呼子
その日、俺は朝から緊張していた。
__あの女・・・本当にくるだろうか・・・
尊たちには目の前で消えたことを強調して話したのは俺自身だけど、実際時間がたってみると、俺自身・・・あれは勘違いだったのではないかとも思えてくる。冷静に考えれば人が消えるわけないのだ。そう・・・人ならば・・・。
全く落ち着くことが出来ずに、事務所とプライベートスペースを無駄に行ったり来たりする。ふと事務所の外を見ると、スーツを身にまとった人たちがわき目もふらずに凄いスピードで歩いてゆく。外国人はバカでかいスーツケースを両手に、目の色を変えて買い物に勤しむ。決してその風景の一部に自分がなりたいとは思わないが、右を見ても左を見ても、おそらくそこにいるのは・・・人間だ。
__いや・・・そもそも妖怪って・・・・
今更ながら、自分の言ったことが馬鹿らしく思えてならない。むしろ冷静に考えれば尊も善も、どうしてこんな話を信じたのかと謎でしかない。
時計の針は既に午後の2時を回っている。未だあの女が来る気配はない。
__だよなぁ・・・・
__やっぱり、妖怪なんて。
急に馬鹿らしく思えて俺はしゃがみ込んで頭を抱えた。朝から緊張していたせいか、なんだか急にどうでもよくなってきた。
「あ~、やめた やめたっ。
なんで俺がこんな思いして待たなきゃならないんだっ」
誰に言うともなく、事務所の中で一人叫んだ。あれは頭のおかしい女だったに違いない。きっとそうだ。いや、間違いなくそうだ。純粋な俺はすっかりあの女に踊らされてしまったのだ。
気分を変えようと、パーテーション裏のプライベートスペースにある冷蔵庫まで行き冷えた缶コーヒーを1本とると事務所に戻った。
テーブルに缶コーヒーを置き、プルタブに指をかけ一気に引き上げる。カッシャンと小気味のいい音がして顔をあげたその時・・・。
「うゎわあぁぁぁぁぁ~」
俺はそのままソファーから落ちた。まるで全身が心臓になったのではと思うほど体中で、バクバク音が鳴り響く。顔をあげた向かいのソファーには、黙ったままじっとりと俺をねめあげ、あの女が座っていた。
ちなみに、今日は泣いていない。
「あっと・・・えっと・・・」
腕の力だけで、何とか体を持ち上げソファーに座りなおすも一度暴走した俺の心臓はなかなか治まってはくれない。
「あ~はははは いらしたんですねぇ・・・」
全然笑いたくなんかないのに、笑うしかない。とういか、俺の意思とは無関係に顔が笑ってしまうのだ。女は俯いたまま、じっとりとその垂れさがる長い髪の隙間から目だけで俺を見ている。
「えっと・・・その・・・なんていうか・・・・泣き・・女さんでしたっけ?
あの、他人の葬式に行きたいって考えは、変わったりなんか・・・・」
思うように言葉が出ずに、かなりたどたどしく女の考えが変わって無事帰ってくれることに一理の望みをかけながら聞いてみた。
髪の隙間から除く女の眉間に大きくしわが寄る。
__やばいっ 泣くっ
瞬間的に思った。
「いや、変わってないっ。いいんですっ。変わってなくて大丈夫っ」
両手で待ったをかけて、必死に目の前の女へ言葉をかけるが、俺自身もう女に言ってるのか、自分に言ってるのかわからない。
そうだ・・・こんな時こそ落ち着こうととりあえず、大きく深呼吸をしてみる。こうなれば覚悟を決めるしかないのだ。
準備だって万全だ、大丈夫。
俺はやれば、できる子だっ。そうっ、出来る子なんだっ!
