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神様のお使い  作者: 泡沫にゃんこ
第二部
51/52

全てを包む



「やっぱりパンフレットに乗ってる観光名所回りましょうよ~」


「いやいや、こういうのは自分たちで穴場を見つけるのが……」



11月初旬。


修学旅行的なイベントを間近に控えた拓也たちエルサイド国立学園の3年生の生徒たちは、昼食を終えた後の5.6限目の時間を課外学習の計画の時間に当てていた。


大体どこの班も、2日目のグループでの行動の計画を練っている。



クラスの垣根を越えて自由に組んでいいと言われた為、Sクラスの教室にも他のクラスの生徒がチラホラ見える。



「この果樹園いきたい!なんかおいしそうな匂いがする!!」



「あなたは犬ですか……。


私は構いませんけど、他の皆さんはどうですか?」



「私は構いませんわ」


「私もいいよ~」


「僕も」


「ジェシカさんが目を付けたなら何か面白いことが起こりそうだから僕も賛成かな」


「俺も右に同じかな」



「じゃあ二つは決まりですね」



ミシェルたちのグループにも、他のクラスの生徒が組み込まれている。


自分の行きたい観光地を見つけるたびに勢いよく挙手をして発言するジェシカに引っ張られながら、彼女らのグループの観光コースは徐々に決まりつつあった。



「他の皆さんはどこか行きたいところとかないですか?」



「う~ん…私は特に……」


「僕もかな~…」


「ジェシカさんが目を付けたとこが一番面白そうだから僕はそれでいいよ」


「右に同じ」



「そうですか……」



「全員からのこの信頼……あぁ…これが仲間というヤツなのね…」



随分と傍観的な4名である。



身を抱きながらふざけるジェシカは悲しいことに無視される。


しかしながらどこまでも上がり続ける彼女のテンションの前では、そんなぞんざいな扱いは逆効果。



「あ~る~す~く~ん!!ホントはどこか行きたいところとかあるんでしょ~!?」



白羽の矢が立ったのは…アルスだった。



「君が行きたい場所ならばどこでもいいよ。楽しそうだし、過去にも実際楽しいことが起こったしね」



「も~アルスってばお上手~!!」



流石はコミュ力ガチ勢である。



「まぁジェシカはトラブル探知機兼トラブルメーカーだからな」



「何それ~凄い不名誉な感じがするんだけど~!?」



机に突っ伏していた拓也は、なんだか疲れた様子の顔でいつも通りに限りなく近くニヤケながらハイテンションなジェシカのヘイトを自分へと集めてアルスを救済する。


じっと拓也を見つめるアルスの笑顔にはどういう意味が含まれているのか……それは彼のみぞ知るところだ。



「撤回して~!!」



「ククク…そのまま揺らしてみろ。俺の首は体からベイルアウトすることになるぞ」



そんなことを言っても拓也の頭部を両手でがっちりと掴んだジェシカは、笑顔で彼の首をガンガン振り回すのを止めない。


彼女のその笑顔に猟奇的な何かを感じ取ったのか、セリーとビリーは小刻みに震えていた。



「そういえば拓也は今回護衛もかねての参加なんだよね、正体は隠して」



「ん、おぉそうだな」



「拓也君大変だね。お仕事もしなくちゃいけないなんて…」



「まぁどうせそんな大事は起きないだろうし、なんかあったとしても海の上だけだろ」



「拓也、それをフラグって言うんだよ?」



「大丈夫、おいらは最強のフラグクラッシャー」



「訳の分からないこと言ってないで計画に参加してください」



サムズアップして渾身のドヤ顔で呟いた拓也であったが、最強の拓也クラッシャーであるミシェルによって流れは完全に断ち切られ、その後は順調に計画を立てる時間になったという。



・・・・・



その日の夜。



「……もうちょっと濃い目ですね」



可愛らしい水色のエプロンに身を包んだミシェルは、目の前の味噌汁の鍋の中身を少量取り出した小皿を口から離し、少しの間黙り込むと……小首をかしげてそんなようなことを呟いた。


彼と過ごした2年と半年以上。


その時間のおかげか、偏にミシェルが彼を想い彼の反応を窺いながら努力してきたからか……何でもおいしいと言って食べるが故に味の好き嫌いなどが分かりにくい彼の本当の好みも彼女は大体把握していた。




