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神様のお使い  作者: 泡沫にゃんこ
第二部
52/52

修学旅行


鼓膜を揺らす、鳥の囀り。


窓から差し込む朝焼けのオレンジ色の灯りが、瞼の裏側をぼんやりと照らし……覚醒しはじめる意識。



「…ぅ…ん?」



冬が近いせいで最近は明け方はかなり冷え込む。


肌寒さからか…掛けられた毛布を引っ張って芋虫のように丸まり、小さく唸ったミシェルは、しばらく同じような動きを繰り返した後…ようやく目を開けた。



まだ眠たい…。眼を擦って上体を起こしたミシェルは、まだ複雑な思考ができる程に起きていない頭で考える。


そして……昨晩、何があったのかを思い出した。



「…拓也さんはッ!!?」



慌てて周りを見回したが…ベッドの上に彼の姿はない。


しかし…そんな時、一階の方で人の気配がした。



それが拓也であることは、深く考えるまでもないだろう。


とりあえずホッと一息ついて胸を撫で下ろしたミシェルは……自分のモノではない彼のベッドをじっと見つめると……なにやら辺りをキョロキョロと見まわして人がいないことを確認する。


そして人がいないことをしっかりと確認した後に、僅かに頬を染めると…。



「ちょっとぐらい…いいですよね」



誰に言うでもなくそんなことを一人でに呟き、ぽすっと拓也のベッドに顔を埋めた。


大好きな彼に……全身を包まれているような感覚に陥ったミシェルは、彼にすらあまり見せないような、素直な笑顔をその顔に浮かべた。



認めることこそないが……実際に彼女は、匂いフェチの節がある。


現に……今のミシェルの状態を見れば……。



「…ハァ~……」



納得するほかない。



「なにをしとんじゃ……」



「リ、リディアさん!!?


い、いや…これはその…!!



ち、違いますよ?」



音もなく現れ、ミシェルを見て呆れた顔のリディア。




必至に否定するミシェルだったが……最早何を言っても言い逃れはできない状況であった。


リディアは面白い程に取り乱しているミシェルに一つ溜息を吐くと、踵を返して部屋のドアに手を掛けて…姿を消した。


ドアの方を見つめるミシェルは、しばらくするとベッドから降り……一度自分の部屋に戻って着替えをもって一階へ降りる。



リビングのドアを開くと……



「た、拓也さん…!?


な、なんて格好してるんですか!!?」



「お、ミシェルおはよう。先に風呂入ったぞ」



いつものような呑気な笑顔を張り付けて、片手を軽く上げてそうあいさつした拓也の現在の格好は……風呂上りなのか、髪にタオルをかけてジーンズを履いただけというラフなモノだった。



「なんで上半身裸なんですか!?早く服着てくださいよ!!」



「え~別にいいじゃん」



「よくありません!ラファエルさん来ますよッ!!?」



「あ…あぁそれはヤベェわッ!!シャツどこ!!?」



確かに照れていたミシェルであったが、優先されるのはゴキブリホイホイ並の吸引力を誇る拓也がラファエルを呼び寄せるのを防ぐこと。


拓也も、自身の天敵であるラファエルがバーサーカーのクラスで召喚されるのはマズいとミシェルの言葉から察知し、慌ててソファーに掛けてあったいつもの謎Tシャツで肌の露出を減らした。



それにしても、お化けが出るよなどと同じようなテンションでそれらとは対極に位置しているとは言っても過言ではないはずの天使が使われるとは何とも滑稽である。



すると……そんな一息ついたタイミングで玄関が数回ノックされた。



「こんにちは~」



「おっとビリーが来たようだな」



「え、もうそんな時間ですか!?」



慌てて壁に掛けられている時計を見たミシェルの視界に飛び込んできたのは…8時50分という、普段ならば朝食の食器の片づけをしているはずの時間。



「朝ごはんまだですよね!?ごめんなさいすぐ作ります!!」



「まぁまぁ、ミシェルだってたまにはそういうこともあるだろ。


それより先にお風呂入ってきなよ、着替え持ってきてるってことはそのつもりで降りて来たんだろ?」



「で、でも…朝ごはんは一日の元気の源で…」



「いきなり栄養士みたいなこと言いだしたな……。


大丈夫大丈夫、俺っちミシェルたんの添い寝のおかげでお腹いっぱいなんで」



みるみるうちに赤くなるミシェル。


このままでは……自分は間違いなく鋭い打撃の餌食になるだろう。


咄嗟にそう悟った拓也は逃げるようにその場を後にした。



「じゃあおいらはビリー君育成ゲームをプレイしてくるんで失礼しゃーっす!!」



「……もう…」



秘かに握られていたミシェルの拳は、しばらく時間が経ってから解かれたのであった。



・・・・・



時刻は昼の12時頃。



「拓也さん、ビリーさん。お昼ごはん出来ましたよ」



座学を終えてちょうど今から戦闘訓練に入ろうと、お互い向き合っていた拓也とビリーに、リビングの掃き出し窓からミシェルのそんな声が掛かった。


ふっと同時に彼女の方を振り向く二人。


何だか兄弟みたいだなと、クスリと笑うミシェルだった。



拓也は何か思いついたような表情を浮かべると、彼女に向かって声を張る。



「お、ミシェルいいとこに来た、ちょっと見てな。


来い『トール』」



「あいよ~!」



彼が呼び出したのは雷の属性神であるトール。


呼びかけに答えて現れた小人サイズの可愛らしい姿の彼は、空中でくるりと一回転して地面に降り立った。



「今日はどんな要件だ!?」



「まぁ大したことじゃないんだけどな。とりあえず融合」



「承知!!」



バチッという鋭い音と共に雷と化したトールは、拓也の身体に吸い込まれるように姿を消す。


その次の瞬間……目が僅かに眩むほどの光と共に、拓也の姿が大きく変化した。



「ふぃ~…久しぶりにやるな、これ」



右の拳を軽く何度か握り、感触を確かめる拓也。


黒いはずの彼の髪は、白を含んだ鮮やかな緑に変色し、若干伸びて逆立ち…瞳は髪の色と似たエメラルドグリーン。


服装も、シャツとジーンズからはかけ離れた全くの別モノになっていた。


青白いスパークが、不規則な動きで拓也の体の周りを走る。


そして極め付けには……人間には絶対に備わっていない、ドラゴンのような太い尾が尾てい骨辺りから生えていた。



うねうねと自分の意思を持って動いているようなその尾をじっと見つめながら、ビリーは自身の記憶を探って口を開く。



「拓也君の使い魔の…能力みたいなものだよね、それって」



「あぁ。ミシェルは覚えてるか?俺が昔…と言っても2年位前だが、俺が『精霊語(エレメントワード)』を教えた時の事」



「え、えぇ」



その時教わったことをポツリポツリと言葉にして行くミシェル。


拓也もその一つ一つに頷きながら、当時彼女に教えたすべての情報が出そろうのを待っている。


ビリーは二人が何について話しているのか詳しいことは分かっていないような様子であったが、少しでも情報を読み取ろうと彼女の発言に静かに耳を傾けていた。



そして…精霊語に関する大まかな情報がすべて出揃った頃……ミシェルは小首を傾げると、小さく唸りながら……僅かに残っていた記憶を頼りに、本筋とはあまり関係ないのかもしれないが、一応言っておこうと……とあることを口にする。



「それで確か……大気中に飛散している残留魔力も利用できないことはないとか言ってたような…」



「そう、それが今回教えとこうと思ってること」



すると、意外にもそれが本題であった。



「魔力は人間を始めとした様々な生物が生み出す。魔力は使用されることで魔力´へと変化。これが俗に言う残留魔力だ。


そしてその残留魔力は精霊が吸収。まぁ言ってみれば精霊のご飯的なもんだな。


というかどうよトール。最近ちゃんと飯食ってるか?」



『おう!ビリーが毎晩提供してくれてるおかげで問題ないんだぜ!!』



若干話の本筋から逸れていっているような気がするが、多分その内修正されるので大目に見てやってほしい。


そしてトールの声は拓也にしか聞こえていない為、現在の拓也をカテゴライズするならば頭のおかしいコスプレイヤーという所が妥当だろう。


数分トールと有意義な世間話を繰り広げた拓也は、ようやく本来の目的を思い出したのか…手で槌を作ってポンと叩く。



「そうそう、でね?


現在精霊と同化している俺は……こんなことができたりする」



軽く指を宙で振ると……一瞬チカっと空が光る。


その次の瞬間、バリバリという轟音と共に……近くの木が裂けた。



「落雷…ですか?」



「あぁ、ただ…これは自然現象を操っているわけじゃない。


空気中に飛散している残留魔力を使った、魔法と同じようなモノだ。


こんな感じで人間も残留魔力を扱うことはできる」



「え、じゃあ僕たちにもそんなことができるってことかい?」


「興味深いですね」



そわそわした様子のビリーとミシェル。というかミシェルに至っては既に好戦的なモノを匂わせる笑みを浮かべている。バーサーカーは恐ろしい。


背筋にゾッとしたものを感じながらも、拓也は続ける。



「……相当極めればできると思うがまずこのレベルで扱うのは簡単にはできないと思った方がいい。それこそ年単位での修業がいる。


それに俺は今、トールを仲介して残留魔力を扱った。精霊の協力が無ければここまでの力はまず引き出せない」



「そうなのかぁ……」



「…ではなぜそれを私たちに?」



ふぃ~っと軽い感じで一息吐きながら融合を解除した拓也は、トールに一つ礼を言って帰すと…ニヤリと怪しく口角を釣り上げて、目を瞑る。


時間にして十秒足らずだろうか……彼はゆっくり目を開いた。



彼の変化にまず気が付いたのは…やはりというかなんというかミシェルだった。



「瞳の色が……」



「ほ、ホントだ!黄色になってる!!」



彼女の発言でようやく拓也の変化に気が付いたビリーもそう声を上げて、驚きの表情を顔に浮かべた。


しかし……彼らが驚愕する中、風に吹かれたように靡いた拓也の黒髪は……鮮やかな金色にも似た黄色に変色する。



「髪や目ってのは魔力の影響を受けやすい。


俺がいつか魔力のリミッター切った時も、瞳孔から魔力が溢れだしてただろ?あれは自分の中に溢れる膨大な魔力を完全に制御しきれずに少しだけ溢れちゃってたからだ」



「え、えぇ、それはセラフィムさんから聞いたことがあります…」



「お、そうか、それなら話が早い」



ケタケタといつもの調子で笑って見せた拓也。


すると…そんな様子の彼の目の周りに、虹彩の中と同じ黄色が徐々に染み出し始め……最終的に隈取のようなモノを瞳の周りに作り出すと、一つ頷いて口を開いた。



「まぁこの辺が合格点だろ。


俺は今自分の中に残留魔力の中の雷属性の魔力を取り込んだ」



「ちょ、ちょっとまって!精霊の力を借りなくてもそんなことができるの!?」



「できるも何も現に俺が今やってるだろ」



「あ、そっか…」



普段拓也の人外っぷりを目の当たりにしている為、同列でモノを考えられないビリーであった。


すると、何やらうずうずした様子のミシェルが我慢できずに彼に問いかける。



「そ、それで…それができると一体何がすごいんですか?」



「……あ、あぁ。その説明はちょっと待ってな…?


厳密に言うとこれは残留魔力を取り込んでいるだけじゃない。自分の中で生み出される魔力と混ぜ合わせてるんだ。


そこで生み出されるものを魔力βとしよう。そしてその作った魔力βをちゃんとコントロールできるようになって初めてこの形態は完成と言える。


髪や目の周辺以外に魔力βによる特徴が出てしまってはいけない。さっきも言ったように、今の俺くらいの変化に押し留められたらちゃんとコントロールできてるって言っても大丈夫。大体これくらいが合格点だ」



「え、じゃあ拓也君ってそれ使ったらもっと強いの?」



「?…俺は普段戦闘する時は大体この形態になってるぞ?


完璧にコントロールしてるから変化がないだけで」



やはり自分の師匠はおかしいと確信したビリーであった。



「まぁ便宜上この形態を『精霊化』と名付けよう。


精霊化によるメリットとして挙げられるものは、まず感知能力の拡大。

これは大気中に飛散してる残留魔力を取り込んで自身の魔力と混ぜるから、生まれる魔力βは残留魔力に近い性質を持っているからだ。


二つ目に、気配の隠蔽。

これも簡単だな。自然界に存在する残留魔力を自身の中に取り込むわけだから、必然的に人間としての存在感が薄くなる。


そして三つ目。恐らくこれが、この精霊化をする上での最も大きいメリット…」



「おーっす拓也、遊びに来たぞ」



そんなタイミングで現れたのは、天界の重鎮。最上位の天使セラフィム。


気軽に片手を上げてへらへらと笑いながら挨拶をした彼にチラと視線を向けた拓也は、良いところに来たとでも言わんばかりに彼に質問を投げかける。



「セラフィム、1ばんの粉と水を混ぜた後のねるね〇ねるねに2ばんの粉を入れて混ぜるとどうなる?」


「うまい!」



どこから取り出したのか、セラフィムの背後に突如として現れた電飾。いつの間に着替えたのか…魔女のような衣装。そしてどこからともなく聞こえてきたテーレッテレーという効果音。


満足げに何度も頷く2名に完全に置いてけぼりにされたミシェルとビリーは、ただ何してんだこいつらといった視線を彼らに突き刺す。


が、全く気にしていないのか、はたまたそもそも気が付いていないのか…拓也は続ける。



「とまぁうまいんだ」



「イヤ意味が分からないんですけど」



「……まぁあれだ、魔力に残留魔力を取り込み、練り上げて生み出される魔力βは、非常に高純度且つ高エネルギーなんだよ。

だからこの魔力βを使った身体強化や魔法は、素の状態で使うモノとは一線を画した破壊力などを生み出す。


おまけに…魔力と残留魔力を1対1で混ぜたとすると、生成される魔力βは2。疑似魔力回復も出来るわけだ」


彼の背後で黙々と電飾などを片付けているセラフィムのシュールな様子に、笑いをこらえるビリーとミシェルであった。



すると、そこまでの拓也の説明であることに気が付いたミシェルが手を挙げてた。



「あの、すみません。身体強化は無属性の魔力で行うんですよね?


