守りたい者
神の襲撃があってから、一週間経った3月某日。よく晴れた空。しかしまだ完全に春ではないため肌寒さも感じる今日この頃。
あの後、セラフィムは拓也を運んだ後、あの時王の私室に居た者には全てを話した。
結論から言うと、謎の敵勢力からの襲撃ということになり、拓也とミシェルの正体は、部外者には伏せておくことになった。
学園も、役員などを交えた会議の結果、絶対の安全が確認できてからの再開となり、現在は休校中。
王国の魔法使い達は、戦場となった草原の修復に、全力で当たっている。
そしてここは王城の一室。使用人たちには王が説明し、近づかないようにと説明したこの場所には、たった一人の美少女がベッドの傍らに椅子を置いてじっと座っていた。
「……」
その美少女…ミシェルは、何も言うでもなくただベッドの上で死んだように眠る黒髪の青年を見守るように見つめ、時折溜息を吐いたりする。
あの激戦の後…ミシェルが謎の力を使って天使を撃退した後に意識を失った拓也は目を開けることはなく、一週間が経った今も眠り続けていた。
彼の体には、至るところにガーゼが当てられ包帯が巻かれ、左腕には栄養を送る点滴の針が刺されて、それらが彼の現在の容態を物語っている。
すると、『コンコンコン』とドアがノックされる。
振り向いたミシェル。彼女の瞳には、替えの包帯などを持ったラファエルが部屋に入ってくる様子が映った。
彼女は椅子に腰掛けるミシェルを視認すると、心配するように眉を顰めた。
「…ミシェルさん。心配なのは分かりますが……いい加減ちゃんとしたベッドで休まないと…。それに食事だってろくに手をつけていないじゃないですか…」
「…私は大丈夫です」
この一週間、片時も拓也の元を離れようとしなかったミシェル。その蒼い瞳の下にはくっきりと隈が浮かび、彼女に蓄積した疲労を物語る。
それに運ばれてきた食事。サイドテーブルのお盆の上に一口ほどしか食べられず残されたパンや、すっかり冷たくなったスープなどに視線を向けたラファエルはそう諭すように言うが、ミシェルはそう返すだけ。
この一週間彼女はずっとこんな状態なのだ。
ラファエルは一つ大きな溜息を吐くと、拓也の元まで歩みを進め、自分も椅子に腰掛ける。
彼女は拓也の体に触れ、包帯を外していく。
すると今度はドアから光の属性神、ウィスパーが現れた。
「包帯を取り替えるのですか?でしたら私がマスターの体を浄化しましょう」
「あ、助かります」
手際よく作業をこなす二人。
ミシェルはその傍らで、ただじっと拓也を見つめたまま動かない。
ここ最近は、これがいつもの光景。拓也の体…主に傷口を浄化し、ガーゼや包帯を取り替える。
拓也は死んでしまうかもしれないほどの大怪我。自分がヘタに手伝ったりすれば、彼の容態が悪くなるかもしれない。
だから彼女は、こうして見守っているしかないのだ。
すると拓也の体を浄化し終えたウィスパーは、今度はミシェルのほうに手を翳し、柔らかな光をその手から放つ。
「……いつもありがとうございます」
「いえいえこの程度。マスターからミシェルさんのことを頼まれていますし」
浄化の光。ここから絶対に離れようとしないミシェルを見たウィスパーが、初日からずっとこうして彼女の体も浄化してくれているのだ。
「しかしミシェルさん。不足している栄養分を補うことは、私には出来かねます……食事はしっかりとっていただかないと……マスターとの約束を果たすことができません…」
「…ごめんなさい…………」
頭を垂れ、そう謝罪するミシェル。そんな悲愴感漂う彼女を叱れるはずもなく、ウィスパーは参ったと言わんばかりに帽子の上から頭を掻く。
そうこうしている内に、ラファエルは包帯とガーゼを取り替え終わった。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ、ミシェルさん。拓也さん…まだ生きてますし、この人はすっごいしぶといですから。
それに意識を失う前、死なないって約束したじゃないですか。それなら大丈夫。知っているでしょう?拓也さんは約束を破りませんから。
それに目を覚ますって考えてた方が……楽しみなこともあるのではないですか?」
落ち込む彼女を慰めるように…しかし最後だけは、からかうようにそう言ったラファエル。
しかしミシェルは少し微笑むだけで、他にこれといった変化は見せなかった。
するとラファエルは、彼女を少しでも元気づけるためなのか、微笑ながら口を開く。
「手を握るくらいならしてもらっても大丈夫ですよ」
「!…本当ですか?」
「えぇ、本当です」
ミシェルは恐る恐る手を伸ばし、掛け布団の下へそっと手を潜り込ませる。
しばらく探すようにベッドの中を弄っていると、ごつごつとした拓也の手を発見した。
「…」
彼の体温はいつもより低く、その手もまるで人形のように全く動かない。ミシェルは自分の細い手を、彼を傷つけないようにと恐る恐る彼の手の指を包むように握る。
激しい鍛錬を積んだ彼の手は、何度もマメが作られ潰れを繰り返し、岩のように硬い。
だが、ミシェルは彼のこの手が大好きだった。
「…拓也さん……生きて………」
気が付けば涙が溢れ出ていた。周りにはウィスパーとラファエルもいる。心配をかけないようにと必死に止めようとするが、涙は止まってくれない。
それはポタ…ポタ…と、ベッドのシーツに染みを作る。
するとまたドアがノックされた。
部屋に入って来たのは、いつもの学園の顔ぶれ。
ミシェルは慌てて涙を拭くと、無理矢理に笑顔を作った。
「み、皆さん!学園は…」
「休校中だよ。ミシェル…大丈夫?隈酷いよ」
「だ、大丈夫ですよ、このくらい。平気です!」
「ミシェルさん。折角王様が好意で部屋を貸し出してくれたんだから、そこで寝泊まりした方がいいと思うよ?僕たちもそうしているし…」
「……いえ、私は…ここがいいです」
心配するようにそう言うジェシカに続き、アルスがそう指摘するが、ミシェルはそう言って拓也の傍を離れようとはしない。
彼女が拓也に抱く想いは、この場に居る皆が知っている。
だから誰も無理強いをすることは出来ないのだ。
「ミシェルさん…また泣いていらしたんですの?」
「め、メルちゃん!そういうことは言わない方が…」
「あ、ご、ごめんなさい!!」
「いえ、別にいいですよ。本当の事ですから」
照れたようにミシェルはそう笑うと、掛け布団の中の彼の手を、少しだけ強く握った。
その次の瞬間…
「ンギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
皆の聞きなれた声が、超特大の音量で王城中に響いた。
目の前の出来事。大絶叫ではない。そのアクションを起こしている人物を認識したミシェルは、目を大きく見開き、呼吸すら忘れたように、口をパクパクと金魚のように開閉させる。
周りの者も、彼女ほどではないが同様の反応を見せた。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いッ!誰!?手握ってるの誰ッ!!?!??超痛ってええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!」
その大絶叫を起こす人物…上半身をベッドから起こした拓也は、パニックを起こして辺りをキョロキョロ見回す。
するとまずはラファエルが声を上げた。
「た、拓也さんッ!?そんな…さっき視た時はまだ起きれる状態では…」
「み、ミシェルか!!とッとりあえず離してッ!!!手ッ!!」
悩む医学者のように驚愕に目を見開く彼女。しかし拓也はお構いなしに叫び続け、自分の手を握っている人物を特定すると、離してくれるよう懇願する…しかし、肝心のミシェルはまだ固まっている。
「た、拓也さん………くや……拓也ぁぁ!!」
…が、次の瞬間、ミシェルは一瞬目に涙を浮かべたかと思うと、迷わず拓也の背に手を回し、彼をベッドに押し倒すように抱き付いた。
刹那、拓也の全身に走る激痛。
「ンアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!?!?!?!!?!?!?!?」
全身の痛覚を同時に針で刺されているような感覚に、拓也は一際大きな雄たけびを上げ、もがく…が、思うように力が入らない。
蓋をしていた感情が一気に爆発したミシェル。彼女は、もう怪我だどうだなどと考えている余裕はなかった。
ただただ目の前の生を両手に、もうそれを逃がさないように、ひしと抱きしめる。
「拓也ぁ……拓也ぁ!」
胸に顔を埋め、涙でグチャグチャになった顔を、ぐりぐりと擦りつけた。
考えてみて欲しい。人間の顔には、鼻というモノが付いている。これは…………出っ張っている。
ミシェルのように整った顔立ちになると、尚更だ。
つまり何が言いたいかというと……
「ヒギイイイイイイイイイッ!!!!」
この状況では、彼の胸部を抉る凶器なのだ。
「だ、だっぐん…よがっだよぉぉぉ!!」
「ジェシカさん。鼻水」
ジェシカも拓也が起きたことに、滝のように涙を流す。彼女の垂れた鼻水をティッシュで拭き取りながら、アルスもまた嬉しそうに顔をほころばせた。
セリーもビリーもメルも、涙を浮かべたり、微笑んだりして、皆、拓也が起きたことを喜んでいるようである。
しかし当の拓也はそれどころではない。
未だ胸の中に顔を図め号泣する彼女…ミシェル。彼女からの抱擁は、今の拓也にとってはプロレス技のベアハッグ。
それもリミッター解除の反動で、全身の筋組織や骨などが悲鳴を上げている中の…ベアハッグ。
致命傷不可避である。
「拓也ぁ…拓也ぁ…」
「ッ!!~ッ?!?!!?ッアイ!???!~?!?!?!?ッ~~!?!」
最早声が出ない。
すると彼の視界の端に、4枚2対の翼を持つ大天使、ラファエルの姿が止まった。
すかさず彼は彼女に目を合わせ、全身を駆け巡る激痛を堪えながら声を張り上げる。
「ら、ラファエルッ!!ミシェル剥がして!!!」
「え?なんですか?ミシェルさんの身包みを剥がすんですか?へぇ、拓也さんって結構大胆…」
「いつかのジェシカママみたいなこと言ってんじゃねえええええええッ!!!」
クリスマスの出来事が頭に浮ぶ拓也はそう叫ぶ。するとラファエルは悪戯っぽく微笑み、人差し指をピンと上に立てて口を開いた。
「女の子を泣かせた罪は重いですよ、拓也さん」
「うん俺が悪いだから早…クゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!?」
ここに来てミシェルが抱きしめる力をさらに強めた。楽○カードマンのような悲鳴を上げた拓也は、白目を剥いて意識を一瞬、遥か彼方へ飛ばす。
ミシェルは顔をグリグリとするのも止め、拓也の胸の中にまっすぐ顔を埋める。
普段クールな彼女のここまで熱烈なスキンシップ。拓也はあえて捕らえ方を変えてみた。
嬉しい…嬉しい…………いや…やはり痛いものは……
「ごめんミシェルゥッ!!やっぱりかなり痛い!!ここまで熱い抱擁は嬉しいけど今はちょっと待ってェェッ!!!」
人間、痛いものは痛いのだ。
「よかった!…拓也…生きてたよぉ!!」
「あ…あぁ……あぁああぁぁ……」
その折角生きていた彼を、ミシェルは再び黄泉へ送り返そうとしている事に気がついていない。
回りは彼女を止めようとはせず、ただただ彼の復活を喜ぶ。その彼が今、窮地に立たされているとも知らずに。
「おい!何の騒ぎだッ!!…拓也!?目が覚めたのか!?」
するとこの騒ぎを聞きつけたセラフィムがこの部屋に駆けつけた。
まず彼の目に止まるのは、目を覚ました拓也。驚き、嬉しそうな顔を見せたセラフィムだったが、すぐさま異変に気がつく。
何故か拓也が顔を真っ青にして白目を剥きながら、泡を吹いて痙攣を起こしているのだ。
そして彼は、瞬時にその原因を突き止めた。
「み、ミシェルちゃんちょっと待った!!このままじゃ拓也がもう一回落ちる!!」
力ずくにミシェルを背後から引っ張るセラフィム。しっかり彼女は思い切り拓也を抱きしめたまま離そうとせず、拓也はさらに顔を青くする。
しばらくしてセラフィムが何とか彼女を引き離した頃、拓也は既に物言わぬ骸と化していという。
・・・・・
「ふ、ふぅ…俺様としたことが……危うく意識を持っていかれるところだったぜ。ミシェルの匂いに」
「うわぁ…気持ち悪いですわ…」
「…拓也君、そういう割には凄い汗だよ……」
