第十一話
「はあ、はあ、はあ、はあ、……」
とっさの機転でなんとかあの死神のいる酒場から逃げ出した私は、夜の街をひたすら走っていた。
あの男……ラルフに正体をバレていたとは思わなかった。このままだとまずい、なんとか街の外に逃げないと……。
私は細い路地を進み南大通りへとむかう。
瞬間、背中に鉄の棒を打ち付けられたような強烈な痛みが走る。
私はそのままボールのように飛んでいき、家の壁に当たりその場に倒れ込む。
「ちょ、ちょっと!もし違う人だったらどうするんですか!?」
「……獣人の目を舐めないで、この距離で間違えることなんて有り得ない」
「それは、そうですけど……万が一と言うこともあります!」
「……うるさいなぁ」
近くで二人の女性の口論が聞こえる。
なに?なんなの……?目の前が少し暗くなり、痛みで気がおかしくなる。このまま倒れ込んで意識を失ってしまいたいが、なんとか気力で意識を保つと立ち上がる。
目の前には、昨日ラルフと一緒にいた女達が立っている。
まずい、見つかってしまった……。
彼女たちを注意深く確認するが、神器を持っている様子は無い。これなら今の体力でもいける……。
私は二人の隙を突き、まずは獣人の方へと殴りかかる。卑怯とののしられようがかまわない。汚くともしがみつきたくなるのが人生という物だ。私は、そのための手段を選ぼうとは思わない。
私の拳は、正確に獣人の娘の顔に傷をつける……事は無かった。
彼女は私の拳を意図もたやすく避け、逆に私を蹴りつける。
風を切るような鋭いけりを避けられず、私はまたしても数メートル先に吹き飛ばされ家の壁にぶち当たる。
「……汚い女」
幼い獣人の少女が、まるでゴミを見るような瞳で私を見下しながらそうつぶやく。
「神器も無いのにどうして……」
本来であれば、たとえ獣人であろうとも飛躍的に身体能力が上昇する闘争神の加護を受けた魔女の身体能力にはかなわないはずだ。第一、例え刃物であろうとも神器を持つ物で無ければ魔女の体に攻撃は通らない。
「……魔力を込めた装備なら、別に神器じゃなくても攻撃は通る」
見ると、彼女の手足には包帯が巻いてある。
そうか、あの包帯に誰かの魔力をまとわせることで攻撃を通してるのね……。
それにしたって、魔女である私に攻撃を当てるなんて尋常な身体能力ではない。確かにあの男に魔力を奪われて本来の力とはほど遠い。
それでも、普通の人間とは比べものにならない身体能力のはず……。
私は、何か戦ってはいけない恐ろしい物と相対してるんじゃ無いのでは無いだろうか?
突然、獣人の少女が視界から消える。
気がつくと彼女は、私のすぐ目の前にいる。そして、それに気づいたとき彼女の攻撃
は既に始まっていた。
お腹に重い鉄球が投げつけられたような思い衝撃が走る。胃の中の食べ物が食道を逆流し、吐きだしてしましそうになる。
見えなかった。近づいて私のお腹を殴るまでの一連の動作を視認することすら出来なかった……。
直後、彼女は私の首を掴み隣の壁に投げつける。
それでも、私は何とか立ち上がる。
闘争神の加護のおかげでなんとかまだ意識を保てているが、それももう限界でに近い。
目の前が暗くなり、風に合わせるようにふらふらと足下が揺れている……。
「……降伏、しない?」
獣人の少女が哀れみと慈悲のこもった声で訪ねてくる。
けど、それはできない。それだけはしたくない。魔女が人間に捕まった後に待っているのは、死よりも悲惨な物だ。村で夜盗にされたような行いやこの街の異端審問での屈辱的な出来事を、死ぬまで永遠に繰り返されるのだ。
「残念だけど、それは無理ね」
「……そう」
獣人の少女はとても残念そうに言うと、彼女の目が鋭くなる。
殺しに来る……。
しょうが無い、もう奥の手を使うしか無いか……。
私は、胸に欠けたペンダントに手をかける。これは、両親の心臓をすりつぶした物を入れるいれものだ。
これだけは絶対に使いたく無かったけど、仕方ない。死ぬよりはましだわ。
私は勢いよくペンダントを引きちぎり、空にかざす。いつも闘争神に心臓を捧げるときと同じ動きだ。
「闘争神よ!この心臓を捧げる見返りに、私にあなたの力をお貸し下さい!」
私の行動を見た獣人の少女は、目を見開いて飛んでくる。
さっきまでの私なら見えてすらいないでであろう……。
しかし、今の私は違う。死神のような男に奪われた魔力は既に回復し、本来の魔女の動きに戻っている。
打ち出された銃弾のような勢いで飛んでくるその少女を軽々とよける。
ただまっすぐ飛んでくるだけだ、今の私には脅威でもなんでもない。
「……くそ」
獣人の少女が悔しそうに舌打ちをする。
やり返してやる……!
今度は私が、間髪置かずに彼女のお腹へと殴りかかる。
「ナナ、危ない!」
その声が聞こえてすぐ、獣人の少女の体が白く光る。
かまうものか……!私はそのまま殴りつける。
しかし、何か固い……鉄のような物に防がれたようなそんな感覚がする。
獣人の少女はすばやくもう一人の仲間の元へと下がる。
あんなに早く動けるなんて、あまり効いていない……?
「……ありがと、レリル」
「大丈夫です。それより、ナナは大丈夫ですか?」
「……少し、きついかも」
獣人の少女がレリルと呼ぶ女性にお礼を言っている。
あの女が何かしたの……?
わからないけれど、警戒しないと……。
「……レリル、槍を」
獣人の少女がレリルから槍を受け取る。
あれは、神器……では無さそうね。雰囲気がさっきの鎌とは全然違う。禍々しさは殆ど無い普通の槍のようだ。
獣人の少女が一気にこちらに距離をつめてくる。
私も彼女の動きを注視して迎え撃つ。
「……は!」
獣人の少女が右手にもった槍を私の肩にめがけて突き出してくる。
それをすんでの所で躱し、隙が出来た左脇腹に蹴りつける。
が、やはり手応えが薄い。あまり効いていないのか少し顔をゆがめた後、すぐに体勢を整えて再度攻撃を仕掛けてくる。
今度は素早く何度も槍をだしてくる。まるで体の一部の様に動く槍は、三本目の腕の様だ。
その攻撃を何とか躱し続け隙を見ては私も攻撃するが、どうにも手応えが薄い。
私は仕方なく距離を取る。
「あなたのそれ、何?」
私のその問いを無視して又突撃してくる。
……しょうが無い。まずはレリルとかいう女から先に殺そう。その心臓を捧げれば、一気に方をつけられる。
私は獣人の少女の突撃を躱し、そのままレリルの方へと走る。
「……な!」
獣人の少女が驚きの声を上げ、すぐさまこちらにむかってくる。
だが、もうレリルは目前に迫っている。
「悪いけど、死んで貰えるかしら!」
そう叫び、レリルに向けて砂を投げつける。
「砂……?」
一瞬訝しげな表情をするが、すぐにそれが短剣へと変わると一気に恐怖に顔をゆがませる。
とった!これで何とか生きてこの街を出れる……!
そう思った瞬間、レリルは目前から姿を消していた。
何本もの短剣が、何も無い土を突き刺している。
……どう言うこと?
起こった事が理解できず、混乱して前を向く。
そこには、レリルを抱きかかえた死神――ラルフがニヤニヤと笑いながら立っていた。