でも取り込んだ残留魔力にはそれぞれ属性があると思うんですが…」



「いいところに気が付いたな、流石ミシェル。頭のキレるバーサーカーとはやはりお前の事だ」



「ゴタゴタ言ってると焼き払いますよ」



「分かった。分かったから火の七日間は止めてくれ」



怯えたように両手で彼女を制した拓也は、コホンと一つワザとらしく咳払いをする。



「取り込んだ残留魔力と混ぜ合わせる自身の魔力は無属性だが、生成される魔力βは……今の俺なら雷の性質を持つ。


だが……身体強化は可能だ」



魔法を習うにあたって受けた説明と…矛盾している。


彼がそんなことを言うはずがない…ミシェルは首を傾げ、その理由を彼に問う。



「それはどうしてですか?」



「じゃあ精霊はどうやって身体強化を掛ける?」



返ってきたのは、非常にあっさりとしたそんな回答だった。


どういうことだ。精霊も身体強化というものを扱うのか……いや、彼がそう言うなら彼らもそういった類のモノを扱うのだろう。

面食らったように黙り込んだミシェルを見た拓也はクック…と低く笑うと、未だ自分の言ったことを理解できず、咀嚼している彼女に向かって語った。



「言っただろ?精霊化って。


この状態になってる時、俺たちには通常の人間の常識は当てはまらない」



「いや拓也お前…普段からお前に普通の人間の常識なんて当てはまらんだろ」



「言えてる」



器具を片付け終えたセラフィムがすかさずそうツッコむと、拓也もいつも通りそう返してケタケタと笑い声を上げてハイタッチ。


しかし…ミシェルもビリーもまだ理解が追い付いていないのだろう。沈黙したまま思考だけを巡らせる。

目の前の光景を映していない瞳がそれを物語っていた。



「あー、つまりだ。


拓也の言ってる魔力βってのを生成してコントロールして体に馴染ませると、体が微妙に精霊に近づくってことだ。


そんで精霊の業に近いモノを扱えるようになるってわけ」



「おー、珍しくいい仕事するじゃねぇか」



「まぁな」



渾身のドヤ顔のセラフィムであった。



「ここまで聞いてればいいことずくめだが……もちろんいくつか欠点がある」



指をピンと立てた拓也。欠点……その言葉に、思わずミシェルとビリーは顔を強張らせた。



「まず一つ目。

生成した魔力βが特定の属性を持っている以上、精霊化している時には……その一つの属性の魔法しか扱えなくなる。今の俺の状態だったら、雷属性の魔法しか扱えないようにな」



「……でも拓也さん、戦ってる時はいろんな属性の魔法を扱っていますよね?」



「あぁ……俺は全属性を混ぜた魔力を使ってるから。


…って言っても分かりにくいだろうから……セラフィム」



拓也がそう呼びかけると、セラフィムはどこからともなく取り出したコップにそれぞれ何やら液体を注ぐ。



「ここにオレンジとリンゴジュースとパイナップルジュース、バナナに牛乳があります。


全部混ぜるとミックスジュースになります。


拓也はこのミックスジュースの状態です。はいミシェルちゃんどうぞ」



「……おいしいですね」



受け取ったコップを傾け、一言感想を零したミシェル。


満足そうに何度も首をコクコクと縦に振ったセラフィムは、もう一度同じような作業を繰り返してもう一杯のミックスジュースを作ると、今度はそれをビリーに手渡した。



「はい、ビリー君もどうぞ」



「あ、ありがとう………ッ………」



なんでいきなり試飲会のようなモノは始まったのだろうか…?


しかし、彼らの思考を読もうとしても徒労に終わることが分かっているビリーは、大人しくコップを受け取ってミシェルと同じように液体を口に含んだ。


次の瞬間、ビリーは分かりやすく顔を顰めた。


チラ目配せし合った拓也とセラフィム。自分の役目は終わったと背中で語りながら器具を片付け始めたセラフィムに代わって拓也が口を開く。



「だが配合を間違うとヤバい。それは普通の魔力βを作るときにも言えることだがな。


それが一つ目の欠点。魔力βを練るのが難しい上に高いリスクが付き纏う」



「具体的に言えば死ぬ、そもそも体に異物を取り込むわけだからな。


毒死みたいにパタッと逝ったり、爆散したり…」



拓也が今まで精霊化の存在を明かさなかった理由は……彼らのその発言で容易に判明することになった。


笑ってこそいるが……彼らのその表情の中には、厳格なモノが存在すると感じとったミシェルとビリーは、二本目の指を立てた拓也の話に静かに耳を傾ける。



「二つ目はさっき言った通り、精霊化中に使用できる属性が制限されること。


……俺は例外だが、まず魔力βを生成する際に二属性以上の残留魔力を取り込むのはまず不可能だと思ってくれ。


理由は極端にコントロールが難しくなり、欠点その一に繋がりかねないからだ。



三つ目。


慣れないうちは残留魔力を集めて取り込み、魔力βを練り上げるまでに時間が掛かる。戦闘中に精霊化するのはまず無理だ。



大体の欠点はこの三つ。ちゃんと覚えておくように」



続けて三つ目まで口にした拓也は、最後にニコッと微笑むとそう言葉を締め括る。


やはり簡単に強くなるなんてことは無理なことなのだと再認識した二人は、緊張で少しの間浅くなっていた呼吸による酸素の不足分を補うように、大きく深呼吸をして一息吐いた。


そんな二人を見て腰に両手を当てながらケタケタと愉快気に笑い声を上げた拓也は、先程までの緊張感漂う声色はどこへ行ったのかと問いたくなるほどいつも通りの調子で喋り出した。



「でもまぁ二人がこれを扱えるようになるまで一体どれだけかかるんだろうなぁ…?


まぁ聞いて分かった通り難しい上に命が危険に晒される……とりあえず精霊化を習得することはまず考えずに、ふとした時に残留魔力を感じとって、その流れを自分に取り込むようなイメージ?まぁそんなようなところから少しづつ始めてみると良い。詳しいことは俺が大丈夫だと判断してからな~。


それじゃあお昼にしよーぜ~」



ひらひらと手を振り一直線に玄関へ向かった拓也であったが…。


数歩も進む前にその歩みは止まった。原因は……彼の手首を掴んでいるミシェル。


参った…そんな心境ダダ漏れの表情を浮かべた拓也は、何を言うでもなく…黒色に戻った髪をガシガシと掻いた。



「教えてください。精霊化」



曇りの一切ない瞳を向けるミシェルに、拓也は苦笑いを返すだけだった。



「ミシェルちゃん…聞いてた?めちゃくちゃ危ないんだって…」



拓也のカバーに入るセラフィム。が、彼女は彼の方を振り向かずに拓也を見つめたまま。


遠慮気味にそう呟きながらミシェルの肩をポンと叩いた彼は、拓也にチラと視線をやる。


彼からのそんな一瞬の目配せから何を読み取ったのか……拓也は一つ小さく息を吐いて沈黙を貫いた。



「分かってます。でも…もっと強くなりたいんです」



「ミシェルちゃんは今でも十分強いだろ?」



「そうじゃないんです…!もっと……」



それ以上は言葉にすることはない様子のミシェル。サファイアのように美しい彼女のその瞳に込められた強い意志は……視線が直接自分には向いていないビリーにでも容易に感じ取れた。


きっとそれを正面から見ている拓也にはきっと……彼女が伝えんとすることは、より濃厚に深く伝わっていることだろう。



「ミシェルなら絶対そう言ってくると思ったよ…。


まぁ本当は残留魔力が利用できるってことだけ教えて、細かい方法は秘密にしようと思ってたんだけど……」



「お、おい拓也…」



「大丈夫だよ、俺がちゃんと付いて教えるから。


強くなりたいんだろ?ミシェル」



「はい」



優しく微笑んだ拓也を、しばらく呆気にとられたような表情で見上げていたミシェルであったが……次の瞬間それは彼同様優しいモノに変わる。


精霊化の危険性をよく知るセラフィムは少しの間青い顔をして拓也に何か物申そうとしていたようであったが、何やら彼らの様子を見ているうちに、何か内側で変化があったのだろう。


やれやれと額に手をやったセラフィムであったが、その口角は……僅かに吊り上がっていた。


・・・・・


修学旅行当日。


時刻はまだ午前の7時前後。学園の校庭に集められた学園の三年生の生徒たち。


あるものは友と談笑し、あるものはパンフレットのようなモノを捲り、またあるもの……というかジェシカは既におやつのバナナを頬張っていた。


全く別々の行動をしている彼らの全てに当てはまるのは、全員が例外なくそわそわしているということだ。


無理もない。今から向かうのは、旅行などでなければ滅多に行くことのない国外。


ほとんどの生徒がお金や治安の問題などで、行ったことがないのだろう。故に、この場の高揚した空気は最早必然と言っても過言ではないのだ。


そして…彼らの興奮の要因はもう一つ。それは壇上へと上った黒ローブ。



「はい、どうも剣帝です。今回も皆さんの護衛を務めさせてもらいます。よろしくお願いします」



音魔法による拡声を行い、全体にそう呼びかけた途端に…生徒たちの視線が一気に彼…剣帝へと集中し、あちこちから先程よりも大きいざわざわとした声が聞こえ始める。


流石は王国最強やら鬼神やらと称えられるだけあって、その人気は凄まじい。


しかしながらそんな爆発的な人気が、剣帝の中の人は帝の中でも群を抜いて超絶イケメンだという、本人が絶対にフードを脱げなくなってしまうような噂を立ててしまうのだろう。


拓也もその点に関しては絶対に顔がバレないように手を尽くしておきたいのか、今回はフードの下に、魔闘大会の時に使用した仮面を装着している。


すると、拓也は軽く右手を水平になる程度に上げた。


その瞬間、生徒たち一人一人の足元に展開されたのは、空間属性の魔法陣。



「一人一人に空間移動の術式を施しました。


皆さんの身に何か危険が及ぶようなことがあると判断した場合は私がすぐに駆け付けます」



初めてこの護衛任務に就いた時は一人一人術式を施していった。しかし…三回目になる今回では、なかなかの仕事の効率化を進めている拓也である。


ざわざわと騒がしい生徒たちを黙らせようと引率の教員たちが慌ただしく動いてはいるものの、一向に声が鳴りやむ気配はない。


教師たちの周囲数メートルのみが若干静かになるような光景がなんだかおもしろく思えてきた拓也は、仮面の下でクスクスと一しきり小さく笑うと、空間属性の魔力を練り上げた。



「それでは今から船着き場まで皆さんを運びます。当アトラクションは非常に揺れますので、振り落とされないように周りのお友達にしっかり掴まっておきましょう。あ、五人以上で掴まり合ってないと次元の狭間に取り残されるんで気を付けでくださいね~!


じゃああと10秒後に飛びま~す。はい10~…」



非常に物騒なことをいきなり呟いた後、突然開始される恐怖のカウントダウン。


しかし当然生徒たちもそんなことは冗談だということは分かっているので、何の緊張感も持たずワーワーキャーキャー騒ぎながら数人ずつで集団を作っており、結局はより彼らを騒がさせる燃料を投下したに過ぎなかったのである……が、これがきっと拓也なりの緊張の解かせ方なのだろう。


そして生徒たちがあらかた集団を作り終えた頃に、ちょうどカウントダウンが終了し、全員の視界が一斉に切り替わった。


それと同時に、鼻腔を擽る香りも変化する。



「すっげぇーもう海だ!!」



潮の香り。


どこからか…一人の生徒のそんな声が船着き場に響いたのを皮切りに、ほんの一瞬だけ静まり返っていた生徒たちがまたもやざわざわと騒がしくなった。


すると次第に、騒がしい生徒たちの視線がとある一か所に集中し始める。



彼らが見つめる先に、まるで山のような外観でそびえたつのは……。



「今回もコレが皆さんをミーリタリア王国まで運びます」



初めて修学旅行のようなこの試みが行われた時に、拓也によって作成、使用された、超巨大な船である。


武装こそしていないものの、これに拓也が搭載されるということを考えれば…ハッキリ言ってコレがどんな戦艦よりも凶悪な兵器に昇華することは間違いないだろう。


引率の教員たちの先導で生徒全員と乗組員が船に乗り込み、いよいよ出港。


山のように巨大な船が動き出した途端、生徒たちが歓喜の声を上げたが……流石に船乗りたちは彼らのこんな反応も慣れたモノなのか、誇らしそうな笑みを浮かべながらも、黙々と作業を進めて行き……船はあっという間に沖まで滑り出した。


多くの生徒は甲板に上がって、手すりから身を乗り出しながら自分たちが出港した港の方を眺めたり、果てしない水平線を眺めたり……始まったばかりの修学旅行を早くも楽しんでいるようだ。



とりあえず問題なくここまでは事が運ばれ、しばらく暇な時間ができたと一息吐いた拓也は、柵を乗り越えて船首に腰を下ろし、釣りでもしていようかと釣竿をゲートから取り出した……が…。



「……まぁやっぱそうなるか」



背中に突き刺さる無数の視線。それが何を意味するのか……拓也は苦笑しながら溜息を一つ零し、釣竿をゲートの中に投げると、ゆらりと立ち上がって軽く柵を飛び越えて、自分をの事を見つめていた生徒たちの前に歩み寄った。



「何かして遊ぼうか、これからしばらく暇だし」



いずれこうなることが分かっているのなら、もう自分から行った方がいい。それが、二度この仕事を経験してきた拓也の考えであった。


声を掛けられた生徒たちは、パァァっと顔に花を咲かせると、返事をすることもままならないのか何度も首を縦に振る。


彼らもまさか、憧れの剣帝が同じ学年の生徒だとは思うまい。



普段の自分に対する扱いと、今の扱いの違いに何だか悲しくなった拓也であったが……顔を覆っている仮面のおかげでそんな心境が外部へ漏れることはなかった。


しかし遊ぶといっても、この大人数。全員が比較的楽しめて、且つ乗組員たちに迷惑を掛けず、更には教員たちに睨まれないような遊びは…何かないかと思考を巡らす拓也。



「……!」



しばらくしていいことを思いついたのか、海に手をかざした拓也。


広げた掌に展開された魔法陣は…‥‥水。



次の瞬間…バリバリバリッ!という音と共に、船から少し離れた場所の海面が凍結した。



ちょいと指を振る拓也の動きに合わせてゆったりとした動きで宙に浮かんだ一枚の氷のプレート。


更に拓也が指を振ると……プレートの周りがガリガリと削り取られ、巨大で薄っぺらい円形の的のようなモノが出来上がり、そこに火の赤い魔力で線が加えられて行く。


そんな巨大なモノを宙に浮かせ、且つ船と一定の距離を保たせて運搬し続けるその圧巻の魔力操作に生徒たちは舌を巻いている。



「的当てなんてどうかな?