ミシェルが羞恥の感情からか、頭を冷やしてくるとシャワーに出て行き、しばらくたって意識を取り度した拓也の開門一言。
気持ち悪いと返すメル。しかしその顔には僅かな微笑が浮んでいる。
ビリーが言うとおり、ミシェルの猛攻を受けた拓也の額にはじっとりと汗が滲んだ。現在は、すかさずウィスパーが浄化中。
最早拓也のその言葉は、ただの強がりにしか聞こえないと、皆が口々に笑った。
「それにしてもラファエル。よくも…よくも俺を見捨てやがったな…」
「あら、助けようとしてのですけれど、拓也さんがミシェルさんの身包みを剥がせと気持ち悪いことを…」
「それはもういいだろ…で、セラフィム。俺が寝てる間、ちゃんと偵察は片付けてくれてたか?」
「あぁもちろん。一瞬で消しといたからお前が動けないことは向こうには伝わっていないぜ」
セラフィムからそう報告を聞くと、拓也は安心したように頷く。
「上出来だ。あと俺まだしばらく動けないから頼んだぜ~」
「はいはい、テメェはしばらく徹底管理されたマズイ飯でも食ってろ」
「働かずに食べるご飯おいちぃ」
そんな冗談を軽く飛ばし会い、談笑をかわす。
するとそこへ、銀色の髪をドアから少し覗かせ、蒼い瞳をベッドの上の拓也に向ける少女が現れた。ドアに隠れるように拓也の様子を伺うミシェルは、拓也と目が合うと、申し訳無さそうに俯いた。
どうやら先程の感情に任せた行動を、反省し後悔しているようである。
だが別に怒ってなどいない拓也はそっと笑みを浮かべると、彼女に見えるようにちょいちょいと手招きして見せた。
「……………あ、あの……さっきはすみません…つい…感情的になってしまって」
彼女にしては珍しく、もじもじと指をしきりに打ち付けながらそう謝罪死ながら拓也の前まで歩み出る。
すると拓也は、楽しそうに笑みを浮かべて見せた。
「別にいいさ、もう痛くはないし。それとその前に………ただいま、ミシェル。俺はちゃんと帰ってきたぞ」
戦いに赴く前、彼女に言われた『いってらっしゃい』に対して自分が返した『いってきます』
だから今度は…ちゃんと帰ってきたと、笑いながら彼はそう口にしたのだった。
それならば…ミシェルが返す言葉はもう決まっている。
彼女は一変の曇りの無い笑顔を彼に向け、彼を迎える言葉を口にした。
「はい、お帰りなさい」
本人達にとっては、いつもの会話。
しかし、周りの人たちは、まるで蜂蜜をダイレクトに口の中にぶち込まれたのではないかと言うような感覚を覚える。
すると、恋愛耐性が低いため、見ているだけの自分まで照れくさくなってきたのか、ビリーが突然口を開いた。
「そ、そういえば!拓也君凄かったよね!!武器を持ってなくてもあれだけ戦えるなんて!!」
「………………………………………は?」
空気を変えるため、そう言っただけなのだが、拓也は何故かその発言に色濃い反応を見せる。
すると明らかに動揺し始める拓也。そしてブツブツと独り言のように呟く。
「え…なに……もしかして…戦ってる光景……見られてた?」
斜めにして背もたれのようになったベッドの上部に上半身を預け、拓也はそう言い俯いた。
ー…だ、だとしたら………俺は結構マズイことを……-
内心ガクブルの拓也。
すると、そんな彼を助けるように、部屋のドアが勢いよく開け放たれた。
「剣帝が目を覚ましたというのは本当かッ!?」
「拓也君が目を覚ましたって聞いたんだけど…って本当に起きてるじゃない!!」
光帝とジェシカママを筆頭に、あの日王の私室に居た人たち…帝、ロイド、リリー、属性神たちが、病室に流れ込んでくる。
拓也はしめたと口角を吊り上げ喜んだ。
「やっと目を覚ましたのね。全然動かないから少し心配したのよ?」
「流石ロリー、あざとい」
「誰がロリーじゃぶん殴るぞ」
「もう殴ってるんですがそれは…」
彼の頬に、閃光のように飛んだグーパンチ。しかし彼女はこう見えても常識のある人物だ。
ちゃんとほぼ触れないように加減をしてくれたおかげで、全然痛くない。
「いやぁ拓也君、よかったよ。ギルドのエースに死なれるのは困るからさ。もちろん君の一人の友人としても復活をよろこんでいるよ」
「いやぁ~、ホントビックリしちゃったよ!剣帝ってあそこまで強かったんだねぇ!」
「オウオウ!!今度俺と一戦交えようぜ!!」
「炎帝、アンタじゃすぐにボッコボコよ」
「そうだぞ炎帝。何せ僕が一度は負けるほど強いのだからな」
「何度やっても……………同じ…」
「な、なんだと闇帝!!」
「あー、確かにそうだな」
「うむ、少なくとも今のままでは光は剣に勝てんじゃろうな」
ロイドがそう発言したのをきっかけに、帝たちが口々にそう言って光帝を虐めた。昔では考えられないようなその光景。拓也は肯定も日々成長しているのだ…と感慨深いものを感じながら、口を開く。
「ウッヘヘェ~光帝さん仲間からの信頼が厚いっすね!!自分超うらやましいッス!!」
「剣帝…貴様ァァァァッ!!」
完全に煽っている拓也。暴れだそうとする光帝は、他の帝によってすぐさま取り押さえられた。
「それはそうと拓也君、あなたって違う世界から来た人だったのね。それにこの中の誰よりも長生きだなんて…ちょっと驚いちゃったわ。
…でも安心して!おばさんはその程度のことで拓也君の扱いを変えたりしないわよ!!」
「まぁ長生きと言う面ではセラフィムたちの方が俺より年増ですけれどね」
冗談交じりにそう話し、笑うジェシカママ。拓也も冗談で返すと、場には笑いが生まれた。
「誰が年増なのですか?その話し是非詳しく聞きたいですね」
「俺はまだ…お兄さん」
するとそこへ現れたのは、こめかみに青筋を浮き上がらせる少女天使ガブリエルと、自分はまだお兄さんだと主張をするウリエル。
ミカエルも二人の後ろで微笑を浮かべている。
皆が走ってきたのに対して、随分とゆっくりな登場に拓也は思わず苦笑いをして見せた。
「流石四大天使、病人が蹂躙される様を笑いながら見てたり、なんだかんだ大物ですわ」
「ハッハッハ。なぁに、もし君が死んだ時はどうしようかと考えていたのさ。そうなると次を育成しないといけないからね」
「クックック…久しぶりに会ったと思えば相変わらずヤな奴だな。ミカエル」
にこりと張りぼて100%の笑顔でそう言った天使長。畑から見れば発言の内容といい色々とヤバイ人に見えるだろうが、彼と長い付き合いの者達は、すぐにそれがブラックジョークだと理解する。しかし他にはそれジョークだと分からない。
するとミシェルが突然ワナワナと震え始め、拓也を背後に隠すように立ち上がると、恐れに竦みながらも見返るを睨むようにして声を張った。
「い、イヤです!私は拓也さんじゃなきゃイヤですッ!!」
蒼い瞳に見つめられ、ミカエルは思わず固まった。
彼同様、彼女のその発言に固まる一同。
そしてしばらくしてから、ラファエルがミシェルがしているであろう誤解を解くため口を開く。
「…あぁ。ミシェルさん…これ、ミカエルなりのジョークですから気にしなくていいですよ」
「……え…えぇ///あ、あぁそうでしたか!すみませんでした、ミカエルさん」
「あ、あぁ。こちらこそすまない。少々言い方がマズかったようだ」
「お前は言い方云々より、ジョークを言っているという雰囲気を出せるようにしろよ…」
その一連のやり取りを眺めていた拓也は、呆れたようにそうツッコむのだった。
すると、比較的静かなビリーが突然声を張り上げる。
「あ、あの!拓也君!!」
「ん、なに?」
彼が損な大きな声をあげたことに少々驚きながらも、拓也はそう返す。
周りの皆も何故か静まり返る。そしてビリーは拓也を真剣な眼差しで見つめながら、口を開いた。
「ぼ、僕を弟子にしてください!!」
「…はぁ?」
あまりに突然のその言葉に、拓也は思わず聞き返してしまう。
周りも彼の場違いとも言える発言に、少々困惑して眉を顰めたりしている。
しかし拓也は、徐々に口角を吊り上げると、面白そうに呟いた。
「お前にも何か心境の変化があったみたいだな」
「う、うん!僕も強くなりたいんだ!!」
一頻り笑った拓也は、何か決心を固めたようなビリーの表情を見て満足げにニヤリと笑みを零す。
「いいぜ、俺が鍛えてやるよ」
「ほ、本当かい!?」
「あぁ、その代わり俺が治るまではランニングか筋トレだけだろうけどな」
「よかったねビリー!たっくん直伝なんて羨ましい!!」
ー…皆成長してくなぁ…その内置いてかれそうで怖いわ…ー
内心そんなことを考えながら、病室をぐるりと見回す。
一年経って、皆大分変わった。光帝は角か取れ、丸くなり、イスラフェルは仲間と打ち解け、ビリーは虐められていた頃と比べると、幾らか男らしくなっただろう。
「鬼灯君スッゴイ強いかったもんね!バッタバッタ倒してたし!よかったねビリー君!!」
セリーがはしゃぎながらそんなことを言うと、何故か拓也の顔色が悪くなった。
ほんの僅かな変化。ミシェルがそれに気がつき、首を傾げる頃…
「あぁ…そういえば拓也さん。
…随分と見事な公・開・告・白しましたよねぇ!いやぁ驚きましたよ。ヘタレな拓也さんがまさかあんなことをされるなんて…」
彼女の背後では、既に巨悪が動き出していた。
次の瞬間、ブルーハワイのシロップでもブッカケたのではないかというぐらいに鮮やかな青色に染まる拓也の顔。
すると、ラファエルのその発言で周りの一同はそのことを思い出したようだ。何故今まで忘れていたのだろうか。と、ニヤリとイヤらしく微笑み、ベッドの上の真っ青な拓也を見つめる。
そう、これこそが拓也の恐れていた状況。
するとミシェルも今の今までそのことを忘れていたのだろう。拓也の前だというのに顔から煙が出そうなほどに真っ赤に染めると、椅子に座ったまま俯いて、もじもじと手を動かす。
そして皆が口角を不気味に吊り上げ終わった頃、セラフィムが、捕食者に囲まれた小動物よろしく震える拓也に向けて口を開いた。
「あぁーそうだったな拓也。確か…『大好きな』」
「ッ!!」
「逃がさんッ!ウリエルッ!!」
「承地」
その刹那、重症でまだ動くこともままならないはずの拓也が、ベッドから飛び起き、部屋の窓まで一瞬で移動して枠に手を掻ける。
しかしやはりいつもより動きは鈍い。セラフィムとウリエルの巧みな連携により、彼は二人掛かりで羽交い絞めされ、すぐさま拘束されてしまった。
「うおぉぉぉぉHA☆NA☆SHI☆NA☆SA☆I☆!!」
「させねぇよ!!ウリエル、緩めんなよ!!」
「…分かって…いる」
先程まで生死の境を彷徨っていたはずなのに…とんでもない怪力で、高位の天使二人を振り回す拓也。
するとそこでラファエルは、今までに見たことのない程に凶悪な笑みを浮かべると、どこからともなくあるものを取り出した。
それは一枚の怪しく輝くDVD。
「じゃあ録画してありますので皆さんでもう一回見ましょうか」
「…全リミッター解jy」
「させんッ!!」
「グッホェェェッ!!!」
追い込まれた拓也は、録画してあるDVDを破壊せんと、リミッターを解除しようとするが、その次の瞬間…とりあえず怪我人に打ち込んではいけないレベルのパンチが拓也の鳩尾を襲った。
あまりの痛みに、ピクピクと振動するだけになってしまった拓也。
するとセラフィムは彼をベッドに置きなおし、ラファエルに目配せをする。
「はい、それじゃあ再生」
謎のDVDプレーヤーにそのDVDを入れると、プレーヤー上部の穴から光が漏れ出し、部屋の空中にスクリーンを作り出した。
そして問題の映像が、鮮明な音声付で流れる。
『俺は…友人を………そして何より…大好きな……大好きなミシェルのために戦うッ!!』
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!」
部屋中に響く拓也の大絶叫。
ミシェルはもう一度この台詞を聞き、そのときのことを思い出してさらに赤くなった。もう耳まで真っ赤である。
『…大好きな……大好きなミシェルのために戦うッ!!』
「巻き戻すなアアアァァァ!!!!」
ニヤニヤと笑いながらプレーヤーを弄って遊ぶラファエル。
すると周りから歓声が上がる。
「「「「「「「「「「おぉ~」」」」」」」」」」
「おぉ~じゃねぇからッ!!」
すかさずツッコむ拓也。なんだかんだで結構元気である。
そしてラファエルはまたプレーヤーを弄ると、あるシーンまで飛ばして説明を始めた。
『ッグ……惚れた女の為だと!?そのためには死をも恐れないというのか!!』
