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グリム機関の赤頭巾  作者: 兎月竜之介
切り裂きジャック
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 シルフィやマリアと話せなくても、それ以外の日課は変わらない。

 翌朝、起床した森斗はいつも通りに筋力トレーニングを行った。愛用している拳銃のメンテナンスをして、鏡を見ながら構えが歪んでいないか確かめる。それが終わると、ササッと手際よく朝食と一人分の弁当を作った。


 朝食を取りながらニュース番組をチェックすると、新宿の殺人事件が一大ニュースとして取り上げられていた。連続殺人鬼ジャック・ジョーズが犯人であると判明して、きっと次の殺人事件が起こるはずだと大騒ぎになっている。また、港で中年男性が殺された一件も、ジャックとの関係が疑われている。


 当然のことながら、グリム機関に対して残されたメッセージについては報道されていない。ジャックが単なる連続殺人犯ではなく、異端者であることを知っているのはグリム機関の人間だけだ。世間が警察に早急な解決を求めても、彼らには絶対解決できない。


 歯がゆさを覚えるばかりだがニュースは最後までしっかりと見る。いつもと同じ時間に起床したのはいいが、作った弁当が一つだけなので時間が余ってしまったのだ。することがないのに早起きしても三文の得にもならない。


 仕方ないので、少し早めに自室を出る。

 森斗は階段を下りて、少しだけシルフィの自室前で待つことにした。もちろん、彼女が出てくる気配はない。マンションの住人が数人ほど廊下を通りかかったので、軽く会釈を交わしただけである。


 シルフィと一緒に登校することは諦めて、森斗は一人だけで学校に向かった。

 一人で歩いていると、シルフィやマリアが転校してくる前のことを思い出す。当時は何とも思っていなかったが、今になって考えるとかなり寂しい毎日だった。事務的なこと以外は、誰とも会話していなかった気がする。


 学校に到着したのも随分と早い時間だった。

 稀野学園に入学してから、おそらくは初めてのクラス教室一番乗りである。


 しばらく待っていると、他の生徒たちも一緒に春臣がやってきた。

 彼は教室で森斗の姿を見つけると、驚いた顔をして駆け寄ってくる。


「珍しいな。今日は一人なのか?」

「そういう日もある」

「……なんか、めちゃくちゃ元気がなさそうだぜ?」


 顔には出していないつもりだったが、どうやら全然隠せていないらしい。

 春臣に心配されながら、森斗は精彩を欠いた会話を繰り返した。

 話し相手がいるだけでも十分にありがたいことである。

 そして、ホームルーム開始の予鈴が鳴ったときのことだ。


「おはようございまーす!」


 マリアが普通に教室に入ってきた。

 クラスメイトたちは少し驚いている。というのも、マリアはいつも遅刻ギリギリで教室にやってくるのだ。ヘリコプターに乗ってきたり、窓から飛び込んできたりと、かなり派手な登校の仕方をすることも多い。むしろ、普通に登校してくることなど転入初日から一度もなかったのである。


 マリアは森斗と春臣にも「おはようございます!」と挨拶した。だが、そこからいつものような会話にはつなげない。自分の席について、他のクラスメイトたちと話し始めた。美希からの命令通りに森斗から距離を取っているのだ。


 森斗やシルフィに比べて、マリアはエージェントとしてのプロ意識が高い。感情をコントロールして、平生を振る舞うことにも長けている。本来ならば、森斗だって彼女のように普通の演技を貫かなくてはいけないのだ。


「いきなり普通に登校したりして、どうしたんだろうな?」


 春臣が尋ねてくる。

 森斗は彼女の事情を当然知っているが、部外者には話すことはできない。

 そのため、なるべく自然そうな嘘を考えることにした。


「……流石に先生から注意されたんじゃないかな?」

「はぁ? そんな普通っぽい理由とか逆にないだろ。お前の回答もらしくないな」


 いい線を行ったような気がしたが、ザックリと春臣に否定されてしまう。

 普通っぽいことが普通じゃないだなんて、なんだか矛盾した響きである。だが、それこそが森斗たちの日常なのだ。自分たちはこれから、ジャックを倒すため不自然な普通を演じ続けることになる。


 最後にやってきたのはシルフィだった。

 シルフィは教室に入ってくると、すぐさま森斗たちがいることに気づいた。挨拶しようとして手を挙げるが、そこで彼女の動きがピタリと止まった。何か言いたそうな顔をしているが、どうにか言葉を飲み込んで我慢する。