魔法を使ってもいいし……得意じゃないって子はこっちを使うといいよ」



そう言って彼が次に展開したのは土属性の魔法陣。


そこから発生したのは意思を持ったように蠢く岩。


それは瞬く間に分裂、変形し……野球ボール大の球体と一メートル程度の槍を無数に作り出し、甲板に小規模な山のように積み上げられた。



「槍を使う時は一応後ろに人がいないかは確認してからね。



ほら、何かあったら先生方に怒られちゃうから…俺が…」



「……剣帝様でも先生って怖いんだね~!」



「………まぁねッ!」



誤魔化すようにボールを手にして、軽く放るような動作で投げた……が、そのゆったりとした動作とは対照的に、岩のボールは弾丸のような速度で空気を切り裂きながら的へと飛来する。


瞬く間に氷の膜との距離を詰めた岩の塊は、的の中心…赤い魔力が唯一線ではなく点になっている部分に直撃した。


パリンッ!という子気味の良い音が水面に反響し、鼓膜を揺らす。



「真ん中に当てられたら……怖い先生たちには内緒だけど、何かご褒美でもあげちゃおうかな」



各自魔法を用意したり、拓也の用意したボールや槍を手にした生徒たち。どうやら俄然やる気が出てきてしまったようだ……。



「……まったく…何してるんですかあのバカ…。


後で何か言われても知りませんよ……」



「たっくんってああやって人との距離詰めるの上手いよね~!」



それを遠巻きに眺めていたミシェルやジェシカたち。


額に手をやるミシェルとは対照的に、笑いながら拓也を称賛するジェシカであった。



「でも実際拓也君って本当にすごいよね。強いし面白いし料理も出来るしスッゴイ器用だし……逆にできないことが見つけられないよ」



「た、確かにビリー君の言う通りかも…!」



ビリーとセリーがそう同調する中……ミシェルは一人青空を見上げながら、ちょっとした優越感に思わず笑みを漏らした。


それは……自分だけが知っている彼の姿。



「(拓也さんはかなり不器用ですけどね)」



涙を隠したり、どうでもいいことで強がったり、全部を自分で抱えようとしていたり……数えていけばきりがない。


頭の中で上がったのはいささか欠点のようなモノが多かったが……それは、彼をよく知っているミシェルにとってはその限りではない。


外では…ビリーたちが言うように、変態的な部分を除いては完璧に振る舞って隙を見せない拓也が、自分にだけ見せてくれるちょっとした綻びのようなモノ。


それはなんだか…彼が自分を心の底から信頼して見せてくれているようなモノだとミシェルは思っていた。


そしてそれが……言葉にしようもない程に愛おしい。



いうまでもなく拓也は友人を大切にしている。だが……彼らに見せない面も、自分だけには見せてくれている。


ビリーの今の発言で、ミシェルはそれを再認識し、そんなところから生まれたちょっとした優越感に浸るのだった。



「な~にさミシェル乙女チックな顔しちゃって~!」



「にゃ、なんですかジェシカ……別にそんな顔して…」



「い~やしてたね!どーせたっくんの事でも考えてたんでしょ~!?」



読心術でも使えるのか……となりからミシェルの頬をツンツン突き、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら挑発するようにそう発言するジェシカ。


心の中を見透かしたような彼女のその発言に一瞬だけ取り乱し掛けたミシェルであったが、流石に彼女の煽りにはもう慣れているのか瞬時に頬の赤らみを鎮静化して、ツンとした表情でそっぽを向いた。



「またまた嘘なんてついて~!慣れないことするもんじゃないよ~ミシェル~?


すっごいトロ~っとした顔してたよ~?」



「べ、別にそんな顔してません!!」



「あ、図星だ!」



どうやらミシェルはジェシカには勝てないようだ…。


・・・・・



午前が終わり、太陽が空の頂点から下り始めるころ…。


昼食を終えた生徒たちは、剣帝の使い魔であるイスラフェルの奏でる旋律を楽しみながら、のんびりとした時間を過ごしていた。


一方…船首から釣り糸を垂らす拓也は、幾らかの生徒たちに囲まれてこそいるものの……その数は午前中よりもかなり少ない。


適当に…しかし、誠意をもって応対する拓也の視線は、ユラユラと揺れる水面に落とされている。



「……」



いつもは太陽の権化のように明るく、捉え方を変えればやかましいジェシカは、珍しいことに非常に静かにデッキの手すりにもたれるような姿勢で、遠くを眺めていた。


すると……そんな彼女に話しかける男が一人。



「ジェシカさん、何を見ているんだい?」



両手に飲み物を持って現れたのは、アルス。


いつものようにニッコリとした笑みを浮かべる彼は、一つのコップをジェシカに手渡して自然に彼女の隣に立つ。


なんだか浮かない表情を浮かべていたジェシカであったが、彼の顔を見て数秒後にはいつも通りの満面の笑みの彼女に戻っていた。



「ん、あぁアルス!


いや~何を見てるってわけでもないんだけどね~…ただボーっとしてただけ~!」



「そうなの。


………海、綺麗だね」



「うん!」



元気よくそう返事をしたジェシカは、グーッと背伸びをした後に上体を倒して手すりに顎をピタッと付けて…少しだけ目を細める。


船体を通して直に伝わってきた波の音。


ゆっくりと体を起こし、アルスから受け取ったコップを傾ける。



「え、ナニコレ美味しい!」



「そう?それはよかった。


下の売店で売ってたからちょっと買って来てみたんだ」



「あ、そうだいくらだった?」



「いいよいいよ、これくらい」



アルスは軽く手を振って、財布を取り出したジェシカを制した彼もコップを傾けた。



「悪いね~!


じゃあミーリタリア王国についたら私もなんかアルスに奢るね!!」



「ハハハ、楽しみにしとく」



「ハハーン!その顔は期待してないって顔だな~!?」



「…そんなことないよ」



「その間はなんだ~!!?」



いつもの調子で軽口をたたき合い、盛り上がる二人。


一見物静かなアルスとは対照的なジェシカだが、何故か二人は面白い程に上手いこと絡み合う。


きっと二人のこの関係は、化学変化にも似たようなモノなのがあるのだろう。



「それにしてもなんだか珍しい気がするよ」



「なにが~?」



水平線へ視線を向けながらチビチビとジュースを飲むジェシカは、アルスのそんな発言に間延びした口調でそう返す。



「いや、ジェシカさんが物思いにふけてるのなんて…ね?」



「……アハハ~!まぁ将来のことについて悩んでたのは確かだね~!!」



バレていたかと苦笑いを浮かべて若干癖が入った赤い髪を掻きながらバツの悪そうに零したジェシカ。


アルスは笑みを崩すことのないまま一度小さく頷いて、言葉を続けた。



「もう後…半年で僕たちも卒業だからね。


ジェシカさんは何かなりたいモノとかやりたいこととかはあるのかな?」



「う~ん…あんまり考えたことがなかったな~。


だから今悩んでるんだけどね!!」



「あぁ、そうだよね。ジェシカさんは今を生きてるって感じだし」



「あ~!アルスまた私のことバカにしてる~!?」



えいえい!…と、隣のアルスの肩を軽くグーでパンチしながら冗談を口にするジェシカに、別に本気で彼に馬鹿にされたと思っている節はない。


しかし…そんな朗らかに笑うジェシカとは対照的に、彼女の発言を聞いたアルスの顔に浮かんでいたのは……張りぼての笑みすら消え失せた闇だった。



「羨ましいよ。縛られずに自由に生きられるって…」



「……アルス?」



「あ、拓也が何か釣ったみたいだよ」



「…嘘!!あ、ホントだ!行ってみよ!!」



だがそれが垣間見えたのはほんの僅かな間。幻かとすら思うほどの短い時間。


次の瞬間にはいつものアルス。ジェシカも見間違いだったのだろうと、自分の中で結論付けた。


・・・・・


すっかり日が傾き、夕焼けが水面を茜色に照らす。


生徒たちがざわざわと騒ぎだし、剣帝…拓也は重い腰をゆっくりと船首から上げて、ひとりでに小さく呟いた。



「海洋国家…『ミーリタリア王国』…。


空間移動を使わずに正面玄関から入るのは随分と久しぶりだな」



中心に向けて小高くなって行く大きな島を丸ごと王都に改築し、周辺の中くらいから小さな島にも何やら様々な施設が立ち並ぶ。


これらの大小の島全てを合わせて、ミーリタリア王国。



見てわかるように領地はそれほど大きくはなく、歴史もそれほど深くはないが…立地を生かした貿易や、領海の広さを生かした水産業などで栄えている豊かな国だ。



「は~い!!順番を守って降りてね~!!


あ、こらそこ~!!」



涼しいを通り越して冷たい海風に当てられても、相変わらず暑苦しい程にテリーの声が港に響く。


そんな暑苦しい教員と、バカでかい船のせいで注目を集めてしまっているエルサイド王国勢であった。



「ふぃ~ちかれた~」



「お、今は拓也なんだね」



「おう、なんか注目されないって良いなって思えて来たわ……」



最後に船から降りてきたのは非常に疲れた表情の拓也。剣帝としての装束は纏っていない。


きっと周辺にいた生徒たちの視線を浴びせられ、慣れないことに精神的に疲れたのだろう。



「これからの予定は、宿で明日からの講習…ですか。


初日はあまり楽しいことはなさそうですね」



「そうですわね…」



「あ、メルお前居たの」



しかし…どれだけ疲れていようとも、メルに対しての煽りだけは絶対に忘れない。


顔に深くめり込む彼女の拳。何故彼はそこまでして彼女を煽るのか……答えは簡単。楽しいからである。


ただでさえ楽しいことがない修学旅行初日。それならば何か少しでも面白いことを起こさなければならない。日程通りやっていては面白いことは起こらない……それならば自分の手で何か面白いことを起こさないといけない。


彼の中のエンターテインメント精神が彼にそう呼びかけたのだ。



「そんなにハードに動くと垂れるぞ、ちt…」



「余計なお世話ですのよッ!!」



刹那、腰の入った拳によって彼の足が地面から離れた。



・・・・・


一日目が終了し、夜が明け二日目。



「どこから行く?とりあえずある程度の目星はつけてきてるけど…」



「なんかごめんね~!私の意見ばっかりで~!!」



二日目の行動は班別の散策。


事前に決めておいた班に分かれて、島中のスポットを回るという修学旅行でありがちなイベント。


普通の学校ならばやり過ぎというほどの制限が設けられがちなこの手の自由な行動だが、エルサイド国立学園の修学旅行では、教師たちが完全に剣帝に仕事を投げているので異常なまでに制限が無い。


具体的に言うと、悪いことをするなという非常に抽象的な縛りしか設けられていないのだ。


だがしかし……それでもそのたった一つの縛りだけで十分すぎる。



なぜなら……。



『悪いことする予定の子。全員ちゃんと監視してるからね☆』



昨晩の剣帝の一言が、学生たちに凄まじい影響を与えてしまったからだ。



「別に構いませんよ」



「うん!ジェシカちゃんが行くとこって大体面白いことが起こるもんね!!」



「セリーさんそれって遠回しにジェシカさんのこと…」



「…あ……ち、違うよジェシカちゃん!!」



「アッハハ~分かってるって~!!