「えっとですね・・・結論から言いますと・・・・貴方が堂々と色んな葬式に行けるようにします」
ぱっと、顔を上げた女の口が嬉しそうに、にたぁ~と左右に広がる。
__怖い・・・
人は笑顔が最高に美しいと誰かが言っていた気がするが、笑顔が一番怖かった場合は一体どうなるのか・・・
自然と呼吸が荒くなる。動悸がする・・・・。息が苦しい・・・・。なんなら次の葬式は俺のではないだろうか・・・・。
「そ・・・そそそれでですね・・・・。
行ける葬儀が決まったらこちらから貴方に連絡をとりたいのですが、携帯の番号とか教えていただいてもよろしいですか?」
なるべく女を見ないようにした。今日で女に会うのは3回目だが全く慣れない・・・・というより、会うたびに怖さが増しているような気さえする。
「・・・いた・・い・・・」
ひぃぃぃぃぃーーーーーっ! 俺の喉がヒュ~を変な音を立てる。
「っ!痛いですかっ!いやすみませんっ、俺は何にもしてないですけどーーーっ!」
「け・・・い・・た・・・い・・・」
「は?」
「い・・・たい・・・・けい・・たい・・・・ですか・・・」
__いや、だから普通に話してくれ~っ!ちびりそうな程こえぇじゃねぇかっ!!!
いちいちオドロオドロしさを演出するのはやめてほしい。
「そう、携帯ですよ・・・・連絡つかなきゃこまるでしょう~」
「あの・・・・そういう、人間の持つようなものは・・・あり・・ませんけど・・・。
貴方から・・・私を呼び出せれば・・・いいんですね?」
「え・・・えぇ・・まぁ・・そうですね」
話し始めてからしばらくたつが、俺の鼓動は一向におさまるどころかどんどん早くなっている気さえする。
「では、少し待っていてください・・・・」
「へ?」
自分でも驚くような間抜けな声がでた。
「いや、待つって一体・・・」
それ以上、言うことができなかった。
なぜって・・・目の前にいたはずの女の姿はもう、なかったから。
「はぁ~っ?」
__まただっ。 また、消えたっ!
意味もなく立ったり、座ったりを何度も繰り返した。人はこんな時、意味のある行動なんてしないものだと思い知るくらいに、無駄に事務所とプライベートスペースを往復した。
「なんだ? また、消えた?
いや、そんなわけないっ。
頑張れ、俺。
しっかりしろっ、俺っ」
自らの両の頬を両手でパシパシと何度も叩いた。
__もしもどっかやばい世界にいっちゃってるなら、是非とも戻ってくれ。俺。
__夢なら覚めて・・・的な・・・?
必死に何度も何度も、自分の頬を叩いていた時・・・・
「ふぇふぇふぇ・・・・」
背後から、聞いたことのないようなまるで、口の端から息が漏れてるような音が聞こえた。
背中を冷たい汗が伝う。
恐る恐る振り返った俺の目に映ったもの。
それは、手を口元にあて肩を震わしてる例の女だった。
「貴方、面白い人間ですね。
自分の顔をそんなに叩いて何をしてるんですか?
ふぇっ ふぇっ ふぇっ」
__ってそれ、笑い声かよっ こえぇーっ 怖すぎるっっ
__『ちょっと待って』の言葉通り舞い戻ってきた律義な貴方が恨めしい・・・・
昨日の今頃なら、ここに尊も善もいたのに・・・。
なぜ、今日あの二人を呼ばなかったのかと後悔ばかりが頭の中をグルグルと回る。
なぜ、この女に今自分が笑われてるのか・・・全く受け入れることができないままとりあえず、ふらふらと女の向かいに座った。
女はふと真顔になると、小さな喪服用のかばんから俺の手のひらほどの大きさの土人形のようなものを取り出しテーブルの上に置いた。
__って、それ。
__絶対かばんの方が小さいだろっ。
__四次元ポケットかよっ
心の中で盛大につっこむも、口に出す勇気のない自分が悲しい。
「で・・・これ。
なんなんでしょうか・・・」
苦笑いを浮かべながらも、俺は平静を装い聞いてみる。
女の出した土人形のようなものは、獣のもののような毛が大量に混じっていて小学生が粘土で作ったような人型の見るからに怪しいものだった。
__携帯の契約に行ったんじゃねぇのかよっ
泣きたい気持ちを必死にこらえ、恐る恐る指先で土人形をつついてみた。
思ったより、固い。