すると彼女の後ろから、程よく筋肉が付いてがっちりとしながらも、白くきれいな腕が伸びる。


その腕は鍋の側面に立てかけられていた玉じゃくしを掴むと、中の味噌汁を少し掬った。



「俺は白味噌派」



「呼んでないのに出てこないでくれませんか?」



「またまたそんなこと言って~ホントは使い魔の僕ちゃんと遊びたかったくせに~」



「目障りですのでラファエルさん呼びますね」



「ちょ、ちょいと待って話し合おう!!言葉ってこういう時の為のモノだと思うんだ!!」



現れたのは、彼女の使い魔兼拓也の友人である、金髪長身イケメンのセラフィム。


彼のそんないきなりの登場にも驚かなくなってきた自分がいることに少々の驚きを抱きながらも、ジトッとした目つきで彼を見つめ、そう呟いたミシェル。



すると何かやましいことがあったのか……彼は分かりやすい程に取り乱し、交渉を望んで地面に這いつくばった。



「ハァ……まぁいいです。


何か用があって来たんですよね?」



「話が早くて助かるぞ小娘」



「……」



何故か踏ん反り返ってソファーに腰を下ろしたセラフィム。


そんな彼の偉そうな態度に眉を顰めたミシェルは、エプロンのポケットからとある一枚の写真を取り出し、セラフィムによく見えるように翳した。



被写体は……上半身裸の拓也。


光の加減とポーズのせいか、上体の筋肉が美しく強調されたその一枚の写真を目にしたセラフィムは……まるで油の切れかかった機械仕掛けの人形のような動作で腕を持ち上げ、ミシェルを手で制す。



「分かった、分かった。俺が全面的に悪かったからそのラファエルを召喚する写真はしまってくれ」



「分かればいいんです」



彼が素直に自身の非を認め、謝罪をしたことで中止になったラファエル召喚の儀。


しかしながら、こんな方法でも本当にラファエルが召喚できてしまうのは純粋に恐怖である。



「それで、一体何の用ですか?」



「あぁ、ちょっとラファエルのヤツに頼まれてな…」



「……?」



小首をかしげて疑問符を頭の上に浮かべたミシェル。


セラフィムは彼女のそんな仕草を見逃さず、すぐさま自分の言葉を補った。



「その頼み事の報酬にパンツ下さいって言ったら…」



「あぁなんとなくわかりました。その部分についてはもう掘り下げなくてもいいので続けてください」



やはりこいつはロクな奴ではない。再認識したミシェルは深く溜息を吐いて額に手をやる。


若干語りたげな様子のセラフィムだったが、察しの良いミシェルの心底呆れた様子を見ていると、これ以上余計なことを語ると実力行使されると確信し、開きかけた口を慌てて閉じて喉まで出かかっていたセリフを呑み込んだ。



「まぁちょっとしたことなんだけどな。ミシェルちゃん、今拓也の部屋に行ってみ」



「……何を企んでるんですか?」



「なんでそうなる……」



「いえ、ラファエルさんは信用していますがセラフィムさんのことはそんなに……いえ、あまり…………全然信用してないので」



「ハッハッハー!ミシェルちゃんも冗談が上手いなぁ!!