セリーちゃんってば天然なんだから~!!」



自分の失言に気が付いて慌てて頭を下げたセリーの頬をツンツン突きながら彼女に絡みつくジェシカはまったく気にしてなどいない様子でヘラヘラと笑っている。


すると…拓也の後ろ姿をじとっとした目つきで見つめたミシェルは、少し歩幅を大きくして彼の隣まで歩み寄って口を開いた。



「拓也さん、珍しく大人しくしてたみたいですね」



「珍しくってなんだよ」



「いえ、こういう時ってなんだか先導して問題を起こしそうな気がしまして」



「………すごい偏見だな」



苦笑いの拓也であった。



「ねぇねぇたっくん……」



すると……突然拓也の腕をトントンと叩きながら彼の名を呼んだジェシカ。


彼女のしては珍しく落ち込んだ声のトーンに何事かと思い振り返って顔を覗くと…ジェシカの視線はとある一点に固定されていた。


その視線を辿るようにして進めると…拓也も彼女が注視しているモノをすぐに発見する。


ジェシカを安心させるように笑みを浮かべた拓也は、その者に視線を向けたまま口を開いた。



「あぁ、大丈夫。俺の知り合い」



ヒツジのようなモフモフの動物を彷彿させる、腰辺りまで伸びた癖のある白を含んだ水色の髪をぴょんぴょん飛び跳ねることで揺らしながら、手を高々と上げて自分の存在を証明しようとする少女を…拓也はよく知っていた。


ジェシカと拓也がそんなやり取りをしていたせいで、必然的に全員の視線がその少女に向けられる。


全員が戸惑う中、一人だけ例外の拓也はこちらに手を振っている少女に手を振り返した。



すると…謎の少女は元から浮かべていたであろう笑顔にさらに花を咲かせると、全速力ではないモノのそれに限りなく近い速さで拓也たちの方へ駆け出した。



「拓也お兄様~!!」



「おっすエリミリア、久しぶりだな~!!」



両手を広げながら突進のような勢いで拓也の胸の中に突っ込んだのは…そう、ミーリタリア王国王女…『エリミリア=ミル=ミーリタリア』である。


まるで大型犬でもあやす様に彼女の頭を撫で繰り回しながら上機嫌に笑う拓也と、彼に身を委ねる彼女を見れば、二人の仲が非常に良好なのは第三者から見ても容易に分かった。



「おっと、エリミリア自己紹介よろしく」



ようやく周りがこの状況に取り残されていることに気が付いた拓也は、一先ずエリミリアを自分から話して自立させ、彼女にそう言ってミシェルたちの方へ向き直らせた。



「あ、申し遅れました。


私、ミーリタリア王国第一王女。エリミリア=ミル=ミーリタリアと申します。以後、お見知りおきを」



スカートの両端をちょこんと摘まみ、軽く持ち上げながら上品に一礼したエリミリアに、ミシェルたちも思わずお辞儀し返した。


ニコニコと微笑んだまま隣に佇む彼女の肩に手を置いた拓也。彼も彼女に久しぶりに会えたのが嬉しいのか、爽やかな笑みを浮かべる。



「エリミリアは初めて見る顔ばっかりだな、紹介するよ。


左からジェシカ、アルス、ミシェル、セリー、ビリーだ。全員俺の友人…」


「ちょ、ちょっとッ!!!


どうして私の紹介はありませんのッ!!?」



「そんでミシェルは…痛ってぇッ!!?」



すかさず集団の中から飛び出す巨乳は、涙目で拓也に掴みかかってガクガクと揺らして抗議するが拓也はへらへらと笑ってまともに取り合うつもりはないようである。


それどころかそのまま話を進めようとする始末…しかしそれは流石に彼女の全力の顔面パンチによって阻止された。



「はい、じゃあコイツはメルね。見ての通り超危険だから気を付けろよ」



「そ、そんなことないですわ!!」



真っ赤になった鼻頭を抑えながら不満たらたらの様子で補足した拓也であったが、それでも追加で叩き込まれる拳。


きっと彼女はその辺の魔獣よりよっぽど危険である。



「存じ上げておりますわ、ハイメルシューラルム=エム=エルサイドさん。


お父様からたくさんお話を伺っておりますので」



ニコッと綺麗に微笑んだエリミリアは、激情に顔を歪めるメルに歩み寄ってまた一つ丁寧に頭を下げた。


彼女のそんな丁寧な対応に、メルも平然を取り戻して軽く会釈する。


何故かメルの方が年上なのだが…エリミリアの方が上品に見えるのは、多分彼女の普段の姿を知っている拓也たちには、先入観があるからだろう。



「うわ、お前よりよっぽど王女してんなッ!!」



渾身のサッカーボールキックが拓也の鳩尾にめり込んだ。


若干地面から離れる足……。


いきなり襲い掛かった膨大なダメージは、拓也に膝を付かせるには十分すぎた。


一般人から見れば、可憐な爆乳透明少女にフツメンがボコられているという何とも不自然な光景にしか見えず、きっと一般人はまず目を疑うのだろうが……如何せん色々と…主に思考などが通常のモノからはかけ離れてしまっている拓也と親しいエリミリアは通常には属していないようで、口元を隠してクスクスと上品に笑って見せた。



「お二人はとても仲がよろしいのですね」



「いやどこが?俺が理不尽にプロボクサーも顔負けなハードパンチに晒されてるんだけど?


これが仲良しに見えるんならライオンとシマウマさんもベストフレンズだよ?」



「そ、そうですわ!!こんなのと仲良くなんてしたくはありません!!」


「おいらはその大きなメロンさんとは仲良くしたいですぜぐへへへ……」



ゲスな笑みを浮かべて立ち上がってメルの胸部をガン見し、手をワチャワチャと忙しなく動かしていた…その刹那……僅かに感じた圧力に、咄嗟に仰け反るようにして頭を引いた拓也。


…が、僅か間に合わず……ミシェルの拳は顎を掠めた。


拓也は驚いたように目を見開いて片膝を地につき、右の手で顎を抑え…内心で冷や汗を流した。



ー…っとあっぶねぇ……なんだ今の威圧…本能的に回避しちまった……ー



そんな拓也の心境など知らないミシェルは、なお眼前の彼を威圧するように鋭く睨み付け……膨大な量の魔力を練り上げていた。


流石にマズいと悟った拓也は、慌てて立ち上がって両手で彼女を制するように手を突き出す。


そしてとりあえず彼女が武装状態を解除したことを確認すると……ニコッと爽やかに微笑みつつ、謎のイケボで言葉を紡いだ。



「安心してくれ。俺はミシェルのお〇ぱいは…特別だからさ。


それを揉める私もまた…特別な存ざぅぶぃへぇぇッ!!!?」



しかし紡がれた言葉は最低であった。故に制裁は免れないのである。



「ふふ…ふふふふ……」



するとエリミリアは、今度は上品にではなく、可笑しそうに顔を歪めてお腹を抱えながら笑っていた。


拓也からすれば全然笑える状況ではないのだが……エリミリアはこみ上げる笑いを必死に噛み殺すように前屈みになって小刻みに震えている。



「やっぱり拓也お兄様は面白いですね…本当に……」



しばらく笑い尽くした後にようやく復活したエリミリアは、目尻に浮かんだ涙を指で拭いそんなことを呟いた。


彼女は一応王女であるが、拓也の知り合いということや、今の上品さを漂わせながらも気軽さを感じさせるようなやり取りのおかげもあってか、拓也以外の面々も僅かながらの緊張以外……怪しみなどは既に抱いてはいなかった。



「そういえば前まで髪の毛ストレートだったよな、それどうしたん?」



「あぁ、これですか。


いつもいつも同じでは飽きるのでちょっと冒険してみようと思いまして、少しだけパーマをかけてみたんです。どうでしょうか?」



キレイに巻かれた白色を含んだ水色の腰まである髪の下に腕を回して持ち上げたエリミリアは、拓也にそう問い掛けた。


海風にさらされた艶やかな彼女の髪は、風に靡き…腕からスルリスルリと抵抗なく滑り落ちて行く。


拓也は両手でグッドサインを作ると、満面の笑みを顔に浮かべた。



「いいと思うぜ。ただ……気を付けろ。


髪型をころころ変えるとうちの王女みたいに存在感が消えてゆく可能性がァッ!!?」



「私の存在感が何ですって?」



「自己主張強いって……その武闘家スキルは他に生かせって……マジ……」



無様にも地面に転がる拓也……。しかしこの状況でも地面の固さ、冷たさ、そして総合的な心地よさを採点している彼。


大体は自業自得。そして時には理不尽な暴力に曝されて床に沈むこと星の数……流石は地面兼床マイスターである。



すると……コミュ力の塊のような人間のくせにこれまで比較的静かだったジェシカがようやく動く。



「そうだ!エリミリアちゃんも一緒に回ろうよ!!」



一国の王女に対して無礼ととられかねない口調であったが、エリミリアは不快には思わない。


それはもちろん、エリミリアがそう言った堅苦しいモノを望んでいないからという理由もあったが、それを差し引いてもジェシカの人間性が影響している部分も多いのだろう。



「え、え…よろしいのですか?


私は拓也お兄様に挨拶しに来ただけで…」



「もっちろんだよ~!!


たっくんの知り合いならウェルカムウェルカム!!それにエリミリアちゃんが一緒に居た方がもっと面白いことが起こりそうで私的には一緒に居たい!!」



「ん、確かにそっちの方が楽しそうだな。


エリミリア、時間あるなら一緒に行こうか」



上品な笑顔を内側から壊すようにしてじわりじわりと前面に出てきたのは、パァァっと明るい子供の無邪気な笑顔。


普段は王城に縛られてあまり自由とは言えない生活を送っているエリミリアは、大臣たちの前では口にすることはあまりないが、本当は……友達というモノを作ったり、外で思いっきり遊んだりしたいのだ。



「じゃ、じゃあお言葉に甘えさせてもらいますね…!!」



結局は、本当の所は彼女も年相応の女の子というわけである。



「じゃあまずはどこ行くどこ行く!?」



「それは全部ジェシカに任せます」



「僕もだね」



「僕も」



「わ、私も!」



そんなこんなで動き出したジェシカたち一行。



若干取り残されたように立ち尽くす拓也とエリミリアは、お互いに顔を見合わせると、何がおかしかったのかクスリと笑いあった。



「面白い方ですね、ジェシカさん」



「まぁな…あの明るさは天下一だと思うぞ」



そして…視線を横に這わせて、エリミリアはミシェルの背中をじっと見つめ…小さく呟く。



「でも……ミシェルさんはもっと面白そうです」



指で唇を触れながら彼女が小さく零したそんな言葉。


真意は分からなかったが、何故か背筋に冷たいモノを感じる拓也であった。


・・・・・


潮の香りがする心地よい風に吹かれながら大通りを行くミシェルたち一行。先頭を行くジェシカは、あいも変わらず歩いているだけでうるさい程に賑やかである。


そしてそのうち一人で騒いでいるのにも飽きたのか、近くにいたセリーとアルスの片方の腕にそれぞれしがみ付くと、何が面白いのか高らかに笑った。



「ほらほら~ちょっと静かなんじゃないアルス!!セリーちゃんも~!!」



「お前がうるさすぎるだけだと思うぞ~」



「たっくんも後ろの方でミシェルといちゃついてんじゃないよ~!!」



「ホントあの元気はどこから出てくんだ……」



やれやれと苦笑いを浮かべてエリミリアとミシェルと共に最後尾を行く拓也は、彼女の底知れないテンションに驚愕しつつ、白のような水色の髪を揺らす隣の少女へ視線をずらす。


少しだけ…ほんの少しだけ、彼も彼女が溶け込めるかが心配であった。…が、彼女の顔に建前ではない……少女らしい本物の笑顔が浮かんでいるのを理解知るのと同時にその不安からも解き放たれた。


すると……ふいにエリミリアと視線が交錯する。



ニッコリ。きっとそう表現するのが適切なほどに美しくも可憐に微笑んだ彼女は、一瞬だけ視線をずらしてミシェルを一瞥して彼女の注意が自分に向いていないことを確認すると……拓也の左の腕に抱き着いた。



「拓也お兄様は素敵な人たちに囲まれているのですね!」



「俺が話した通りだろ?


まぁなんとも面白くていい奴らだよ」



美少女に抱き着かれているというのに全く動じずケタケタと笑みさえ浮かべながら軽く返す拓也。その顔に浮かんだ穏やかな笑みは、エリミリアが更に強くギュッと抱き着いても揺らぎすらしない。


それは普段からミシェルという美少女と近い距離で接しているからなのか、それともただ平然を装っているだけなのか……そればかりは本人に聞かなければわからないが…心穏やかな彼とは違い、今の一瞬でとある人物の纏う空気が一変した。



「………」



普段から冷たいといえば冷たい空気を纏っている彼女だが……いま彼女が纏っているそれは、明らかに普段のそれとは別物。


負の感情を孕んだその空気は、一目見れば彼女をよく知らない人間でもきっと背筋が冷たくなるほど色濃かった…。



「拓也お兄様たちは観光にいらっしゃったのですよね?」



「そうなるな。


あ、そうだエリミリア!なんかこれだけは見といたほうがいいぞ~なんてモノとかある?あったら教えてほしいんだけど」



「そうですね……」




顎に手を当てながら可愛らしく小首をかしげるエリミリアを、まるで妹を見守る兄のような笑みを浮かべる拓也……。


あろうことか、エリミリアと言葉を交わし合っている彼は隣の銀髪の少女……ミシェルの様子がおかしいことに、未だに気が付いていなかった。



「王都の中央広場とかどうですか?


お昼の12時になると時計塔のてっぺんの大きな鐘が鳴って、中央広場の噴水の動き方が変わるんですよ!!」



「へぇ~、流石!伊達にこの国の王女様してるわけじゃないなエリミリア~!うちの王女なんて多分観光名所の一つも言え…………ないわ絶対」



「どうして威圧したのに続けますのッ!!?」



「おぉっといいのかメル!今の俺に攻撃したら…エリミリアにも被害が及ぶぜぇぇ!!」



「ぐっ…!!」



ぐへへ…と、下卑た笑みを浮かべる拓也は腕に絡み付くエリミリアを人質のように扱いながらジリジリとメルから距離を取る。


そんな茶番を繰り広げている間……キャッキャと楽しそうにしながら更に拓也に絡み付くように抱き着くエリミリア。


すると…後ろを振り向いて拓也と対峙していたメルは………彼の隣の”彼女”の様子に気が付いてしまった……そしてその刹那、怒りに真っ赤だった表情は、恐怖にも似た感情によって青ざめた。


拓也はエリミリアと騒ぐのが余程楽しいのか、ミシェルの異変に気が付く様子はこれっぽっちも見えない。


マズい……メルは恐怖に顔を引きつらせてミシェルに手を伸ばす……が、掛ける言葉も見当たらず、そして何より本能が自分の身の危険すら感じ取ってしまい、結局何も口にすることはできずに目を逸らす。



「はしゃぎ過ぎですよ拓也さん、どれだけ浮かれてるんですか」



しかし次の瞬間、メルの予想に反してミシェルの口から紡がれたのは、いつも通りを匂わせるセリフ。


驚愕した彼女は、恐る恐るミシェルの顔へ視線をやる。


すると彼女は……呆れたような表情の中にも、笑みを宿していた。


先程までの恐ろしいまでに冷たい空気と表情はどこへやったのかと聞きたくなるほど……今の彼女の表情は穏やかそのもの。




「お、なになに!?


