月夜のおでかけ 後編
「レオポルド、もう少しゆっくり歩けよ。ネリアは夜の四番街は初めてなんだからさ。キョロキョロしてたし、あちこち見たいんじゃない?」
オドゥに声をかけられて、レオポルドはため息をつくと歩くスピードを落とす。
「四番街からでは月はほとんど見えないだろう」
「そうなんだけど、音楽が聴けるなら四番街かなって……」
観光客向けに娯楽や宿も充実しているから、四番街には高い建物が多い。だから地上からだと、月は建物に隠れてしまう。
それに建物越しにのぞく月は、デーダスで見たものよりもずっと小さく感じる。
「音楽か……」
「劇場に今から入るのは時間的に無理だけど、売店ならチケットがなくても買い物できるよ。行ってみる?」
オドゥが指さしたのは、大劇場のエントランス近くにある売店だった。店内にはつるされた魔導シャンデリアが華やかに光り輝き、俳優たちの絵姿が飾られている。
「わぁ、すてきだね」
「じゃ、決まり。ほら、入り口はこっち」
大理石の階段を上がって重たそうな木の扉を押せば、柑橘系のさわやかな香りがした。
「わ、いろいろある」
「だろ。劇のパンフレットだけでなく、演目に合わせた小物も充実してるんだ。女優が使いそうな手鏡やブラシ、刺繍入りのハンカチも人気だね」
「夜でもお店やってるんだね」
「観劇客向けだからね。他の店は閉まっちゃうかな」
「そうだよね……」
夕暮れにドラゴンが空を飛び、〝夜の精霊の祝福〟が過ぎれば、王都の夜はくつろぎの時間だ。
三年間、人里離れたデーダス荒野で暮らしてきた。魔導ランプが灯る街の景色は幻想的で、現実だということを忘れてしまいそう。
にぎやかさを求めて街にやってきたわたしは、街を歩く人の気配にただほっとしていた。
「ネリア、これなんかどう?」
「えっ?」
「どうしたのさ、ぼんやりして」
「な、なんでもないよ。それなぁに?」
オドゥの手にあったのは小さな宝石箱で、パカッとフタを開けるとメロディーが鳴りだす。
「オルゴール……」
「ネリアが探しているものとは、違うかもしれないけどさ」
「ううん、きれいだと思う。こういうの、居住区にもないし」
「劇で使われた曲が流れるんだ。人形がついているものもあるよ」
ベッドサイドに置いたオルゴールを、わたしが寝る前に鳴らすところを想像してみた。しんとした部屋に響く澄んだ音色は、かえって寂しさを増してしまいそうな気がする。
「劇を観ていれば、ほしいって思えるかも……」
「ピンとこないかぁ」
「そんなことないよ。スノードームつきのオルゴールとか、いいなって思ったもん。そういえばレオポルドは?」
「あいつは囲まれてる。珍しく威圧を抑えているからな」
ふと見るとレオポルドは観劇客らしき淑女たちに囲まれていた。絵姿の俳優たちも美男ぞろいだけれど、精霊のごとき美貌の前では霞んでしまうようだ。
「オドゥがさ、印象操作を教えてあげればいいんじゃない?」
「ネリア、なんでそれ知ってるの?」
穏やかに聞くオドゥの目つきが鋭くなった。
「え、最初から。なんでわざわざそんなことしてるのか、わからないけど。やっぱ、さっきのオルゴール買うよ。今夜の記念にする。でないとオドゥとこうして買い物したことも忘れそうだもの」
「そう?」
「オドゥが選んでくれる?」
「……じゃあ、これ。いつか劇も観てみなよ。おもしろいから」
選んでもらったオルゴールはは、フタの裏に星空が描かれており、音が鳴るといくつかの星がまたたく。それをレジで包んでもらい、わたしは収納鞄にそっとしまう。
「お待たせ、レオポルド」
手を振ると銀髪の魔術師は淑女たちの囲みから、さっと抜けだして大股でスタスタと歩いてきた。
「終わったか」
「うん。待っててくれてありがとう。レオポルドはもういいの?」
彼は息をつくと物憂げに銀の髪をかきあげた。
「ローブを着ていないから、珍しがられただけだ。社交の場にはあまり顔をださないからな」
「僕と一緒のときでも、こういうところには来ないしねぇ」
「そっか、つき合わせちゃったね」
黄昏色の瞳がわたしをじっと見つめた。
「いや……こちらも明るいところで顔色を確かめたかった」
「え、わたしそんなに変?」
わたしは慌てて自分のほほをなでた。レオポルドに顔色を心配されるほどなんだろうか。
「そりゃあ、ふだんと違うかわいい服着て、ひとりでフラフラ夜の街を歩いてるんだもの。どうしたのかって思うよ」
「いつも夜になると城の上を、ライガで飛び回っているだろう」
「う、塔の窓からしっかり観察されてた」
そう、ふだんだったら仕事が終わって、空をライガで気ままに飛んで、たまにドラゴンに乗ったライアスとおしゃべりして。
それから居住区でゆっくりお風呂につかれば、なにも考えずにぐっすり眠れるはずなのに。
「月に誘われただけだよ。今日の月は大きく見えて……ちょっとデーダスを思いだしたの。そしたらにぎやかな場所に行きたくなって」
わたしたちは店をでて、また歩きだした。
「デーダスはなんにもないからなぁ。ライアスを誘えばよかったのに」
「ライアスは……いつも竜舎に行くとバタバタと忙しそうで……あっ、でもそんなんじゃないから。ちょっとでかけたい気分になっただけだよ」
なぜかふたりは顔を見合わせる。ひょっとしてわたし、寂しんぼうだと思われてる?
