第6話:泣いただけ
柔らかな陽射しが、森の隙間から差し込んでいた。
鳥のさえずりと、葉擦れの音。
深い森の奥だというのに、不思議なほど穏やかな朝だった。
「ふふ……すごいね」
美和は、ログハウスの前に広がる小さな空き地を見渡して、思わず声を零した。
簡素ながらも、整えられた土。
囲いまで作られていて、どう見ても――家庭菜園にしか見えない。
「立派な家庭菜園……。私でも、できるかな?」
背中には、眠そうに身じろぎする赤ん坊。
遥斗は、おんぶ紐の中で小さく息を整えながら、時折「ん……」と声を漏らしている。
「でも……」
美和は肩越しに、遥斗の顔を覗き込み、少しだけ困ったように笑った。
「植えるものが、ないんだよね……」
せっかく畑があっても、種がなければ始まらない。
「ハルくんにね、美味しいお野菜で離乳食、作ってあげたかったなぁ……」
その瞬間だった。
ふわり、と。
視界の端で、淡い光が揺れた。
「……あれ?」
空中に浮かぶ、小さな光。
それは、以前見かけた不思議な存在だった。
このログハウスにも導いてくれた暖かな光.....。
精霊――なのだろうか。
言葉は通じないけれど、害意は感じない。
むしろ、そっと寄り添うような、優しい気配。
その光が、くるりと一度回転したかと思うと――
ぽとり、と。
「……え?」
美和の足元に、小さな袋が落ちた。
拾い上げてみると、布製の袋の中には、いくつもの小さな種が入っていた。
形も大きさも、色も様々だ。
「……何の種だろう」
不思議に思いながらも、胸の奥が少し温かくなる。
まるで、「使って」と言われているようで。
「ありがとう……なのかな?」
精霊は答えない。
ただ、嬉しそうにふわりと揺れただけだった。
美和はくすりと笑い、鍬代わりの棒を手に取る。
「よし。じゃあ、やってみようか」
背中の遥斗をあやすように、軽く身体を揺らしながら、土を掘る。
種を一つ、また一つ。
土をかぶせて、優しく押さえる。
「♪〜」
いつの間にか、子守歌を口ずさんでいた。
精霊は、その周囲をふわりふわりと漂い、二人を見守っている。
やがて、すべての種を蒔き終えた。
「さ、ハルくん。お昼寝の時間ですよ〜」
ログハウスへ戻りながら、美和は少し名残惜しそうに畑を振り返る。
「……でも残念だなぁ。収穫は、何ヶ月も先だよね」
その後ろで、美和の呟きを拾った精霊達がチカチカと点灯し、先程まで美和達が居た家庭菜園上をグルグル回ってる事など遥斗を寝かしつける事で頭がいっぱいの美和は気付かない。
扉を開け、中へ入る。
遥斗を下ろし、おむつを替えながら、優しく声をかける。
「濡れたおむつは、安眠妨害だもんねぇ。きれいきれいして、ねんねしようね〜」
遥斗は、安心したように小さな手を握りしめ、暫くすると寝息を立て始めた。
その寝顔を確認してから、美和はそっと立ち上がる。
「……よし。次は、お風呂」
ログハウスの外に設けられた浴場。
使えるかどうか、ずっと気になっていた。
扉を開け、外へ出た瞬間――
美和は、目を見開いた。
「……え?」
さっきまで、何もなかったはずの畑。
そこに――
「……さっき、植えたばかり
……よね?」
青々とした葉が、風に揺れていた。
芽どころではない。
まるで、何日も太陽を浴びて育ったかのような成長ぶり。
「異世界の植物だから……? 不思議……」
近づいて、まじまじと観察する。
「この様子だと……二、三日くらいで、収穫できそう……」
その言葉に反応したかのように、精霊が美和の鼻先で、チカチカと点滅した。
今までとは、違う光り方。
「……もしかして」
美和は、はっとして精霊を見る。
「君が……手伝ってくれてるの?」
精霊は、何も言わない。
けれど、肯定するように、柔らかく光を強めた。
「あ……そうだ」
美和は、少し照れたように笑った。
「ちゃんとお礼、言ってなかったね。びっくりすることばっかりで……」
精霊に向かって、深く頭を下げる。
「助けてくれて、ありがとう。……向こうで光ってるお友達にも、ありがとうって、伝えてくれると嬉しいな」
精霊は一瞬、強く輝いたあと、仲間たちのもとへ飛んでいった。
その光の残像を見送りながら、美和はふと思い出す。
――そういえば。
遥斗、すごく反応してたな。
光を掴もうと、小さな手を伸ばしていた姿。
思い出すだけで、頬が緩む。
「……本当に、不思議なことばかり」
助けられている。
理由は分からないけれど、それだけは確かだった。
浴場に足を運ぶと、中は驚くほど綺麗だった。
埃一つなく、まるで――
……最近まで、誰かが使ってたみたいと言うより
生活の痕跡も無い。新品の石鹸....
