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世間一般の人間たちは知らないが、怪物、妖怪、魔物――そういった異形の存在が世界中に隠れ潜んでいる。彼らは重大な禁忌を犯した人間のなれの果てだ。普段は人間の姿をしているが、真の姿に変異すると超常的な能力を発揮する。
自分の隣人が、クラスメイトが、あるいは家族が、実は恐ろしき異端者かもしれない。そうでないとしても、重大な禁忌を犯して異端者になってしまうかもしれない。そのような事実が社会全体に知られたら、人々は誰も信じられなくなるだろう。
だからこそ、異端者を秘密裏に排除している組織が存在する。
それが森斗たちの所属している『グリム機関』なのだ。
森斗は戦闘を専門とする戦闘班――その中でも異端者と正面から戦える『狩人』として活動している。異端者から能力を与えられただけのグールが相手だと、シルフィとマリア……二人の仲間と協力すれば楽勝だ。
とはいえ、今日のように上手くやれる任務が続くわけではない。異端者たちには『超越者協会』を自称するバックアップ組織が存在して、異端者の渡航手段や潜伏場所、武器や補給物資を提供している。そういった組織的行動によって、異端者たちの破壊活動は激化の一途を辿っているのだった。
×
任務が終了してから一時間後。
森斗たちの三人は都内某所――グリム機関東京支部まで来ていた。
東京支部は高層ビル丸ごと一つを隠れ蓑にして活動している。多数の企業がオフィスを構えているように見せかけて、その全てがグリム機関と関係している会社ばかりだ。三人が連れてこられたのは、医療系企業を装った東京支部の診察室である。
診察室にはシルフィと女性医師の姿がある。机があって、レントゲン写真などを差し込むスクリーンがあって、簡易的な診察台があって……という具合に普通の診察室と雰囲気は大差ない。微かな消毒液のにおいが鼻孔を刺激する。
「結果は上々だったようね」
女性医師――結月輝夜が言った。
彼女はグリム機関東京支部の医療班に所属している。シルフィたちの担当医であり、先月の事件で負った怪我を治療してくれたのも輝夜だ。しわ一つない白衣を着用して、後ろ髪をバレッタで無造作にまとめている。印象的な泣きぼくろ。化粧気はないが間違いなく美人で、診察室を多く利用する戦闘班からの評判は色々な意味で悪くない。
「当然だ。あれくらいなら楽勝だな」
フフン、とシルフィ。
服をたくし上げさせて、輝夜は聴診器で彼女の心音をチェックする。ペンライトで喉の奥を覗き込んだり、少量の採血をしたりして、検査自体は数分で終わってしまった。わざわざ大型の機械に突っ込まれるようなことはなかった。
「問題ないようね」
「ここ最近、毎日のように診察やカウンセリングを受けさせられて、うんざりとしていたところだ。グールたちと戦えて、むしろスッキリした気持ちだな。戦いの勘を取り戻すことができた。それどころか、まだまだ戦い足りない気持ちだぞ」
シルフィがエアグルカナイフを振り回す。
「でも、慎重になるに越したことはないわ」
輝夜は机に置いておいたカルテを手に取った。
「シルフィさん、あなたは世界的に見ても非常に稀なケースなのよ。人狼のハイブリッドである時点でも珍しいのに、後天的に能力をコントロールできる人は、もしかしたら世界で初めてかもしれないわ」
苦手な話題が出てきて、シルフィは苦々しい表情になる。
異端者に襲われた人間の中には、能力を分け与えられたときのようにグール化するものがいる。さらにその中で、極少数が人間と異端者の中間状態――すなわち『ハイブリッド』として覚醒するのだ。
シルフィは両親を人狼に襲われて失い、彼女自身も人狼のハイブリッドにされてしまった。さらには人狼化をコントールすることができず、先月の事件では危うくグリム機関からも見放されかけた。だが、シルフィは土壇場で自らの暴走を抑えることに成功して、こうして狩人として復帰することができたのである。
「私だけの力ではない。私が戻ってこれたのはあいつの――」
ハッとして手で口を押さえるシルフィ。
自分は今、何を言おうとしたのだ?
