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グリム機関の赤頭巾  作者: 兎月竜之介
切り裂きジャック
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 狩屋森斗の朝は愛用している自動拳銃のメンテナンスから始まる。パーツごとに分解して、しっかりと丁寧に汚れを取る。二丁あるのでそれなりに時間が掛かる。組み立て直したら動作確認をして、何度か抜き打ちの訓練をしておく。


 武器のメンテナンスが終わったら、今度は筋力トレーニングの時間だ。腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワット……とても地味である。本当は古武術の型やら、連携技やらを練習したいのだが、流石に自室では広さが足らない。


 筋トレが終わったところで、森斗は部屋が少々散らかっていることに気づいた。

 料理はそこそこ得意だが、なぜだか掃除は苦手である。以前、一度だけシルフィが部屋の掃除をしてくれたことがあった。森斗がなくしていた雑誌を見つけてくれるなど、彼女の整理整頓スキルは目を見張るものがある。


「……掃除は後でいいか」


 森斗はシャワーを浴びて、それからササッと朝食を作った。

 座布団に腰を下ろして、テレビを見ながら食事を取る。


 テレビではニュース番組が流れていて、朝から重苦しい事件が取り上げられていた。東京どころか日本中、世界中で凄惨な事件が毎日発生している。その中のいくつかは、異端者が原因になって起こったものだ。ただ、ニュースに一通り耳を傾けてみたが、昨晩の事件についてはまだ報道されていなかった。


 グリム機関の東京支部は、おそらく事件をなかったことにするつもりなのだろう。異端者の存在が表沙汰になりかけたときは、都市伝説を流布することで事実をうやむやにするのがグリム機関の常套手段だ。だが、今回は静かに戦闘が終了したので、情報の隠蔽に凝る必要性がないのだろう。


『それでは今日の特集。あの悲痛な事件から十五年あまりが経過しました。アメリカのデトロイト州で起こったジョニー・ジョーズ事件について振り返ります。事件は有名俳優ジョニー・ジョーズ氏と、その妻の――』

「……おっと、そろそろ出ないと」


 コーナーが変わったところで、森斗は朝食を食べ終わる。アナウンサーの言葉を聞き流しながら、制服に着替えて登校の準備をした。戸締まりを確認して、スクールバッグを肩に引っかける。忘れ物はないはず。


 森斗はテレビを消して、マンションの自室から外に出た。彼の住んでいる部屋はグリム機関が用意してくれたものだ。真下の部屋にはシルフィが住んでいて、毎朝迎えに行くのが森斗の日課になっていた。


 だが、今日は少し遅れてしまったらしい。

 階段を下りた先で、不機嫌そうな顔のシルフィが待っていた。


 彼女はセーラー服の上に赤色のパーカーを羽織っている。毎日のように着ているところを見ると、かなりのお気に入りで同じものを何着も持っているようだ。フードを被っているのは不機嫌な証拠で、文字で表現するならぷんぷんといった感じだろう。

 シルフィの頬がふくれている。


「五分遅い。カップラーメンなら伸びるところだぞ」

「カップラーメンは少し伸びたぐらいが美味しいと思うけど?」

「そういう問題じゃない!」


 声を張り上げたシルフィだが、そのまま大きなあくびをしてしまった。

 目尻に浮かんだ涙を恥ずかしげに手の甲でぬぐい取る。

 シルフィの長い睫毛が頬に影を落としていた。


「……私たちが自室に帰ってきたのが三時前か。流石に眠いな」

「久しぶりの出動だったからね」


 眠気に負けて、怒る気力もないらしい。

 森斗はシルフィと並んでマンションを出ると、いつもの道を通って学校に向かった。


 ゴールデンウィークが間近に迫っているせいか、通学路を行く学生たちはどこかせわしなく見える。どこかに外出する予定でもあるのかもしれない。対して、森斗としては「たっぷりと眠って、漫画本をたくさん読めればいいかな」という程度だ。それでも、本当にすることが何もなかった昨年に比べると大変な進歩である。


「シルフィはゴールデンウィークの予定は考えてる?」


 森斗の問いかけにシルフィは首をひねった。


「……一体何だ、それは?」

「あっ、そうか。日本の習慣だから知らないのか」


 携帯電話でカレンダーを表示させてシルフィに見せる。


「五月の頭に休日と祝日が連続しているよね? これをゴールデンウィークと呼んで、合間の平日に有給休暇を入れる人も多いんだ。思い切って遠出してみたり、家族サービスをしてみたり、みんなそれなりに楽しんでる」

「だが、私たちには関係のなさそうな話だな」


 シルフィがドライに言い切った。

 異端者は祝日も長期休暇もお構いなしである。森斗たちは東京の事件を担当している以上、出かけられるのは都内か隣県が限界だろう。別の狩人に留守を任せれば遠出も可能かもしれないが、グリム機関の東京支部は万年人員不足である。


