第3話:森の導き
その日も、私たち親子は木の洞で過ごした。
次の日。
朝の光は、昨日よりも柔らかく、そして少し暖かかった。
遥斗は、私の胸の中でスヤスヤと眠っている。
小さな手をぎゅっと握りしめて、まるで私に「大丈夫だよ」と言っているみたいだった。
「……今日も、森から出られないのかな……」
昨日の感覚を思い返しながら、そっと息をつく。
不安は確かにある。
けれど、その中に――ほんの少しだけ、好奇心も混じっていた。
洞の外を覗くと、木々の葉が朝日に照らされ、光と影のコントラストが美しい。
空気は澄み渡り、昨日の静寂を、さらに優しく包み込んでいる。
「……ねぇ、ハルくん。昨日のご飯、覚えてる?」
答えはもちろん返ってこない。
それでも、小さな手が胸をとん、と叩くように動いた。
「そうよね……あの魚も果物も……誰かが……」
私は、そこで言葉を切った。
考えるだけで、背筋がぞくりとする。
――それでも。
どんな存在であれ、助けられているのは事実だった。
私は心の中で静かに感謝しながら、歩き出す。
森から抜け出すことを、諦めたわけじゃない。
ただ、無理に進もうとは思わなくなった。
無理をしても、今のところ何も変わらない。
それは、昨日で嫌というほど分かっている。
……でも、いつか出られるかもしれない。
だから、探索はやめない。
赤ん坊を育てるのに、ずっと木の洞で過ごすわけにはいかないのだから。
「ハルくん……今日は、お日様の方向に進んでみよ――」
そう言いかけた、その時だった。
小さな光の粒が、私の視界――目の前を横切った。
そしてそのまま、森の奥へ。
淡い光の線を引きながら、ゆっくりと移動していく。
「……え?」
目を凝らすと、ほんのりと光る何か。
透き通るような淡い光が、ふわり、ふわりと揺れていた。
まるで――
「こっちにおいで」と、誘っているみたいに。
遥斗によく読み聞かせていた、童話の話を思い出す。
その光は、まるで――
「……精霊……?」
その言葉を口にした瞬間。
光は一度、私のほうへ近づき――触れられない距離で、ぴたりと止まった。
そして、また森の奥へと、ふわりと消えていく。
「……すごい……」
思わず、息を呑んだ。
この森には、確かに――私たちを守る“何か”がいる。
それを確信した瞬間。
森の音が、ほんの少しだけ変わった。
葉が揺れる音。
鳥の声。
風のささやき。
どれもが、昨日より優しく、どこか規則正しく感じられる。
「……すごいね、ハルくん」
小さな身体を抱きながら、私は静かに呟いた。
ここにいる限り、私たちは――守られている。
その時、遥斗が小さく声を上げて笑った。
「……あ……」
いつもと変わらない、無邪気な笑顔。
それなのに、胸の奥が、じんわりと熱くなる。
「……生きてる、って……こういうことね」
森の中で、私たち親子の生活が始まった。
まだ、この森のことは何も分からない。
それでも――
少なくとも今、確かに守られている。
そして、私は決めた。
「……ついて行こう」
一度、洞の中に戻り、マザーズバッグとエコバッグを肩に掛ける。
昨日とは、ほんの少しだけ違う。
森の息遣いが、昨日よりも近く、親しみ深く感じられた。
もう、私たちはただの迷子の親子じゃない。
導かれるまま、足を進める。
「ハルくん……何があっても、ママが守るからね」
この先に何があるのかは、分からない。
でも、立ち止まっていたら、何も変わらない。
我が子を守るため――
私たちは、確かに
その第一歩を踏み出したのだ。