「おはよっす、シルフィちゃん」


 景気よく挨拶する春臣。


「……はよう」


 シルフィは一応挨拶を返すが、言葉がハッキリと聞き取れない。

 森斗だってかなりの演技下手だが、シルフィの方もなかなかひどいものだ。拗ねていて挨拶しないのならまだしも、今日は明らかに元気がない。会話禁止の命令に相当苦戦しているのだろうな、と森斗は思った。


 シルフィが自分の席に着いたところで、担任教師の諸岡が教室に入ってくる。

 マリアのことを二度見する諸岡。

 どうやら、今朝の状況を一番驚いているのは彼であるようだ。


「西園寺がいるってことは、他はもう全員いるってことだな?」


 諸岡が念のために出席を取り始める。

 授業時間が始まってしまうと、いよいよ森斗がシルフィに声を掛けるタイミングはなくなってしまった。


 ×


 授業自体はトラブル一つなく終わったが、森斗は結局シルフィともマリアとも言葉を交わさなかった。昼休みになると二人はどこかに姿を消してしまい、昼食は春臣と二人で済ませることになった。


 放課後になると、案の定、シルフィとマリアは何も言わずにさっさと下校してしまった。森斗と言葉を交わさないどころか、二人の間にも会話は一切ない。学校に通っている間も、二人はまさに作戦行動中なのである。


 森斗は掃除当番を終えると、すぐさま美術室に顔を出した。

 美術室では春臣が一足先に漫画本を読んでいた。

 彼が漫画本を閉じて尋ねる。


「シルフィちゃんとマリアちゃんは?」

「しばらくの間、美術室には来られないみたいだ」


 二人から伝言を預かっているわけではない。

 森斗が辻褄合わせに答えると、春臣が「だろうなー」と残念そうに言った。


「長山先生のところに昼休みのうちに言いに来たってさ。美術室には来られないが、文化部発表会の作品は間に合わせるから心配しないで欲しい……だって。そんなこと、俺たちに直接言ってくれたらいいのにな」


 椅子に腰掛ける森斗。

 すると、春臣が身を乗り出して聞いてきた。


「お前、あの二人と喧嘩でもしたのか?」

「……い、いや?」

「なんだよ、その微妙な間は! まぁ、お前に喧嘩なんて複雑なことができるとは思えないけどな。先月もいきなり一週間くらい休んだから、帰国子女なら帰国子女なりの、お嬢様ならお嬢様なりの事情があるんだろう、きっと。ちょっと心配だがな」


 森斗が大した答えも返さないうちに一人で納得する春臣。

 彼は三つ並べた椅子の上で横になる。


「男二人ってのも、気楽っちゃあ気楽だけどなー」


 開いた漫画本を顔に載せると、春臣はそのまま居眠りを始めてしまった。

 森斗は椅子に腰を下ろすと、作業台でイラストを描くことにする。ゴールデンウィークの間にできるだけの枚数は描いたので、これからは一枚ごとのクオリティをアップさせていく予定だ。今まで描いた絵の中から好きな題材を選ぶ。


 絵を描き始めて数分。

 集中できなくて、森斗は鉛筆から手を放してしまった。


 シルフィとマリアのことが気になって仕方がない。

 せめて部活の時間くらいは任務のことを忘れようと思ったのに全くの逆効果だ。

 森斗が作業台にあごを載せてうなだれていると、


「――先輩、いますか?」


 美術室の引き戸を開けて、誰かが廊下から声を掛けてきた。

 森斗は体を起こして振り返る。


 そこにいたのは中等部の生徒である『大神沙耶』だった。

 図書委員の仕事を抜け出してきたのか、彼女はエプロンを付けている。


 沙耶は人狼の異端者『大神煌』の妹である。大神煌を倒したあと、森斗は彼女と図書室で偶然であった。沙耶は高等部のダブル美少女転校生が気になっているらしく、春臣から勧誘されたこともあって、たまに美術部に顔を出しているのだ。


「こんにちは、狩屋先輩」


 沙耶は美術室に入ってくると、周囲をキョロキョロと見回した。

 隠そうともせずに大きなため息をつく。


「……シルフィ先輩とマリア先輩はいないんですね」

「二人はしばらくの間、用事があって美術部に来られなくなったんだ」

「そ、そんなぁ……」


 森斗が答えると、沙耶はやや大げさに作業台にもたれかかった。


「私、マリア先輩と一緒に『シルフィ先輩を愛でる会』を結成したばかりなんですよ! 今日はどんな方法でシルフィ先輩の恥ずかしがっているところを……じゃなくて、可愛いところを引き出そうか、ゴールデンウィークの間から考えていたんですから!」