ミシェルの位置にエリミリアちゃんがいる!!正妻交代!?」



「からかわないでくださいジェシカ」



振り返っていきなり挑発のような事をしてきたジェシカに対しても、いつも通りに軽くあしらうその余裕。



「(わ、私の考え過ぎだったんでしょうか…?)」



プルプル震えながらそんなことを内心で呟いたメルは、踵を返して流れに身を任せながら歩を進めながら、顎に指を当てて考える。


すると、口元に手を当てながらハッとして、マズったというような表情を浮かべたエリミリア。


名残惜しそうに拓也から離れると、彼女は申し訳なさそうにミシェルに頭を下げた。



「ご、ごめんなさい私ったら…。


久しぶりにお兄様にお会いして楽しすぎました……お二人は交際中ということをすっかり忘れてしまっていました……お許しください…」



「あ、いえ、全然構いませんよ」



全然気にしていないというように顔の前で手をひらひらと振って見せたミシェルは、笑顔すら見せて言葉を続ける。



「普段あまり会えないんですから、こんな時ぐらいは…」



ミシェルのそんな発言に少々意外そうな顔をしたエリミリアは、踵を返して先を行くミシェルの背中をじっと見つめて呆然としていたが……数秒後にはニッコリとした笑顔を浮かべ直して生まれた差を小走りで詰めると……拓也の手を片手でギュッと握った。



「では……お言葉に甘えさせていただきます」



「…はい、こんなのでよければどうぞ」



「あれ?俺の人権ってミシェルが握ってるの?」



「今更ですね」



拓也に対してはいつものように冷たく言い放つミシェル。


そんな彼女の表情を、吟味するようにじっと見つめていたエリミリアは……ニヤリと少女らしくない笑みを浮かべると、それがミシェルや拓也たちに見つからないようにフッと顔を逸らした。


それからは他愛のないやり取りをしながら足を運ぶこと十数分。


大きな島を丸々利用して建設した王都の裏側……切り立った崖のような場所にジェシカたちはやってきた。



「はいはーいとうちゃーく!!」



以前ハイテンションのジェシカは、他の観光客たちがいるにもかかわらず両手を天高く掲げながら大はしゃぎで広場を駆けまわる。


彼女にしては珍しく飲食系の場所じゃないななんてことを考えている一同は、子供のように一人で盛り上がっている彼女の後を歩いて追う。


切り立った崖ということもあり、もちろん周囲は比較的高めの柵で覆われている。その為、彼女がはしゃぎすぎて崖下に落下するという惨事は起こりえないので保護者的存在のミシェルたちも安心して見ていられた。



「ここは地元でも結構有名なスポットなんですよ」



「へぇ~、そういえば改めてミーリタリア王国観光したことなかったな」



「何でも聞いてください!」



近くのベンチに腰掛けて、一人ではしゃぐジェシカを傍観する拓也がそんなことを呟くと彼の隣に腰かけたエリミリアは、女性らしくなってきた柔らかな胸をトンと叩いて自信満々にそう言葉を紡いだ。



二人が腰かけているベンチは、あまり大きいモノではなく……おまけに拓也とエリミリアが若干間隔を開けて座っている為、ヒトがもう一人座れるスペースは一応あるにはあるものの、その隣にも別のベンチが備え付けられている為、敢えてそこに座るのは不自然。


拓也の隣という定位置を失ってしまったミシェルは、だいぶ動揺しているのか同じ場所を何度もグルグルと行き来する。


表情だけは辛うじていつも通りクールなままだが、慣れた者たちから見ればそんな冷たさを感じさせる表情の中からも不安や焦りなどは読み取れるだろう。


しかしそんな彼女はよそに、拓也とエリミリアは楽しそうに会話を続けていた。



「拓也お兄様、ここの広場がどうして人気な観光地なのか知っていますか?」



「お、やっぱりそういうのあるよな。何々教えて」



「あっちの方に腰ぐらいまである水晶があるんですよ。


その水晶は上は二股に分かれていまして、下の方はくっついていて一つの水晶になってるんですよ」



ちょうど彼らのいる場所からは見えないが、エリミリアは円形に続いて行く崖の上の道の向こう側を指さしてそう語る。


その頃、拓也の隣に座るのを渋々諦めたミシェルは、とりあえず彼らの隣のベンチに腰を下ろしていた。



「実は意中の相手や恋人と一緒に触れると、恋愛成就、縁結びなどのご利益があるらしいです」



「あぁなるほど、二つで一つになってるからか」



「はい、流石拓也お兄様は聡明ですね」



「でも二股っていうとなんか浮気とか不倫を彷彿させるな」



「ふふ、物は言いようですね。


後で行ってみませんか?」



「…!?」



それとなく聞き耳を立てていたミシェルがピクリと反応を見せた。


しかし視線を向ければ、聞き耳を立てていたことを拓也にバレてしまうかもしれない。


別に……そんなことを知られたところで何にも問題はないはずなのに、彼女の持ち前の優しさにも似た遠慮深さなどが邪魔をしていた。


指を絡めたり解いたり…忙しなくそんなことを繰り返すミシェルは、得も言われぬ不安に駆られながらも以前表情だけは冷静であった。


それは彼の前であるからだろうか……。だが彼女のそんな素直になれない部分は、もし拓也を狙っている者がいるとしたのならば……付け入るスキを与えているだけ。



「ん、いいぞ。ちょっと行ってみるか」



快諾した拓也はエリミリアと共に席を立つ。


楽し気に言葉を交わしながら遠くなる二人の背中。



思わず拓也に向かって手を伸ばしたミシェルだったが、その手が彼の背を掴むことはなく…・・空しく空を切る。



「……はぁ…何やってるんでしょう、私……」



自嘲するような笑みを浮かべた後、表情に影を落として…深く…深く溜息を吐いたミシェル。


一人、彼女が落ち込んでいる間にも……拓也たちの姿は見えなくなってしまった。



「待つのは止めるって決めたんですけどね……」



そんなことを小さく呟きながらもだがただ待つこともできない彼女は立ち上がり、フラフラとした足取りで拓也たちが向かって行った方へ向かって行く。



「凄い人が並んでますね~!」



「流石は人気スポットだなぁ……」



遠巻きに二人が会話する光景を眺めるミシェル。


どうすることもできないな…そんなようなことを思いながら、彼女はまた溜息を吐いた。



しかし…あまりにも長い行列を見た拓也が、ミシェルにとってはこの上なくラッキーな提案を、苦笑いを浮かべながら口にした。



「こんな行列じゃ待ち時間がヤバいな……触るのは諦めるか?」



「そうですね、私はこの国のモノですから来ようと思えばこれますし、拓也お兄様がそれでよろしいのでしたら」



そしてミシェルにとってはさらに幸福なことに、エリミリアもあっさりと拓也の意に沿う旨の発言を零す。


一先ずほっと胸を撫で下ろしたミシェルは、それから先も二人に気が付かれないように人ごみの中に姿を紛れさせ、二人の動向を観察するべく静かに後を付けていた。



一方その頃……。



「アルス見て!!めっちゃ高いよ!!!」



「その柵は越えちゃダメだよ」



「大丈夫大丈夫!流石に私でもそんなことしないよ~!!」



ジェシカを一人にしておけなかったのか、彼女の後を追って来たアルスは、彼女の保護者のような状態になっていた。


年相応の落ち着きを見せずにはしゃぎまわる彼女を、上手いことコントロールできる人物は恐らくそんなに多くはないだろう。



しかしまぁ……別に周りの客に迷惑をかけているわけでもないので、特に止めることもないアルスは、いつもの張りぼてとは少し違った笑顔を顔に浮かべながら彼女のそんな動向を観察していた。



だがそこはコミュ力ガチ勢のジェシカ。



「アルスはなんでベンチに座ってんのさ~!!遊ぼうよ~!!!」



「遊ぶも何も……何をするんだい?」



「遊ぶの!!」



「なるほど、ふむ…それは興味深いね」



当然だがアルスに休む暇など与えるわけがない。


いや、多分アルスもそれを苦痛と感じてはいないのだろう。だからこうして彼女の傍に居てくれるのだ。



・・・・・


その頃……。


子供のように柵にしがみ付きながら遥か彼方の水平線を眺めるビリーと、その隣で、彼よりは大人しいながらも興奮の色を隠しきれていないセリー。



「凄い眺めだね~!」



「うん!流石ジェシカちゃんだよ!!


メルちゃんはどう……あれメルちゃんは…!?」



今の今まで隣にいたはずの人物がいないことに気が付いたセリーは、慌てて後ろを振り返って辺りを見回しながらそう声を荒げた……が…。



「こ、ここにいますわよ!!?」



「あっ……ご、ごめんね!本当にごめん!!」



間隙開けずに不可視の王女は、気まずそうな表情を浮かべながら自身の存在を主張した。


自身の失言に、分かりやすい程に取り乱して目尻に涙すら浮かべながら謝罪の言葉を繰り返すセリー。傍からそんな小動物のような彼女を見ていたビリーは何だか可愛らしいななんてことを思いながら、事の行く末を見守っている。



「い、いえ、悪気があったわけではないと分かっていますから構いませんわ。


あの男のようにワザと挑発してきたのでしたら話は別ですが……」



あの男とは、間違いなく拓也の事だろう。


普段から彼女と接している二人は、わざわざ口で説明されなくともハッキリと分かった。



「それにしても……綺麗ですわね」



「うん、凄く綺麗…」



「王都からは海が見えないからね。


ここの国に住んでる人たちが何だか羨ましいや…」



「で、でもエルサイド王国にもきっと他から見たら羨ましいところだってあるんでしょうね…!」



メルが強がるように胸を張りながらそんなことを言ったのは……王女だからということもあるのだろうか。


ビリーとセリーは顔を見合わせて笑った。


・・・・・


時間の流れは速いもので、各自が自由に広場を散策しているうちに、気が付けば太陽はだいぶ高い位置にまで昇っていた。



「お、なんだ皆いるじゃ~ん!さすが!!」



するとやはり皆が考えることは同じなのか……正確な時間は分かっていないはずなのに、全員が最初に解散した場所に集まっていた。



「まぁ時間的にそろそろお昼だしね」



「なぁ、ちょっとマズいことになった……」



そんな時……拓也が非常に深刻そうな表情を浮かべると、誰にも目を合わせることなくそんなことを呟く。


常にヘラヘラとしている彼が、そんな様子を醸し出すのは珍しい為、一同の間にピリリとした緊張が走った。



「何か問題ですか?」



「あぁ、結構ヤバい。もってあと十数分ってとこか……」



視線を這うように動かして水平線のほうをじっと睨むように見つめ、残された猶予を口にする。


言葉に含まれていた明らかな焦燥。



その対象が一体何なのか……。



彼が戦っているものは…多い。


まず一つ目は、ミシェルを護ることによって敵対している神たち。一人一人ならば拓也が負けることはないが、彼らが集団になれば話は別。



二つ目に、拓也と戦いたいオーディン。これに至っては、拓也しか太刀打ちできない。



そして三つ目に、マフィア。これは拓也だけではなく王国を敵に回しているといっても過言ではない。



「……人間…ですか?」



じっと海のほうを見つめながら沈黙する拓也にまず喋りかけたのは……やはりというかなんというかミシェルであった。


人間ですか?……その言葉の真意を掴めなかったものは、彼が異世界人だということを知らないエリミリアのみであった。



拓也はミシェルのその問いに…静かに首を横に振った。



「そんなチャチなもんじゃねぇ……」



これでほぼ確定した。敵は………間違いなく……。



「トイレ行ってきてもいい?」



刹那……拓也の腹部に、杖での強打が炸裂した。


拓也の全身を電流のように駆け回る……苦しみ。


しかし体中を蹂躙したそれを成分で分けたときに大多数を占めるのは、痛みなどではなく……社会的な尊厳や地位を失いかねないという恐怖。


膀胱付近を強打されたことにより、数枚の防壁のうち8割方が崩壊してしまったのだった……。



苦悶の表情を浮かべて地に膝をついた拓也は、ダラダラと滝のように脂汗を流しながら小刻みに震えて低い声でミシェルに訴えかける。



「ちょ、ミシェル……あ、あかんて……」



「それはこっちのセリフです。私も肝が冷えました」



「おいらも体温が何℃か下がった気分だよ……」



まぁ……神の襲来を仄めかした手前、ミシェルが怒るのも無理はないだろう。



これ以上この場にいると、余計なことを言って更なる追撃を食らいかねない。自分の失言の多さに絶対的な自信のあった拓也はそう確信すると、そそくさとその場を後にした。


駆けていった先と先ほどの発言から、向かった先は間違いなくお手洗いだろうとその場にいる誰もがその考えに至るのは容易であった。



ジェシカとアルスは相変わらず笑い、ミシェルは大きくため息。


ビリーとセリーはジェシカたちとは少し違い、なんとなく苦笑いを浮かべていた。



すると……ミシェルの少し後ろで様子を窺うように二人のやり取りを覗き見ていたエリミリアが、とテトテと可愛らしい動きでミシェルの隣に静かに佇んだ。



「……?」



頬に突き刺さる視線に気が付いたミシェルがふとそちらへ振り向くと、エリミリアは穏やかに……しかしどこか含みのある笑みを浮かべている。


当然、人の心を読むことなどできないミシェルは、頭の上に疑問符を浮かべた。



「ミシェルさんと拓也お兄様はお付き合いされているのですよね…?」



純粋に疑問に思ったという表情の中に覗かせるエリミリアは、シンプルにそうミシェルに問いかけた。


彼女はその事実を知っているはずなのにどうしてそんな問いをするのだろうか…?