『あぁ、恐れない。というかもう約束しちゃったし…『死んでも護る』って
それにミシェルになら…命を掛けるのも惜しくないからな』
「はい、拓也さんはこのとき『あぁ』と肯定していますね」
「冷静に解析せんでええわッ!!!」
「まぁ…たっくん。もう諦めなよ」
「ねぇ、なに笑ってるの?他人事だと思ってんだろこの野郎」
「そうだよ拓也。添え膳食わぬは…だよ?」
「いやアルス、お前のソレは違うからね!?」
「アナタ、諦めが悪いですわよ?」
「黙れ乳」
「な、なんですってッ!!?」
何故かメルにだけは冷静な拓也。今度は拓也の代わりにメルが騒ぎ始める。
そして拓也はある意味メルのおかげで落ち着くことができた。徐々に思考をめぐらせ、この状況での最善の言葉を選び、真っ赤なミシェルに向けて口を開く。
「あ、あのな、ミシェル。あれは…その……極限状態だったもので…ちょっとした…あの…
あぁ!ち、違うんだ!!」
しかし頭でまとめた考えも、いざ彼女に向けて放つとなると上手くいかない。
そのためか、あらぬ勘違いが起こってしまった。
ミシェルはバっと顔を上げると、少し悲しそうな目を拓也に向ける。
「……違うん…ですか……」
そして悲しみの色を落ち込みの色に変えて、地面に視線を落としてしまった。
自分のせいで起きてしまったすれ違い。アタフタ手を動かす拓也。
「さぁ皆さん。お邪魔虫は退散しましょう」
ラファエルはそんな彼らを微笑みながら眺めると、一同を小さな声で部屋の外まで誘導し行ったのだった。
取り残された拓也とミシェル。
二人とも真っ赤になりながら俯いて、何も言おうとしない。
その光景を、部屋のドア隙間から覗き込む一同。
「いやぁ~…面白くなって来ましたねぇ…」
「クックック…たっくん、もう逃げられないよ!」
「さぁどうするんだァ?拓也……しまッ!!止めろッ!!」
外野は非常に楽しそうである。
しかし、次の瞬間、セラフィムの顔色が真っ青になった。そして彼はドアを思い切り開け放ち、拓也を止めるべく走り出した。
だが…
「ックソ!やられたッ!!」
あと少しのところで、拓也はセラフィムの手からするりと抜けるように空間魔法を使用して、どこかへ飛んでいってしまった。
まだ魔法を使わない。その甘い判断が、この結果に繋がってしまう。セラフィムは思わず舌打ちを漏らし、こぶしを固く握り締める。
しかし、彼以外にも空間移動で飛んだ人物がいたようだ。ラファエルはソレに気がつき、セラフィムの肩にポンと手を置いて微笑んだ。
「大丈夫です。拓也さんはもう覚悟を決めたようですよ」
彼女の視線の先には、ベッドの傍にポツンと置かれた椅子。セラフィムも彼女の言葉の意味を理解したのか、ニヤリと口角を吊り上げるのだった。
・・・・・
「痛ってぇ!!」
先程までのベッドの感触とは違う、若い草のチクチクとした感触が全身を包む。
しかし受身を取れなかった拓也は、そんな草の感触を感じる前に、全身を激痛が襲うのだった。
そして…
「た、拓也さん!?大丈夫ですか!?なんでいきなり空間魔法なんて使うんです?まだ重症なのに危ないです!!」
痛みに悶える彼の元に駆け寄る、銀髪蒼眼の美少女…ミシェル。
彼が自分と一緒にここへ飛ばしたことに困惑しながらも、彼女は心配そうに彼に声を掻ける。
「危ねぇ…やっぱいつもみたいに素早く魔力を練る事もできないな…危うくセラフィムのヤツに阻止されるところだった」
してやったりと笑み浮かべる拓也。ミシェルは彼のそんな様子を見て、とりあえず傷は広がったりしていないと安堵し、胸を撫で下ろすのだった。
すると拓也は体を反転させ、仰向けになって空を見上げ、その顔に微笑を浮かべる。
「思い出すなぁ…俺が悩んでた時、ミシェルがこの場所を教えてくれたこと」
唐突に語りだした思い出。
ミシェルもそういえば…と顎に手を当てて、そのときのことを思い出した。
それは彼が敵すらも殺すことを戸惑っていた頃。自分が落ち込んでいた彼を励ますために教えたこの秘密の場所。
王都を一望できる景色に、心地よく吹き抜ける風。
ただ行き過ぎると崖になっているので少々危険である。
「あぁ、そういえばそんなこともありましたね」
「実はさ…俺がミシェルの前から姿を消してた間。ここで色々考えてたんだ。俺は何のために戦ってるのか…とかさ」
ミシェルにも座るように手でチョイチョイとサインを出しながら、拓也は続ける。
「んで…その時、ミシェルがまた神に襲われた。それで…すぐ駆けつけて神だけ殺して立ち去ろうとした時。ミシェルにめっちゃ怒鳴られたよな」
「あ、あれは…その……」
「ハハハ、気にする必要はないさ。感謝しているんだし」
ケタケタと笑う拓也だが、その表情にはどこか緊張が混ざっている。
「その時、思ったよ。あぁ…俺はきっとこの子を護りたいから戦うんだ…ってさ。
思えばもうその時からだったのかもしれないな。でも俺はそれを自分の役割で縛って、誤魔化し、気がついていないフリをしていた」
拓也は言っているうちに少し恥ずかしくなってきたのか、ゴロリと寝返りを打ってミシェルに背を向けた。
「でも最近、リリーのお陰もあってようやく気がついた…いや、ようやく認めたって言ったほうがいいかもしれない……俺は…」
突然の彼の語りに、耳を傾ける。
すると拓也はガバっと起き上がり、ミシェルのほうへ向き直って、口を開こうとする…が、思ったように言葉が出てくれない。
何度も口をパクパクと金魚のように動かしても、言葉どころか音すらも出てくれなかった。
そこで拓也は一度、肺の空気を全て出し切るように意気を吐き、そして今度は空になった灰を満たすように思い切り空気を吸い込む。
そしてそれを何度か繰り返した後、ミシェルの蒼い宝石のような瞳を、真っ黒な瞳で見つめ、決心したように言葉を紡いだ。
「俺は……ミシェルのことが…好きだ」
刹那、ミシェルの動きが停止した。
しかし彼女の脳は、これまでにないほど活発に思考を巡らせる。
彼が向ける黒い瞳…まるで深淵を覗いているようなその瞳は、嘘を言っているようには見えなかった。
ということは……彼女はその結論にたどり着いた時。
「あ…っえ…~ッ!?」
普段のクールなミシェルは消え失せ、彼女は赤面してパニックに陥っていた。
大量の情報が脳内を駆け巡り、そして理解する。…が、あまりに嬉しすぎて口が動かない。
「(つまり…拓也さんも…私のことを!?)」
考えれば考えるほど脳内の回路が混雑し、遂にはショートしてしまう。
拓也は何も返事がないことに『やっぱりか…』と言わんばかりに落ち込んでしまった。
「ご、ごめんな…分かってる。俺は顔も冴えないし、気の効いた事もできない…釣り合わないのは俺が一番わかってる。
だから…嫌だったら、せめて今のことは忘れてくれ」
しかし彼はミシェルを困らせないように、精一杯強がって悲しそうにそう発言する。
違う…自分も好きなのだ。必死にそう伝えようと言葉を組み立てるミシェル。しかし興奮と喜びのせいで、うまく組みあがらず、途中で崩れてしまうのだ。
目の前では自分の大好きな彼が、すれ違いのせいで落ち込み、空元気を振るっている。
「み、ミシェルっ!?」
だから…彼女は言葉で伝えるのは止めた
彼がなるべく痛くないようにそっと背中に手を回し、ぎゅっと優しく抱きしめる
ふわりと香るミシェルの匂い。拓也は彼女のその行動に目を見開いて驚愕し、そう声をあげた
するとミシェルは優しい微笑を浮べ、抱きしめた拓也の肩に顎をちょこんと置きながら、ようやく整理ができて組み上げられた言葉を紡いだ。
「そんなことないです。とっても強くて…でも本当は、争いは嫌いで…料理だって凄く上手で、家事だって完璧。それに…困っている人を絶対に見捨てられないくらい……誰よりも優しくて…。
そんな人のことを…好きにならないわけないじゃないですか」
耳元で優しく囁かれたその言葉。拓也は思わず耳を疑い、戸惑いながら口を開く。
「は…え?…なん…どういうこと?」
「だ、だから…私も……その…拓也さんのことが…す…好きなんです///」
消え入るような声でミシェルは、意味をもっと明確にしてそう呟いたのだった。
信じられない…。拓也は明確になった彼女の言葉に目を見開く。
「ほ、本当に?」
「本当です」
「罰ゲームとかじゃないの?罰ゲームでなら何回もされたことあるけど……」
「いったいどんな人生を送ってきたんですか…」
抱き合ったままそんな会話をする二人。拓也はまだ信じられないといった顔をしている。きっと昔の世界で虐められていたことを思い、そんなことを言っているのだろう。ミシェルは両思いだったということが判明したからか、穏やかに微笑んでいる。
「は……ほ、本当に?なんでまた俺なんか…」
「俺なんか…じゃないです。拓也さんだから惚れたんです」
「で、でも…俺……顔とか良くないし…」
目の前にいる美少女。ルックス的に見れば、お世辞にもお似合いとは言えない。
それがよく分かっている拓也は、落ち込んだようにそう呟く。
するとミシェルは抱擁を解き、彼から少しだけ離れ、怒ったような表情を見せた。
「私は好きですよ?拓也さんの顔」
「………でも」
「でもじゃないです。私が好きだからいいんです」
ミシェルのその説得も虚しく、拓也はまだ顔を伏せている。
今まで生きてきた中で、彼は相当悲惨な目に会っている。それは平凡な容姿のことも含め、本当に様々なことで虐げられた。
そんな過去を送ってきたからだろうか?…彼は本質的に、あまり人を信用したがらないのだ。それも無意識のうちに。つまり彼が心配をかけないようにと、様々なことを一人で抱えるのもそれが原因。
そして彼は今、一番大切なはずのミシェルのその言葉すら信用出来ないでいる。
ミシェルはそれが何より辛く、何より悲しかった。
だから…気がつけば体が勝手に動いていた。
「み、ミシェル?なに…っ!?」
拓也の頬に両の手を沿え…彼の唇に、自分のそれをそっと当てたミシェル。
拓也の目は驚愕に見開かれる。
彼女がとっている行動が理解できない。拓也は必死に頭を回転させ、思考を巡らすが…すぐさま回線はショートしてしまった。
「分かりましたか?これが私の気持ちです」
唇を離したミシェルが、まっすぐ彼を見つめながら力強くそう言う。
しかし彼女も相当恥ずかしかったのだろう。頬が鮮やかな朱に染ま
っている。
拓也は、彼女が触れた自分の唇の感触を確かめるようにそっと触る。
ちゃんと唇は付いている…などと意味不明なことを考えながら、彼は頭必死に回転させて状況を整理した。
ー…俺は…ミシェルのことが好き……ミシェルも…俺のことが好き…
そしてミシェルは、疑ったりしている俺を納得させるために接吻をした……-
「なるほど夢か」
「……どうやってそんな結論に至ったんですか」
未だ現実を認めようとしない拓也。ミシェルは彼のそんな様子に、羞恥の感情が吹き飛び、最早、ほとほと呆れてすらくるのだった。
そして彼は自分に対する言い訳なのか、謎の超理論を展開し始める。
「………なるほど…どうやら俺はまだ、オーディンと戦ってから目を覚ましていないようだ。だがしかし…夢というのは記憶の整理…なら何故俺は今、経験をしていないはずのミシェルとの接吻を夢として見ている?…あぁ、これは早急に解明する必要があるな。もしやこれはまだ見ぬ人類の新たな可能性を見出したのかもしれない。よし、目が覚めたらまず人間が夢を見る原理と睡眠について徹底的に洗うとしよう」
どうやら思考に一段落ついたのか、手をポンと叩きながらそう発言した拓也は、一人で勝手に納得し首を何度も縦に振って腕を組んでいる。
彼のその語りを黙って聞いていたミシェルは、無性に腹が立っていた。それは、自分が勇気を振り絞って起こした行動を無かった事にされたような気がしたからだ。
だから彼女は、もう一度彼の頬に両手を添えて…
「それはそうとどうやったら起きられるのだろう…ぅむッ!!?」
今度はそっとではなく、拓也の唇を甘噛みするように、情熱的なキスをした。
まるで自分を奪おうとしているようなそのキスに、固まる拓也。ミシェルもこみ上げてくる羞恥の感情に激しく昂り、顔どころか、耳まで真っ赤に染めている。
「これでもまだ現実逃避するんですか?」
名残惜しくそっと唇を離したミシェルは、精一杯赤くなった顔を隠しながらジトっとした蒼い瞳で拓也を見つめる。
そして拓也はハッ!…と何かに気が付いて、ミシェルを指さして声を張った。