……………冗談だよね?」



「はい、5割程度は」



「なるほど、じゃあ俺がちゃんとラファエルの頼みで動いていると分かればいいわけだ」



「まぁそういうことになりますね」



クックック…と無駄にイケメンな顔を手で覆いながら不気味に笑うセラフィム。


早く帰ってくれないかなと結構心の底から思い始めたミシェルであったが、それを口に出してももう無駄な雰囲気だったので大人しく諦めて眼前の彼の奇行を見守ることにした。



するとTシャツにジーンズという最高位の天使であるにもかかわらず天使らしからぬ格好の彼は、ズボンのポケットに手を突っ込み…勢いよく引っ張り出した。


そして引っ張り出した”ブツ”を……誇らしげに天高く掲げる。



「これが今回の頼みごとの対価として得た……





………ラファエルのパンツだ…」



ミシェルの頭痛が加速したのは言うまでもない。



「今ラファエルに見つかるのがヤバいってのは、俺がこれを報酬として勝手に拝借してきたからってのが理由だ」



「なるほど、とりあえずツッコむのと通報は後回しにするので用件をできるだけ端的にお願いします」



長い間この変態と関わりたくない。その一心でミシェルは突っ込みたい衝動とラファエルを呼びたい気持ちを必死に抑え込み、冷静にセラフィムにそう返した。


フッ…と、満足げな笑みをこぼしたセラフィムは、またポケットの中にラファエルのモノらしい青のパンツを仕舞うと、急に真面目な表情をその顔に浮かべる。



……何か真剣な話が始まる。そんな予感にミシェルの表情も若干強張った。



「ちなみにこのパンツ、なんと洗濯前のモノである」



「私は用件を端的に話せと言ったんです」



「あれ?もしかしてミシェルっち怒ってる?」



へらへらとした様子でやかましいセラフィム。


額に五寸釘並みの大きさの氷が突き刺さっているハズなのに、口数は減るどころか増えるばかりで一向に衰えない。


クールな表情の裏に確かな怒りを孕ませたミシェルは、これ以上まともに取り合っても無駄だと考え、視線を手元に戻し、お玉を手に取る。



「へぇ、分かってるんでしたら顔がサボテンみたいになる前に私の言うことを聞いた方がいいと思いますよ」



「ふっ……だが断………ろうかと思ったけど気が変わった。


よし話そう」



ぶん殴ってやりたい表情でそう口にしかけたセラフィムだったが、その刹那…一瞬でミシェルの周りの空中に展開された無数の水の魔法陣を目の当たりにし、言葉の方向を180度変更する。


コホンと一つ咳払いをし、ソファーに深く腰掛け直したセラフィム。



ミシェルも視界の端で彼のそんな動きを読み取り、展開した魔法陣を消した。



「最近……拓也の様子はどうだ?」



「…なんです?急にそんなこと…」



「そのまんまの意味だ。ミシェルちゃんから見て最近の拓也はどんな感じだ?」



何の他意も含みもない彼のそんな問い方に若干の戸惑いを見せたミシェルだったが…しばらく考えるような仕草を見せると、伏せた目を起こしつつ口を開く。



「部屋に籠ってることが以前より多くなりました。


それに何だか…傷を作ってることが多いですね……あとそれから…疲れているんですかね……学園でも寝てたりしてることが多いと思います…。


改めて思い返すと最近何だか様子がおかしいような気が…」



急に深刻そうな表情を顔に宿したミシェルは顔を伏せると、目の前にセラフィムがいることをすっかり忘れたように自分の思考に没頭し始めた。


セラフィムはそんな様子の彼女を見て穏やかな笑みを浮かべると、踵を返して彼女に背を向ける。



「…もしミシェルちゃんが気になるんだったら今拓也の部屋に行ってみると良い」



そしてそう一言言い残すと、次の瞬間には彼の姿はもうリビングにはなかった。


顔を上げたミシェルは、まるで自分の目で確認して来いとでも言いたげなセラフィムの言動。



途端に得も言われぬ不安に襲われたミシェルは、気が付けば小走りで階段を上っていた。



「……拓也さん………」



その足取りは重い。


いつもより長く険しく感じる階段を登り切ったミシェルは、小走りのまま拓也の部屋の前まで歩を進めた。



普段ならばこの程度の動作で息が切れるはずもない。しかし……僅かに肩を揺らすミシェル。


少し荒れた呼吸を胸に手を当てて落ち着かせると……彼の部屋の戸を数回ノックする。



「拓也さん、私です。入ってもいいですか?」



「み、ミシェル…!?


