ミモザの事情
ミモザとのティーパーティ。
これが、ミモザが犬井に課そうとしていた仕事の内容だった。
「お茶? どうして?」
当然のごとく首を傾げる犬井にミモザは不快そうに顔を歪めて、それからポツポツと事情を説明した。
ミモザはベリア家の当主だ。
だが、まだ齢十八で幼い彼女は本来、領主になれるような人間ではない。
知識も経験も人間性も、何も揃えておらず、おまけに四姉妹の末っ子だった彼女が領主になるなど本人を含め、誰も想像していなかった。
しかし、そのような異常事態が起こるほどの事件をベリア家は起こってしまったのだ。
問題の人物は姉妹の長女で、彼女は皇太子の愛人だった。
女性関係に緩い皇太子は裏で多くの女性に粉をかけていたため、力が強く王家との距離も非常に近いベリア家の娘が彼と愛人関係にあっても不思議ではない。
皇太子妃も皇太子が多くの愛人をかこっていること自体は了承済みだった。
そのため、長女がコッソリ皇太子に想いを向け、何も報われぬままに体を捧げること自体は問題ではなかった。
問題だったのは、長女が皇太子妃を含む自分以外の愛人を全て殺害しようとしたことだった。
あろうことか彼女は王家主催のパーティで貴族の女性が食べることとなっていた伝統のスイーツに毒物を混ぜ込んだのだ。
幸い、事件はミモザの告発により発覚し未然に防ぐことができたのだが、長女は身分剥奪の上で死刑が決まり、現在は牢で幽閉状態。
また、彼女を手伝った二人の姉は身分剥奪の上、国外に近しい土地へ放逐された。
当時の領主であった父親にも重い責任を課せられ、彼もまた長女と同じ刑に課せられた。
そうしてベリア家に残ったのは、告発によりおとがめなしとなったミモザ一人だ。
親戚に当主の座を継がせる話も出ていたが、血筋を重んじる王家の考えからそうもいかず、ミモザは齢十六の時に当主となった。
「お姉さまたちのことがあってからはあっという間だった。あれこれ勝手に王家や親戚たちの間で決められて、私は疑問なんて持つ暇もないまま全ての決定を受け入れるだけの状態になっていた。そして、気が付いたら獣人の男が私の婚約者になっていた。財力も大してない、小賢しく生きているばかりの弱小家の三男、ベルテがね」
ミモザと同じく年若いベルテが彼女の婚約者、すなわち次期当主として選ばれたのにはきちんと理由がある。
まず、ベルテの生まれ育った場所、アルテルン領はかつて貧しい土地だった。
天候にも大地にも恵まれず、ろくに作物を取ることもできないのに領内に海や森も無いから自然の恵みにも頼りにくい。
過去には死を待つ土地さえと呼ばれたそこで、アルテルン家は必死に生きる道を模索し、やがて自領でも健やかに実る果実や野菜をいくつか見つけ出した。
土の奥深くに眠っている資源を利用して他の領との交渉を進め、円満に水路を作り出す。
植物の品種改良を進めて砂ばかりの土地に花畑を作り出し、小さな湖さえも生み出した。
野心の無いアルテルン家は領地を広げることさえしなかったものの、その土地は今では肥沃で死など微塵も思い浮かばせないような美しい場所となっている。
領民の平和と安全を願う先祖の心は今でもアルテルン家に引き継がれており、三男であるベルテにも彼らの残した多くの知識や理想が詰め込まれている。
特に他者との交渉能力に長け、賢いベルテは力ばかりの傲慢なベリア家を更生させるのにぴったりだと王家や親戚らは考えたのだ。
「当主を継ぐ時、王家に命じられたの。魔獣で生業を立てているのに商売道具や獣人を忌み嫌っているようでは、ベリア家はいずれ本当に崩壊してしまう。思考の転換が必要だ。とっくに獣人を隣人として愛している分家ではなく、異様な思想に取りつかれた本家の転換が。獣人であるベルテを婚約者としたのは、そのためでもある。彼と夫になるまでに思考を切り替えなさい。新たなベリア家として、未来を掴むためにって」
ブルブルと唇を震わせ、言葉を途切れさせながら話すミモザの全身には怒りと悔しさが満ちている。
きっと、王家らの決定は全てがミモザにとって屈辱だったのだろう。
それでもミモザは、決定を受け入れることを選んだ。