「まぁ、近場で遊ぶくらいなら普通の学生らしいが……」


 ぽつりと付け加えるシルフィ。

 森斗たちはグリム機関の狩人だが、普段は学校に通っている高校生だ。いわゆる表の顔というやつである。一般人として社会に溶け込むことも狩人の仕事だ。とりわけ、シルフィは普通を演じることにこだわっている。


 こだわるのも無理はないな、と森斗は常々思っている。

 シルフィは何しろ目立つのだ。可愛らしい容姿、それと相反する気迫、それが組み合わさって生み出される存在感……狩人になっていなければ、彼女はきっと自分の好きなものになれただろうという気さえしてくる。


「……む?」


 赤信号に引っかかったところで、シルフィが唐突に右を向いた。

 森斗も釣られて振り向く。

 そこにあったのは最近オープンしたばかりのミスタードーナッツである。


 シルフィは強烈な甘党だ。森斗が食生活を正していなければ、朝昼晩と甘いものを食べ続けていたことだろう。そんな彼女はミスドのドーナッツが大好物で、日本に来てから一ヶ月ほどなのにポイントを溜めまくって景品を集めている。


「……いや、ここは我慢だ。森斗のお弁当があるから我慢だ」


 自分に言い聞かせるシルフィ。

 だが、ここで森斗から驚愕の事実が伝えられた。


「――ごめん、シルフィ。今日は弁当を作っていないんだ」

「えっ!?」


 シルフィの口があんぐりと開いている。

 信号が青に変わっても、彼女はその場から動く気配がない。

 通学中の学生たちが二人を追い越していった。


「……な、なぜだ? なぜ、そんなマネをする? お弁当を作っていない、だと? 左腕を複雑骨折しているのに、器用に右手だけでサンドイッチを作ったお前が――ハッ!? これはまさか、超越者協会の陰謀では――」


 シルフィの体がわなわなと震え始める。

 いやいや、と森斗は小さく手を振った。


「弁当を作っている時間がなかったんだよ。昨日は夜遅くまで仕事をしていたからね。かといって、武器のメンテナンスと毎朝のトレーニングは欠かせないから。だから、今日は購買か学食で我慢してくれないかな?」


 ショックのあまりに硬直するシルフィ。

 彼女にとって手作りのお弁当とは、すでに生活の一部になっているようだ。

 シルフィはミスドの方に振り返ると、腰を落として前傾姿勢になった。


「私はお弁当を作ってもらっている身分だ。お前を責めることはできない。だが、これだけはせめて言っておきたい。私はこれからミスドのドーナッツを買い占めてくるが……決して止めないでくれっ!」


 彼女は猛スピードで走り出す。昨晩、飛びかかってくるグールをかいくぐったときのような本気の猛ダッシュだ。空中に飛び散った涙の滴が、シルフィの軌道を描いている。森斗はキラキラ光る涙の滴を見て、とても美しい光景だと感動した。


 ×


 結論から言ってしまえば、シルフィはドーナッツを買い占められなかった。現在、朝八時なのだから当然だ。開店するまで二時間ほど。学校をサボってまでドーナッツを買うことは、シルフィの道徳心が許さなかったのである。


「ドイツ人だからな」


 キリッとしているシルフィ。

 こうでもしなければ、ドーナッツを買えなかった悲しみを誤魔化せないのだろう。

 ともあれ、森斗とシルフィは私立稀野学園に到着した。


 二人はこの学園の高等部に通っている。グリム機関の力が働いたおかげで、入学試験や転入試験はパスされた。その気になれば成績や出席日数もいじることはできるが、上司の美希からは「高校くらいは卒業しておきなさい」と口うるさく言われている。


 二年一組の教室に着くと、すでにクラスメイトの真田春臣の姿があった。


「よっす、二人とも!」


 彼は森斗の隣席で、美術部に入部してからの間柄である。面白そうな漫画本や小説を紹介してくれたり、近所の遊び場を紹介してくれたりと世話になっている。グリム機関とは無関係な貴重な友人の一人だ。


 森斗は自分の席に着いて、スクールバッグを机に引っかけた。

 グリム機関の力か、単なる偶然か、シルフィとマリアの席まで森斗の隣である。


 シルフィは覇気のない顔をして、森斗のすぐ後ろの関に腰を下ろした。

 マリアの姿は見られない。まだ登校してきていないようだ。


「二人とも眠そうだな、おい?」


 春臣が心配して声を掛けてくる。

 平気なつもりでいたが、どうやら顔に出てしまったらしい。

 シルフィに至ってはフードを被ったまま机に突っ伏している。


「思わず夜更かしをしてしまって、寝るのが遅くなってしまったんだ」


 森斗がそう言うと、春臣が興味津々に擦り寄ってきた。


「ほほぉ……お前もついに夜更かしをするようになっちゃったか。で、何をしてたんだ? 俺が貸してやったゲームは遊んでみたか?」


「もちろん遊んでみたよ」


 森斗の答えはあながち嘘ではない。

 春臣が貸してくれたゲームは携帯機向けだったので、作戦の待ち時間を使って遊んでいたのである。森斗が体感シューティングゲームにはまったことを考慮してか、貸してくれたのも人気のFPSゲームだった。