ちょ、ちょっと…今は………」



ドア越しでも彼が焦ったのは手に取るようにわかった。


やはりセラフィムがほのめかした通り何かある。


確信を得たミシェルはドアノブに手を掛ける。



「入りますよ」



「ちょ、まッ!ダメ!!今下半身露出してるから待って!!」



拓也のそんな発言も空しく開け放たれた部屋のドア。


次の瞬間ミシェルの瞳に飛び込んできたのは……



「ど……ど、どうしたんですかその怪我…ッ!!?」



全身傷だらけで、ベッドの側面にもたれ掛かる血塗れの拓也だった。


青黒く晴れ上がった腕。黒のぴっちりとしたインナーは、至る所が斬られたり摩擦で擦れたりしてボロボロになっている。


しまったといった表情で小さく溜息を吐いた拓也は、無理やりにぎこちない笑顔を作って顔に張り付けると、部屋の入り口でフリーズしているミシェルに向かって口を開いた。



「タンスの角に小指ブツけちった☆」



紡がれたのは精一杯平然を取り繕ったふざけた発言。


しかし……ミシェルの青ざめた表情は一向に回復する気配はない。


すると突如として我に返ったようにハッとしたミシェルは、拓也に駆け寄ってすぐさま魔力を練り上げる。



「とにかく早く治療を…!!」



展開された光の魔法陣から発される柔らかな光。


血で見えにくくなってはいるが、肌に刻まれた傷はしっかりと治って行く。


ミシェルの青ざめた深刻な表情をすぐ隣から覗き見た拓也は何を思ったのか、強がるように一つ鼻で笑い飛ばした。



「大丈夫だってミシェル、これくらいすぐ治るし第一いつものこと…」



「いつも!?」



「…」



咄嗟に出たその発言だったが……より彼女の不安をあおるようなその発言は失言であった。


またもやしまったと…口には出さないが表情に零した拓也は、バツの悪そうに彼女からふいと目を逸らす。



チラチラとミシェルの顔を覗き見て何か言いたげな様子の拓也であったが、治療と不安でいっぱいいっぱいになっている彼女を見て今話しかけるのはよろしくないと考えたのか……何も言わずに口を噤んだ。



沈黙が続くことおよそ一分……。


とりあえず命に別状はないということを治療の手ごたえから何となく察したミシェルは、今まで停止する寸前までに浅かった自身の呼吸に気が付いて、一つ大きく息を吐いた。


そして……顔を逸らして自分を見ようとしない拓也を真っ直ぐに見つめると、治療の手は止めないまま口を開く。



「どうして……どうしてこんな無茶を……」



言っているうちに目頭が熱くなるのがハッキリと分かる。


泣くまいとミシェルも拓也からふっと顔を逸らす。


すると今度は拓也がそんなミシェルを見つめた。



「ミシェルを護りきれるくらい強くなる為、それだけだ」



そして一言だけそう呟くと、彼は背中を預けたベッドの側面に背をさらに押し付けるようにしてゆらりとその場で立ち上がった。


ミシェルによる治療は完了していない……動いたことで開いた傷口から滴った赤い滴はフローリングに落ち赤い水玉模様を作る。


手に光の魔法陣を展開したまま床に跪くような姿勢のミシェルは、自身の下から逃げるように去ろうとする拓也を潤んだ瞳で見つめていたが……彼が自分の脇を抜けるその一歩手前……。