「今の私には、魔獣や獣人を愛する義務がある。王家の言う通り、魔獣のことも商売道具と思えば少しは愛することができた。丁寧に扱おうと思えたの。でも、獣人は、獣人だけは駄目なのよ。どうしてか、愛おしく思えない。嫌悪してしまう。ベルテを、あの男を夫にするなんて、考えたくも無いの!」
この国の成人年齢は十八歳。
ミモザはとっくに結婚をできる年齢だが、忙しさなどを言い訳にベルテとの結婚から逃げ続けていた。
だが、それも時期に通用しなくなる。
来年の十九歳の誕生日までに婚姻をしないこと、それは王家の命令に背く行為となるからだ。
「事情は何となく分かったけど、どうして私なんですか?」
「それは、ただの平民をお茶会相手に選んだんじゃ、どうしても意地悪をしてしまうからよ。立場が下の者じゃいけないの。力でねじ伏せ、遠ざけたくなる。不当な扱いをしてはいけない相手、すなわち転生者様じゃなきゃ、私はまともに会話することすらままならないのよ」
「なるほど。そしたら、ベルテさんじゃ駄目なんですか?」
自分よりも身近でミモザと対等、あるいは彼女よりも身分が上の人間と言えば婚約者たるベルテ本人に他ならないだろう。
犬井が何気ない調子で問うと、ミモザは「はぁ!?」と苛立った声を上げた。
「貴方、私の話を聞いていたの? 私はあの男が駄目なの、全身毛むくじゃらの正しくケダモノなあの男が。大体、私のことを忌み嫌う、あの男に協力なんて頼めるわけないでしょ!」
「え? ベルテさん、ミモザ様のこと嫌いなんですか? 愛しのミモザって言ってたのに」
犬井がキョトンと首を傾げれば、ミモザが再度、深いため息をつく。
「あんなのただの嫌がらせよ。人望のベルテとか言われてるけど、あの男はとんだ性悪だわ。婚約者がいるにもかかわらず、綺麗な女性を見つけたら、すぐに食事に誘うの。おかげで惨めなベリア領の当主は婚約者にさえ袖にされてるって悪評が経ってるのよ。ほんと大っ嫌い! まあ、あの男も獣人が好きみたいだから、私が婚約者でさぞ不服なんでしょうけど!」
フン! と怒ったミモザが、腹いせに近く似合った不要な書類を握りつぶす。
そして、それをくず入れへ投げ入れると、それから犬井をキッと睨んだ。
「とにかく、私には貴方しかいないの! 協力してちょうだい。代わりに私もそれなりの対価を支払うから」
「対価って何ですか? 家は嫌ですよ。フカフカベッドも要らない。くれるなら今の寝床を全部撤去してダブルベッドを一個だけ欲しいです。トレーと一緒に寝たい」
「そんな破廉恥を推奨するような真似、私がするわけがないでしょう! 対価はケーキよ。ケーキを二切れ、お茶会の後にあげるわ」
「ケーキ? トレーは甘いの大好きだけど、私はそんなに。つられるほどじゃない」
「だからよ。ケーキの使い道、私は自分で食べるだけなんて言ってないわ」
「と、いうと?」
「トレーは昔から甘いものが大好きだけれど、家ではあの扱いでしょう? 甘味なんて一年に一、二回、口にできるかどうかってところなのよ。だから、あの男は甘味に飢えてるわ。ケーキを材料に交渉すれば、そうね、ちょっと破廉恥すぎるかもしれないけれど、その、ほっぺにキスくらいはしてもらえるんじゃないかしら」
「ベッドで寝ながらギューしてチューしてもらえる!? ケーキ欲しい! やります!!」
フスフスと鼻息を荒くして新たな仕事へ意気込む犬井にミモザはギョッと目を丸くした。
「ベッドでキス!? だ、駄目よ、赤ちゃんが生まれたらどうするの! キスはベッドから降りてしなさい!」
「そのくらいじゃ赤ちゃんは生まれないですよ。ミモザ様、大丈夫ですか?」
「なっ、そのくらいわかってるわよ。で、でも、夫婦は、その、そうやってベッドでイチャついてから、その、あの、破廉恥な行為を、そしたら、その、赤ちゃんだって……」
「スケベ」
「はぁ!?」
「妄想が飛躍しすぎ。ミモザ様はムッツリスケベです。変態」
「へんっ、なんですって!?」
真顔で罵られたミモザが顔を真っ赤にし、怒りで口をパクパクさせる。
すると、その様子を観察していた犬井がプッと噴き出した。
「これでおあいこです、ミモザ様。じゃあ、また明日。どうせお喋りするなら、このまま敬語はとってしまってください。今の方が話しやすいので」
軽やかに笑って犬井がミモザの執務室を出る。
彼女はあっけにとられて少しの間だけ固まっていたが、やがて「無礼ものね」と苦笑し、仕事に戻って行った。