ミシェルの口から素っ頓狂な声がこぼれた。



「はい…?」



無理もないだろう。先ほど、エリミリアが自分から二人の間柄について知っていると口にしたはずなのに、その彼女の口からそんな質問が飛び出したのだから。


しかしすぐに冷静な自分を取り繕って笑顔を浮かべたが、その笑顔の中には違和感からか…僅かな綻びが見え隠れしている。



「えぇ、そうですよ……それがどうかしましたか…?」



だが聞かれたことにはちゃんと応答したミシェル。それにしても彼女のその発言の仕方には、若干の主張すら見て取れた。


それが面白かったのかエリミリアは口元を手で覆いながらクスクスと小さく笑うと、すっと半歩ミシェルに詰め寄り……自分よりも少し背の高いミシェルの顔を見上げる。



「いえ、随分と拓也お兄様をぞんざいに扱っていましたので。ついそのような関係だということが疑問に思えたのです」



そしてじっとミシェルの瞳を見つめながら、全くの遠慮を感じさせない物言いでそう彼女に言った。


いきなり投げつけられたそんな言葉に思わず放心し、呆然と立ち尽くすミシェル。蒼色の瞳はただ目の前の年下の少女の姿をハッキリと映す。



「…………え」



やっとの思いで口から零れたのは、言葉とも取れないそんな音。


だがその音に、詳しく説明を要求するというような意味を見出したエリミリアは…立ち尽くすミシェルに向けて更に続けた。



「拓也お兄様は非常に魅力的な方です、そんな様子では……


誰かに盗られてしまっても文句は言えませんよ?



例えば………」



自身の唇に指を当て、すっと撫でるように動かし、クスクスと又小さく笑い声を漏らす。挑発するような………妖艶な笑みを浮かべたエリミリアを前にして、様々な混乱に襲われるミシェルは依然として固まっていた。



周りの面々も、いきなりの彼女のそんな変わりように驚いたような怖がるような表情を顔に浮かべている。


数秒の沈黙ののち……ハッとした表情を浮かべたミシェルは、ようやく彼女が何を言っているのかを理解した。


例えば。そんな言葉を意味深風に言ってそれ以上は何も言わなかった理由。それは、さすがに、エリミリアがミシェルに察しろとでも言っているようであった。


そして…ミシェルは理解した。このままではマズい…と。



「あなた……」



一度理解してしまえば、そこから思考を派生させていくことことは造作もなかった。


クールな表情の中にも確かに含まれていた優しさ、思いやり。彼女への気遣い。


それらはほぼ完全にといっても過言ではないほどに消え去って……代わりに表情から滲み出したのは、明確な敵意と僅かながらの憎悪。


表情自体の変化は小さかったはずなのだが、ある程度彼女の付き合いが長いものならば…ミシェルが非常に不機嫌になったことはすぐに分かった。


それは…関わりの浅いものからすれば、いつも拓也に向けている表情と一見変わりないのかもしれない。



だが、それとは明確に……根本から違っていた。


エリミリアは彼女の表情の中に確かに存在していたそれらの負の感情に気が付いたのか、それとも気が付いていないのだろうか?


ただニコリと笑みを浮かべる。その微笑み方に……年相応の可愛らしさは見られない。少なくとも。、もうミシェルには見つけられなかった。



「ハッキリと言わせていただきます。ミシェルさん、あなたに拓也お兄様はもったいないです」



ギロリと強い意志を瞳に宿してミシェルを見やったエリミリアはビシッとそう告げる。


彼女は……やはりミシェルが抱いた感情に気が付いている。外野から見守るジェシカたちは、エリミリアのその表情を見て確信を得る。


ミシェルとエリミリア。お互いのバチバチと視線が交錯しあう。



先程は見られていたミシェルの遠慮や譲歩は、もう感じられない。きっと彼女も、もうそんなことをするつもりはない。



「うぃ~っすお待たせ~。


いやーさすが観光名所、トイレも混んでるね~」



すると、そんな最悪ともいえるタイミングで拓也が戻ってきた。



「拓也お兄様、次はどこへ行くんですか?」



好機と言わんばかりに動いたのはエリミリア。


右の手を軽く上げてへらへらとした様子で戻ってきた拓也の左腕に抱き着くように腕を絡ませると、媚を含んだ声色でそんなことを彼に尋ねた。


一瞬何が起こったのか理解できていない様子のミシェルであったが……次の瞬間彼女の顔に表情が戻る。


その表情は、驚いたような悲しいような、はたまた怒っているような…。


ただ一つ言えることは、それらのどの感情も、どれ一つ例外なく激情だということ。



「ん~……ジェシカー次の予定はどうなってたっけ~?」



「つ、次はエリミリアちゃんが言ってた……中央広場で昼食の予定だよ~!!」



立ち位置的にミシェルの表情は見えないはずなのに、言葉を詰まらせながらそう言ったジェシカ。


無理もない。もう可視化しそうな勢いで、不機嫌オーラがミシェルの全身からあふれ出しているのだ。


背中越しでも、ミシェルが通常運転ではないということは、ジェシカ以外の面々にも十分に理解できた。



「だってさ~。なんかおすすめの料理ってある?」



「そうですね。やっぱり海洋国家ですし、魚料理でしょうか?」



だが……拓也はエリミリアに注意が向いているせいか、ミシェルが纏う激情のオーラに気が付いていない。



かなりマズイ状況になってきてしまった。


ジェシカを除く学園の面々は、震え上がった。



普段、彼女にちょっとしたちょっかいを掛けるだけで、一般人からすれば致命傷不可避の攻撃を叩き込まれることが多々ある拓也。


そして、まったく遠慮のない彼女…ミシェルを、限界を突破してキレさせてしまったこの現状。


彼はともかく、この島が危ない。



ちなみにジェシカはもちろん爆笑である。


高出力のレーザーが飛び出すか…先の尖った氷の槍が飛び出すか……それとも魔武器の杖で殴打するという直接攻撃で来るのか…。



ギャラリーたちが息を呑んで見守る中、ミシェルはまず一歩……拓也に向かって歩みを進める。



「ん、ミシェ……」



およそあと数メートルで手が届く範囲になるというところで、拓也はようやくミシェルが自分に近づいてきているということに気が付いた。


そして…ミシェルの顔に浮かんでいる表情が、何かおかしいことにも気が付いた。



チラと自分の腕に絡みつくエリミリアを一瞥し、笑顔の彼女を視界に収めた後…正面に視線を戻し…ハッとした表情を浮かべた後に、今の今まで血色の良かった顔を、真っ青に変色させる。



「……」



そもそも表情の変化というものがあまりないミシェル。だが、ここ数年では彼女の一番長く触れ合っている拓也には、彼女のその表情から汲まなければいけないものを瞬時に理解することができた。



「え、エリミリア!ほら、人の目とかもあることだしちょっと離れたほうがいいんじゃないかな!?」



「どうしてですか、拓也お兄様?


こうして会える日は少ないといいますのに……。お兄様は私のことが嫌いになられてしまったのですか…?」



「いや、そうじゃないんだけどね。正直に言うと…悲しいことに俺の目の前に魔王が近づいて来てんのよ」



「魔王…?


そんな恐ろしいものはどこにも見当たりませんけど……」



「う~ん…比喩表現ってやつかな?




…………とにかく離してッ!!?」



途中までは、青い顔、冷や汗と苦笑いを浮かべながらも辛うじて冷静さを保っていた拓也であったが…いよいよミシェルがその気になれば自分に手が届く範囲に踏み入ったその瞬間、情けないほどに取り乱し、涙を目に浮かべながらエリミリアを振り解こうともがく……が。



「イヤです~!」


「なんでぇぇぇぇ!!!??」



何かの冗談だとエリミリアは解釈したのか、それとも全て分かった上でなのかはわからないが……にっこりと微笑みながらさらに強く拓也の腕に抱き着く。



ー…あ、おっぱい当たってる……エリミリアもちゃんと大人になってきて………ってそんなこと考えてる場合じゃねぇっ!!!…-



心なしかミシェルの顔の影が暗さを増す。


もはや拓也は生きている心地がしない。



何とかしてエリミリアを振り解こうとはしてみるものの、なかなかに強い力でしがみつかれているせいか振り解けない。


それにあまり強い力で抵抗するわけにもいかず、結局……エリミリアが密着したままの状態で、ミシェルは拓也の目の前で立ち止まった。



「……」



「べ、別に浮気とかじゃ…ないん……だ、だからね…?」



とりあえずふざけてみた拓也。ダラダラと冷や汗を流しながらもそんな言葉を選ぶ辺り、やはり彼はエンターテイナー……またはただの馬鹿なのだろう。


しかしすさまじいオーラを発しているミシェルを前にしても、笑顔を絶やさず一歩も引かないエリミリア。


その余裕は流石王女というべきか。


この至近距離で、再び両者の視線が交錯する。



何か言いたげな様子のミシェルであったが、鋭い視線でエリミリアをじっと見つめるだけでなにも口にする様子はなかった。


すると……ミシェルは拓也には一瞥すらくれないまますっと彼の脇に足を運ぶと、ただ、その代わりと言うように拓也の右側に移動する。



「……」



そして拓也の右腕に自分の両腕を回して、軽く抱き着いた。



大好きな彼女の匂いがフワッと鼻腔を擽ったことによって発生した本能的な興奮と同時に、現在の状況を理解したせいで発生した興奮が、混乱という形で脳内を駆け巡る。



拓也の動作が停止している間に、ミシェルとエリミリアが彼を挟んで視線を交わす。


無言の彼女らだが、お互いが内に秘めている主張はおのずと両者とも理解することは容易であった。


観光客たちの喧騒とは対照的に、言葉一つ発さずに沈黙するミシェル、エリミリア、拓也、そしてジェシカたち。



彼らだけが別の空間に切り離されてしまったかのような静寂。



「あ、これって両手に華って状況なのか」



そんなタイミングでその静寂をぶち壊したのは、拓也の口から零れたそんな一言であった。



いつもならばここでミシェルが頬を赤らめて、拓也やジェシカがニヤニヤするのだろうが……どういうわけかミシェルの顔には、先程と変わりない、クールで冷たさを感じさせる表情が浮かんでいた。



「拓也お兄様ったらお上手ですね、ミシェルさんはともかく私なんて…」



謙遜するようにそう言おうとしたエリミリア。拓也は当然そんなことないとフォローを入れる。


当事者三人を遠巻きに眺めるジェシカは……彼女のその発言に目を光らせた。


ジェシカのそんな何かに気が付いたような仕草に気が付いたアルスは、自分よりもかなり低い位置にある彼女の肩をトントンと軽く叩いて、教えてと笑顔と仕草で訴えた。


するとジェシカも彼のそんな仕草から彼の心中を悟ったのか、いたずらな笑みを隠す様子もなく浮かべながら屈んだ彼の耳元に、手で隠しながら口を持って行く。



「(ああやって言っておけば大体の男の人ってそんなことないみたいなフォロー入れるってわかってたから言ったんだよ!


それにさっき私たちの前で宣言するようにああやって言ってたでしょ?


あれは多分、私たちに先に言っておくことで混乱することを避けさせようとしたんだと思う!!



いや~それにしても面白くなってきたねぇ~っ!!)」



微妙に桜色に染まった頬は、これから先の展開を勝手に妄想したからだろうか…?



爛々と輝くジェシカの眼が交互に見つめるエリミリアとミシェルは、お互いに目を合わせないまま。当然言葉を交わそうともしない。


にこやかな表情で拓也に話しかけるエリミリアとは対照的に、黙ったままのミシェル。


エリミリアが話題を振るため、拓也はそちらの対応に手いっぱいでミシェルに話しかける余裕はなさそうであった。


満面の笑みで語り掛けてくれる彼女を無下にはできず、チラチラと右腕のミシェルの方を気にしながら苦笑いにも似た表情を浮かべる拓也は、さながら子供の相手をする保育園の先生のように見えなくもない。



「(ミシェルちゃん無言だね……てっきりいつもみたいに拓也君を焼いたりするのかと思ったんだけど……)」



「(確かにこれまでにない反応ですわね……一体どうなるんでしょうか……?)」



「(あんな顔してる拓也君が新鮮だよ…)」



拓也本人は困っているのに、周りは楽しそうである。


そんな光景を、必死に笑いを堪えながら見守るジェシカ。


すると、彼女の視界にふと広場の中心の時計が映った…刹那、彼女はハッとした表情をその顔に浮かべる。


周りのアルスたちも彼女のそんな変化に気が付いた。



「あぁッ!急がないと12時になっちゃう!!」



「次の予定は……例の噴水の広場の前のお店でお昼ご飯だったっけ?」



指を顎に当てながらメモ帳の中身を思い出し、アルスはジェシカに確認すると、彼女はブンブンと首を縦に振って、その広場があるであろう方向を指さした。



「そうそう!エリミリアちゃんがさっき12時に噴水の動きが変わるって言ってたでしょ?それ見ながら食べなきゃいけないから!!