「待ってください、まだ話は終わっていませんよ」



すっくと立ちあがったミシェルは、半歩下がって拓也の行方を塞いだ。


困ったように苦笑いを浮かべる拓也だったが、何も言うことはせず視線でどいてくれと訴えていた。


しかし……それを分かっていながらも、ミシェルはそこを動こうとはしない。

サファイアの如く蒼く美しい瞳には……零し掛けた涙ではなく、断固とした決意の浮かんでいた。



「拓也さん。私はあなたの事が大好きです。それは知っていますよね?」



突如として紡がれたそんな甘い言葉に危うく平然を崩しそうになった拓也であったが、彼女の表情が照れも笑いもしていないことに気が付いてすぐに表情に緊張を戻す。


さらに自身の心境を悟られないように、返答も不愛想に小さく1つだけ頷くことで返した。



「それなら分かってください。


あなたが傷付いていくのを見るだけで……私も辛いんです。


拓也さんも辛いってことは分かっています……でも…」



刹那……頭の中で組み立てていたセリフが、波を受けた砂の城のように崩れた。


論理的に語ろうとしても、心の中から沸き上がる感情の波にさらわれる。



しかし、それでも泣くまいとギュッと拳を握りしめ……言葉には詰まっていたが、彼女の視線はしっかり拓也の瞳に向いていた。


するとそんな無言のミシェルを見た拓也は何を思ったのだろうか、珍しく爽やかに微笑むと、彼女を安心させるように言葉を紡いだ。



「大丈夫だって。知ってるだろ?これくらいすぐ治る」



そう短い言葉を残し…この場を去ろうと足を踏み出し掛けた拓也。


彼のその発言に……ハッとした表情のミシェルは、彼が一歩踏み出す前に自信が彼の方へ一歩踏み出した。



「身体はそうでも…心はそうはいかないはずです」



「……」



僅かにだったが……拓也の顔に、図星といった表情が宿る。


そしてミシェルは彼のその表情の変化を見逃さず、辛そうにその整った顔を歪めた。



「ラファエルさんや…セラフィムさんも心配してます…」



「…あいつらか……」



溜息を吐く拓也。


ミシェルは続ける。



「やっぱり……オーディンのことに関係しているんですか?」



今度は隠すことなく、拓也の表情が歪んだ。


いや……確信を突かれて隠せなかったといった方が正しいだろう。



やっぱりそうかと一度目を伏せたミシェルは、ようやく固く緊張した表情を解くと、固さは若干残ったままだったが、努めて穏やかに微笑んだ。



「大丈夫ですよ、拓也さんはもうとても強いです。


現に以前もオーディンに勝てたじゃないですか」




優しく微笑んだ彼女。


拓也はそんな彼女を直視することができないのか、視線を横へ逸らすと、苦虫を噛み潰したような表情を顔に浮かべて…小さく零した。



「足りないんだ……全然…」



彼は知っている。


自身の力は個としては最強クラスでも、敵対している神たちが次にやって来る時の総力には恐らく及ばないだろう…と。


拓也の仲間たちにも神に対抗できる能力を持つ者は一応居ることには居る…が、熾天使であるセラフィムと大天使たち4人だけ。


さらに熾天使のセラフィムが神器を使っても、低級の神4人を相手にし、一人か二人を仕留めるので精一杯。


大天使たちに至っては、恐らく一対一で勝利を収めれば良い方だろう。


いくら自分一人が強くても……お互いの勢力の間には歴然たる差があるのだ。


別に拓也が慢心しているわけではない。これは確固たる事実なのだ。



「ミシェルは……俺が死んだらどう思う…?」



「そ、そんなのっ!!


想像だって……したくないです……」



突如として叫ぶようにして口を開いたミシェル。


少しズルかったかなと苦笑した拓也だったが、致し方ないと心を鬼にしてそのまま続けた。



「そうか……それなら俺は強くならなくちゃいけない。


だから頼む………」



それだけ言い残し、去ろうとした拓也。


議論は尽くされたかのように思えた……が。



「ま、待ってください…!」



ミシェルが彼の腕にしがみ付いた。


右腕の青黒い腫れはいつの間にか引いている……が、切り傷や擦り傷などはまだ再生していない。


今更傷口に触れらた程度で大した痛みは感じないが…その代わりにミシェルの水色のエプロンが血で汚れた。



「もし……もしですよ…?


もし……オーディンたちが今攻めてきたとしたら………拓也さんは…生き延びることができますか?」



「……ミシェルたちは絶対に護る。それだけは約束する」



僅かな沈黙の後、返ってきたのは……自身の生死をあやふやにした言葉だった。



「違います……拓也さんが無事かどうかを聞いているんです……」



その発言に、いつものような力強さは……皆無だった。


以前、帰り道…ポツリと口に出したことがある。


『俺が死んだらどうする?』


彼女は……泣いた。



だから拓也はなるべくそのことについて言及するのは避けてきた。


何故なら……彼女は自分の事が大好きだということを知っているから。


置き換えてみれば簡単に分かる。


彼女が死んでしまったら……それは拓也も想像したくなかった。



だから言いたくはなかったのだが……自分の口から一番聞きたくないであろう彼女自身がそう言って来たのだ。


最早……逃げ場はない。




「……まず間違いなく死ぬ。少なくとも以前以上の戦力で来られればそれは間違いない」



上腕に顔を埋めるミシェルが、腕に抱き着く力が強くなったのは、多分拓也の気のせいではないのだろう。


ミシェルは彼の腕に顔を埋めながら……もう一言呟いた。



「それじゃあ……拓也さんが今みたいな鍛え方を続けたとして……10年後。


オーディンたちが攻めてきたとします。他の神たちは…15人。



……拓也さんは生き残れますか?」



「………」



沈黙からその答えを悟ったミシェルは、拓也の腕をしっかりと抱き直した。



「じゃあ……いいじゃないですか。こんなに死に物狂いで頑張らなくたって…」



「…でもやらないよりはマシだ……多分」



自信なさげに最後にそう付け加える拓也。


ミシェルは一度拓也の腕から顔を離すと、彼を見上げるような目つきのまま口を開いた。



「それはそうでしょうけど……見てる私が辛いんです……。


ワガママなこと言ってるっていうのは分かってます………でも……私は……笑ってる拓也さんが大好きなんです。


力のない私が言うのは何だか違うのかもしれませんけど……オーディンたちの襲撃のことについては……セラフィムさんやラファエルさん。みんなで考えましょう?