「異世界でも石鹸ってあるんだ.....使った形跡は無し....」
ログハウスの中も同じだった。
「……建てられたばかり、みたい」
もしかして、これも――。
精霊が?
考えることは山ほどある。
でも今は、少し休もう。
ここを拠点に、ゆっくり探索を始めればいい。
子どもを育てるには、必要なものがたくさんある。
マザーズバッグの中のオムツやミルクも、いつまで持つか分からない。
「……あ」
ふと気づく。
「ミルクに使ってる、お湯……」
水筒の中身。
もう、とっくに無くなっているはずだった。
「……後で、確認しなきゃ」
浴槽にお湯を張りながら、美和はぼんやりと水の流れを見つめる。
勢いでここまで来た。
雨風を凌げる場所が見つかっただけでも、幸運だ。
けれど――。
「……私たち、どうなっちゃうんだろう」
遥斗の前では、平然としていた。
笑って、優しく、いつも通りの母親でいようとした。
でも、本当は。
不安で、たまらなかった。
母親の自分が、しっかりしなければ。
そう思うからこそ、弱い顔は見せられない。
ただ一つだけ、決めていることがある。
「……ハルくんだけは」
どんなことがあっても。
「私が、笑って過ごせるようにしてあげる」
その瞬間だった。
空気が――変わった。
ざわり、と。
森全体が、ざわめいたような感覚。
「……?」
顔を上げた瞬間、精霊たちが一斉に飛び込んできた。
慌てた様子で、美和の周囲を旋回する。
「な、なに……?」
急かすように、入口へ導く光。
外へ出た瞬間、美和は息を呑んだ。
青く澄んでいた空は、重たい雲に覆われ。
空気は、ひりつくように荒れている。
「……地震? ……違う……?」
その時。
――けたたましい泣き声が、響いた。
「……はっ! ハルくん!!」
ログハウスの中から、遥斗の泣き声。
美和がいないことに気づき、目を覚ましたのだ。
慌てて中へ飛び込む。
小さな身体を震わせ、泣き叫ぶ我が子。
「ハルくん! 大丈夫よ!!」
抱き上げ、必死にあやす。
「おっきしたのね。ママがいなくて、寂しかったのかな〜。よしよし、いい子、いい子……」
その瞬間。
遥斗の泣き声が、ぴたりと止まった。
同時に。
外の異変も、嘘のように収まった。
「……あれ?」
きょとんとする美和。
森は再び、静けさを取り戻している。
「……やっぱり、異世界って不思議なところねぇ」
まさか。
我が子の泣き声が、あの異変を引き起こしたなどとは、思いもせず。
美和は、ふっと微笑った。
「さ、ハルくん。今日は早めに、お風呂入ろうか〜」
穏やかな声。
優しい日常。
それが――
王都を震撼させた“異変”の正体だったことを、
まだ誰も知らない。




