12th page そして、歯車は静かに狂い出しまして
いつもご覧いただき、ありがとうございます!
今回は二人の別人物の視点となります。
物語も中盤に突入しました。
楽しんでいただけたら幸いです!
◆
精霊感謝祭、当日。
「おや、アビゲイル嬢。とても綺麗な衣装だね」
アビゲイルが実家から届けられたドレスを纏って校舎裏へ行くと、待ち合わせ相手でもある金髪碧眼の青年――ギディオンからそんな声を掛けられた。
「……殿下、それ、わざと言ってますよね?」
ドレスはアビゲイルの金髪に映える水色を基調に仕立てられており、胸元には彼女が受けた《光の精霊》の加護を意匠した白と黄色のリボンが彩られている。
もし乙女ゲーム『スターダスト・エンゲージ』の攻略対象でもあるギディオンのルートに入っているのだとしたら、ここで交わされる言葉は――
「君にとても似合っているよ」
反対に好感度がフレンド以下ならば、先ほどギディオンが口にした言葉が告げられる。
アビゲイルの怪訝な表情に気付いたのか、ギディオンが笑って首を横に振った。
「そんなわけがないだろう? 俺たちは同盟を結んでいるのに」
先日、互いが転生者であると判明してから、二人はひとつの計画を練っていた。
その名も、〝エイヴリル救生計画〞。
二人で、エイヴリルが今後闇落ちしないよう、様々なリスクとその対処法について考えてきたのだ。
しかし、現状ではひとつ問題が上がっていた。
「それで……どうして、お姉ちゃんが殿下の婚約者になっているんですか?」
「それは私も驚いている。父には何度も〝違う〞と言ったのだが……」
本来のゲームの筋書きなら、ギディオンルートへ突入した場合、精霊感謝祭が終わった後に行われるのが婚約者発表だった。
そこでギディオンと精霊感謝祭で最初に踊った主人公との婚約が発表され、そして次なるイベント〈魔王の誘惑〉に繋がるのだ。
そしてそのイベントで魔王の次の標的となるのが、主人公の義理の姉にあたるエイヴリルである。
物語は、表面上は主人公の義姉として優しく接するも、その影では陰湿な嫌がらせを始めるエイヴリルと、ギディオンとの恋の三角関係になるという展開だった。
そして物語の中盤、エイヴリルは主人公を貶めるために魔王の手に落ち、仕舞いには命を落とす結果になってしまうのだ。
しかし現状では、その構造をはじめから覆す展開となっていた。
「でも、お姉ちゃんとの婚約フラグなんて、一体どこで立てたんですか?」
アビゲイルは、皮肉混じりにギディオンへ訊ねた。
彼とは、その日に自分が取った行動や関わった相手の反応を逐一報告し合っていた。
エイヴリルへの関わりは、二人で決めた手筈通りに実行していたのなら、ギディオンルートに入らない絶妙な好感度だったはずだ。
しかし。
「それがどうやら……噂の出所はライナスらしくてね」
ギディオンは苦笑を溢しながらそう告げる。
「ああ……」
その人物の名前を聞いて、アビゲイルは一瞬で事態を理解した。それは、実に想像に固くない話だった。
すべては、二人が互いに転生者であると知ったあの日。
ギディオンは公務で随行していたライナスと別れる際に〝スプリング邸に用がある〞と言ったらしい。
そこでその家の令嬢二人の話になり、ギディオンは自分を招待したのがエイヴリルの方であるとつい口を滑らせてしまったそうだ。
「それを父親の騎士団長につい報告してしまった、と……」
アビゲイルの推測に、ギディオンが頷いた。
(もうっ! 〝うっかりライナス〞なんてお呼びじゃないのよ!)
ライナスの先走る行動は、彼のルート以外でも発生する『スタエン』の一種の名物だった。
彼の基本的な性格は、誠実な青年である。
しかし騎士道を重んじるあまりに、やがて己が剣を預ける主人・ギディオンにまつわることすべてを把握しようとする癖が出てしまっているのだ。
今回はそれを騎士として報告すべき立場にある上司の父親に報告した、というのが発端だったのだろう。
難しい表情をギディオンと揃って並べていたアビゲイルだったが、婚約発表が前倒しになった状態からずっと考えていたひとつの可能性について口を開いた。
「シナリオが、狂いだしている……?」
アビゲイルの言葉を、ギディオンも想像していたのだろう。間髪入れずに、次の言葉が返ってくる。
「ああ。だが、逆を考えれば、シナリオ通りの展開を阻止することも可能ということだ」
そうなのだ。婚約相手が主人公のアビゲイルからエイヴリルに変更されたのも、婚約発表が前倒しになったのも、その推論を証明するには十分な材料だった。
「お姉ちゃんを助ける道が、きっとある……っ」
アビゲイルは、決意を込めて静かに拳を握りしめた。
(絶対に、お姉ちゃんは死なせないわ……っ!)