何かとてつもないことを口走ろうとしていた気はするが……。
輝夜が怪訝そうにこちらを見ている。
「顔が真っ赤になってるわよ、シルフィさん。検温しておきましょうか?」
「ひ、必要ない! 大丈夫!」
シルフィは取り繕うようにトレードマークの赤頭巾を被る。
それから、輝夜が真面目な顔をして問いかけた。
「今日の任務で人狼化は試してみたのかしら?」
「……いや、まだやってない」
首を横に振るシルフィ。
実際、人狼化が必要な任務ではなかった。流石に人質の救出までは難しいけれど、五体のグールを倒すだけならシルフィだけでも十分だったろう。逆に言えば、余裕を持って人狼化を試せる状況だったわけだが……。
輝夜が指先でボールペンをくるくる回している。
「カウンセリング中に聞いたことによれば、あなたは実物を目撃するだけではなく、過去には人狼の姿を思い浮かべただけで人狼化したこともあったのよね? だとすれば、今のあなたならば自由に変異したり解除したりできることになるわ」
ただ、それもあくまで理論上の話だ。
先月だけで二度も人狼化した状態から元に戻っている。二度目の人狼化の際、森斗を傷つけずに済んだことを上は評価してくれたのだろうが、それはあくまで土壇場で成功させただけに過ぎない。
輝夜がカルテに文字を書き込んでいく。
「人狼化を試してみる場が必要でしょうね。森斗くんとマリアさんにも同席してもらって、インペリアルと戦ったときの状況を再現する。あなた一人で試してみるよりも、成功率は高いはずだわ」
「……また、あの二人に迷惑を掛けてしまうのか」
シルフィは先月の戦いを思い返した。
人狼の異端者『大神煌』と戦ったときは、シルフィは暴走を止めようとした森斗を傷つけてしまった。そして、吸血鬼の異端者『インペリアル』との戦いでも、彼は命懸けでシルフィを呼び戻してくれた。マリアだって本来は、シルフィが暴走したら始末するように命令されている。命令違反をすれば処分は免れない。
人狼化から元に戻ったあとだって大変だ。自分の足では立っていられないくらいに心身共に消耗する。服がビリビリに破れて裸を見られちゃったりとか、弱ったところを抱きしめられちゃったりとか、そのついでに匂いまで嗅がれちゃったりとか……。
カァーッと顔が熱くなるのをシルフィは感じる。
すると、輝夜が身をかがめて彼女の顔を覗き込んできた。
「……やっぱり検温しておこうかしら?」
「大丈夫! 本当に問題ない!」
シルフィは椅子から立ち上がって、脇に置いておいたグルカナイフを身につける。
どうにかこうにか誤魔化しながら、彼女は診察室から撤退するのだった。
×
診察室前の廊下には、先に診察を終えた森斗とマリアの姿がある。
二人してベンチ並んで、シルフィが来るのを待っているのだ。
時刻はすでに深夜の二時を過ぎている。明かりが最低限しか点いていないため、廊下は結構な暗さだ。非常口を知らせるマークが遠くで緑色に光っている。廊下のエントランスホールに続いている方向からは、この時間でもせわしない足音が聞こえていた。
「今頃、別チームの狩人たちが異端者と戦っているところですかね?」
マリアが尋ねる。
森斗は携帯電話で時刻を確認した。
「あのグールが――誘拐犯が簡単に情報をバラしたから、確かに異端者の潜伏場所に突入している頃合いだろうね。僕たちが復帰した直後じゃなければ、そっちの任務も続けてやらされていたんだろうなぁ……」
「焦っても仕方ありませんよ、森斗さん」
マリアが大きなあくびをする。
「それにしても久しぶりの出動……加えて深夜の任務なので、眠くてたまりませんね。私は四時間睡眠くらいでも平気なタイプですが、明日の授業のことを考えると今から憂鬱です。正直言って、サボっちゃいたいですよ」
「春臣が『明日は大事な話がある』って言ってたじゃないか」
森斗はクラスメイトであり、同じく美術部の部員である男のことを思い返した。
大事な話とは何なのだろうか?
