
代わりに満ちてきたのは、無数の溜め息が結晶化したような、重く冷たい残響。
アムネシアの名残。
消えきらず、行き場を失い、ここに沈殿し続けてきた時間の重み。
暗闇の奥で、何かが静かに脈打っている。
ななみの右手は、もう押さえていても止まらないほど震えていた。
それは恐怖だけではない。
拒絶と、既視感と、知ってしまうことへの予感が、全部いっぺんに身体の中で反響している震えだった。
第二章:第三話「廃墟の入口」――完
第三作『銀色の旅路』は完結編です。
キャラクターたちのより深い背景や『アムネシア』での誓いを知ることで、物語をより一層深く味わっていただけるかと思います。
もし彼女たちの過去に興味を持っていただけましたら、第一作『銀色の結晶』、第二作『銀色の産声』も併せて手に取っていただければ幸いです。
■銀色の結晶――さよならを忘れるための、戦記。
https://ncode.syosetu.com/n7557ma/
■銀色の産声――人願で綴る、明日のための戦記。
https://ncode.syosetu.com/n6938mi/
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