もちろん私だって何かできることがないか考えます。



もっと楽しい思い出をたくさん作りましょう…私と。


未来のことを考えるのも大切ですけど……もっと今を大切にしてもいいんじゃないですか?」



今のように鍛錬を続けても、得られる力は……神を相手と想定すると、微々たるモノでしかない。


ミシェルのその意見は……まったくもってその通りであった。



拓也の視界に映る、整ったミシェルの表情が……僅かに歪んだ。


慌てて左手で目頭を強く抑えて彼女から顔を逸らした拓也は、声の震えが彼女に伝わらないように努めて…静かに語りだした。



「俺が死んだら……それまでに積み上げた俺との思い出が……さらにミシェルを悲しませるんじゃないかって……それが……どうしようもなく怖いんだ…。


俺がミシェルと深く関わる程……その思い出が…繋がりが余計にミシェルを傷つけるんじゃないかって……考えただけで…どうしようもなく恐ろしいんだ……」



二度も目の前で失ったことのある彼だからこそ……失うことに対する恐れや悲しみを知っていた。


自分の中から大切なモノたちが抜け落ち、空っぽになる喪失感。


彼自身も二度と味わいたくはないそんな感覚。


それをミシェルに与えることに対する恐怖。



するとミシェルは彼のその発言から……何を察したのか、突如として頬を赤らめると、さらに強く拓也の腕を抱きしめながら少しだけ上擦った口調で彼に問う。



「……この間…………その…私が誘っても……乗ってこなかったのは…………そういうことですか?


…………確かに酔っぱらってましたけど……」



思い出したように最後に付け加えたミシェル。


変わらぬ様子の拓也は、無言で小さく頷いた。



「そ、そうなんですか……」



コホンと咳払いをしたミシェルは、今度は穏やかに微笑むと……彼の腕から手を放して……彼の正面まで移動してじっと彼の顔を見つめる。


目元を抑えたままの拓也だったが……最早隠しても仕方ないと思ったのだろう。


手を放し、視線を向けてくるミシェルを正面から見つめ返す。


珍しくじんわりと涙が浮かんだ黒い瞳。



ニッコリと綺麗に笑みを浮かべたミシェルは、右手を振りかぶって……



「…ッ!!?」



拓也の頬を思いきり叩いた。



驚きのあまり目を見開いてぶたれた左頬を抑える拓也に、ミシェルは良い笑顔のまま口を開く。



「なに心折れてるんですか、あまり情けないこと言ってるともう一発いきますよ?」



言葉が出ない拓也。


過去を懐かしむように、少し目を細めたミシェルは……彼を叩いた手をキュッと胸に抱きながら、彼に聞こえるか聞こえないか程度の声量で呟いた。



「そういう約束ですから…」



かつて……拓也がミシェルに頼んだ。


自分の心が折れそうになったときは、ぶん殴ってでも立ち直らせてくれと。


そして……今一度、ミシェルは約束を果たさんと彼の頬を思いきり叩いた。



「別に未来を見るなとは言いません、修行だってした方がいいに決まっています。


でも……今の拓也さんは確定したわけでもない未来に縛られ過ぎていますよ。


あなたは戦闘力においては間違いなく人類最強です。神とも互角以上に渡り合える程とても強いです。


ですけど……同時にとっても弱いんです。



一人で戦ってるなんて思わないでください。あなたの周りには沢山の人たちがいます。弱いから支え合うんです。



私も…必ずもっと強くなって、あなたの力になります。一緒に強くなるって……約束しましたから。


ですからそんな独りよがりは止めてください」



力強く紡がれた一字一句。


相変わらず冷たさを感じさせるクールな表情を浮かべるミシェルだったが……拓也には、その彼女の表情が、何故か挑戦的な笑みを含んでいるようにも見えた。



「でも……でも俺……死んじゃうかもしれないし……」



「そんな未来は迎えさせません。絶対に阻止しましょう、皆で」



徐々に震え始める拓也の声。


今度こそ本当に柔らかく女神のように微笑んだミシェルは、あやすような声色でそう返すと…彼の黒い髪に手を伸ばして、優しく撫でた。



「ホント、あなたはバカみたいに優しいですね。


まぁ……そういうところを好きになったのも事実ですけど。」



「……」



「その優しさを自分にも使ってあげてください。拓也さんはもう少し自分に甘くなった方がいいです。少しストイックすぎます」



「……」



拓也は…僅かに目を見開いて固まっていた



そんな拓也の表情を除くように見て優しく微笑んだミシェルは、棒立ちの彼の両脇にそっと手を回し……静かに…それでいて力強くギュッと抱きしめる。


離さない。彼は自分のモノだと主張するように…。



「あなたがいつまでもそうやって突っ立ったままなら……私は…もう待つのは止めにします」



彼を非難するモノではない。むしろ恐らくその逆。


しかし一体彼女の言う”止めにする”の意味は……何なのだろうか?