しっかし、この大量に混じっていてときおり飛び出てるこの毛は・・・。
「これは木霊の垢で作った人形です」
「へぇ~、木霊の垢でねぇ・・・・垢? あかぁ~っ?」
思わずのけ反り、つついてしまった指先を何度も手で拭う。
__垢で人形って、力太郎かよっ
と、またもや盛大に突っ込むも声には出せない自分が情けない・・・
垢と聞いたとたんに、異臭さえするような気がする。
「で・・・・この垢人形と、連絡とるのになんの関係が・・・」
「これに向かって私を呼んでください。
そうすれば、私の元に貴方の声がとどきますから・・・
では・・・楽しみにまっています・・・」
一方的にそう告げて、泣き女は俺の目の前で3度目の『消える』というイリュージョンを披露した。
残されたのは、謎の垢人形と俺。
「そういや、木霊っていってたか・・・」
木霊とは別名『呼子』、山彦とも言われてる。
古代中国ではその姿は猿のようであるとも、犬のようであるとも言われている。
って、大学での妖怪研究がよもやこんなところで役立つとは思わなかった。
しっかし、この汚い垢人形が通信機になるとは不思議極まりない。
できればあまり、触れたくない・・・。
テーブルに置かれた垢人形に触れることなく、顔を近づけて観察する。
一応匂いも確認したが、とくに異臭は放っていない。
「これに呼びかけるろって、言われてもねぇ・・・・」
__ちなみにこれ、泣き女以外も呼べたりするのか?
そう思いつくと、無性に試してみたくなる。
俺はと垢人形に顔を寄せると、呼びかけてみた。
「お~い、尊~聞こえるかぁ?聞こえたら連絡しろぉ~」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
俺ひとりしかいない事務所の中は、相変わらず静かである。
特になにも起こる気配はない。
「だよなぁ。
こんなんで連絡とれるわけねぇって」
誰もいない事務所の中で、誰に言うともなく苦笑いで後ろ頭をかいた。
「いやぁ、危うく騙されるとこ・・・」
BOO---- BOO---- BOO----
お尻のポケットで突然鳴り出したバイブレーターに思わず飛び上がった。
慌ててスマホを取り出して表示を見るとそこには・・・・
『尊』 と、出ていた。
「嘘・・・だろ・・・」
俺は、恐る恐る電話に出た。
「もしもし・・・・」
『志童?おれ、尊だけど』
「あぁ、うん。どうした?」
『・・・・いや・・・あれ、なんで俺志童に電話したんだろ
なんか、お前が呼んだような気がしたんだよな・・・・』
「そうか・・・・あ~はははは・・・」
俺は乾いた笑いを返すしかなかった。
電話の向こうの尊の後ろから、尊を呼ぶ声が聞こえた。
『あ、わりぃ、また電話する』
そう言って尊の電話は切れた。
「本物かよ・・・・」
俺は立ちすくしたまま、テーブルの上の垢人形をみてあることに気がつく。
__この人形の前で迂闊に誰かの名前を言ってしまったら・・・・
__尊や善ならまだいいが、例えば楓や妖怪なんかはまずいっ。
俺は慌てて、引っ越しの時に出た小さな段ボール箱の内側に何層も段ボールで厚い壁を作り、即席の防音BOXを作ると垢人形を中に入れて蓋を閉じた。
「とりあえずは・・・これでいいか」
気づけば事務所のガラスのドアからは夕日が差し込んでいた。
やっと一息つき、志童は封印した垢人形の入った箱を眺めていた。
冷静に考えれば、凄いものを手に入れたのかもしれない。
使い方によっては・・・
そこまで考えて、俺はぶんぶんと頭を振った。
「いや、やめよう。
これ以上おかしなことに巻き込まれるのはごめんだっ」
おそらくこの人形のことを尊が知れば、また悪い顔をしてビジネスにしようとするだろう。
「うん。尊には、しばらく垢人形のことは内緒にしておこう・・・」
俺は事務所の中を見渡す。
事務所といっても、空っぽの書類棚、デスクと応接セットがあるだけだ。
考えた末、パーテーション裏のプライベートスペースに回ると冷蔵庫の上に垢人形の入った段ボールを置いた。
「これで、ひとまず大丈夫だろう」
やっと一息つけた俺は、今日という一日がとても長く感じられた。