あまあまスイーツ
ミモザの話の通り、トレーは異常に甘いものに飢えている。
犬井が報酬のケーキを持ちかえれば、彼は匂いでその存在を察し、そわそわと彼女に近づいてきた。
「なあ、マオ、お前、良い物もってるだろ。しかも、二つも」
「匂いでそこまで分かるの?」
「俺も半分は獣人だからな。お前みたいに規格外な身体能力をしてないってだけで、ただの人間より色んな感覚が優れてる。体のつくりも獣人に近いし」
「そうなんだ。そういえば、トレーって何の獣人なの?」
ふと、トレーのルーツが気になって問う。
すると、彼は一瞬だけ押し黙った後、軽く首を横に振った。
「何でもいいだろ、そんなもん。それより俺はお前の荷物の中身が気になるんだって。なあ、それ、フルーツがいっぱい使われた生もので傷みやすいだろ。すぐ食うよな?」
快活に笑って犬井の腕を柔らかく引っ張る。
何となくはぐらかされたような気になり腑に落ちなかったが、トレーの嬉しそうな笑顔には、どうしてもほだされてしまう。
犬井は胸に宿った小さなモヤを無視すると、コクリと頷いて真っ白い紙の箱を開けた。
中から顔を出したのは、イチゴが大量に乗った生クリームのスポンジケーキと、木苺やブルーベリーなどのベリー類がふんだんに乗った小さなタルトだ。
王道の美味しさを誇るショートケーキと、宝石のような高級感を放つタルト。
菓子の類だけでなく種々のフルーツも大好きなトレーは、どちらを食べるべきか激しく迷ってしまう。
「なあ、マオ、マオ的にはどっちを食べたい? 俺、残った方にするわ」
「え? 私はどっちでも。トレーの方こそ、好きな方を食べていいよ。甘いの大好きなんでしょ?」
「好きだからこそ決められねーんだよ。というか、これ、マオがミモザ様からご褒美でもらったやつだろ。何でそんなに興味なさそうなんだよ」
「だって、甘いものは嫌いじゃないけど好きでもないし、私が欲しくてもらったものでもないから」
「なんだそれ!? じゃあ、俺が両方食べたいって言ったらくれんのかよ」
「え? うん」
報酬は倍もらうけど。
そんな言葉を心の中でつけ足して、犬井はコクリと頷いた。
トレーの瞳が丸く、大きく見開いてケーキに釘づけになる。
だが、すぐに首をブンブンと横に振って欲望を外に追い出すと、代わりに理性を取り戻した。
「別に、俺はそこまで食い意地張ってねーよ。ケーキだって人生で何回か食えてるし、これから先も何回かは食えるようになってるはずだし。だから、他人様のケーキまで奪おうとは思ってねーよ」
未練がましく視線を動かし、両方のケーキを交互に見る。
トレーの腹は、言葉に反抗するようにキュルキュルとひもじく鳴っていた。
彼のあべこべな態度が面白くて、何故か異様に愛しくて、犬井はクスクスと笑った。
「大丈夫だよ、トレー。これからは毎日のように食べられるよ。これはミモザ様とのお茶会をする度にもらえる報酬で、今日だけのものじゃないんだから」
「え!? マジかよ!? でも、そしたら余計にどっちかを選ばなきゃな。どうするかな。タルトの方が気になるけど、ショートケーキは初めてミモザ様に貰ったお菓子だし、なんか懐かしくて無性に食いたくなるんだよな」
迷うトレーがぽつぽつと独り言を溢す。
「そうなんだ」
「そうだよ。懐かしいな、お嬢様がまだ幼かった頃の話だ」
あまり興味がなさそうに話を聞く犬井に対し、トレーの方は思い出にホッコリと目を細めている。
その様子を見て、犬井は少し二人の関係性に興味が湧いた。
「昔は仲良かったの?」
「ん? いや、仲良いってほどじゃねーけど、でも、まあ、そうか。そうだな、わりと仲良い頃が昔はあったんだよ」
ミモザもトレー自身もまだ幼かった頃、彼女は時折、彼の元を訪れていた。
末の娘で、あまり家族から目をかけられていなかった彼女は使用人の目を盗み、屋敷を抜け出して広大な庭で遊び回っていたのだ。
小さなミモザは意外にもパワフルで、遊び場は魔獣小屋まで広がった。
キッチンからくすねたビスケットを一袋、木の棒を一本装備し、お手製の宝の地図を握り締めて探検ごっこをしていた頃が彼女にもあったのだ。
