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虚無な人生を終えたので、二度目はケモ耳メイドとして魔物を愛でながら飼育係の青年にお世話されます。  作者: 宙色紅葉(そらいろもみじ) 週1投稿


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原因不明の風邪

 最近は昼と夜で寒暖差が激しく、また、空気も乾燥している。


 そうすると、体調を崩しやすくなって病にかかってしまう者も増えるわけだが、トレーも例に漏れず、その一人だった。


 トレーの近くにさえいればワフワフと揺れる犬井の尻尾が、分厚い木の扉を前にしょんぼりと垂れ、落ち込んでいる。


「ねえ、トレー、魔獣たちのお世話、全部終わったよ。ミモザ様とのお茶会も終わった」


「そうか、随分と早かったんだな、ご苦労様。そしたら、さっさと風呂にでも入って寝ろ」


「まだ夕方なのに。でも、毎日そう言うから、今日はもう入った。だから……」


 ドア越しにトレーへ声をかける。


 鍵のかかっているソレを犬井は簡単にこじ開けることができたが、彼女はドアノブに手をかけることすらなかった。


 大人しくする代わりに耳をピタリと扉につけ、彼の発する音に集中する。


 ヒューヒューと細い、風の鳴るような呼吸音。


 熱く苦しげな音は酷いい高熱時に出るものだ。


 ギチリとシーツを握り締める布の音が聞こえた。


「うるさい。早く寝ろ」


 トレーが途切れかけのか細い声で言った。


 犬井がフルリと首を横に振る。


「寝ないよ、トレーの体、ぜんぜん良くなってないから。今日こそは看病してあげる。そのために毎日、仕事を早く切り上げて帰ってるの。自分のお世話だってちゃんと終わらせた。ブラッシングもしたよ。ご飯も食べた。後はトレーの面倒を見るだけ。お願い、ドアを開けて」


 無感情な声には少しだけ不安そうな音が宿っている。


 トレーは意外と繊細で他者の変化に聡い。


 そのため、犬井が本気で自分を心配し、世話をしようとしていることには気がついていた。


 しかし、それでも彼は両手をギュッと握り締めると首を横に振った。


「転生者様に風邪をうつしたらって思うと、怖くて落ち着かねーよ。毎晩毎晩、同じことを言わせんな。看病はいらねー。さっさと寝て、代わりに明日も俺の分、きっちり働いてこい」


「でも、もう一週間も風邪なんて変だ。お医者さんの言葉も、全部変。今日こそは本当のことを話して。中に入れて。トレーのこと、助けたい」


「入ったところで、お前じゃどうにもできねーよ」


 キッパリとした拒絶に犬井が「だって……」と呟いて、未練がましく頑丈な木の板を見つめる。


 その姿は非常に執念深く、視線だけで木に穴をあけてしまいそうな勢いだったのだが、やがて扉は絶対に開かないのだと察すると、犬井は今夜も看病を諦めた。


「トレー、せめていっぱい寝てね」


 名残惜しそうに声をかける。


 トレーの放つとげとげしい気配が少し緩み、ほんの少し緊張が解けた気がした。


「分かってる、お前もな」


 少し柔らかくなった彼の声に、犬井は「うん」と頷いた。


 そのまま、耳と尻尾をペタンと倒して酷く落ち込ませ、力なくソファベッドに倒れ込む。


 犬井は小さくため息をついた。


『風邪をひいてから、トレーは何もさせてくれない。急に仲間外れにされたみたいだ』


 トレーが病気になったのは一週間ほど前のこと。


 ある夜、一緒にじゃれ合っていたトレーが急に血相を変え、犬井を突き放すと部屋に引きこもってしまったのだ。


 鍵をかけられ、侵入を禁じられる。


 行動だけを書き起こせば、普段のイチャついたやり取りと大きく変わらなかったが、この日は違った。


 トレーの態度がやけに緊迫した、真剣なものだったのだ。


 部屋に入り込んだトレーは内側からドアノブを掴んで、絶対に開かぬよう固定し、


「マオは絶対に入るな! 獣人同士で感染するヤバい風邪を引いた!」


 と、彼女に向って怒鳴りつけた。


 犬井もトレーの様子に異常事態を察し、大急ぎで屋敷まで医者を呼びに行った。


 そして、屋敷から派遣されてきた男性の医者にトレーの容体を診てもらった。


 医者が言うには、トレーは特に命に係わる状態ではないが、病そのものは完治までに三日から十日ほどかかるらしい。


 また、トレーが望まないのであれば彼に近寄ってはいけないとも言われた。


 病名、トレーの状態については多くが明かされておらず、日に三度の薬、食事を運搬するのも、この時、屋敷から派遣されてきた医者だ。


 犬井はトレーの病に全くもって関われていない。


 彼女自身、それが恋愛感情なのか親愛的な感情なのか判別をつけていることはできていない。


 だが、それでもハッキリしているのは、犬井にとってトレーが愛おしく大切な存在であるということだ。


 そんな彼の大事に関わることができないのが歯がゆく、悲しかった。


『一目姿を見ることすら許されないなんて、厳しすぎる。そんなに強力な風邪なのかな。トレー、大丈夫かな』


 犬井の心臓がツキンと痛む。


 彼女の不安と孤独は強まるばかりだった。

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