――などと考えていると、森斗の肩にマリアが寄りかかってきた。
マリアは人慣れした猫のように頭をぐりぐりとしてくる。
一仕事を終えたあとなので、森斗は微かな汗の匂いを感じた。
「……マリア、それはわざとやっているわけだよね?」
「そうですよ?」
しれっと言ってきたマリア。
森斗は腕組みをして「ふーむ……」と考えた。
「マリアは内部監査班の人間として、僕に厳しい命令をしなくてはいけなかった。だから、少しでも言うことを聞いてもらいやすくなるように、先月は無理やりに好感度を稼ごうとしていたわけだよね?」
「そうですね」
「だとしたら、今やっていることはどういう意図があるのかな?」
マリアが森斗の肩に頭を乗せる。
「そんな小さなことはいいじゃないですか。森斗さんだって電車に乗っていて、居眠りしている美少女に寄りかかられたりしたら嬉しいでしょう?」
「それは確かに嬉しい現象だ」
「細かいことは考えずに幸せを享受することですよ、森斗さん」
幸せを享受すること数分。
シルフィが診察室から出てきたところで、マリアがやっと森斗から離れた。
森斗はベンチから立ち上がって、彼女のそばまで駆け寄る。
「診察はどうだった?」
「何も問題はなかったぞ……」
彼にくるりと背を向けるシルフィ。
反応が妙なので、森斗は首をかしげた。
シルフィの小さな背中がいつもよりさらに小さく見える。
「……もしかして、身長が縮んじゃったの?」
「縮んでない!」
「それなら良かった。僕は先月から、ずっとシルフィのことが気になっていたんだよ。僕たちとは違って、シルフィが怪我をしているのは体じゃなくて心の方だからね。それに心の治療だなんて僕にはできないし……」
異端者と戦える狩人とはいえ、何でもできる超人というわけではない。
特に森斗は活動を初めて二年目のルーキーだ。三人の中では最も経歴が短い。そして、シルフィは処理班の訓練を受けたことがあり、マリアは内部監査班の所属である。二人とも戦闘以外の技術に心得があるのだ。
シルフィが森斗の方に振り向いた。
「心のケアという話なら、お前がしっかりとしてくれてるじゃないか……」
「……そうだっけ?」
「森斗は私に毎日食事を作ってくれるじゃないか。美味しいものを食べるのは、体だけじゃなくて心の健康にも良い。お前のおかげで、私は復帰するまでの間を焦ったりせずに済んだというわけだ。だから、その……」
ありがとう、と聞こえたような聞こえなかったような。
シルフィがモジモジしていると、マリアがおもむろに擦り寄ってきた。
肩に手を回して、耳元でささやきかける。
「……これは森斗さんに何かお礼をしなくてはいけませんね」
「お礼って……」
「フフフ、この西園寺さんに任せてくださいよ」
森斗が女子二人のひそひそ話を眺めていると、エントランスの方からコツコツと甲高い靴音が聞こえてくる。振り返ってみると、やってきたのは森斗たちの上司である葛原美希と、彼女の後輩である不知火理緒の二人だった。
美希は深夜であるにもかかわらず、髪型やメイクの崩れが全くない。できる女の貫禄がひしひしと伝わってくる。その一方、理緒は大量の書類を抱えてげんなりとしていた。彼女のような普通の女性が、どうしてグリム機関で働いているのかは謎である。
「みんな、お疲れ様ね」
森斗たちは揃って二人の方に向き直った。
美希がスーツのポケットから煙草を取り出すと、理緒がサッとライターを取り出して火を付ける。随分と手慣れているらしい。シルフィがそれを見て、小さな声で「かっこいい……」と呟いた。
マリアが問いかける。
「異端者の方はどうですか?」
「狩人チームが捕まえてきたわ」
美希はふーっと煙草の煙を吐いた。
「現在、ここの地下で尋問しているところよ。超越者協会との繋がり以外にも、人身売買のルートについても吐いてもらうわ。そちらの情報は警察に流す予定ね。まぁ、洗いざらい吐いてもらっても、太陽の下には出てこられないわ」
森斗は床に視線を落とす。
自分たちの足下で尋問とやらが行われているのかと思うと少し憂鬱だ。だが、相手はどんな経緯で異端者になったとはいえ、それを利用してグールたちを操って、人間を攫っては暴行したり、売り飛ばしていたりした。当然、許されることではないし、異端者が関わっている以上は表社会のルールで裁くことができない。
理緒が複雑そうな顔をして付け加えた。
「グールは親玉が倒された時点で能力を失いますけど、異端者はなってしまったら最後、死ぬまで異端者のままですからね……あっ!」
しまったという顔をして、理緒がチラリとシルフィの方を見る。
シルフィは腕組みをしてフンッと鼻を鳴らした。
「私は私だ。異端者どもは正義のためにぶっ殺したいが、それ以外の衝動はない。それにハイブリッド状態が治療できるかはグリム機関の研究次第だ。私はそのときが来るまで、狩人として戦い続けるまでだ」
彼女の決意を聞いて、理緒が「かっこいい……」と小さく呟いた。
美希が半分ほど残っている煙草を携帯灰皿に捨てる。
「……さてと、私たちは別件があるから失礼するわ」
「これからさらに仕事ですか?」
森斗が心配して尋ねた。
こうした二十四時間態勢の姿を見せられると、やっぱり自分たちは狩人とはいえども子供なんだということを実感する。
「今日は夜勤なのよ。朝になったら流石に帰るわ……昼にはまた来るけど」
それじゃあね、と美希は理緒を連れて去っていく。
森斗たちは無意識のうちに、二人の背中を敬礼で見送っていた。




