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戦えない母は赤ちゃん抱いて異世界にいた  作者: くじら


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第20話:精霊が跪いた理由

泣き声が、止まらない。


「ぁ……ふっぎゃ……っ!!」


 小さな身体を震わせながら、遥斗は泣き続けていた。


 息をすることすら忘れたように。


 ただ、ひたすらに。


(……おいおい、洒落になってねぇぞ)


 ビッツは低く唸る。


 

息を吸うたび、喉に何かが絡みつく。


 精霊たちが、遥斗の周囲で激しく明滅している。


 先程までの気まぐれなそれとは違う。


 明確な意思。



精霊たちは、明らかに慌てふためいていた。


何を言っているかは分からない。だが——泣き止ませろ、とでも言っているのだろう。


 ぞわり、と背筋が粟立つ。


だが、ビッツには遥斗が何故泣いてるのかが分からなかった。



それというのも、獣人のビッツと人間の遥斗の育つ環境も成長速度も違うためだった。


獣人の赤子は、基本放置だ。



成長も早い。歩くのも、食事を始めるのも早い——それが獣人の子供だ。



一人でなんでもこなせるようになるのも早く、赤子と言えど獣人は力も強く、生命力も段違い。



強くなければ生き残れない世界



それが獣人だった。


「なんだ?なんで泣いてる?襲われたのか?腹が減ってる?そうかオムツか?」



——分かるはずがなかった。


どれも違うと思い知るのに時間はかからない。



ますます大きくなる遥斗の泣き声にビッツは戸惑いながら遥斗に手を伸ばす。



すると縋り付くように小さな手がビッツの服を掴み持ち、一瞬泣き止む。



涙を大量に溜め込んだ遥斗の瞳がビッツの姿を捉え、美和じゃないとわかると再び泣き声の大合唱が再開される。




「ふんぎゃぁ〜あぁぁぁ!」


キーンと耳鳴りがし、ビッツは思わず眉間に皺を寄せる。



そればかりか、遥斗はビッツの弱点である耳を思いきり引っ張ってくる。


「いたっ、いたっ!……やめ」


 遥斗の泣き声に呼応するように、空間そのものが歪んでいく。


 壁が軋む。


 床が悲鳴を上げる。


 ログハウスが、耐えきれずに震えていた。


(なんだ——地震?!)




 こんな時に!と、ビッツは歯を食いしばる。


 だが、どうすればいい。


 分からない。


 分からないが——


(止めるしかねぇだろうが!)


 苦手な赤子。


 本能が拒絶する。


 近付くなと叫ぶ。


 それでも。泣き止ませる以外、方法が思いつかなかった。



ぎこちなく、慣れない手。


引き攣り強ばる表情。


辿たどしく覚束無い言葉。



赤子をあやすにはどれも不恰好だった。



「よ、よよ〜し、よし。泣き止め。泣き止まねぇと谷に落とし悪鬼に尻尾食われる……って尻尾はないんだったな……」



人間の赤子とはこんなにも泣くものなのだろうか!?



そう思いながらビッツは遥斗を天井高くポーンと放り投げる。



「……っ」



一瞬ビクッとし、泣き止む遥斗。



ビッツはその様子にヨシ!と心の中でガッツポーズをする。



隣の家の猿の親子のあやし方を見て、真似たビッツ。



だけどそれが間違いだと気付いた時には遅く。



「ふっぎゃぁぁ!」


ますますヒートアップして泣き始める遥斗。


 「な、なぜだ!」


 視界が歪む。


 空間が軋む。


 精霊達が慌てて点滅し、遥斗の周りをぐるぐると漂う。


その姿は、泣かないでと慰めてるよう。


姿は少しも可愛らしいものではないが、あの悪戯好きの赤の精霊まで慌てる姿は少しだけ面白いと思うビッツだった。


 だけど言葉にはしない。



 


 精霊たちが寄り添い、あやそうとする。


だが遥斗は、それに目もくれず、手足を振り回した。



その勢いで、精霊たちはちりじりに吹き飛ばされる。


 遥斗の手が、震えながら伸びる。


 そして——


 ふわり、と。


 

ビッツの尻尾——白く長い、ふわりとした尾に触れた。



 その瞬間。


 ——ぴたり。


 泣き声が、止まった。


世界ごと、息を止めたように静まり返る。


 歪みが、消える。


 圧が、消える。


 すべてが嘘のように、静寂へと変わった。


(……は?)