彼女は知っていた。
義理の姉が、どれだけの不安を抱えているのか。
義理の姉が、どれだけ傷付いているのか。
何度も何度も繰り返しプレイしてきたゲームの中で、どの攻略対象のルートに入っても、最期にエイヴリルが心情を吐露する瞬間が、一番辛かった。
「……しかしこのままでは、こちらの想定していた計画に支障が出るな」
ギディオンが漏らした言葉で、アビゲイルは現実へと引き戻される。
本来の〈魔王の籠絡〉のシナリオ通りならば、ギディオンと主人公がダンスを踊っている最中にクライドが乱入し、二人へ刃を向けることになる。
しかし先の婚約発表で、ギディオンの婚約者にエイヴリルが選ばれたことで、彼が最初にダンスを申し込む相手はエイヴリルに決まっていた。
「そうですね。でも、これでお姉ちゃんが殿下と最初にダンスを踊る相手になった訳ですし、そこでクライドが殿下を暗殺しようとする確率は低くなったんじゃないですか?」
そしてあのクライドが、エイヴリルに刃を向けるはずがない。アビゲイルはそう思っていた。
「……それは早計過ぎないか? エイヴリルがクライドを手助けしようとする可能性はまだ残っている」
「それは、そうですけど……」
不安要素を挙げればきりがなかった。
それでも、何としてでも止めるしかない。
アビゲイルたちの不安を置き去りにして、もうじき精霊感謝祭が始まろうとしていた。
◆
低い《聲》が、今もなお頭の中で直接語りかけてくる。
それはまるで甘い毒のように、何度否定しようとも繰り返し囁いてきて、じわりじわりと自分の心を蝕んで行くのがわかった。
――憎いだろう。ギディオンが。
ああ、憎いとも。
――妬ましいだろう。ギディオンが。
ああ。妬ましいさ。
――羨ましいだろう。ギディオンが。
……ああ。そうだな。
――ならば、お前の為すべきことは、唯一つ。すべてを奪う、ギディオンを、殺せ。
いいや。俺は彼女を悲しませない。そんなこと、絶対にしない。
それでも、今も甘い毒牙に心を預けていないのは、ひとえに彼女の言葉のお陰だった。
『私はいつだって、最後まであなたの味方よ。クライド』
その言葉が、心に光を灯してくれていた。
しかし。
(感謝祭にさえ行かなければ、あいつと顔を合わせることもない……)
そう思って、全員出席が義務付けられてる精霊感謝祭をサボタージュしようと、一人いつもの校舎裏へ訪れた、その時。
その言葉が聞こえてしまった。
「……しかしこのままでは、こちらの想定していた計画に支障が出るな」
その声の主は、今一番会いたくない相手――ギディオンだった。
刃を向けたいという甘い衝動を何とか押さえ付け、死角となる廊下の陰からその様子を窺う。
ほとんどの生徒たちが感謝祭の会場へ向かっている中で、ギディオンはもう一人の影と人通りのない校舎裏で立ち止まって話していた。
奴の隣にいたのは、エイヴリルの義理の妹であるアビゲイルだった。
(……どうして、あの二人がこんなところに?)
人のことを言えた立場ではないが、婚約者がいる状況で他の異性と二人きりで密会するというのは、世間体が悪いはずだ。
いや、だからこそ、こんな人気もない校舎裏で話しているのだろう。
二人の会話に耳をそばだてると、アビゲイルが口を開いた。
「そうですね。でも、これでお姉ちゃんが殿下と最初にダンスを踊る相手になった訳ですし、そこでクライドが殿下を暗殺する確率は低くなったんじゃないですか?」
アビゲイルの放った言葉に、耳を疑った。
しかしギディオンは、その言葉に驚くどころか、他の可能性まで示唆を与えた。
「……それは早計過ぎないか? エイヴリルがクライドを手助けしようとする可能性はまだ残っている」
「それは、そうですけど……」
二人の会話は、明らかにこの後自分が起こすことを知っているという口振りだった。
(――どうして、それを知っているんだ……?)
それを知っているのは、打ち明けたのは、唯一人だけだった。
(彼女が……エイヴリルが……俺を、裏切った……?)
どうして。
〝誰にも言わない〞と、あの庭園で誓ってくれたのに。
〝最後まで味方でいる〞と、言ってくれたのに。
(……どうしてなんだ……っ! エイヴリルッ!!)
頭の中で響く《聲》は、今もなおギディオンへの怨嗟を告げていた。
けれどその言葉よりも強く、彼女の誓ってくれた《誓約》が頭から離れなかった。
『私はいつだって、最後まであなたの味方よ。クライド』
言葉だけでなく、あの微笑みも、あの温もりも、すべてが嘘だったのか。
クライド=エルカーレは、自分の中で何かの壊れる音が聞こえた気がした。




