知りませんわよ、そんなこと
ブルーナ、セダン両伯爵家の婚約は、派閥や事業などの兼ね合いで王命により決まったものだった。
カメリア・ブルーナは、6歳の折にそれを告げられ、政略結婚かあ…と少しだけ残念に思ったものだ。貴族なら仕方ないことだけれど、恋とかしてみたかったと。
それでも結婚するのなら、やっぱり仲良くやっていきたいわよね、とお見合いのような顔合わせに、どきどきしながら相手の男の子を待ったのだ。
壮年の男性に連れられてやってきたのは、茶色がかった黒髪で青い目の、綺麗な顔立ちの子だった。
挨拶しようとカメリアが口を開く前に、その子は言った。
「こんな子が俺の婚約者? 本当に?」
明らかにカメリアを見下した言葉だった。表情も嫌そうに歪んでいる。
初対面で無礼な発言をされてにこやかでいられるほど、カメリアも大人ではなかった。
「こんな失礼な子が婚約者とか、嫌です」
「はあ? それはこっちの台詞。お前みたいなブスと、何で結婚しなきゃなんねーんだよ」
かちんときたカメリアは悪くないと思う。
そこで両親と、相手方の父親が間に入り、ひとまず不毛な会話は止められた。
それから会うたびに、一応婚約者のアルベール・セダンは、ブスだの変な髪形だの、センス悪いだの、馬鹿だのと、会話ではなく罵倒を繰り返した。
何度も、婚約解消を訴えた。相性が悪すぎる。こんなのと結婚生活を送らねばならないのかと、何度も何度も。
だが、決定権を持つものは誰もカメリアの訴えを聞いてはくれず、10年後、結婚式は強行されたのである。
「おい、どういうことだ、カメリア!」
食堂の扉を壊さんばかりの勢いで入ってきた、一応夫となったアルベールを一瞥すると、カメリアは一旦カトラリーを置いた。
「………何がでございましょう」
「何故、夫婦の寝室にいなかった?! しかもお前の部屋、鍵かけてたろ!!」
「…はあ。それが何か」
「昨晩は、初夜だったんだぞ?!」
何を必死に言い募ってるのだ、この男は。冷めた目でカメリアは見る。
「別に、結婚さえしてしまえばよかったのでしょう? 王命では」
「っ…それは、そうだが」
「白い結婚で何の不都合がありまして? 婚約期間の10年間、散々私の容姿やドレス、アクセサリーにまで文句を言ってらしたではないですか」
食事を続ける気分じゃなくなったカメリアは、口元を拭くと席を立つ。
「どこへ行く! まだ話は終わっていない!」
「話すことなどありません。とにかく、極力話しかけないでくださいませ」
「はあ?! 何でだよ」
「…あなたの声など聞きたくないと、言わないと分からないのですか?」
侮蔑を込めた目で睨むと、何故か目の前の男が怯む。
「好き好んで、罵倒を聞きたいという特殊性癖は持ち合わせておりませんので」
「い、いや、それは、誤解で…」
「……」
無言で身を翻すと、焦ったように回り込まれた。鬱陶しいわね。
「その、…」
「言いたいことがあるなら、はっきり、早く、言ってください」
何をもごもご言ってるのだ。早くこの場から去りたい。というか、この男から離れたい。1秒でも早く。
「俺は!」
「……」
「お前が、ずっと好きだったんだ!」
「……」
「だが、その、お前を見ると、緊張してつい、あんなことばかり…」
だから何だというのだ。
「お話は以上ですね。それでは」
「いやいや、何かあるだろ!?」
「知りませんよ、そんなこと」
そう、この男の事情など、知ったことではないのだ。
「カメリア、初夜を拒否したとは本当か?」
「……何しにいらしたのです、お二方」
初夜どころか、閨はずっと拒否してますが何か?
この世で一番憎んでいると言って過言でない男との結婚を強制されたのだ。何故、この上、唯一自分のものである身体まで差し出さねばならないのか。
あの男が泣きついたのか、結婚して数日後に現れた両親を冷めた目で見やる。
「何をしにとは、親に向かって言う言葉か!」
「…娘が不幸になるのを知ってて何もしてくれなかったのに、今更」
「カメリア!」
怒鳴る一応父である男に、無言で返す。
「王命だったのだ、仕方ないだろう!」
「仕方ない、で、あの男に注意もしてくれませんでしたわよね」
「それは、アルベール君は、お前を気に入っていたと知っていたし…」
「若いうちは、よくあることなのよ」
一応母である女も取り成す言葉をかけるが、だから何?