急いで!!」



「アハハ……ジェシカちゃん、相変わらずすごい元気だね」



「食べなきゃいけないって…まるで義務みたいに言いますのね」



どこから来るのかわからないほどの元気をまき散らすようにして小走りで先に行ってしまった彼女を追いかけるメル、セリー、ビリーにアルス。


取り残されてしまう形になった拓也とミシェルと、それからエリミリア。



「拓也お兄様、私たちも行きましょう」



「……」



「お、おう、そうだな」



にこやかにほほ笑み、時折拓也に話しかけるエリミリアとは対照的に、クールな表情で黙りこくるミシェル。


そして苦笑いの拓也は、非常に胃が痛いところである。



「……」



普段のミシェルの感情表現というのは極端なのだ。


怒れば魔力を練るし、悲しければ拓也の前ならば案外簡単に涙を見せる。


彼が傷ついていたり疲れていたりすれば、普段は表面には出さない優しさで彼を包んだりもする。



「…ミシェルはさ、何か食べたいものとかある?」



「何でもいいです」



場を繋ぐためにも聞こえる拓也のその問いに、ミシェルは小さくつぶやくようにしてそう言うと、また静かになった。


普段ならば、人の目があるところで自分から腕を組むなんてことはまずしてこないはずの彼女がこんなことをしてくることも何か様子がおかしい。



拓也は両脇の二人には悟られないように、ため息を噛み殺した


・・・・・



その後、何とか正午前に広場に隣接したレストランの屋外席に落ち着いた一行は、誰に言われるでも特に話し合うでもなくいつも通りというように椅子に腰を下ろしていた。


……ただ三人を除いては…。



「拓也お兄様は何を食べますか?」



「え、えっと……カルボナーラ…?」



「それじゃあ私もそれにします!」



拓也の両脇を、まるで犯人を囲む警察官のようにぴったりとくっ付いて長椅子に腰を下ろしたエリミリアとミシェルは、拓也の手元のメニューを覗き込むようなふりをしてお互いに視線を交錯させる。


スパークが可視化されそうな程の緊張がミシェルとエリミリア、ジェシカたち周りの人たち……そして拓也に走った。



「ミシェルは何食べる?」



「……ボロネーゼですかね」



さらに拓也に密着するように体を寄せたエリミリアを、野生の動物のような反応速度でチラッと一瞬だけ一瞥すると、自分は彼女よりも大胆に拓也に体をぐっと寄せる。


ヘラヘラと笑いながら平然を装う振りをして…内心で非常にたくさんの感情が渦巻いている拓也は、ようやく一つ、あることを確信した。



ー……ミシェルは恐らく…恐らくだが俺がエリミリアと仲良くしてるのを見て、嫉妬…的な感情を抱いてる……ー



流石に彼もバカではない。


最初は久しぶりに会うエリミリアとのやり取りが楽しくて気が付かなかったようであったが、しばらくしてようやくミシェルの様子がおかしいことに気が付き、そしてその原因にこうして辿り着いた。



ー……でもエリミリアを突き放したらなんか申し訳ないし……かといってこのまま続けてもミシェルに悪いし……



あぁぁぁぁどうすればいいのこれっ!!?……-



しかし、原因がわかっても、解決への道が見つけられない拓也であった。


この状況、言ってしまえば両手に華という表現が適切だろう。


だが拓也は素直に喜べなかった。



自分の判断一つ……発言一つで、ミシェルとエリミリア。どちらか…もしくは両方を傷つけてしまうかもしれないという思考が頭を埋め尽くし、煩悩に支配されている場合ではなかったのだ。



とにかく両者にぴったりとくっつかれながらも、特に反応を見せないように意識して…何とか普段の自分を演じ続ける。



普通に楽しく談話しているジェシカたちが、心底羨ましい……瞳の奥にそんな色を浮かばせる拓也は、仮面のように張り付けた笑顔をミシェルに向けた。



「ミシェルはミーリタリア王国の中で個人的に行きたいところとかあったりする?」



「…………いいえ、特には」



「そっか~…………」



会話終了。


いつものようにツンとした調子でそうミシェルに返され、拓也はそう一言発言した後に閉口してしまった。


するとそんなタイミングで、今まで拓也たちに深くは干渉しようとしなかったジェシカがえ~!っと声をあげながらミシェルの発言に突っ込む。



「え~!ミシェル私が学園に持って行った旅行雑誌結構熱心に読んでたじゃ~ん!!」



「…………別にそんなことないですよ」



しかしまたいつものようにクールな声色で一言、そう返し、また物言わぬ抱っこちゃん人形のような状態に戻ってしまった。


ジェシカはまだ何か言いたげな様子であったが、口元を手で隠して笑いを隠しながら目を細める。本人はこれで笑いを隠しているつもりなのだろうが、周りのアルスには彼女が笑っているということは明白であった。


しかしその笑みが何を表すのかまでは分からない。


真相はジェシカのみぞ知るところである。



「お待たせしました~!」



そうこうしているうちに、注文した料理諸々を可愛らしい海国らしい服装の可愛らしい店員さんが運んできた。


チラと彼女と目が合う拓也。


ニコリとハニカム店員さんに、拓也もフツメンらしい月並みな笑顔で返した。


営業用と分かっていても、愛想がいい店員に悪い気はしない。



「ンギィ!!」



刹那、尋常ではない力で右腕が締め上げられた。


あまりに突然のことで驚いた拓也。


その驚愕は表情に現れ、素っ頓狂な声が口から割と大きめの声量で洩れる。


すると今度はその驚愕は店員さんへと連鎖した。



「お、お客様どうかされましたか!!?」



「い、いえ……ちょっと家を施錠するのを忘れていたことを思い出しただけです」



ー…な、なるほど……エリミリアがこうしていても怒らないのは、エリミリアが俺とある程度親しいからか……

こうして面識のない相手だとダメ……というよりも、今は敏感になってるだけって見方もできるか…

とにかく今は女性と関わることにはもっと慎重にならないと……-



苦笑いを浮かべた拓也は冷静にミシェルに対してのそんな分析をして、ある程度の仮説を立ててみると適当なことを言って店員さんを軽くあしらおうとした。


が、しかしそんな冷静な拓也とは打って変わって、オロオロとした様子の店員さんは心配そうに拓也に手を向け、金属製の盆を抱えながら口を開く。



「えぇ、それって大丈夫なんですか!?


エルサイド王国の生徒さんですよね!!?」



エルサイド王国の生徒だということは、学園指定の制服を見て気づいたのだろう。



「え、えぇまぁ……でも家の周辺うろついてるのは翼生えてるマッチョ好きとか翼生えてるパンツ被った変態とかだけなんで大丈夫だと思います……」



「大丈夫なんですか!?」



「はい、5歳くらいの妹が留守番していますし…」



「絶対危ないですよ!


妹さんまだ子供なのに家の周りにそんな変質者がウロウロしてたら!」



ただただ良い店員さんである。


そのあと何とか彼女をやり過ごし、全員そろって食膳の挨拶をして昼食が始まった。



「ん、これめっちゃおいしい」



やはりこんな状況に追いやられてもおなかは減っているし、おいしいものを食べればおいしいのだな。


しみじみとそんなことを思った拓也であったが……いいや、それは違うとすぐに思い直す。



「ほんとだー!おいしいね!!」



「うん!」



「やっぱり私の目は間違っていなかったみたいだね!」



「ソースがいいですわ」



自分の周りを取り囲む、この世界でできた友人たち。



「……おいしいですね」



「外で食事をするなんて久しぶりです!」



ー…一人で食べる飯ほど味気ないものはないよな…


それに精神的に追い詰められてる時も…-


数年前……ミシェルの前から一時的に姿を消していた時のことを思い出しながら、拓也はしみじみと噛み締めると、いつまでもそんなことを考えているわけでもなくすぐに思考を切り替えた。


心なしか顔に浮かんでいる表情からは深刻さが薄れているような気がしないでもない。



もきゅもきゅと隣でボロネーゼをおいしそうに頬張るミシェルに視線を向けると、途切れかけていた会話の細い糸を手繰り寄せるように口を開いた。



「へ~ミシェルのもおいしそうじゃん!」



適当な話題を見つけたからという理由だけで今食べているパスタの話を持ち出した拓也。


ミシェルは口の中に食べ物が入っているからか、口を開くことはせずに一つ小さくこくりと頷いた……その時。


ミシェルに電流が走った。



ピクっと小さく体を揺らし浮かんだ案に思わず目を軽く見開くと、自分の前の底の浅い皿にフォークを落とし、牛挽肉とトマトのソースがよく絡むように巻き付け……それを拓也の口の前に差し出す。


彼女のそんないきなりの行動に、拓也は目をぱちくりさせながら固まっていた。



「…一口、食べてみますか?



おいしいですよ…?」



しびれを切らしたミシェルが、チラチラと横目で拓也を見ながら自分の行動にそう説明を付け加え、ようやく拓也も理解したのか、あぁ~…などと言いたげな表情でほんの僅かに何度も頷いた。


所謂あ~んという恋人同士がやるような行為。


友人たちの…ひいては一般客の目もある中で、白昼堂々とそんなことをやるのは非常に恥ずかしいと今にも煙を出しながら赤面したい心境の拓也であったが、そんな失態を演じてしまえば周り…主にジェシカあたりから指をさして笑われることは明白。


故に羞恥心を全力で自分の内側から一歩も外側に出さないように押さえつけ、できるだけ軽薄で飄々とした口調と声色、表情をもってしてミシェルと向かい合った。



「お、お~いいの?じゃあお言葉に甘えて~!!



ん~うまい!!」



本当は味なんてよくわからなかったが、適当に用意したそんなセリフを言っておく。



それにしても、普段人前では絶対と言ってしまってもいいほど拓也と仲睦まじい様子など見せないミシェルが、エリミリアに対抗するためとはいえ随分と頑張っている。



特に彼女を幼少期から知っているジェシカにとっては、涙なしには見られない光景であった。



すると拓也が咀嚼を終えて口の中のモノを飲み込んだ頃……続けてミシェルは攻める。



「…………」



無言で……じーっと拓也を見つめるが、何も語ることはしない。


無言で何かを要求している。そういった感じであった。



その姿はさながら、ごはんちょうだい…と空の器の前で切なそうな眼をして訴えかけてくる猫のような感じでもあった。

自分の右側から掛かる異様な圧力に、チラとそちらを一瞥することでそんな様子の彼女に、拓也は気が付いてしまった。


そしてその視線や雰囲気が、何を表しているのかは…想像に難くない。



「……ミシェルも食べてみる?」



そう言うが早いか、ミシェルは二度、勢いよく首を縦に振ってちょうだいと意思表示をして見せた。


ミシェルが先程やった動作をなぞるように、皿にフォークを落としてクルクルと平たく薄いフェットチーネの?を巻き取ると、絶対にニヤニヤしている周りはあえて見ないように視線をミシェルにだけ固定して、そっと彼女の口元に差し出す。



「……!」



じっと自分を見つめている拓也に気が付いたミシェル。視線が交錯する。


普段ならば絶対やらない程に積極的な行動を起こしておきながら、いまさら目が合ったくらいで恥ずかしくなってしまったのだろうか?


ミシェルはぽっと頬に朱を宿すと、どういうわけか僅かに潤んだ瞳をふっとテーブルの方に伏せ、右側の髪を軽く腕で掻き上げて、拓也が手に持つフォークからパスタの塊を受け取った。



その際に…チーズと卵の濃厚なクリームソースが、僅かにミシェルの口元に付着する。



場を構成する要素にR‐18的な要素は含まれてはいないはずだったが……拓也は、ミシェルがその口元のソースを下でペロッと舐めとる仕草に、ひどく官能的な感情を覚えるのだった。



「拓也お兄様私も食べたいです~♪」



「エリミリアは俺と同じモノ頼んでるだろ~?」



「むぅ………



それは少々誤算でした・……」



少しだけ拗ねたようにむくれて見せたエリミリアは、拓也がミシェルの方に向いた途端に年相応ではない笑みを張り付け、非常に小さな声量で誰にも聞こえないようにそんなことを呟いた。


口ではそんなことを言いながらも、若干楽しそうな様子の彼女はふと何かを感じてミシェルの方へ振り返った。


すると……視界に飛び込んできたのは、どうだと言わんばかりの表情のミシェル。



普段の拓也でもあまり見ることはないであろう、挑発するようなミシェルのそんな表情に、エリミリアはしばらくの沈黙の後に……彼女もまた笑みで返す。



「へぇ~……なるほどなるほど…そう来ましたか………」



くすくすと小さく笑みを漏らして満足そうに頷くと、彼女はより一層強く拓也の腕に絡みつき、笑い声によって自身の方に注意を向けた拓也の顔に自分の顔をグッと近づける。



「それはそうと拓也お兄様!今宵の酒宴には参加なさるのですよね?」



「ん、あぁせっかく国王陛下から招待してもらったんだしな。断るわけにもいかないだろうし行くよ」



その国王の娘の目の前でこの不遜な発言とダルそうな態度。


彼の本位としては、遅くまで酒に付き合わされるならば早く宿に帰って眠りにつきたいと……といったところであろう。


しかし…エリミリアはそんな彼を咎めることもせずにまた可笑しいというように一頻り笑うと…チラとミシェルを一瞥し、切り出した。



「よろしければ今夜私の部屋に来てくださいまし!


拓也お兄様のお話は面白いですから、色々なお話を聞きたいのです!」



純情無垢……表面上はそれを装っているのだろうが、発言の前に視線を向けられたミシェルは察する。


これは明らかな挑発であると。



そして同時に内に沸く、負けたくない…盗られたくないといった感情たち。



ミシェルもまた拓也の腕に絡みつくと、エリミリアから拓也の体を引きはがしたいのかグイグイと彼を自分の方へ引きずりた。



「拓也さん、そろそろお昼の12時です。


噴水をもっと近くで見たいです」



「やーたっくんモッテモテ~!!」



半ば強引にミシェルに引き摺られるようにして噴水の方へ向かっていった拓也の背中に、ジェシカはそんな言葉を投げつけながらケタケタと楽しそうに笑っている。


その後も、ことあるごとに拓也にアプローチを掛けるエリミリアからひたすら彼を遠ざけようと動くミシェルの攻防が続き……気が付けば日が傾いて、空にはオレンジ色の幕が掛かっていた。


ぐ~っと両の手のひらを天に向けて大きく伸びをするジェシカは、通りを大股で闊歩しながら人目を気にせず声を張り上げる。



「たっのしかった~!!!」



「そうだね、とても楽しかった」



アルスがそう同意したのを皮切りに、セリーやビリー、メルたちも同じような言葉を口にした。



「私も、同行できてとても楽しかったです」



「……私もです」



「俺もだな~」



エリミリア、そしてミシェルと拓也も。


現在は、エルサイド王国の学園の生徒が宿泊している宿に戻ろうとしている途中。


一応定められた時刻までには戻っておかないとまずいと、さすがのジェシカもその辺りはちゃんと理解しているのだろう。


そして拓也は、未だにエリミリアとミシェルに拘束されていた。


つまり……彼女たちの戦いはまだ続いていたのであった。



しかし拓也はいとも容易く彼女らの拘束からまるで煙のようにするりと抜け出ると、背後で驚きを表情に浮かべている二人と、彼女らの背後のジェシカたちに告げる。



「悪いけど、ミーリタリアの国王から酒宴に誘われてるから俺はもう行くことにする。


お前らはまた明日、エリミリアはまた後でな」



「えーたっくんだけずるい~!」


「そうは言ってもジェシカさん、拓也にも立場があるわけだし」


「護衛で来てるということを忘れないでくださいね?」



ジェシカ、アルス、メル。三者三様の反応を見せてくれる彼らに思わず笑ってしまった拓也は、メルに睨まれていることを瞬時に察して一歩後ろに下がり、焦り気味に、じゃあ…と言葉を締めくくって小走りで通りを駆けていった。



彼の背中が見えなくなる頃……行き場のなくなった様々な感情をぶつけるように、ミシェルはエリミリアにふと視線を向ける。


するとエリミリアもまた、ミシェルを見つめていた。


彼女の瞳に宿るのは、まるで十分に遊び終えたとでも言わんばかりの喜びと充実感。心なしか肌が艶々しているように見えなくもない。


先程まで浮かんでいた、ミシェルにとっては嫌な笑顔は……もうどこにもなくなってしまっていた。



「……?」



きょとんと首をかしげて悩ましげな表情を浮かべたミシェル。エリミリアはまた楽しそうにクスクスと笑うと、よほど可笑しかったのか目尻に涙を浮かべながら口を開く。



「あぁ……あぁ……!!


