佐藤翔子の困惑
「あー、学校おわったぁー!」
そう田中さんが叫んだのはホームルームが終わったすぐのことだった。
「でも相変わらずの宿題の量だけどね」
そう言って私は夏休みの宿題である、カバンに詰まったテキストの山を見せた。
「大丈夫ー。答え写しながらやるから」
「うわっ、外道なことをやる気満々で宣言する人がここにいるっ!」
「別にいいじゃん、バレないようにやればー」
全く悪びれる様子も無く、田中さんはそう言い切った。
「で、佐藤さん。次の週末さ、プール行かない?」
「プール?」
「うん。実はお父さんがお得意先のおじさんから優待券もらっちゃってさー」
そう言いながら田中さんがカバンから4枚のチケットを取り出した。
「はい、佐藤さんの分」
まだ行くと言ってないのに、田中さんは私にチケットを渡した。私は少し努力して笑顔になった。
「あ、ありがとうー。で、何時に集まるの?」
「そこは後でLINEで相談ね、グループ作っとくから。で……水着だけど。去年みたいな競泳水着は禁止ね」
「え?」
私は思わず固まってしまった。
「な、なんでよ」
「だって、そのボンキュッボンボディを競泳水着なんかで隠すなんて全世界に対する損失よ?」
そう断言して田中さんは私の胸を指差した。
「そ、そこまで言う?」
「言うわよ」
「…………」
助けを求めて周りを見回すと、他の子も田中さんの意見に賛成するように首をコクコクと上下に動かしていた。
……どうやらここに私と同意見の人はいないようだ……。
ーーー
数時間後、私は蒸し暑い中、近くのショッピングモールにむかって歩いていた。
「はぁ……なんでこうなるかなぁ」
LINEでの最初の議題はなぜか日時ではなく、私が着てくる水着の種類だった。
戸惑いつつ私は露出少なめのワンピースタイプの物を希望したが、他の人達は満場一致でビキニタイプを推した。
多数決で私の意見は押し切られ、私はビキニの水着をわざわざ買いに行く羽目になったのだった。しかも買った水着は後で写真を撮ってLINEにアップするように注文をつけられた。
「おい、見ろよあの子……!」
「うわっ、可愛いじゃん……」
「しかも胸デッケェし……」
コンビニの横を通りかかると、その前にたむろしている男子達がこちらを見ると顔を赤らめ、すぐにコソコソ話を始めた。全然コソコソになってないけど。
「……こっちの苦労も知らないで……」
肩はこるわ、好きな服は着れないわ、こうやって変な目で見られるわ、胸が小さめな人からは嫉妬と羨望の混じったジトッとした目で見られるわ、胸が大きくたって良いことなんて何もない。私は無駄に大きい自分の胸を恨めしく見つめながら歩を進めた。
そこそこいい値段のする水着を買った私は交番の前で立ち止まった。
「……錦戸さん」
掲示板には最近立て続けに起きている誘拐事件の被害者の写真が掲示され、情報提供を求めていた。その中には錦戸さんの写真もあった。
田中さんの友達の友達が誘拐されたと聞いて、絶対捕まえてやる、と意気込んでいた錦戸さん。しかしその結果は彼女も誘拐される、という最悪の結果に終わった。
事件現場と見られる場所ではバッグと靴と靴下、破れたパンツ、そして爬虫類の物と見られる鱗が数枚見つかったそうだ。田中さんの友達の友達の事件が起きた場所とそこまで離れてないことや、人間ではない生物の一部分が落ちていること、また被害者の衣服が一部残されていることなど類似する点が多いため、同一人物の犯行として捜査されている。
「……元気にしてるといいな」
私は錦戸さん達の無事を祈りつつその場から離れた。
ーーー
近道をしようと公園を突っ切っている中、佐藤はある違和感を感じていた。
(人の姿が無い……)
いつもだったら犬の散歩をしているおじさんや遊具で遊んでいる子供達とかがいるはずなのに、なぜか今日は誰も見当たらなかったのだ。
「……早く帰ろ」
佐藤はその状況になんとも言えない不気味さを感じて、歩調を早めようとした。
その時だった。
「もしもしお嬢さん? そんな怖い顔をしてどうしたんですか?」
「え?」