 間の抜けた思考が浮かぶ。


 だが現実は変わらない。


 遥斗は、小さく息を吐き——


 そのまま、眠りに落ちた。


(……なんなんだ、こいつは)


 理解不能。


 だが。


 確信だけはある。


(……普通じゃねぇ)


 その時だった。


 外から、風が吹き込む。


 いや——違う。


 重い。


 圧を伴った“何か”だ。


 空そのものが、押し寄せてくるような感覚。


 ビッツはゆっくりと顔を上げた。


 森の向こう。


 遥か遠くの空に——


 黒い影。


 小さい。


 だが、分かる。


 あれは——


(……ふざけんな)


 精霊たちが、一斉に震えた。


 恐怖。


 明確な、上位存在への反応。


 ビッツは、遥斗を抱き寄せるようにして、外から庇うように背を向けた。



 守るように。


(……面倒が、まとめて来やがったな)


 低く、唸った。



 ——同時刻。


 王都へと続く街道。


 複数の騎士が、一定の距離を保ち進んでいた。


 その中央。


 拘束されたまま、歩かされる女が一人。


「……っ」


 美和は、唇を噛み締める。


 縄は強くはない。


 だが、逃がす気は一切ない配置。


 囲まれている。


 完全に。


「おい、あまり乱暴にするな」


 一人の男が言う。


「傷を付けるなよ。価値が落ちる」


 別の男が、笑いながら続けた。


 その言葉に、美和の肩がわずかに震える。


「どうせ王に献上するんだろ?」


「これが精霊の愛し子?普通の女じゃねぇか——」


「愛し子様ぁ〜俺達に精霊の加護を授けたまえ〜なんてな」


 笑い声。


 下卑た視線。


 吐き気がする。


 美和は、ぎゅっと目を閉じた。


(……ハルくん……)


 胸の奥が、締め付けられる。


 その時。


 風が吹いた。


 森の方から。


 不自然なほど、強い風。


「……なんだ?」


 騎士の一人が顔を上げる。


 空を見る。


 そして——


 言葉を失った。


「おい……あれ……」


 誰かが、震えた声で呟く。


 遠く。


 空の端。


 黒い影が——


 こちらへ向かって来ていた。



 ——魔の森、上空。


 空が、裂ける。


 雲が、押し潰される。


 圧倒的な存在が、そこにあった。


 黒龍。


 その巨体は、空そのものを覆い隠す。


 翼が一度打ち下ろされるだけで、大気が悲鳴を上げる。


 地上の魔物が、逃げ惑う。


 鳥が、空から落ちる。


 生きとし生けるものすべてが——


 “それ”から逃げようとしていた。


 だが。


 黒龍は、ただ一点を見据えている。


 黄金の瞳。


 その視線の先。


 ——魔の森。


 そして。


 その奥。


 ログハウス。


 眠る、遥斗。


 黒龍は、再び翼を打った。


 加速する。


 一直線に。


 ——ログハウスへ。


 静寂の中。


 遥斗の瞼が、わずかに震えた。


 そして。


 ほんの一瞬だけ——開く。


 その瞳を見た瞬間。


 精霊たちが、一斉に動きを止めた。


 そして——


 跪く。


 まるで、王の前に出たかのように。


 絶対的な服従。


 ビッツの背中に、冷たい汗が流れる。


(……なんだよ、それ)


 遥斗は、何も言わない。


 ただ。


 ほんの一瞬だけ、外を見た。


 そして——


 再び、瞳を閉じる。


 その直後。


 ビッツは、確かに感じた。


 迫ってくる“それ”を。


 空が、鳴る。


 森が、震える。


 そして——


 理解する。


(……来る)


 と、思った瞬間。


空が低く、鋭く唸った。



——咆哮が、世界を叩き割った。



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