「その冷ややかなジト目…まさか本物のミシェル!?ということはこれは現実!!?リアル!?!?」
「……ハァ~…そうですよ」
意味の分からないところからようやくこれが現実だと理解した拓也は、激しく取り乱して辺りをキョロキョロする。ミシェルは呆れたように頭を抱えて、溜息をついて見せた。
そして彼は、ようやく自分から彼女に歩み寄るように口を開く。
「ほ、本当に…本当に俺なんかで…いいの?」
またもや自虐する言い方。
ミシェルは彼のその言い方に少し怒ったように溜息を吐く…そして彼女らしいクールで綺麗な微笑みを浮かべると、彼の言葉に返事をした。
「えぇ、拓也さんがいい…いえ、拓也さんじゃなきゃダメなんです」
彼女はこうして自分を必要としてくれている。自分ではないとダメ…そうとまで言ってくれた。
拓也の今までの人生…両親を失い、祖父母を失い、それからは虐げられる人生。
そんな自分に手を差し伸べてくれて、唯一無二の親友だった樹とも、この世界に来たことで永久の別れをした。
また…一人ぼっち。大切な人達を失ったときのように…また一人ぼっち。
この世界に来た彼は、心のどこかでそう思っていた。
覚悟はしていた。自分で口にするのは嫌いだが、最初は”贖罪”のつもりだった。
かつて、自分にもう少し力があれば救えたかもしれない祖父や祖母。もし自分が遊園地が嫌いだったら、死ぬ事はなかったかもしれない自らの両親。そして生まれてくるはずだった新しい命。
人の命が関わっていると聞き、すぐに承諾したのは…その5人の尊い命に対するせめてもの償い。
だが、その考え方はこの世界で生活するうちに変わっていった。
この世界に来てすぐ、ほぼ全裸になっていた時に出会った一人の少女。
そんな奇妙な出会いをした少女が今、こうして自分のことが必要だと言ってくれている。
前の世界では親族にすらも嫌われた自分を、こうして必要と言ってくれている。
「ちょ、ちょっと…な、なんで泣いてるんですか!?」
こんなに嬉しいことはない。ようやくだ…ようやくこの世界で、自分を本当に大切に思ってくれる人を見つけたのだ。
気が付けば、目から自然に、大量の涙が溢れ出ていた。
溢れた涙は滴となり、頬を伝ってポタポタと落ち、地面を濡らす。
「…ありがとう…めちゃくちゃ嬉しい…」
そう…彼は…鬼灯拓也は、彼女と生きるうちに、過去に”贖罪”するのではなく、過去を”背負う”ことにしたのだ。
溢れる涙を手で拭い、鼻を啜る。
嬉しい。拓也の心の中は、ただその一つの感情に埋め尽くされていた。
そして…号泣のせいで真っ赤になった目元を擦り、潤んだ目でミシェルを見つめて、怯えた小鹿のような細い声でポツリと彼女に尋ねる。
「じゃ、じゃあ…本当にミシェルは…その…俺のこと……」
勇気を出してそこまで言った拓也だったが、とてつもない羞恥の感情に思わず口篭ってしまった。
そしてそのまま顔を真っ赤にして、手を口元を隠すように覆い、黙り込む。
するとミシェルは、彼の見たこともないようなそんな様子に、面白いものを見たといわんばかりに声を漏らして笑った。
「ふふふ…えぇ、そうです。私は拓也さんのことが大好きです」
拓也は彼女のその言葉に返すように、言葉を紡ぐ。
「お、俺も……ミシェルのことが…大好き」
最初は彼のほうから好きだと言い出し、彼女が動揺していたはずなのに、今は完全に立場が逆転して、拓也が狼狽え、彼女が堂々としている。
なんともおかしい。しかもこれが両者の告白。
「は…ハハ…ハハハ」
「フフ…ふふふ……何がおかしいんですか?拓也さん」
「み、ミシェルこそ笑ってんじゃん」
これはもう笑うしかなかった。
お互い、こんな意味の分からないカタチで、想い人を明かしてしまったのだから。
しかしおかげで分かったこともある。それがあるから…ヘタレの拓也でも、一歩踏み出すことができる。
彼は、いつも通りの呑気でにこやかな表情を顔に浮べ、ゆっくりと…しかしはっきりと、言葉を紡いだ。
「ミシェル。俺にはお前が必要だ。だから…俺と付き合ってください」
勇気を振り絞り、捻り出した言葉。
そして…ミシェルは拓也のその告白に、満面の笑顔で返す。
「えぇ、こんな私ですけれど…どうぞ、よろしくお願いします」
彼女のその笑顔。それは彼が今まで見た中の彼女のどの笑顔よりも可愛く、美しく、そして愛おしい。
拓也は思わずその笑顔に見惚れ、固まってしまうのだった。
すると、見つめられすぎてミシェルの頬がほんのり赤くなった。
彼女は少し恥ずかしそうに視線を拓也から逸らすと、彼に聞こえるかどうかという声量で、ボソボソと小さく呟く。
「さ、さっきはすみませんでした…い、いきなり…その……き、キスなんてしてしまって///」
どうやら冷静になってきてかなり恥ずかしくなったのだろう。
だがミシェルはそう言いながらも、自分の唇をそっと指の腹でなぞりながら、さっきの初めての接吻の感触を思い出して、こみ上げる感情に任せて可愛らしく笑みを見せた。
「あ、あぁ…うん、別に……俺もイヤじゃないし…というかむしろ……」
拓也も必死に返そうとするが、自分で自分を追い込み、最後には言葉に詰まって結局黙り込んでしまう。
このように恋愛に対して非常に奥手な二人。外野から見ていたら、きっととても面白いものなのだろう。
拓也が言葉を詰まらせ黙り込んだことで生まれた沈黙。二人の中で燻る羞恥の感情は、徐々に勢いを増す。
特にミシェルは、冷静になればなるほど先程の自分の行いが、恥ずかしくて恥ずかしくてしょうがない。現に彼女の顔は、茹蛸のように真っ赤に染まっている。
そして彼女の中の羞恥が臨界点に到達した時…
「た、拓也さんも…わ、私にキスしていいですよ!!私もしましたからッ///」
気がつけばミシェルは、とんでもない事を口走っていた。
彼女のその発言。先程の告白で心臓の負担はピークだと思っていた拓也は、次の瞬間、より一層鼓がの高鳴るのを感じて、取り乱す。
「え?はぁ!?き、キス!!?」
全身の筋繊維や骨の損傷による痛みなど、最早感じない。
現在の彼の脳は痛みを受け付ける回線をシャットアウトし、ミシェルの発言の意味、意図を読み取るための回線を全開に空けているのだ。
「だ、だって…私が許可も取らずにしちゃいましたからッ!!」
「あ、あぁそうなの!!?」
両者共に瞳をグルグルと回し、そんなようなやり取りを早口で続ける。
ミシェルは、頭の中で自分は何を言っているのだと焦りながら、腰を下ろしている地面の草を無意味にぎゅっと掴んだ。
しかし彼女は新たな結論を見出す。このままいけば彼からキスをしてきてくれるのではないだろうか…と。
そんな結論にたどり着き、ミシェルの心臓はさらに強く脈打った。
すると拓也は、何かを決心したように呼吸を整え、ミシェルの期待通りに、彼女の肩に手を置く。
彼がしようとしていることを察したミシェルは、目を瞑る。視覚が遮断され、より一層高鳴る鼓動の音を鮮明に感じることができた。
「じゃ、じゃあ…行くぞ?」
拓也は目を閉じている彼女にそう問いかける。
返事はないが、目を閉じているということは、きっと肯定なのだろう。彼はそう考え、一度表情を引き締め目を瞑ると、ゆっくりと彼女の顔と自分の顔の距離を縮めていった。
目を閉じていても伝わるお互いの息遣い。逆に視覚を遮断したせいで、他の感覚が研ぎ澄まされ、余計にドキドキしてしまう。
そして遂に、拓也とミシェルの唇が触れ合おうかという時だった…
「な、なに!?」
「っ!?」
近くの茂みから『ガサッ』という物音。
勢いよくそちらへ振り向いた二人は、閉じていた目をパッチリと開け、目を凝らし、耳を済ませる。
すると……茂みの中から僅かな声が聞こえた。
「ちょ、ちょっとセリーさん!?ポケットから何か落ちましたよ!?」
「あ、ご、ごめんなさい…」
「しょうがないよ!見てるこっちが恥ずかしくなるもんね!!」
その音の正体に気がついた時、拓也は戦慄した。
「おい…アイツらなんかこっち見てないか?」
…友人、帝、属性神、国王、王妃、ジェシカママ、四大天使、熾天使に、今までのミシェルとのやり取りを”全て見られていた”ということに気がついて…。
すると茂みに隠れていた彼らは、拓也たちがこちらに気がついたことに気がつく。
そしてもう隠れているつもりは無いのか、ぞろぞろと茂みの中から姿を現した。
「あら拓也さん、こんなところで会うなんて奇遇ですね」
「ホントホントー。しかも濡れ場を見せ付けられるとはね」
「ガブリエル………下品だ…ぞ」
「ハッハッハ、とんでもない現場に遭遇したものだ」
口々にそんなことを言いながら現れる四大天使。
というかガブリエル…見た目が少女のクセに、案外マセていると思うのはきっと間違いではない。
先頭を行く四大天使。慌ててミシェルのほうを確認する拓也。彼の目には、目を見開いて口を半開きにし、固まる彼女の姿が映る。
彼女の今の心境を代弁するならば…『なんということだ』…が一番正しいだろう。
「いやぁ~ミシェル!随分と積極的だったねぇ!!あんなに情熱的にたっくんの唇を奪うなんて…!!」
大天使たちのすぐ後ろには、身をクネクネと捩りながらミシェルを挑発するジェシカ。
そのすぐ傍ではメル、セリー、ビリーが真っ赤になりながら俯き、さらにその隣では、アルスがいつもと変わらないニッコリとした笑みを浮かべていた。
「な、なん…で……ここに……」
「決まってんだろ、追って来た」
震えながらそう訊ねるミシェルに、セラフィムはあっけからんにそう返す。
そして遂にミシェルは羞恥など色々なモノが限界に達したのか、次の瞬間ぐらりと頭を揺らしたかと思うと、そのまま意識を失ってしまった。
糸の切れた人形のようになった彼女は、体を支える筋肉からも力を抜いたせいで、ゆらりと倒れこむ…拓也のほうへ。
「ああああああああぁぁぁぁ!!?!?!!?」
彼女に押し倒されるように巻き込まれ、仰向けに倒れた拓也。
背中を打った衝撃と、彼女の体が自分の体に重なった衝撃が、神経をとんでもない速度で駆け抜け、脳で痛みとして変換された。
悲痛な大絶叫を上げる拓也。しかし回りはそんなことお構いなしにニヤニヤと笑みを浮かべている。
「た、助けて!!」
「拓也…それが彼女というものだ」
「いや意味わかんねぇから!!早く助けろよッ!!」
それは果たして哲学的な発言なのか?…だがそんなことを考えている暇は、拓也にはない。
あまりの激痛のせいで、少しでも気を抜けば自分の意識は闇へダイブすることになる。そうなればこの天使…もとい悪魔達に何をされるか分からない。だから拓也は気絶するわけにはいかないのだ。
するとそんな拓也の視界の端で、ラファエルがなにやら弄っているのが見える。
そちらへ視線を向ける拓也。ラファエルはその視線に気がついたのか、いい笑顔を作ると、手に持ったモノが拓也に見えるように掲げて口を開いた。
「安心してください。最初から最後まで…ちゃんと収めましたから」
彼女が手にしているのはビデオカメラ。一体何を安心しろと言うのだろうか…。
今までの言動は全てあのカメラの中に収まっている。それを理解した拓也は心底疲れたような表情を浮べ、ポツリと呟く。
「ホントなんなの…お前ら……」
「天使です」
「………はぁ…」
けろっとしたラファエルのその返しに、拓也は肩を落としながらため息を吐く。
だが…彼はまだ諦めていなかった…
「隙有りッ!!」
その刹那…拓也の手から勢いよく飛び出す光線。今の彼ができる最善の行動がこれだった。
放たれた光速の攻撃は、ラファエルの手の中のビデオカメラにクリーンヒットし、粉々に粉砕する。
狙い通り…拓也はニヤリと微笑んだ。
そして次の瞬間、延髄に走る鈍い衝撃。恐らくセラフィムの仕業だろう。だが拓也はそれでもなお笑っていた。
ー…クックック…間に合わなかったようだな…見ろ、粉々になってやがるぜ…-
そう…これでいいのだ…。拓也の目的は果たされた。この後どうなろうが、あの映像を保存されるより全然マシだ。
薄れる意識に身を任せ、安心感を感じると共に、徐々にその瞼を閉じてゆく。
しかし、悪魔どもはそんなに甘くは無かった…。
消えかけた視界の端で…ラファエルが不気味な笑みを浮かべている……
そして彼女はおもむろに、服のポケットへとを突っ込むと、拓也にも見えるようにある”モノ”を掌に乗せて、差し出した。そして面白そうに呟く。
「あんなに面白いこと…滅多に起きませんからねぇ……バックアップくらい既に取ってありますよ?