 森斗はゲームの感触を回想する。


「銃器の性能をよく再現してるけど、たまに強すぎたり弱すぎたりする武器があるよね。倒せたと思ってトリガーから指を離したら、敵兵がまだ生きていてビックリした。あのライフルとあの弾丸の組み合わせなら、どれだけ頑丈な相手でも三発で倒せるはずなんだけど……ゲームにそこまで求めても仕方ないか」

「な、なんだ、その本当に撃ったことがあるかのような感想は……」

「ナイフで敵兵を一撃で倒せるのはいいんだけど、自分も一撃でやられるのは納得がいかないな。主人公は特殊部隊の出身なんだから、近接格闘の訓練も受けているはずだ。相手がナイフを突き出してきたら、こんな感じで――」


 くるくると腕を回し始める森斗。

 春臣のことはそっちのけで、彼は久しく組み手をしていないことに気づいた。


 グリム機関の狩人として、近接格闘の訓練は定期的に行っている。戦闘班に所属している人間は必ず学ばなくてはいけない。だが、森斗がメインで使っている古武術は、父親であり狩人である狩屋深山から教わったものだ。古武術を使った組み手となると、実戦くらいでしか試せる場所がないのである。


「……お前、自分の世界に入るのが本当に早いよな」


 あきれ顔になる春臣。

 彼は改めてシルフィに声を掛ける。


「シルフィちゃんの方はどうして寝不足なわけさ?」

「私に話しかけるな!」

「ひでえっ! 俺の扱い、ひでえっ!」


 ドーナッツが買えなかった悲しみと、睡眠不足の苛立ちが相まって、シルフィの眼光は手を異の肉食獣のように鋭くなっていた。安易に手を出そうとしたら、グルカナイフで細切れにされてしまう――かもしれない。

 春臣は自分の席に退散した。


「美少女二人が美術部に入部してきて、いよいよ主人公展開が来たと思ったら、この有様なのはどういうことだ? シルフィちゃんは睨み付けてくるし、マリアちゃんは俺にばかり冷たい態度を取るし……ツン期ということか? ツン期ということなんだな!?」

「たぶんだけど、デレたりはしないと思うよ?」

「なぜ森斗にそれが分かる!?」


 分かるも何も事実である。

 マリアが森斗に優しかったのは、それが内部監査班としての任務だからだ。任務のためであれば、仲間の心理を上手に誘導してみせる――まるでスパイのような仕事ぶりである。ただ、すでに好感度稼ぎは終えているはずなので、どうして今も自分に優しくしてくるのか、森斗には全然分からないのだが……。


「まぁ、いいさ。授業中に居眠りでもして、睡眠時間を稼いでくれ」


 春臣が驚異的な速度で立ち直る。


「それで、これは重要な話なんだが……今日の部活には必ず出席してくれ」

「何かあるの?」

「美術部の今後の活動について話しておきたいことがある。マリアちゃんにも伝えておきたいところだが……まだ来てないみたいだな」


 森斗と春臣は教室を見回した。

 始業時間が迫って、教室にはほとんどのクラスメイトが登校してきている。だが、その中にマリアの姿はない。ちょうどチャイムが鳴ったところで、二年一組の担任である諸岡文彦が教室に入ってきた。

 諸岡は教壇に立つと、出席簿を広げて生徒の数をチェックする。


「……また西園寺が来ていないな」


 マリアはいつも遅刻寸前で教室に入ってくるのだが、今日に限ってはその気配がない。ヘリコプター(西園寺グループ製)の飛ぶ音も聞こえてこない。彼女の連続ギリギリ登校記録もついに打ち止めなのだろうか?

 などと思ったときのことだった。


「――私はここにいますよ!」


 教室後方にある掃除用具のロッカーが開け放たれる。

 途端、その中からマリアが勢いよく飛び出してきた。


 彼女は颯爽と着地すると、立ち上がりざまに長い黒髪を手でかきあげる。すると、高級感溢れる香水の匂いが淡く教室に広がった。掃除用具のロッカーから出てきたとは思えない爽やかさだ。狭いところに長時間こもっていたはずなのに汗一つかいていない。


 と、ここで森斗は気づいた。

 小型扇風機、肘掛け、さらにはワンセグテレビまで、掃除用具のロッカー内部が快適空間に改造されているのだ。とはいえ、まるで棺桶のようなサイズのスペースで、長時間の立ちっぱなしであることは変わりない。


 森斗は彼女の努力に敬意を表して拍手を送る。

 自然とクラスメイトたちも彼女のイリュージョンを賞賛していた。

 先ほどまで不機嫌そうにしていたシルフィも、口をあんぐりと開けて手を叩いている。


「ありがとう! 西園寺さんはみなさんに応援して頂けて幸せです!」


 マリアが仲間たちの拍手に応えながら席に着く。

 こうして、今日もいつも通りに二年一組の授業は始まった。

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