22章 条件
「うっ、……ん、」
瞼の隙間から差し込んだ明かりが、梶樹の深層意識から現実へと引っ張り上げる。目やにをそっと落として目を開けると、そこには見た覚えのない豆電球が付けられた電灯が映った。
(そう、か。俺は……確かこの部屋で……)
辺りを見ると、二人はまだ寝ていた。繭愛と魅緒。梶樹は基本的にはそこそこ早起きなのだが、繭愛の方がより睡眠時間が多い分目覚めが早いのがほとんどだ。それより早く起きてしまったということは、まだそこまで時間は経っていないのだろうか。
「昨日は大変だったな、繭」
穏やかな寝息を立てる繭愛の髪を、起こさないよう気をつけながら撫でる。普段なら逆な立場なのだから、少し新鮮さを感じた。
「そういや、覚羅は……」
布団にはいない。なら、きっと隣だろう。梶樹はそろりと引き戸を開けて直すと、ゆっくりとちゃぶ台の部屋へ踏み込んだ。目覚めたときに近くにいないと、繭愛をまた不安にさせてしまうだろうかという思いが心に引っかかた。
中央にぽつんと居座るちゃぶ台の上に赤い何かが置いてある。近づいてみるとそれは綺麗に折り畳まれた細い布であることが分かった。手に取ってみると、遠目から見て思ったよりかは短かかった。
「そいつは俺の相棒だ」
横から声がかかる。覚羅だった。まだ浴衣姿で、どこにあったのだろうか湯呑みを手にしている。
「これ……鉢巻か?」
「不良共のアタマの証なんだと。これを持ってる奴は中でも一番の漢って印ーー、勲章みてえなもんだ」
懐かしそうに鉢巻を見つめる覚羅の顔は、どこか寂しげなものがあった。……まるで、遠く離れていってしまった想い人を憐れむように。
「そうだ、お前のケータイにも来てたはずだぜ。ーーあと一時間でゲームが始まるってな」
自分のスマホを手に取って、見せるようにいう覚羅。その言葉に梶樹は慌てて充電器に繋いだ自分のスマホの画面を開く。
確かに通知はあった。ーー相手とのエンカウント。直訳にして遭遇。これはゲームにある単語では対戦相手との対面を意味する言語だ。
「……!能力欄が、解放されてる……」
今まで見えなかった黒く塗り潰された欄。それがいつ開かれたのか、閲覧できるようになっていた。抽選を引いて以来、何も情報がなかった自分の能力。その内容はーー。
「俺はもう確認したぜ。まだ時間残ってんだから、試し打ちでもしてたらどうだ」
そういうと、覚羅は湯呑みを持ったまま部屋の奥へと消えていってしまった。だが今の梶樹にその声は届かない。というのも一字一句読み込むのに必死になっていたためである。
それにはこう書かれてあった。
能力名《迅雷鳴動》ものを思う通り動かすことができる
なんとも無駄に中ニチックな称号がつけられている、たったそれだけの短い文面。これを見た梶樹はーー、ふっと微笑んだ。
(なんか……普通だ)
銀の玉は SRの評価があったが、正直なところ微妙なのではと危惧していたところがあった。物体を移動させるのは超能力のひとつーー念動力に分類される。
能力というのはやはり手足の延長というゲームマスターの言葉通りの意味なのかもしれない。実際にマジックショーなどで瞬間移動したように見せることもあるが、結局は芝居。観客の目が起こした錯覚に過ぎない。
「移動させるって……どうするんだ?」
おもむろにちゃぶ台へ向かって手を向けてみるも、何も起きない。もう解放されているのなら使えるはずだがーー。
何か、感覚的なものなのかとも思う。しかし、ちゃぶ台の他にハンガーや湯呑みにも手をかざしてみるもやはり動かない。
(条件でもあるのか?)
パッとできてしまう魔法のようなものではなく、能力。ならばその条件とはなんだろう。位置、距離、重量。考えるほどに要素は増えていく。
移動できる位置に制限があるとするなら、それはどの範囲までなのか。移動できる距離に限度があるなら、それはどこからどこまでなのか。移動できる重量に確約があるなら、どの重さまでなら可能なのかーー。
梶樹はうーん、と唸り込んで頭を回転させる。あと少しでゲームが始まる以上は能力の使い方くらいはなんとなくでも掴んでおきたかった。けれどもコツ、コツと古時計の針が時を刻む音が流れていく。
「移動かぁ……ボール、とか?」
梶樹はバスケットボールがリングに入るその瞬間を思い浮かべる。相の手から放たれた濃いオレンジ色のボールが、リングに吸い込まれるようにして弧を描くようにスパッと輪をくぐっていく……そんな想像。
弧を描く放物線。それをイメージしながら梶樹はちゃぶ台に覚羅が置いていった中身の入っていない湯呑みに手を向けた。
すると、それまで微動だにしなかった湯呑みがふわりと空に浮かびあがりそのまま弧を描くように梶樹の両手にすっぽり収まる。
「で、きた……!すごいな、これが俺の能力……」
なんとなくだが条件にアタリがついた気がする。今度はやれる、という前向きな気持ちが梶樹の心を昂らせた。次の対象は、隅に畳まれた黒のパーカー。梶樹が昨日着ていたものだ。それが一瞬にして消えて、手に掴むようなイメージを作り上げる。
意識を集中した途端、隅に置かれていたパーカーが煙のように姿を消して梶樹の手に現れた。瞬時に現れたパーカーに、梶樹は歓喜の声を押し殺した。それは、能力の条件に確信を得たからである。
つまり、必要なのは位置でも距離でも重量の限度でもない。なにが、どこに、どうやって。この明確な想像、イメージの力こそが梶樹の能力のトリガーなのだ。瞬時にものを移動できる能力、瞬間移動。見た限りの文では地味だが想像以上に便利な能力なのではないだろうか。
喜びのあまりに飛び跳ねてしまいそうな梶樹だったが、ふと繭愛がまだ起きていないことに気がついた。はっと時計を振り返るとーー、残り二十五分を切っている。
「繭、魅緒さん、起きてくれ!ゲームが始まるんだ!」
梶樹は急いで戸を開け切ると、二人を起こしに飛び込んでいった。
とある一室、モニタールーム。そこで静かに波紋が起きていた。いくつもの画面のひとつーー、梶樹がパーカーを移動させた映像に周囲はどよめいた。
「驚いたな、もうあの仕組みに気づくとは。チュートリアルクリアも偶然ではないということか」
「でもぉ、ダイジョブなんすかぁ?いくらGM直々の恩賞とはいえ妹ちゃんの方はPRしょ?おれっちとしてはバランスが心配になるとこだけどぉ」
「問題ないわ。いくら強力な能力を得たとしてもーー使えるかどうかは当人次第。あの方もそうおっしゃっていたわ」
「我らにできることは見守ることのみ。仲裁権は全てマスターが決めること。奢るでない」
ひときわ低い声の人物がそう語ると、中のひとりがモニター越しに映る梶樹をもの欲しそうに見つめた。
「見せてもらおうかしら、貴方がどこまで生き残るのか……ふふっ。楽しませてもらうわよ」
冷徹な機械の作動音が、じゅるりと舌舐めずりをした女らしき人物の動作をかき消すように反響した。