「よくあるから、私に我慢を強いたと。10年も。その間、何度死のうと思ったことか、知らないでしょうね。あなた方は」
「死ぬだなんて、そんな大袈裟な…」
何も知らないから、軽く言える。何も知らないから、勝手なことを言えるのだ。
10年間、耐えて耐えて、終わりの見えない苦しみに、どれだけ傷ついてきたのか、知らないくせに。
「お話がそれだけならお帰りください。そしてもう来ないでください」
「もうお前に会いに来るなとは、どういう了見だ!」
いちいち怒鳴らないと話せないのかしら、この男。うるさいわ。
「どうせ来ても、同じことです」
「何故、そんなことを!」
「わたくしの味方は、侍女のキアラだけでしたわ。どうぞお引取りを」
側にいる、このキアラだけがわたくしの拠り所だった。
あの男の暴言に傷つき、悩むわたくしが、無意識に刃物を握って自傷しようとしたときも。
発作的に自分の部屋の窓から飛び降りそうになったときも。
両親や周囲に何を言っても、聞いてくれない悔しさに憤っているときも。
いっそ全世界を呪いたいと、嘆いていたときも。
声を出さずにひたすら泣いていたときも。
わたくしに寄り添ってくれたのは、キアラだけ。
他の人間は、もう要らない。
「ということで、こちらにサインを」
「ちょっと待ってくれ、カメリア」
「待ちません。待てません」
白い結婚から2年後。貞操を守り通したわたくしは、離婚届を手にサインを迫っていた。
「まあまあ、セダン夫人。落ち着いて」
何故ここにいるのか知りたくもないけれど、口を挟まないでください、王太子殿下。
ついでに、セダン夫人というのもやめてもらいたい。不快なので。
…と言えば、不敬罪確定になるから言えない。
「経緯は聞いているよ。学生時代からずっと、このままじゃ嫌われるぞと言い聞かせてきたんだけどねえ」
効果、まったくありませんでしたわね。殿下の言葉でも。
「こいつ、ずっと夫人に惚れてて、何で自分はこうなんだ!っていっつも後悔してて」
「殿下、その話は…!」
「何だよ、お前が悪いんだろ。子供の頃に一目惚れしたくせに、開口一番吐いたのが」
「殿下!!」
何か寸劇が始まったわね。早く終わらないかしら。離婚届さっさと出して一刻も早くこの男と他人になって、出て行きたいのに。
思わず欠伸が出てしまうわ。
「こいつも反省してるし、夫人も折れて、許してやったらどうかな?」
「…………………………………………は?」
今、何と言われました?
「殿下、もう一度お願いできますか? 理解したくもないお言葉が聞こえた気がして」
「カメリア、不敬だぞ!」
「いいよ、アルベール。もとはと言えば、お前のせいだろ」
「…っ申し訳ありません」
他の人には謝れるのねー。ふーん。
「いや、見て分かると思うけど、反省して、夫人と向き合おうとしてるんだ。許してやってもいいと思うんだよ」
聞き間違いではありませんでしたのね。残念ながら耳は正常でしたわ。
「──何故、許すかどうかを、あなた方が決めるのですか?」
わたくしは今、どんな表情を浮かべてるのだろうか。冷え切った怒りだけが支配しているような感覚で、喋っている。
「何故、加害者に、許すことを強要されなければならないのですか? 許さないわたくしが悪いのですか?」
「加害者って…」
「傷ついたのも苦しんだのも、わたくしです。許す許さないは、わたくしの領分ですわ」
──決めるのは、あなた方ではない。
「王太子殿下には、婚約者がいらっしゃいますね」
「…ああ。それとこれと何の関係がある?」
「では、殿下。婚約者の方から、顔を合わせるたびに、無能、クズ、役立たず、など暴言を吐かれたらどう思いますか?」
「…それは」
殿下は気まずそうに、隣の男を見る。
「反省しているのが見て分かると? では、わたくしが受けた傷も見えますか? 10年分、傷だらけで元の形など分からなくなってるはずですわ」
淡々と言葉を発すると、殿下は深くため息をついた。
「──お前の負けだ、アルベール。それにサインしてやれ」
「…殿下っ!」
悲痛な声を出すが、聞き苦しいったらないわ。
早くサインしろと無言の圧を出すが、なかなか手は動かない。
「…早くしろ! 往生際の悪い」
とうとう殿下から叱責され、泣きながら震える手で男は署名した。
ああ、こんなに晴れ晴れした気持ちになったのは、10年ぶり。
荷物は少ないし、キアラもついてきてくれるというし、やっと自由になれたわ!
背後で後悔に泣き崩れる男のことなど、カメリアには既に視界にも入っていなかった。
了