あぁ、もちろん…ほら!この通り…DVDに焼いて複製もバッチリです!」
彼女の手に置かれているのは、USBフラッシュメモリーのような記憶媒体。
そしてウリエルが両手に抱えるようにして持っているのは、大量のDVDディスク。その数…ざっと数百。
だがそれだけでは終わらない。ラファエルは、拓也のメンタルをさらに抉るように続ける。
「あぁそれと、このUSBメモリを壊しても意味は無いですよ。既に天界の私のパソコンに、データを転送しておきましたから」
抜け目が無い…無さ過ぎる。
本格的に成す術がない。拓也は絶望したように、力なく地面に体を預けると…
「へへ……俺がこのまま…終わると思うな…よ」
まるで三流映画の敵役のような捨て台詞を吐いて、そのまま意識を闇に落とした。
・・・・・
それは遥か昔の記憶。
世界を渡る前の、遠い日の出来事….
「ッ!!」
蘇るトラウマとも言える光景に、拓也はカッと目を見開き、意識を一気に覚醒させる。
そしてそれが夢だと理解すると、安堵して溜息を吐いた。
「…夢か……」
寝起きでボーっとする頭。拓也は指を櫛のようにして前髪をかき上げる。
見ていたのは…大切な人を亡くす夢。
ー…夢なんて久しぶりに見たな……-
内心で感心するようにそう呟く。拓也は普段、滅多に夢を見ないのだ。何故なら、彼は夢を見ている途中に目を覚まさず、ちゃんと脳が、整理という仕事を終えてから起きられるように調整しているからである。
しかし、今回夢を見ていたということは、身体にはまだダメージが残っているということ。
冷静にそう分析した拓也…だがどうにも何か忘れているような気がする。
「俺…なんで寝てるんだ…」
部屋は薄暗い。上半身を起こして、部屋を見回して時計を探す。
壁に掛けられた時計は、7時丁度を示していた。
「確か…ミシェルに告白して…それから…それから…!!?」
そして彼は、何故自分がここで寝ているのか…自分がどういう経緯でベッドにいるのかをようやく思い出した。
となれば…彼はすぐさま部屋中を見回す。
すると案外簡単に見つかった。
「まったく……もういちいち驚く気力も無くなって来たぞ…」
拓也の視界の先には、自分のほうに身体を向けて、小さな寝息を立てる銀髪の美少女。
それも同じベッドの上。拓也は六枚羽と四枚羽の悪魔を思い浮かべて、呆れたように溜息を吐いた。
だが…今まで悪夢に魘されていたせいか、彼女の姿を見た拓也は何故か心の底から安心する。
そして気がつけばそっと手を伸ばして、彼女の頭を優しく撫でていた。
「……ミシェルだけは…絶対に失わない。俺が護ってみせる」
優しく微笑みながらも、強い決意が宿った瞳。
今度こそ…。一度目は自分の家族を失い、二度目は祖父母を失い…。
目の前で眠るミシェルを見つめる拓也。彼女は彼にとって初めてできた、彼にとってとても愛おしい人。
だから…今度は絶対に失わない。拓也はそう強く自分に誓うのだった。
「というかミシェルの髪……めっちゃサラサラで気持ち良いな……」
そしてそんな思考も程々に、彼はすぐさま劣情に駆られた。
銀色の絹のような手触りのその髪。掬うように手を潜り込ませ、持ち上げてみると、指の間をスルスルと抜け、まるで降り積もる雪のように彼女の頬に掛かる。
すると、髪を落とした影響で空気が動き、ふわり…と、拓也の鼻をフローラルな良い香りが擽った。
その主張しすぎず、且つその存在を消していない匂いに、拓也は思わず血圧が上がるのを感じ、咄嗟に鼻下に触れる。
「血は…出てないな……」
安堵した拓也は、溜息を吐くと同時に新たな欲が芽生えてしまった。
ー…きっと髪の毛自体は…もっと良い匂いがするのかなぁ…-
仕方がない。彼も男の子なのだ。
…湧き上がる欲望。高鳴る鼓動。喉をゴクリと鳴らし、拓也はそっと顔を近づける…が
「……ダメ…だろ…。許可もないのにこんなことしたら俺はただの変態じゃねぇか」
いや許可があっても変態だろうと、もしこの場にセラフィム辺りが居ればツッコンでいたのだろう。
しかしその場合、彼は『変態ではない。変態紳士である』と反論することは目に見えている。
つまり無駄な言い争いが起きるということなのだ。
「で、でも…ミシェルはキスしてもいいって言ってたし…」
自分に言い訳するようにそう呟く拓也。きっと今、彼の中では天使と悪魔が戦っているのだろう。
頬を少しだけ朱に染めた彼は、彼女の髪に伸ばしていないほうの手で、上気した自分の頬を鷲掴みにしてみた。
だが生憎、その程度で興奮は冷めない。
「それに……俺、一応ミシェルの…か、彼氏だし…」
自分で呟いた言葉に照れて、より一層頬を上気させる拓也。
そして…
「ちょ、ちょっとくらい…いい…よね?」
結局、悪魔が天使に勝ってしまったようだ。
自分の中に残った僅かな天使の意思が誰に尋ねるでもない疑問符として現れているが、そんなものは最早関係はない。
悪魔が支配する拓也は、ミシェルの髪にそっと自分の顔を近づけた。
恐る恐る鼻先を、銀色の絹糸に近づけ…匂いを嗅ぐ。
一層濃厚になったフローラルな香りに加え、女性特有のホルモンの影響だろうか?ミシェル自身の甘いような匂いもほんのりと香る。
想像した通り…いや、それ以上のいい香りに包まれ、拓也の脳内回線は焼き切れた。
そして同時に理解する。自分が匂いフェチでもあるということを。
ミシェルが眠っていることをいいことに、心置きなく彼女の匂いを堪能する拓也。
すると次の瞬間、急に鼻の中に鉄の香りが広がり、ミシェルの匂いを掻き消した。
ー…クソ!毛細血管が何本か逝きやがったッ!!…ー
こういうときだけ…拓也は歯を噛み締める。何故こんな時に限って、自分の身体はこんなにも脆いのだ…と。
しかしそんなことを考えている場合ではない。このままではミシェルの綺麗な髪に、血を垂らしてしまう。
拓也は彼女の匂いを惜しみながらも、仕方なく顔を離した。
「……///」
そして彼の目に映るのは、顔を真っ赤に上気させ、蒼色の瞳を潤ませる…ミシェルの姿。
刹那、拓也は信じられないようなものを見る目をして硬直した。
しかし止まっているのは外的な動きだけ。彼の脳は、全知全能の神も真っ青になるほどの速度で回転する。
「ち、違うミシェルッ!!これは…あれだ!!宇宙の法則に基づいた人間科学の新たな可能性を見出すための最新の実験であって決して俺がミシェルの匂いを嗅ぎたいなどという自らの欲望に負けたわけでは断じてなんだぞッ!!」
早口で捲くし立てるようにそう言った拓也。
まぁ…そう言ったはいいが、どう考えても欲望に負けた結果の行動に対する言い訳。
これには全知全能の神も思わず嘲笑である。
ミシェルは彼の丸分かりの言い訳に、恥ずかしそうに毛布で鼻まで隠しながら呟いた。
「…変態」
「ッぐ……」
潤んだ目に、少し震えた声。いつものSっ気など全く無い、まるで怯えた小動物のように加虐心を煽る彼女のその仕草に、拓也は興奮を隠しきれずに鼻血をツーッと流す。
慌ててティッシュで鼻をカバーすると、拓也は口を開く。
「ご、ごめん…あまりにも…いい匂いがしたから…つい…」
彼女に怖がられたことで、拓也も少し落ち込んでそう呟いた。
ミシェルは未だ、毛布に隠れるようにしながら彼のその様子を窺っている。
なんとかして彼女に理解してもらいたいと願う拓也…しかし理解してもらったところで、自分が変態なことには違いないという結論に行きつき、ガックリと肩を落とす。
すると拓也のそんな動作がおかしかったのか、ミシェルが少しだけ声を漏らして微笑んだ。
「もう…やれやれですよ……匂いを嗅がれるのってかなり恥ずかしいんですからね?」
「だって…良い匂いが…」
「だ、だから…もうやめてください///」
しょんぼりとしてそう呟く拓也の傍らで、ミシェルは恥ずかしそうに身を捩りながらシーツをギュッと掴んで羞恥の感情を誤魔化す。
そしてお互いが何も言葉を発さなくなり、生まれる沈黙。
その沈黙の中で、拓也はなんの気なしに窓の方へ視線を移動させた。
レースのカーテンから透けて見える夜空は、雲一つ無い。
その真ん中…黒色を含んだ深い青色の背景に、まるでポッカリと穴が開いているかのように真ん丸の月が銀色の輝きを放っている。
そして宵闇を照らすその輝きは、レースのカーテンをすり抜け、部屋全体にこの世と隔離されたような幻想的な雰囲気を醸し出した。
思わず見入ってしまうその光景。すると拓也が、外の月を見上げながらポツリと…しかし、ミシェルにはっきり聞こえるように呟く。
「ミシェル……やっぱり命を狙われるのは…怖いか?」
それは彼女への問いかけ。
その問いに、ミシェルは少し考えるようにしてから答えた。
「…………えぇ、怖いですよ」
「…そうか」
少し落ち込んだように声のトーンを落とし、目を伏せる拓也。
仕方がない。それは自分の力が足りないからだ…。彼はそう考え、より一層強くなろうと新たに誓う。
「でも…」
しかし…ミシェルは拓也のその考えを否定するように笑顔を浮かべると、彼の脇から手を回し、彼の手を後ろからそっと握り、口を開いた。
「確かに怖いですけど…拓也さんが一緒に居てくれるなら…全然平気です」
驚いたように振り返る拓也。彼の視界には、微笑む彼女が映る。
「これからは、神に狙われている私ではなく…一人の女性として……あなたの恋人として私を護ってください」
ミシェルは頬を朱に染めながらも、クールに微笑んだままそう言った。
「もう一人で抱え込む必要はありませんよ、これからは一緒に強くなりましょう。それは戦いでの強さだけではありません。
戦いにおいて…拓也さん、あなたはもう十分に強いです。そしてオーディンまで倒して、『護る』という私との約束を守りました。
拓也さんが天界でどんな修行を積んできたのか…。ラファエルさんやセラフィムさんからよく聞いています。その血みどろな内容に、聞いていて思わず絶句しました。
それに…いつも余裕綽々の拓也さんですら、今でも毎日の鍛錬を欠かさないことも知っています。
だから…これ以上自分を痛めつけて強くなろうとするのは止めてください。
これからは二人で色々なことをしましょう。そうすれば…二人ならば、きっと私達はもっと強くなれます」
優しく…しかしちょっとだけ怒ったように、自分の考えをそう語り聞かせたミシェルは、話し終えると拓也から視線を外し、照れたようにそっぽを向いた。
まるで…自分の心の中が読まれたようなその発言に、拓也は驚きのあまり、声を出して笑ってしまう。
そしてまだ結構痛む腕にゆっくりと力を込めて、片手を彼女の頭の上にポンと乗せた。
「ハハハ、お見通しだな…分かったよ、ミシェルが心配するような無茶はしない。約束するよ。
だけど…」
そこで言葉を切ると、彼が滅多に見せることのないキリッとした真剣な表情を浮かべ、声のトーンも少し下げてもう一度再開する。
「だけど…逃がした以上、あいつは…オーディンは必ずまたやってくる。
そして今回の戦力で勝てなかったことが分かったアイツら神共は、次はもっと大きな戦力で来るだろう。だから…俺はミシェルを護るという約束を守るためにはもっと強くなる必要がある」
その真剣な表情は、真剣勝負の時のみに見せるモノ…。ミシェルはそんな表情を見せた彼が、どこか遠くへ行ってしまうような気がして…悲しそうに目を伏せた。こんな時に限って、何をどういえばいいのかが分からない。
するとそんな彼女の様子を見ていた拓也は、また声を上げて笑った。
「おいおい、そんな心配そうな顔すんな。一緒に強くなろうって言ってくれたのはミシェルだろ?