こんなに面白いこと一年に一回……いや、数年に一回あるかどうかです…!!」



ところどころ思い出して吹き出しそうになっている様子のエリミリアだったが、何とかそこまでは堪えて発言して見せる……が、やはり限界を突破してしまった笑いは笑みと声になって彼女の内側から溢れ出してしまうのだった。



「ふっふ……ふふふふふ………アハハハハっ!!」



「え、エリミリアさん!?どうしたんですの!!?」



「いや…もう……面白くって……」



おなかを抑えて何とか笑いを噛み殺そうとしてはいるが、カクカクと壊れた人形のように震えている。

そんな彼女を心配したメルは彼女のそっと寄り添い、外野のジェシカは爆笑し、セリーとビリーはあたふた…アルスは完全に傍観中。


そして一分ほどが経過し、ようやくエリミリアが笑いを自分の中に押し込めたことでようやく戻ってきた平然を纏…おうとしたはしたみたいだが、結局ちょくちょく微笑は漏らしながら、ミシェルに向かって口を開いた。



「一見冷たくて人前ではあまりイチャついてきたりはしない……私が拓也お兄様から聞いていたミシェルさんと、実物のミシェルさんはだいぶ違うみたいですね……ふふふ・・・ふっふ!!」



「…………え?」



徐々に堪えきれなくなってきているエリミリアが発したそんな言葉に、ミシェルは素っ頓狂な声を漏らしてまた首を傾げた



「だってミシェルさんすっごく対抗してくるんですもの……!」



「そ、それはエリミリアさんが拓也さんに……!!」



そこまで言ってミシェルはぐっと言葉を飲み込む。自分はもとい、周りもエリミリアが拓也に媚びを売るような言動をしていることはいい加減気が付いているだろうし、そもそも最初に行った崖沿いの広場で彼女の発言で、あらかたその言動の説明はできる。


だが、それを言葉にしてしまうのは……なんだか悔しくも恥ずかしくもあったのだ。



「私が、なんですか?」



ミシェルが何を言いたいのかはもうとっくにわかっているエリミリアは、年相応ではない意地悪そうな笑みをまだ幼さの残る顔に浮かべて、目の前で言葉を探す彼女の悶えようを楽しむように自身の頬を指でそっとなぞり、はっきりとした口調でそう述べ、彼女の返事を待つ姿勢をとる。



街の喧騒に飲み込まれてその存在を消滅させてしまいそうなほどに静かになってしまったミシェル。


外野は当事者二人から絶妙な距離をとって、事の行く末を見守っている。



そして近くの魚屋で、店主のおっさんと客のおばちゃんが取引を終えるころ……ようやく決心したのか、ミシェルは強気のエリミリアに負けじと一歩前へ踏み出した。


あと数センチで胸が触れ合いそうになるほどエリミリアに肉薄したミシェルは、キッといつものような冷たくクールな表情を宿し……。



「拓也さんに色目を使わないでください、拓也さんは“私だけの”恋人です。」



きっぱりとそう言い放った。



「…どうしてですか?


好きな人に積極的になって何がいけないんです?」



「それは………」



確かにエリミリアのその発言には一理あった。


明らかに狼狽えを見せたミシェル。エリミリアはチャンスだと言わんばかりに目を爛々と輝かせ、よろめいて後退したミシェルとの距離を今度は彼女から詰め、口角を吊り上げると自信満々といった様子でミシェルに食って掛かる。



「好きな人とは仲良くしたい。そんなこと当然ですよね?


拓也お兄様も別に拒絶していません。それなのに……私を止める権利がミシェルさんにはあると言うんですか?」



「そ、それは……」



クック……顔を伏せて笑い声を漏らしたエリミリア。だがミシェルはそんな彼女の一挙一動にいちいち気を留めている余裕はない。

現在進行形で思考回路は渋滞だ。



返答に迷い、表情を曇らせ……グッと口を噤んで黙り込むミシェル。


そんな彼女を面白がるように薄っすらと悪い笑みを浮かべるエリミリア……ミシェルはそんな彼女の表情にすら気が付いている様子はない。


それほど今の彼女には余裕というものがなかった。



そして二十秒を超える沈黙の後……完全に彼女に臆してしまっていたミシェルであったが、その目に強い意志を宿してオロオロしていた弱気な表情を引き締めると……一歩、エリミリアへと踏み出した。



「い、イヤなんですよ!!


拓也さんは私の…私だけの恋人なんです!メルさんやセリーさん、ジェシカにだって絶対渡したくない……もちろんあなたにだってです!!


とにかく拓也さんは私のなんです!!!!」



普段のクールな彼女から一変……まるで駄々をこねる子供のようなミシェルの姿に、セリーやメル、エリミリアたちははおろか、幼少期からの付き合いのジェシカですら驚きを隠せていなかった。



「んお?なんだなんだ喧嘩か?」


「女の子二人……痴話喧嘩かな~?」



ミシェルのあまりにも大きな声と、身振り手振り。必然的に彼ら通行人の注目が、もめている二人の方へ向く。


しかし……興奮しているミシェルにはそんなものは二の次でしかなく、とにかく彼女は目の前の敵であるエリミリアを威嚇するので精一杯。


牙を剥いてフシャーと唸っているようにも見えるその様は、まるで猫である。



「ちょ、ちょっと落ち着いてくださいミシェルさ…」



「ダメったらダメなんです!!!拓也さんは私のなんです!!!」



「だ、だからちょっと」



「絶対誰にも渡さないんです!!!!」



大臣たちにも黙ってお忍びで王城の外に出ているエリミリアは、あまり目立ちたくはないのだろう。


今さっきのミシェルのようにオロオロして目の前の彼女を窘めながら、キョロキョロと辺りを見回すエリミリアのその顔に……先程までの邪悪さは欠片も残っていない。



「わ、分かりましたからちょっと静かに……」



「(あ、王女様だ)」


「(王女様また抜け出してんのか)」



ちなみにミーリタリア王国の国民は、彼女が頻繁に黙って王城を抜け出して城下町に来ていることは知っているが、皆あえて黙っていてくれている。故にもし気が付いても騒ぎ立てたりはしない。


なんとも善良で気の利く国民だ。


ミシェルの興奮を鎮めようと彼女に恐る恐る手を伸ばしたエリミリアだったが、その手はひらりと交わされ、返ってきたのはものすごく敵対的な視線。

野良猫に不用意に手を出した時のような感覚に非常に似ているな……と、一瞬のんきなことを考え、すぐに思考を戻す。


やはりそろそろ潮時か……。


小さくため息をつくエリミリアだったが、そのため息からは満足げなものすら感じられた。



「冗談ですよ、冗談。


ミシェルさんの反応が面白くて、ちょっと遊んでただけです」



「……………」



唐突なネタ晴らし。水を打ったように急に静かになったミシェルは、無言のまま沈黙していたが……。



「嘘です!!」



「えぇ!!?」



その沈黙の末に彼女が出した答えは、エリミリアが虚偽を述べているという結論であった。



「だって拓也さんにあんなにベタベタしてた……!!」



「だ、だからそれはですね…」



みゃ゛~と擬音が聞こえてきそうなほどに猫っぽい抗議。涙目で訴えかけてくる彼女を前にして、エリミリアは狼狽える。

それを好機と思ってか思わず無意識か……ミシェルはドンっ!と、まるでストレスを石畳にぶつけるように踏み、狼狽しているエリミリアに詰め寄った。



「私だってあんまりベタベタできないのに……!!!」



「それは知りませんよぉ~!!」



若干怒りの方向性がズレてきているような気がするが、気にしてはいけない。恋する乙女とはそういうものなのだ。


そうこうしているうちに完全に形勢逆転。いつの間にか肩を掴まれてユラユラと揺らされる涙目のエリミリアは、ジェシカたちの方へ視線で助けを求める始末。


しかしミシェルが嫉妬すると知っていて彼女にちょっかいを掛けたことをジェシカたちは知っていた。それ故か、彼女らはある程度の距離を保ったまま、ミシェルに絡まれるエリミリアを観察していた。


もっとも、ニヤニヤしながら観察しているのはジェシカとアルスだけであり、その他は普段の姿からは想像もつかないほどに豹変しているミシェルを前に、自分たちに飛び火しないように絡むことを避けているといった方が近いだろう。


そんな状況を数分にわたって鑑賞した後、アルスと顔を見合わせてニカっと微笑んだジェシカは、そこだけ人が近寄らず円が形成されている領域に…迷わず足を踏み入れた。



「まぁまぁミシェルいいじゃん、その辺で許してあげなよ」



「ダメです!だって拓也さんを狙って…」



「まぁまぁ考えてみてよミシェル。本当にたっくんを狙ってるなら、こうやってあからさまにミシェルに見せびらかしてくるなんてことは、エリミリアちゃんがある程度たっくんと親密になってから……それこそ愛人みたいな関係になってから、ミシェルと縁を切るための決定打として取っておくんじゃないかな?」



「……」



「今日一日の二人を見てて、、エリミリアちゃんからはともかくたっくんがエリミリアちゃんへ恋人らしいことした?」



諭すように言葉を紡ぐジェシカに、聞き入るミシェル。


流石は幼少期からの付き合いだというべきか……ジェシカはミシェルの扱いをよくわかっている。そしてまた逆もしかり。


ジェシカの働きでようやく僅かに落ち着きを取り戻してきたミシェルは、嫌疑をかける視線ではあったが静かにエリミリアをじっと見つめる。


澄んだ蒼。端正な顔立ち、水に濡れた絹のように艶やかな銀髪。サファイアの如く美しい瞳に見つめられ、同性であるにもかかわらずエリミリアは思わず見とれてしまった。


陶器のように白い肌に朱を落としたミシェルは、呟く程度の声量で彼女に問う。



「本当ですか…?拓也さんを……狙ってないって」



海風に呑まれて掻き消えそうなほど小さい声。しかし、その声…言葉に乗った想いは……エリミリアの意はしっかりと伝わった。


刹那、面白半分で二人の間に深く割り込もうとしまった自分の浅はかさに恥ずかしさを覚え、同時に……申し訳ないことをしたと深く反省する。


彼女が想像していたよりも遥かに大きなものだった。



「本当です。拓也お兄様は……私に色々なことを教えてくれる尊敬する人です。


ミシェルさんがいなければ恋心を抱いていたかもしれませんが……悔しいですが、あなたの話を嬉しそうにしているお兄様が私は大好きなのです。


私はあくまで、拓也“お兄様”としてお慕いしています。


数々の不遜な言動お許しください。本当に申し訳ありませんでした」



今までのミシェルに対する態度は完全に消え失せ、敬意を払うようにペコリと腰を折った。



「………………………それは………本当ですか………?」



長い沈黙の後、静かにエリミリアにそう問うミシェル。


心なしか青ざめているようにも見えるミシェルの顔色。そんな部分に疑問のような心配のような感情を抱きながらもこくりと一つ頷いた。


海風が沈黙を運ぶ。


するとその次の瞬間から……ミシェルの顔が見る見るうちに赤く染まり始めた。



「……そうなんですか、いや……こちらこそすみませんでした」



今にも街の喧騒のせいで消えそうなほどにか細い声でそうつぶやいたミシェルは、目を泳がせながらカクついた動きで……真っ赤に上気して今にも煙を吹き出しそうな顔をエリミリアから逸らした。


そして次第にぶるぶると震え始め、覚束ない足取りで踵を返す。



「か、帰ります…」



両手で覆った顔は……端まで真っ赤に染まり、果ては耳までトマトのように赤くなっている。


彼女と、こちらに手を振り別れの挨拶をしながら彼女を追っていったその仲間たちの背中に手を振りながら、ポカーンとした表情で見送るエリミリアは、しばらくした後に……



「ふふ、ふふふふ……やっぱり面白かったですね……」



そんなミシェルの様子がおかしくて、笑っていた。


やりすぎたと反省はしている。…が、あまりにも彼女の反応が面白くて笑わずにはいられなかったのだ。


風に靡く白と水色の髪を片手で押さえつけ、速足で進んでいるのかすでに点程に小さくなってしまって、人ごみに紛れたミシェルたちのほうを眺めると……口元を隠しながら満足そうに笑みを浮かべて踵を返す。



「あまり過激なことはダメですけど……ちょっとくらいなら…………」



活気付く街の空気に呑み込まれそうなほどに小さな声で漏らすエリミリアは、そそくさと城への帰路に就くのだった。



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