振り返るとそこには白衣を身にまとった男が立っていた。
「……何ですか?」
「フフフ……。人の姿が見えないから不安になっていたんじゃないですか?」
佐藤は思ってたことをズバリ当てられて答えに詰まった。
「……図星のようですね?」
そう言うと男は笑顔を浮かべながら懐から白い液体の入った注射器を取り出した。
「君は本当に運が良い。なぜなら僕の作った新しい薬を最初に体に入れることが出来るのだからね」
男が針の先についていたゴム片をはずすと、軽くシリンダーを押して液体を吹き出させた。佐藤はその様子を見て、本能的にあの男の人は危険だと、関わってはいけない人だと感じ、慌ててその場から逃げ出した。
「はぁ、はぁっ……!」
佐藤は一心不乱に誰もいない公園を走った。そしてもうすぐ出口が見える……という所でその近くに誰かが立っているのが見つけた。
「あ、あ……」
その人物の顔が街灯に照らされた瞬間、佐藤は思わずその場にへたり込んでしまった。
「ははは……元気だねぇ? ま、実験動物はそれくらい元気じゃないといけないんだけど」
さっきの注射器をくるくると回しながら男が近づいてくる。佐藤は必死に手を動かして後ろに下がったが簡単に追いつかれた。
男は佐藤の体を押し倒すと、首筋に注射器を突き刺した。
「はーい、動かないでー。動いたら死んじゃうよー」
男が気軽そうに言った声は佐藤の体を縛り付けるように固まらせた。その間に男はシリンダーを押し続け、佐藤の体の中に液体全部を注入した。
「さぁ、君は何に変身するかな?」
「へ、変身……?」
男が離れたことで体の自由を取り戻した佐藤は再び逃げようと立ち上がった。
「さぁ、僕の新しい薬の性能を見せてくれ」
「な、何を……」
言ってるの、と言いかけた瞬間、佐藤の胸が風船が割れるように突如として消滅した。
「え、な、何これ!?」
体の異変に気づいた佐藤は何の膨らみも無くなった胸を触った。その様子を見て男はニヤニヤと笑みを浮かべながら見ていた。
「な、何ニヤニヤしながら見てるのよ!」
「ん? いや、いつもだったらもうすぐ次の変化が現れる頃だなー、って」
男のその言葉を合図にしたかのごとく、スカートのホックがブチっという音をたてて破れるとそこからバレーボール並みの大きさの肉塊が現れた。
「き、きゃぁぁぁぁ!!」
佐藤の悲鳴をバックに肉塊はさらに服を破りつつ巨大化していくと、次第に牧場でよく見るあの動物の乳房の形へと変わっていった。それを見た男は感心したように首を軽く縦に振りながら言った。
「大きいねぇ。人間だった時より大きくなったんじゃない?」
「ふ、ふざけな、うっ!」
佐藤は反射的に抗議しようとしたが、脚の形が変わり始めたことによる痛みから佐藤はうめき声しかあげられなくなった。
「い、うぅっ……あっ!」
さらに全身からバキボキと変な音がすると佐藤の体勢は次第にお尻を大きく突き出した形に変わっていた。同時に頭以外の体中に白色の毛が生え始めていた。
「ひ、ひいっ」
足が縮小し黒い蹄に変わるとよろめいた瞬間にサイズが合わなくなったスニーカーが脱げた。そして完全に腰と脚の角度が90度近くにまで曲がってくると佐藤は立ち続けることが出来ずその場に倒れた。ただし大きく膨らんだ乳房がクッションとなり地面への顔面直撃は避けられた。
「うう……」
変わり果てた自分の体に涙を流す佐藤の顔元に男は近づくとしゃがみこんで言った。
「全く……君は牛なんだから、そう強がらずに4本足で立てばいいじゃないか」
「わ、私は人間だぁ……!」
佐藤は涙を流しながら必死に抗議した。
「そんなに体中に白黒ブチ模様の毛を生やして、お腹に大きな乳房を持ってて?」
「そ、それは、あんたが変な薬を注射したせいで……!」
そう言いかけた瞬間、佐藤の頭がガクンと落ちた。先ほどまで何も握ってなかったはずの男の右手にはバチバチと音をたてるスタンガンが握られていた。
「さて、これどうやって運ぼうか……。この間の蛇も大変だったけど、あれよりも重そうだしなぁ……」
男は困ったように笑うと佐藤の両腕を掴み、自分の車のある所まで引きずり始めた。