俺はミシェルの為ならどこまでだって強くなれる。おまけにそれは苦痛じゃない、むしろ嬉しいんだ。
だから…これからは一緒に強くなろう。なぁに、俺とミシェルなら出来るさ」
月明かりで薄暗く照らされる彼の表情。
その表情は、ミシェルが今までに見たことのないほど穏やかな笑み。
そんな彼の表情に思わず見惚れ、彼女の視線は彼の顔に釘づけになった。
そして心の中で静かに呟く。自分が惚れた相手が彼で本当によかったと。
「そ、そうですか///そ、そうです!喉とか乾いてませんか?」
「え…まぁ乾いてるといえば乾いてるけど…」
「ちょ、ちょっと待っててくださいね///えっと…」
すると心の中で呟いたその言葉が恥ずかしくなったのか、慌ててそんなことを口にするミシェル。
キョロキョロと辺りを見回して、サイドテーブルの上の水差しを手に取ると、タオルの上に逆さにおいて乾燥させてあったコップを手に取って、急いで水を注いで拓也に差し出した。
「あ、ありがとう」
彼女のそんないきなりの行動に、拓也は少したじろぎながらそう礼を述べて差し出されたコップに手を伸ばす。
しかし…だいぶ良くなったとは言え、彼の体はまだ万全の状態ではない。
「あっ…」
うっかりと手を滑らせ、コップが宙を舞う。
中には注がれていた水は宙に放り出され、拓也の上半身をべったりと濡らした。
しまったと焦るミシェル。そうこうしている間に、シルクの寝間着には染みが広がって行く。
「ご、ごめんなさい!すぐに着替えないと…とりあえず脱いでください!」
「ッ!!傷口に…あぁッ!!?」
しかし彼女の呼びかけは彼に届かない。どうやらオーディンに突き刺され、切り裂かれた傷口はまだ完全に塞がっていないようで、今の水が傷口にダイレクトアタックを仕掛けてしまったのだろう。
痛みに顔を歪めた拓也はベッドに倒れ込む。
「ご、ごめんなさい!…あぁ、でも早くしないと……やむを得ませんから脱がしますよ!?」
ただでさえ弱っている今の拓也…このままでは風邪を引きかねない。
ミシェルは慌ててそう声を掛けると、拓也の返答を待たずして彼の寝間着の前のボタンに手を掛けた。
一つ一つ…彼に痛みを追わせないように慎重にボタンを外す。徐々に多くなる白と肌色の面積。
「下の包帯まで…本当にすみません………」
「いや……ミシェルのせいじゃないよ…」
そしてボタンを全て外し終わり、彼の腕を抜いて、上半身の寝間着を脱がし終わった。
するとミシェルはベッドから降り、テーブルの下の薬箱を持って戻ってくる。
「包帯、取り替えますね…」
その中から手際よく包帯を探し当てると、彼女はそれを持ったまま、拓也の背中にそっと手を回し、上半身を起こさせる。
そしてこれまた手際よく彼の濡れた包帯を外す。
「下のガーゼも濡れてますね…えっと…ガーゼは……ありました。しかし…いつ見ても凄い筋肉ですね」
「…ラファエルみたいなこと言わないでくれ……」
彼女が感心したように視線を向ける先は、拓也の上半身前面。バッキバキに割れた腹筋に、綺麗に鍛えられた胸筋。しかし彼女がそう言うと、拓也は何か恐ろしい過去を思い出したのか、顔を青くして身震いをした。
彼女はそんな彼の反応を面白そうに微笑んで流すと、傷口に当ててあるガーゼを外し、ひとまず包帯を巻くところの水分をタオルでふき取る。
下の傷は、まだ完治とはいかないがあらかた塞がっている。ミシェルは彼のそんな治癒力に驚きながらも、呆れた顔を見せた。
「ホント…メチャクチャな体してますね」
「本当だよな…俺は…俺はこんな体のせいで…仮病が使えないッ!!」
「バカなこと言わずにじっとしていてください。傷が開きますよ」
他愛も無い会話を交わしながら、ガーゼを取り換え、新しい包帯を巻き直す。
しかしまだ拓也の体や、ベッドの上に少し水が残ってしまっている。
そこで、ミシェルはタオルを手にして拓也の肌にそっと伸ばした。
「痛くないですか?」
「めっちゃ痛い」
「そ、それなら早く言ってくださいよ!!」
どうやら彼はやせ我慢していたようだ。しかし同時にもう限界に達していたようで、彼女の問いかけに素直にそう答えた。
ミシェルは慌てて拓也から手を離し、少しだけ怒ったようにそう言う。
「まぁ…少しなら我慢するから大丈夫だよ」
「ほ、本当ですか?」
「あぁ、俺は約束を破らない」
何故かキリットシタ表情と声でそう言う拓也。思わず頭をしばいてやろうかと思ったミシェルだったが、彼は怪我人。グッと堪えて、彼の正面に回り込み、もう一度タオルを持った手を伸ばす。
そしてタオルが触れ始め、しばらくすると。
「もう限界だぁぁッ!!!」
拓也がそう大絶叫しながらベッドへ背中から落下した。
「ちょ、ちょっとッ!!」
いきなりなくなる手が触れている感触。そして大声。ミシェルは驚いて、正座の状態で思い切り後ろへ仰け反る。
しかし……それが仇となった。
「っ!!?」
いきなり大きな動きをしたせいで、敷き布団とシーツの間の摩擦力をミシェルの動きが上回り、思い切り滑ってしまったのだ。
そして彼女は身体能力は高い方…咄嗟の判断でバランスを取ろうと上半身を前に戻す。
…そして。
「み、ミシェルちょっとストップゥッ!!!」
拓也の方へ…前のめりに倒れ込んだ。
ー…あぁ…何故だ……世界がスローに見える…-
次の瞬間、拓也は自分の体を襲うであろう激痛を予想した…が
予想と反して痛みは来なかった。
「あ、危なかったです…」
それは彼女のおかげ。ミシェルが咄嗟に拓也の両肩の横辺りにそれぞれ手を付いていたため、間一髪、拓也は命拾いしたのだ。
思わず取り替えた包帯の下にひんやりとした汗を掻く拓也は、とりあえず助かったということで安堵する。
しかし……彼は……彼女は………
「流石にちょっと強くやり過ぎたかな…」
「拓也さんの事ですからそろそろ目を覚ますと思いますよ。確かに怪我人に対してあの威力の………って……あらあら…あらあらあらあら」
「oh…fantastic!」
助かってなどいなかった…。
ノックも無しにいきなり部屋に入って来たセラフィムとラファエル。
彼らの登場に、ミシェルと拓也は何者かと視線をそちらへ向ける。
まるで三日月の様に裂ける天使二人の口。その姿はさながら悪魔。ミシェルは彼らのその反応の意味が分からないのか、きょとんと首を傾げている。
そして…拓也だけが…マズい状況になったと悟った。
「どうやら私たちはお・邪・魔しちゃったみたいですねぇ。セラフィムさん、野暮は止しましょう。行きますよ」
「御意」
踵を返し、ドアの方へ戻って行く二人。
するとその二人を、ミシェルが慌てて呼び止めた。
「ま、待ってください!拓也さんが痛がっているんです」
「そりゃあ…許容量を超えて血液を取り込んでパンパンに肥大したら痛いですからねぇ」
「ちょっと待てエエエエエエエエエエエッ!!!」
ー…何を…ナニを言おうとしてんのこの天使ッ!!?というかミシェルが理解してないじゃねぇかッ!!…ー
慌てて止めに入る拓也。ミシェルは彼がそう声を張った意味も分からず、まだ首を傾げて、ラファエルに至っては暴走を止める気配が無い。
「わ、私のせいで拓也さんが苦しがっているんです!どうにかできませんかラファエルさん!」
彼女のそんな意味深な言い方に、ラファエルは肩にポンと手を置き、グッドサインを作っていい笑顔で口を開いた。
「その苦しみから解き放ってあげるのも…彼女の役目ですよ?」
「で、でも…私のやり方が悪いから拓也さんが痛がるんです…」
「大丈夫ですよ、ミシェルさん。拓也さんは痛いぐらいが好みですから」
「ちょっと待てなんでお前が知ったように語ってるの!?そんなこと言った覚えは一度もねぇよッ!!」
完全にラファエルは分かって遊んでいる。なんという天使だろうか…。
ミシェルはまだ意味が分かっていないのか、すれ違いに気が付いていない。
「それになにより…まず最初はお互いの愛を確認し合うことが大切ですよ?」
「……え?」
「え?」
「いやお前は『え?』じゃねぇだろうがッ!!明らかに分かってやってただろッ!!!」
ツッコみ過ぎてさっき水分補給したばかりなのに、もう喉が渇いて来ている拓也。しかし案外被害は拡大しなくてよかったと心の底から喜ぶ。
するとミシェルは拓也の方を振り返って口を開く。
「拓也さん、愛を確認し合うってどういうことですか?体を拭くことに愛が関係しているんですか?」
「うんミシェル、君はとりあえず保健体育の授業をちゃんと受けようね」
「…?」
「…ごめんやっぱいいや……」
溜息を吐きながら呆れたようにそう発言する拓也だが、ミシェルは依然として首を傾げ、疑問符を浮かべている。
そして拓也はもう諦めたようにもう一度深い溜息を吐いた
「そ、それよりラファエルさん!拓也さんを…」
「はいはい、分かりましたよ」
ミシェルにそう頼まれたラファエルは、拓也にチラリと視線を向けて口角を吊り上げる。
拓也はやはり彼女は分かって遊んでいたと再認識し、ピキリとこめかみに青筋を立てた。
「ラファエル…お前ホントヤバいわ…」
体を拭かれながら、拓也が呆れた顔をしてそう呟く。
するとラファエルは面白そうに声を上げて笑い、拓也にしか聞こえないように囁いた。
「この国の性教育はあまり掘り下げて教えませんからねぇ…。ミシェルさんは恋愛ものの小説などは読まれないのですか?」
「……ミシェルは推理物が好きだな……」
「まぁ…調べたところによると、この国の年頃の女の子は、恋愛小説や官能小説なんかでそういった知識を得ますからねぇ。この世界の性教育というのはあくまで本当に基礎の基礎を教えるにすぎません」
「まじかよ国王最低だな」
軽く侮辱罪で独房にぶち込まれそうな事を軽々しく発言する拓也だが…考えても見て欲しい。国王は…あんなのだ。恐らく彼の前でそう発言しても、ただガッカリしてしばらく部屋から出て来なくなるだけだろう。
しかし…拓也は、今度、教育の方針についても定例会で提案しようと決意するのだった。
「だからつまり…今のミシェルさんなら…色々な間違った情報を刷り込み放題ってわけですよ…」
「…汚れた血め!」
完全にダークサイドに墜ちた表情でそう提案してくるラファエル。最早天使などというピュアで純粋な印象は皆無である。
拓也は彼女のそんな甘い誘いを、某オールバック嫌味小僧で打ち払い、新しい寝間着の袖に腕を通す。
ラファエルは拓也が誘いに乗らなかったことに少し面白くなさそうに眉を顰め、独りでにぼそぼそと呟いた。
「…そんなヘタレだからいつまで経っても童○なんですよ…」
「よし、流石に俺も怒ったわちょっと表出ろやラファエル…ッんあああああああッ!!!??!?」
純粋な怒りに身を任せてそう吐き捨て、立ち上がろうとする拓也だったが、煮えたぎる心とは裏腹に、あちこちガタが来ている体は言うことを聞いてくれず、それどころか大人しくしていろと言わんばかりに拓也に激痛を与えた。