「いつからか変わっちまったが、ミモザお嬢様は小さい頃は優しくて聡明で、でも明るくて素直で、差別や偏見のない人だった。魔獣だって大好きで、仔馬の魔獣に乗ったり、羊の魔獣を撫でたり、とにかく魔獣をかわいがってはハシャいでいた。俺さ、こんなこと言ったらぶっ殺されると思ったから誰にも言ってなかったけど、あの頃はお嬢様のことが大切で、妹みたいに思ってたんだよ。ミモザお嬢様は元気な妹、ベルテ様は気弱な弟って感じでさ、二人ともかわいかったんだ」
トレーの瞳に、懐かしさに酷似した寂寥が浮かぶ。
幼少期、少しだけ心に積もった思い出は温かな宝物で、同時に、変わり果てた現在と対比すれば底冷えするほど切ない存在なのだろう。
ともかく、トレーはミモザと仲が良かった頃に一度だけ、彼女がこっそり差し入れてくれたショートケーキを食べたのだという。
ふわふわとした食感の甘いスポンジに上品でコクのある生クリ―ム、ジューシーで甘酸っぱいイチゴ。
そのどれもがトレーにとっては初めての味で、彼はしばらくケーキを思い出しては浸るほど、スイーツの虜になった。
それはもう、家の存続にかかわる大きな問題を解決した時ですら褒美にケーキを要求するほどだ。
話を聞いた犬井は「そんなに?」と若干引いているが、トレーは本気である。
それだけ、彼はスイーツに執着している。
「ま、お前みたいに好きな時に好きなもん食えて、何不自由なく暮らしてきた人間には分かんねーよ。碌な報酬を望めない俺には、一切れのケーキが同じ大きさの金と同等なんだってさ。まあ、いいや、とりあえず今日はショートケーキをもらうよ。やっぱ、久々の菓子はコレに限る!」
ウキウキとした様子のトレーがショートケーキの皿に手を伸ばす。
すると、寸前のところで犬井がケーキを皿ごとひったくってしまった。
「どういうつもりだよ。くれる気なかったんなら見せびらかすなよ」
急に期待を裏切られたトレーがギロリと犬井を睨みつける。
その視線と目つきは相手を射殺すほどのものだったのだが、犬井の方はどこ吹く風で、いつもの無表情を浮かべている。
「いや、ケーキはあげるよ。でも、先にお願いしとかなきゃダメだったなって」
「お願いって何だよ」
「キス」
「キス!?」
「うん。ほっぺにキスしてほしい。それがケーキを上げる条件」
ハッキリと告げられ、トレーはしばし考え込んだ。
普段ならばふざけた要求だと突っぱねるところだが、何せ報酬が報酬だ。
激しく葛藤するトレーに、犬井が、
「抱っこして、背中を撫でてくれるとか、おでこにキスでもいいよ」
と、譲歩の姿勢を見せるのだが、肝心の彼は、
「良くねーだろ」
と、低く唸っている。
「お前さ、何でそんなに俺とスキンシップ取りたがるわけ? 寂しがり屋なの?」
トレーはクシャリと髪をかき上げるようにして頭を抱える。
しかし、犬井はフルリと首を横に振った。
「違う。多分、トレーのこと、すごく好きだから」
「は!?」
「だから、あの、多分、トレーのことかなり好きだから、スキンシップ取りたくなる。キスをしてほしい」
無表情がちな瞳が恥ずかしそうに揺れる。
真直ぐとした視線、言葉にあてられたトレーがパキリと固まり、同時に思考も停止させた。
「トレー、あの、大丈夫?」
不安になった犬井がトレーを揺さぶる。
真っ赤に熱くなった体は抵抗なくグラグラと上下したが、すぐに直立に戻ると明後日の方向を見つめた。
「ご褒美、先に貰うね」
焦れた犬井がつま先立ちをしてトレーの顔に自分の顔を近づけ、そのまま、そっと唇を奪う。
「特別なところにキスしてもらったから、ケーキも二個あげる」
犬井は珍しく早口で、言葉や態度の節々に酷く照れた感情があふれ出ている。
真っ赤に茹る彼女は急いでトレーの部屋に入り込むと毛布を被り込み、ベッドの中で丸くなった。
対して、取り残されてしまったトレーは数分後に回復し、それから、どうせキスをしてしまったのだからと二人分のケーキを食べて眠り込んだ。
今夜は特に犬井に近づけそうになかった。