そんなつもりなかったのに、レオポルドから顔色まで心配されるなんて、ちょっといたたまれない。
「つき合わせてごめん。本当にもう帰るから……」
「もう少しで着く。ひとつ辻向こうだ」
レオポルドの視線の先を追えば、人だかりの向こうから風に乗って、にぎやかな調べが流れてくる。ホテルの前がちょっとした広場になっているようだ。
「あぁ、大道芸かぁ。レオポルド、よく覚えていたな」
「日によって演目は変わるが、これなら月を見ながら楽しめるだろう」
「大道芸……」
近づくと寸劇をやっていたようで、俳優のコミカルな動きに観客がどっと沸いた。劇が終わると次は楽器を手にした男性がでてきて一礼し、それから優雅な旋律を奏ではじめる。
「金を払えば好きな曲を頼めるよ」
そんなことを言われても、こっちの歌なんて全然知らないから、わたしは笑って首を横に振る。
「ううん、だいじょうぶ。とっても楽しいよ!」
「王都にはあちこちから人が集まるからさぁ、観光客相手に郷愁歌も人気なんだよねぇ」
「そっか……故郷の歌をリクエストするんだね」
わたしだけじゃない。みんなそれぞれの想いを抱え、ここに集まって故郷や家族のことを考えるのだろう。最前列の男性が涙ぐんでいた。
オドゥとふたりで哀愁を帯びたメロディーに聴き入っていると、姿を消していたレオポルドがグラスを手に戻ってくる。
「ほら」
「レオポルド、わたしお酒は……」
断ろうとしたわたしの手に、彼はグラスを押しつけた。
「お前のは酒じゃない。魔法使いにも古い作法がある」
「魔法使いの作法?」
まばたきをすると、彼はこくりとうなずく。
「ふたつの月が魔力の源となっていることは知っているか?」
「うん。グレンに聞いたから……」
いまだにその仕組みはよくわからないけど、そういうことらしい。
「静謐な夜に妙なる調べが流れるとき、金属の盃に満たした清水に月を映して飲み干す。願いを紡ぎ今日に感謝し、明日への祈りを捧げる」
手にしたグラスには、大きな月がふたつ映りこみ、ゆらゆらと揺れていた。レオポルドが展開した小さな魔法陣が、光を吸いこんでグラスの上でキラキラと光る。
「僕のは月見酒かぁ、いいねぇ」
グラスを渡されたオドゥが笑って、同じように魔法陣を展開した。
「もっと研究費ほしい。ネリアに会えたことに感謝を。明日はカーター副団長に呼びだされませんように!」
「ぶっ、オドゥったら……」
思わず笑ってしまうと、彼はわたしをうながす。
「次はネリアの番だよ。レオポルド特製魔法水なんて、効き目ありそうじゃん」
「えっ、えっ、じゃあ……」
わたしは光が消えないうちに、慌てて魔法陣に向かって願いごとをささやいた。
「長距離転移魔法陣が無事完成しますように。ふたりに会えてよかった。明日はおいしいオヤツが食べられますように!」
「ネリアってば、願いごと仕事のことじゃん」
「う……とっさだったから。昼間はそれで頭がいっぱいだったんだもん」
わたしはチラッと銀の魔術師を見上げた。
「それでレオポルドは?」
「…………」
長い指がひらめくと、グラスの中の月に重ねて魔法陣が映しだされる。
「人の子に夜の安らぎを。月の導きに感謝を。明日の健やかなる日常を」
彼は淡々とつぶやき、盃をくいっと飲み干している。
ええっと……わたしが頭の中で言語解読の術式が正常かチェックしていると、オドゥがあきれたように笑った。
「わざとわかりにくいように言ってるけどさぁ、『ネリアがよく眠れますように』って願ったんだよ」
「えっ」
グラスを両手で握りしめたままでわたしが驚くと、彼はふいっとそっぽを向いた。
「……お前とは限らん」
「それよりネリア、飲み干さなきゃ」
「あ、うん……グフッ、ゴホッ、ゴホッ……」
わたしは慌てて飲み干そうとして……盛大にむせてしまい、そのせいか翌日の仕事はうまくいかず、楽しみにしていたオヤツはウブルグに食べられてしまった。
だけど寝る前にオルゴールの音色を聴いても、寂しくならずにぐっすり眠れたのはレオポルドのおかげかもしれない。
アーユルヴェーダの書物に気持ちを鎮める方法として、『金属製の盃に満たした水に月を映して飲む』というのが紹介されているのです。