それとついでに言っておくと、拓也に○貞は禁句である。
ラファエルは、そんな無様にベッドに倒れる彼を嘲笑うように見下ろす。
「…許さねぇ…ぜってぇ許さねぇからな……この借りはいつか返してやる…」
「ハハハ、まるでかませの雑魚キャラですね」
そんな談笑が繰り広げられ、賑やかになってきた室内。
セラフィムに至っては、皆が拓也に持ってきた見舞いの品の果物を勝手に食べ始めている。
他の面子は今頃何をしているのだろうか?拓也がそんなことを考え始めた時だった。
「ほっほっほ、どうやら無事なようじゃな」
部屋の中に、新たな人物の声が静かに響いた。
ミシェルにとってその声は聞き覚えは無いが、拓也とセラフィム、ラファエルは良く知っているその人物。
天使二人はいきなり体に電撃が走ったのかと疑うほどにビクリと震え、辺りを見回す。
二人のそんな取り乱し方に、ミシェルは何事かと慌てているが、その中で拓也だけが静かに笑っていた。そして何も無い部屋の隅を見つめ、笑いながら口を開く。
「クックック…おいじーさん、この有様で無事は無いだろう。こっちは危うく死ぬところだったんだぜ?」
「それはすまなかったの…じゃが……どうやらまた成長した様じゃな」
「あぁ……というか天使二人がアンタを探してるぜ?姿ぐらい見せたらどうだ?」
「ホッホッホ…それもそうじゃな」
拓也と会話するその声は、拓也の要求を承諾する。
すると…
「こうして直接会うのは久しぶりじゃな、鬼灯君」
「あぁ、一年ぶりくらいだっけ?」
拓也の視線の先…部屋の隅の壁にもたれ掛るようにして、その声の主は煙のように徐々に正体を現した。
威厳のある顔つきに、立派な白髭を蓄え、木製の杖を地面に付いて現れたいかにも神々しい雰囲気を溢れださせる老人。
「そ、創造神様!?何故あなた様がわざわざ下界へ!?」
そう、この老人こそ『創造神』その人である。
今までのふざけた態度はどこへやら…セラフィムとラファエルはすぐさまじーさんに向かって跪く。
ミシェルは完全に意味が分からず固まってしまっている。
「なに、鬼灯君のお見舞いじゃよ。ほれ、果物の詰め合わせじゃ。好きじゃろう?」
「オレンジとグレープフルーツは?」
「もちろん入っておるぞ」
「ならばよし」
そんな冗談も飛ばし、まるで友人にでもあったような態度で接する拓也にミシェルは更に困惑する。
すると拓也がそれに気が付いたのか、彼女に説明をするため、口を開いた。
「ミシェル、この人が創造神。神の頂点に君臨する存在で、俺をこの世界へ送った張本人だ」
創造神。神話に出てくる万物を創造したと言われる神。
そんないきなりの大物の登場。それもこんなにフランクな態度に、ミシェルは閉口して固まった。
「まぁ正確には人じゃなくて神じゃがな」
「そうだった」
二人はそんなミシェルを置き去りにして楽しく、談笑を交わす。
ミシェルの後ろではセラフィムとラファエルが未だに跪いていた。
するとそれが煩わしかったのか、じーさんは軽く手で彼らに、顔を上げろとサインを送る。セラフィムたちはそれに呼応するようにゆっくりと顔を上げ、立ち上がった。
「時に鬼灯君、オーディンと一戦交えたと聞いたのじゃが……」
「おん、ボッコボコにして追い返したぞ」
「よく勝てたのぉ…その報告を聞いたときに…ぶっちゃけると、負けるかも~と思ったのじゃ。
明らかに今の鬼灯君より彼の方が強いと見ていたのじゃが…」
「…まぁ…確かにそうだな」
拓也のそんな返答に、意外そうな顔をするじーさん。
すると彼のその表情から、心情まで読み取ったのか拓也がニヤリと笑みを浮かべた。
そして首を傾げているミシェルに視線を向けて、口を開く。
「だが俺は…アイツとは背負っているモノの”重さ”が違う」
彼が戦った理由。それは…自分の大切なモノを全部まとめて護るため。
確かにこれは拓也の独りよがりなのかもしれない。人間とは多くを望む者。だが…それはオーディンのように完全な自分の為だけにしていることではない。
…結果、彼は自分の大切なモノを護りきり、周りも拓也の生還を喜んだ。
こうして喜びを分かち合える…それも人間。
すると、じーさんは白い髭の先を指先で弄り、穏やかな笑みを浮かべた。
「ほっほっほ、また一つ…”成長”したようじゃな」
「人間とは、どこまででも成長していく”可能性”を秘めた存在。昔はよくアンタに言われたっけな」
そんな傍から聞いたら意味不明な会話を繰り広げ、ケタケタと笑い声を上げる拓也とじーさん。
ミシェルは相変わらず首を傾げている。
「いやぁ、ホント。こうしてると昔を思い出すなぁ。
初対面でいきなり杖で顔ぶん殴られ、いきなり異世界へ行って来いだの言われて…。
それで承諾したらとんでもない期間修行させられるわ、セラフィムは当たりがキツイし、ウリエルは何考えてるか分かんねぇし、ガブリエルはインテリでたまに謎の超理論を持ち出してくるし、ラファエルはたまに怖いし、ミカエルは殆ど合わないしなんか紳士だし……」
「ホホ、それはすまないことをしたのぉ。後悔しておるか?」
昔を懐かしむような表情を顔に浮かべ、地味な嫌味を呟いていく拓也。
じーさんは彼のその発言を、苦笑いを浮かべて聞いていると、軽く笑って含みのある言い方でそんなことを拓也に尋ねた。
「いや全然。なんてったって……」
そこでいったん言葉を切ると、拓也はじっとミシェルの方を見つめる。
その視線に気が付いたミシェルは、その眼差しに含まれる意味を理解できずまた首を傾げて見せた。
すると拓也は彼女のそんな反応がおかしかったのか、クスッと笑うと、窓の方の虚空を見上げながら言葉を紡ぐ。
「ミシェルに会えた。それだけでこの世界に来て…本当に良かった」
恥ずかしげも無く言い切ったその言葉。セラフィムとラファエルは顔を見合わせ嫌みなく微笑み、じーさんも愉快そうにひとしきり笑って笑みを浮かべた。
一瞬彼が何を言ったのか理解が出来なかったのか、ミシェルはボーっと呆けていたが、その言葉を理解した瞬間、時間差で顔面から煙を吹き出すのではないかというほど、思い切り赤面した。
「………な……はぁぁ!?///い、いきなり何を…///」
「本当のことだ。…もしミシェルに会ってなかったら、今の俺は居なかっただろうし、自分の命と引き換えにしても…心の底から護りたいと思えるミシェルが居なかったら、俺は恐らくオーディンにも負けていた。本当に感謝しているんだ、俺と出会ってくれて…ありがとう」
「な、な~ッ!!…………は…はぃ///」
心の内を曝け出す拓也。その言葉に偽りは無い。
しかし何故恥ずかしげも無くそんなことを言えるのだとミシェルはパニックになった頭の片隅で考え、思わず少ってやりたくなったが…
優しく、穏やかな笑みを浮かべる彼の顔を見ていると、口が自然にそう呟いてしまったのだった。
「ほっほっほっほ、仲が良さそうで何よりじゃわい」
まるで孫を見守る祖父のような優しい表情でそう言うじーさん。
拓也は嫌味の無い笑みをミシェルへ向け、ミシェルは真っ赤に赤面して俯いた。
「それと…話は変わるんじゃが……」
すると、じーさんがいきなり真剣な顔つきに変わる。
その表情から只事ではないと察する拓也は、緩んだ表情筋を引き締めた。
ミシェルは、じーさんのその発言から、また彼が危ないことに巻き込まれるのではないかと不安を表情に浮かべ、セラフィムとラファエルは全く動じずに静かに立っている。
そして皆の注目がじーさん一人に集まると…じーさんは満を持してその口を開く。
「鬼灯君、君は気が付いたかね?ワシが君を試していたということに」
その口から紡がれた事実。
それは、セラフィムやラファエルですら知らされていなかったことなのか、彼らも驚きを隠せず目を見開く。
対してミシェルは、危険な話ではなかったことに安堵しつつも、自分には理解できないその話の内容にまた首を傾げる結果になってしまった。
「試す?…いや、そんなこと気が付かなかったけど…なに?俺試されてたの?」
「ほほほ、その様子ではどうやら気が付いていなかったようじゃな」
これという思い当たる節はなかったのか、拓也はきょとんと首を傾げる。
じーさんはまた面白そうに笑いながら髭を指で弄ぶ。
「わしが鬼灯君に渡した『創造』の能力じゃよ。君は実に見事じゃった。
いいか?このことは他言無用じゃ…」
じーさんは威厳のある顔つきをさらに濃くして、そう厳重に言いつける。
そして…世界の核心に触れた…。
「人間とは…いや、この世に生きる生物全ては…わしが創り出した、神を選出するシステムなのじゃ」
一同は思わず絶句した。
体の動きは停止するが、思考だけは恐ろしい速度で巡る。しかし理解できていても、理解できない。そんな矛盾が頭の中を駆け巡った。
静寂が漂う部屋の中、じーさんは続ける。
「世界の始まり…空間、時、温度…ありとあらゆる概念の存在しない、空間とも呼べない場所にわしは居た。いつからそこに居たとも分からない。何故自分がここに存在しているのかも分からない。
そして何の概念も存在しない世界に、何故わしが存在できていたのか。それはわしが”全”だったからじゃ」
世界の始まり…いつ始まったのかも分からないこの世界…ひいては異世界を含めた全世界の歴史の根底へ向かうその話。
一同は何も言葉を挟まず、静かにその話に聞き入る。
「わしは寂しかった。独りぼっちじゃった。だから…まずは語り合える友が欲しかったのじゃ。そこでわしはわし以外が存在できるよう、今の世界のベースとなるモノを作り出し、自分の力を取り出して”最初の神”を生み出し、それぞれに世界を構成する要素・概念を司らせたのじゃ。
空間・時・魔力・海・空・大地…など…それぞれを司った”最初の神”…彼らは”原初神”
彼らの持つ力は、この世界を構成する最重要の要素。それからわしは、彼らと意見を交わし合い、より世界を賑やかにして行くため、より細かい要素を創り出していった。
そしてその細かい要素を司らせたのが”神”じゃ。そしてそのアシストをしてもらおうと創ったのが”天使”」
遥か昔の思い出を懐かしそうに語りながら、じーさんはニコリと微笑みを浮かべ、近くの椅子に腰かけた。
そして一度俯くと次の瞬間、真剣で少しの恐怖を覚えるような表情を顔に張り付け、過去を悔やむように苦々しい表情も浮かべて話を続ける。
「しかし…あまり強い力を持たない彼らは……お互いに潰し合い…結果として消滅する神もいた。
わしは悲しかった。皆で明るい世界にしようとしたはずなのに、どうして仲間同士で…とな。
そしていい案も浮かばず、そんな時代が数百年程続いた頃だった。原初神たちと話している時にふと思いついたのじゃ。
いきなり神を作り出すのではなく、神を作る前に、より良い人材を絞り込めばいい…とな。
そうして生み出されたのが…人間を始めとする、ありとあらゆる生物の祖先。わしはその”生物の祖先”を、天界とは別の場所に放った。それがこの下界じゃ」