少なくとも今の拓也には分からなかったが……彼女の口調や表情から、その言葉には負の意味は含まれていないと彼も何となく察した。


笑みを浮かべながらそんな言葉を紡いだミシェルは、彼の厚い胸板に顔を埋めると…それ以上、何かを口にすることはなかった。





彼女の言葉を頭で…そして心で噛みしめながら……気が付けば………拓也は静かに涙を流していた。


そして自分自身がそれに気が付いた時に、ようやく頭で自分の感情を理解できた時にやっと……心で膨れ上がった”オモイ”が全身を稲妻のように駆け巡り、彼から平常を奪い取る。


しかしそれでも辛うじて働いた理性が、悪あがきだろうが、みっともないところを見せまいとしたのだろう……涙を流しながら漏れる嗚咽は、限りなく小さかった。


すると拓也は、小刻みに全身を震わせながら……ひしとミシェルを抱き返す。


離さない。彼女は自分のモノだと主張するように…。



そして……救いを求める者が縋るように。



「……辛…い……。


身体………バラバラになるかと思った……。


何にも…見えなくなった。


見渡しても真っ暗で……僅かな光が遠のいてくんだ……。



どんだけ…頑張っても………光が…掴めない…。


手が届くって思っても……スルって抜け落ちるんだ……。



辛い……辛いよ…ミシェル……」



若干背中を曲げてミシェルの身体を離さないように今一度強く…抱きしめる。


ようやく打ち明けた本心。


きっと彼は隠せているつもりだろうが……彼の顔が真横にあるミシェルからすれば、彼が嗚咽を漏らしながら泣いていることはお見通しだろう。



「辛いときはいつでも…どれだけでも甘えてください。


それが……今の私が拓也さんにしてあげられることですから」



彼の背後に回した手の2本の手の内の片方で…ツンツンした彼の髪を撫でながら、残った一本の手で背を撫でる。


まるで赤子をあやすように。



すると……感情の爆発によってもたらされた安堵などが、どうやら彼の体に蓄積されていた相当のダメージが表面化してしまったのだろう。


ミシェルを抱きしめている拓也の腕に込められていた力が…僅かに緩み、身体がふらっと後ろへ揺らいだ。



「…ッ!拓也さん…!?」



腕の中から抜けそうになった拓也を引き留めるように抱きしめながら、何とか足で踏ん張ってベッドの上に自分と彼の身体を投げる。



ほっと一息ついたのも束の間……拓也は、ミシェルの胸に顔を埋めた。


驚いたように目を見開いて頬を染めたミシェル。


軽く握られた拳が思わず頭上に振り上がったが……それが振り下ろされることはなかった。



「…グス………エグ………」



もう隠すこともせず、拓也は嗚咽を漏らしながら泣いていた。


羞恥の感情が…水でもぶっかけたかのように一気に冷めたミシェルは、途端に聖母のように優しい笑顔で彼の頭を抱えるように抱く。



「好きなだけ泣くと良いですよ。


いつも人前では気丈に笑ってて弱さを見せない拓也さんですから……こんな時ぐらい………せめて私の前でくらい世界で一番弱くなったっていいんですから」



普段はいつだって笑っている拓也。



そんな彼を見た他人は、彼が背負っている途方もなく大きなモノの存在や、彼の抱える闇の片鱗すらも読み取ることはできないのだろう。



そして……数分ほど時間が経過したころだろうか………。



「…………」



「寝ちゃった……んでしょうか?」



スー…スー…と小さく、規則的に寝息を立てながら…拓也はミシェルの胸の中で眠りに落ちていた。


きっと泣き疲れてしまったのだろう…。


やれやれといった様子で笑ったミシェルは、眠りに落ちた彼を起こさないようにそっと髪を撫でる。



「ホント…こうしてるとただの子供みたいですね…」



だが……そんな彼もまた愛おしい。


全身を包む甘い感覚に身を委ね、ミシェルも彼を抱いたまま…瞼を閉じた。

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