「それを僕に言われても」


 などと言いながら、本心では「愛でる会、楽しそうだな」と思っている森斗。

 実際、沙耶のメンタルの強さには感心する。


 彼女は幼い頃から、兄である大神煌の横暴に悩まされてきた。兄が亡くなってからも、その余波はなかなか簡単に消えてくれない。森斗は大神煌を倒したことは後悔していないが、狩人というよりも一人の人間として、沙耶のことを心配していた。


 ただ、その心配も杞憂だったようである。こうして美術部に顔を出しては、笑顔を振りまいているのが証拠だ。一見すると弱そうにしか見えない彼女には、心の強さというやつがしっかりと備わっているのである。


 見た目が立派だろうと、戦いに長けていようと、それが精神力の強さとイコールで結ばれているわけではない。

 大神沙耶はそのことを理解させてくれる。


「ちなみに今回はどんな方法で愛でようと思ったの?」


 問いかける森斗。

 沙耶はニヤリとして、スクールバッグから何かを取り出した。


「低周波治療器です! シールみたいなものを体に貼り付けて、スイッチを入れるとビリビリするやつですね。私のお母さん、看護師だからこういうのにも詳しいんですよ。出力最大にするとシルフィ先輩がどうなるか、マリア先輩と試してみようと話してまして」

「科学的な意味で興味深い」


 僕が同じことをしたら間違いなく蹴られるだろうな、と森斗は思った。

 沙耶のためにもジャックを一刻も早く倒してしまいたい。できることならば、文化部発表会には部員みんなで参加したい。そう思えば思うほど、何もできない自分が情けなくて仕方ないのだった。


 これは良くない兆候だ。

 森斗が思い悩んでいると、沙耶が「あっ!」と何かを思い出した。


「そうそう、真田先輩に用事があったんですよ」

「ん? なになに?」


 居眠りしていたはずの春臣が飛び起きる。

 顔に乗せていた古いラブコメ漫画が落っこちる。

 沙耶がニッコリと微笑んだ。


「真田先輩が学校図書館にリクエストしていたデザイン集が入荷しましたよ」

「マジで!? あの本、めっちゃ高いんだよな。ねだってみるもんだ!」


 春臣は漫画本をロッカーに戻して、それからササッと荷物をまとめた。

 あまりの手際の良さで、森斗はあっけにとられて眺めているしかない。

 最後に春臣から美術室の鍵を投げ渡される。


「森斗、戸締まりを頼む。俺は沙耶ちゃんと学校図書館に行ってくるわ」

「狩屋先輩、それでは失礼しますね」


 そして、春臣と沙耶の二人はあっという間に美術室から出て行った。

 森斗はその場に一人だけ残されて、


「お、置いて行かれた……」


 しばらくの間、ぽかーんと放心していた。


 ×


 結局、事態が好転しないまま一週間が経過した。

 森斗の起床時間は以前に比べて遅くなった。毎朝作る弁当も一人分だ。


 シルフィとマリアは切り裂きジャックの一件だけではなく、他の事件にも引っ張られているせいで忙しそうだ。時折、学校を早退することもあった。マリアとは軽い挨拶くらいなら交わしているが、最近のシルフィは視線すら合わせてくれない。


 文化部発表会に向けて、イラストの準備だけは着々と進んでいた……というか、イラストに集中するしかなかった。2Hから6Bまでの鉛筆を丁寧に削って、気が済むまで一枚のイラストに描き込んだ。


 シルフィとマリアの作品は、ある日突然、美術室のロッカーに預けられていた。顧問の長山が言うことには、また昼休みを利用して置きに来ていたらしい。文化部発表会の当日まで、作品は見ないで欲しいとのことだった。


 あれから、美術室には沙耶が毎日のように遊びに来ている。シルフィとマリアが戻ってくるのを待っているのだ。春臣はそんな沙耶に漫画本を勧めてみたり、絵を描かせてみたりと楽しそうにしている。発表予定の作品も完成の目処が立っているようだ。


 殺人鬼が出没しても、中高生の毎日に変化はあまりない。

 森斗は自分だけが取り残されているような感覚を覚えていた。

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