人間に込められた”意味”
自分たちの”存在理由”
それを今、この場で知らしめられた…人間の、拓也とミシェル。
彼らの顔には揃って驚愕が浮かんでいた。
無理もない。人間の…生物の…世界の”真理”を知ってしまったのだから。
「じゃが…それは神たちの反感を買うことになってしもうた。
ただでさえ強くない力の自分たちを超えられるのが、何より嫌で、怖かったのじゃろう。
そうこうしている間にも、生物は様々な進化を遂げ…あるモノは海、あるモノは陸、そしてまたあるモノは空へ。
そして遂にその時は訪れた!ミシェル=ヴァロアという人物が、神になる資格があるということが原初神たちとの観察と話し合いで結論付けられたのじゃ。
わしは嬉しさのあまりついつい浮かれてしまっていた。そうしたら…神たちにそれが知られてしまった…そして一部の神たちは、そのミシェル=ヴァロアを殺そうと言い始めた。
わしと原初神たちは考えた。自分たちが出ていって捻じ伏せる事も出来る。しかしそれをしてしまえば、神たちは自分たちへの不信感を募らせるかもしれないということになってのぉ…。
そこで…わしたちは進化した人間が…生物が持つ無限の可能性に掛けることにした。
そして社会的な理由もあって、同じ種族…人間から選ばれたのが…鬼灯拓也君…君じゃ」
じっと拓也を見つめてそう発言したじーさん。
拓也は無言でゆっくりと頷き、理解したという意思を示した。
「鬼灯君、君は素晴らしかった。何度も死ぬより辛いような修行に耐え抜き、顔も名前も知らない他者を護るためだけにここまで強くなったのじゃからな。
するとじゃな…実はのぉ鬼灯君、君にも神になる資格があることが判明したのじゃ」
唐突なカミングアウト。拓也しばらくのフリーズの後、精一杯目を見開きながら心の底から叫んだ。
「…………………………はぁッ!!?!?!?」
意味が分からない。その一言に尽きる。
ミシェルもセラフィムもラファエルも、じーさんのその発言に驚愕し、信じられないようなモノを見るような目で拓也を見つめた。
しかしじーさんは、彼らのその視線から逃げるように、拓也から体の正面を逸らし、天井を軽く見上げるように続けた。
「詳しくは言えないんじゃが…鬼灯君は修行をしている最中に、その資格があることが分かった。しかし君は体の劣化を一時的に止めていた特異な存在。そこでわしはもう一つ課題を出すことにした」
そこで拓也はこの中の誰よりも早く、理解をした。
今まで死ぬほど辛い修行に耐え抜き、強大な”力”を手に入れた自分に…何故”力”そのものを与えられたのか。
ジョニーやローブのような、自分の力を補助するようなモノを与えられるのならまだわかる。しかし…じーさんは『創造』という、規格外の力を自分に与えた。
そして先程の、試していたという言葉…。
それが指し示す意味…
「なるほど…創造。確かに言われてみればおかしいわ」
「ほっほっほ…気が付いたようじゃな。その通り。鬼灯君が『創造』の力を私利私欲のために使い始めようものなら…」
忠誠を誓っているセラフィムたちでさえ思わずゾッとする表情で拓也を一瞥すると、また少しだけ面白そうに微笑んだ。
拓也も冗談を言うようにその言葉に反応して、にやりと口角を釣り上げて口を開く。
「リセットされてた…的な?」
「いや、デリートじゃ」
「…」
この爺…たまに恐ろしいことを言う。彼のにこやかな笑顔の裏に潜むモノに軽い戦慄を覚えた拓也は、もうこの人の前で迂闊なことを言うのは止めようと心に固く誓うのだった。
「それでは話を続ける。
そして資格のある者たちには、神たちが司っている力が徐々に移って行く。しかし…移って行くはずの力を持つ神が消滅していた場合。徐々に移るはずの力は、一気に資格を持つものに移る。それがミシェル=ヴァロア君。君という訳じゃ。不幸なことに君に移るはずだった力を持つ神は、既に消滅しまっておっての…」
「そ、そうなんですか……悲しいですね…」
「あぁ…だからミシェル君にはその若さで、神の力が宿ったのじゃ」
「まぁ…力を移すには、原初神たちとの厳密な審議の後、その力保有する神に通告する必要はあるのじゃがな…消滅してしまっていては仕方があるまい」
ミシェルにそう告げ、じーさんはまた一つ思い出したように付け加える。
するとその発言を聞いていた拓也が、顔を伏せながら静かに…しかしハッキリと呟いた。
「じーさん。俺…俺は神になりたくないし、ミシェルにも神になって欲しくない」
「………君ならそう言ってくると思っておったよ。一応理由を聞かせてもらってもよいかな?」
背中からゆっくりとベッドに倒れ込んだ拓也は、脇に座っているミシェルの手をそっと掴み、頭まで毛布に埋まった。
そしてしばらくすると、ぼそぼそと毛布の中で口を開く。
「人間は…無限の可能性を持つ生物。俺はミシェルと一緒に強くなるって約束した。だから…成長出来ない神になって、その約束を破るわけにはいかない」
ついさっきしたばかりの約束。ミシェルは彼の絶対に約束を破らないという義理堅さに感心し、笑顔を浮かべる。
しかしかれがそう言う理由がちゃんと分かっている他三名は、ニッコリと含みのある笑み浮かべた。
「(ミシェルちゃんと一緒に居たいだけだな)」
「(ミシェルさんと一緒に居たいだけですね)」
「(ホッホッホ、純愛じゃのぉ)」
拓也の腹の中は全て暴かれてしまっているのだった…。
だが…彼のその不安を払拭するように、じーさんはニコニコ微笑みながら拓也が包まる毛布の上からポンと手を置いて優しく語り掛ける。
「安心しなさい、鬼灯君。人間から神になる場合は、人間としての特性に、神の力が+されるだけじゃ」
その言葉に反応するように一瞬びくっと震えた拓也。しかしじーさんの思ったように彼は毛布から顔を出さなかった。
そしてまた毛布に包まったまま声を発する。
「でも…人間として、ミシェルと生きていきたい……」
「「「(結局本音が漏れたか…)」」」
するとじーさんは髭を触りながら考え込むような仕草をし、黙り込む。
しばらくして決心した様に一つ頷くと、拓也がくるまっている毛布を無理矢理剥ぎ取った。
「うむ、分かった。鬼灯君、君には世話になっているからのぉ…君達二人の神格化は、人間としての寿命を終えるまでわしが引き延ばそう」
「……え!?マジでッ!!?」
「マジじゃ」
いきなり元気になった拓也はベッドから飛び起きながらそう叫ぶが、まだ体は治っていない。激痛により、再びベッドへダイブする結果になる。
そんな光景を微笑ましく見守るじーさんは、詳しい説明を始めた。
「しかし力は移行していく。…鬼灯君を見たある神が、君に力を譲ると他の原初神たちが引き留めるのも聞かずに半ば強引に神を辞めてしまったのじゃ。
だから、わしが止められるのはあくまで人間の寿命を終えるまで人間で居させることだけじゃ。そこは了承してもらいたい」
「あ、あぁ!俺は全然それでいい!!」
「ミシェルさんはどうかの?」
「それが…神になることが人間の生まれた理由なら…私は逆らいません。もう力も貰っちゃっているみたいですし」
ミシェルも拓也の手をそっと握り返しながら、覚悟を決めたようにそう宣言した。
じーさんは二人の承諾を得ると、笑顔のまま表情を引き締め、手にしている杖を一度床へトン!と付いて口を開く。
「よし…決まりじゃ!!君達二人には働いてもらうぞ!」
その宣言に、拓也とミシェルは顔を見合わせ微笑み、セラフィムとラファエルは一安心した様に胸を撫で下ろしている。
こうして…彼らは知った。人間の存在理由を。
それは自分たちが道具のようなモノなのかもしれないと思ってしまうかもしれないが、それは違う。
だから…それをちゃんと理解している拓也とミシェルは断らなかったのだ。
「…ん?ちょっと待ってじーさん。『他の原初神たち』?」
「…………しまった」
「ってことは…まさか…」
何かの違和感に感付いた拓也が、そう尋ねる。するとじーさんはマズいという表情を隠しもせず浮かべ、拓也は自分の中で今の違和感から生まれた疑問が、正しいと確信した。
そしてじーさんは諦めたように語り出す。
「あぁ…君に力を譲ると言い出し、隠居したのは…原初神が一柱。時間と空間を司る原初神
《時空神クロノス》じゃ」
ここにページを追加
ここに章を追加
1021ページ
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画像
削除
拓也はもう驚いた顔が出来なかった。
表情筋は最早言うことを聞かず、そんなとんでもないことをいきなり聞かされ、溜息しか出ない。
ー…時間と空間の神とか……一体俺は何処へ向かってるんだ……-
声に出す気力も無く、内心でそう呟いてもう一度深いため息を吐く拓也。ミシェルがそんな彼を心配そうにあわあわしているが、拓也にはそちらを気にしている余裕などない。
「このことは絶対に他言無用じゃぞ?原初神たちとの取り決めで、神になってからしか教えてはいかんことになっておるのじゃ…」
「…ハァ~……分かったよ。時空神ねぇ…その内歴史を丸ごと変えれちゃったりして―」
「…………」
「え、マジで…」
ーだめだ…規格外すぎて使いこなせる自信が無い…-
下手をすれば世界そのものをぶっ壊しかねないその力。拓也はそこはかとなく恐ろしくなるが、そういっていても仕方がない。
拓也は半ば諦めたように、自分の定めを受け入れた。
するとじーさんは重い腰をゆっくりと椅子から上げ、立ち上がる。
「では伝えることは伝えたぞい。わしは天界へ戻るとしよう。
それでは…またいずれ会おう、鬼灯君、ミシェル君」
「はい。今日はありがとうございました」
「…精々ぎっくり腰には気を付けてな」
「ホッホッホ、わしはまだまだ現役じゃ!」
「日本には年寄りの冷や水って言葉があってだな…ってもう居ねぇし」
軽いジョークを飛ばしたのに、既にじーさんの姿はもうそこにはなかった。
どうやら天界へ帰って行ったようである。おまけにセラフィムとラファエルも居ない。恐らく同伴していったのだろう。
ミシェルと二人きりになった部屋の中。先程までの二人きりの空間とは違い、今は灯りが付けられたことでお互いの表情は良く伺える。
その中で、拓也はベッドの傍の椅子に座るミシェルを見つめて口を開いた。
「これからも…よろしくな」
一言。
しかしミシェルはそのたった一言の彼の言葉に、ニコリと微笑みを浮かべて、自身もたった一言で返した。
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
こうして二人の日常は流れて行くのだろう。
それは傍から見れば、非日常なのかもしれない。
しかし…それはこの二人にとって、かけがえのない日常であり、大好きな人と共有する大切な時間なのだ。




