第72話 「重過ぎる!!」
去ったマリー家の猪車と交代するように、別の猪車が同じ場所へと待機する。
次に屋敷の前に現れたのは、マルーの引く猪車である。
「姫。それでは少女を非人街まで送って来ます」
「うむ。頼んだ」
タルト初の屋敷来訪も、終わりの時を迎える。
名残惜しそうにする少女達は、少しでも長くいようと会話を続けていたが、それもいつまでも続けていられるものではない。
「タルトちゃんにお土産! 昨日の夜に頑張って作ったの!! お家で着てね?」
「ん……ありがとうナナちゃん。大切に着るね?」
ナナの手から、数着の子供服がタルトへと渡される。
暫しの別れであり、二人が会う機会も少なからずあるというのに、ナナは既に泣きそうになっている。
人と半魔。
互いに種族は違えど、二人は少女であり、メイドでもあった。
更に言えば、ナナは今まで同年代の友達がいなかったのだ。初めて出来た歳の近い友達に、情が湧いてしまうのも仕方が無かった。
「それじゃあ……またね?」
「…………うん。また会おうね」
別れの言葉を交わし、猪車へと乗り込むタルト。
ナナは懸命に涙を堪えているが、いつ涙腺の防波堤は決壊してもおかしくない。
そんな少女の姿をじっと見ていたルートミリアは、ある話を彼女に持ちかけた。
「ナナよ。妾はこれから、危険な召喚魔法をこの屋敷にて行おうと考えておる」
「へっ?」
ルトの意図を理解出来ない少女は、涙目のままで主人を見つめる。
「あまりに危険なので、お前には屋敷から少し離れていてもらいたいのじゃ。そうじゃのう……、王都まで『見送り』にでも行ってから帰ってくれば……丁度良い時間かのぅ?」
「……っ!! ご主人様!!」
「今日は休みをやろう。お前の好きに過ごすといい」
「はいっ!! ありがとうございます!!」
丸く大きな瞳に浮かべていた涙は一瞬にして消え去り、次には溢れんばかりの笑顔が皆の前に姿を現した。主に深々と頭を下げてから猪車に向かうナナと、それを微笑ましく見守る稲豊達。アドバーンに至っては、少女ですら見せなかった涙さえ流している。
「タルトちゃん! お休み貰ったの!! お見送りに行かせて!!」
「じゃあもっといっしょにいられるの……? ありがとうナナちゃん……!」
猪車の中で手を取り合う少女達を見て、稲豊は人と魔物のあるべき姿を見た気がした。
『人と魔物は、歩み寄る事が出来る』
彼女達を見ていると、それが不可能ではない。
そう思わずにはいられなかったのだ。
稲豊は、自分が強く右拳を握りしめている事に気が付いた。
「んじゃあ。仕入れのついでに俺も一緒に――――」
「待つのじゃ、シモン」
少女二人の微笑ましい姿を『もっと見ていたい』と一歩踏み出した稲豊だが、それはルトの声によって遮られる。何事かと思い少年が振り返ると、そこにいたのは様子のおかしい主の姿だ。
恥ずかしそうに目を泳がせ、朱色に染まる白かった頬。
今までの高潔な姿とは全く違う、はにかんだ彼女の姿が稲豊の目の前にあった。
「な、なんですか? ルト様」
「――お前に話があるのじゃ。居て貰わなくては困る」
稲豊が少しの狼狽えを感じながら尋ねると、ルトは上目遣いでそう返す。
いつもと違うその可愛らしい姿に、少年の心臓は大きくときめいた。
「少年。仕入れなら我がやろう。二人も責任を持って護衛するので安心して構わない」
「そうすか? それじゃあ、スミマセンがお願いします」
「任せておけ」
頼まれたミアキスが最後に猪車に乗り込むと、マルーは大きく鼻息を鳴らす。
それが出発の合図である。
「それでは行って来ます!!」
「…………ありがとうございました」
速度を上げ行く猪車の小さな窓から、少女達は身を寄せながら顔を出し、愛嬌のある笑顔を振りまいた。屋敷に残った者達が思い思いに手を振って彼女達に応えていると、その愛らしい姿はやがて森の木立によって隠される。マルーの猪車が完全に見えなくなったところで、稲豊は手を振るのを止め、身体ごとルトの方へと顔を向ける。
「えっと……それで、話というのは?」
「うっ! そ、そうじゃの。ココではなんじゃからの、ついてまいれ」
稲豊が先程の話題を切り出すと、またもルトは落ち着きを無くし、そして足早に屋敷へと戻っていく。照れているように見えなくもないルトの態度。稲豊は鼻息を荒くしながら、彼女の後に続いた。
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ルトの先導に従い、稲豊が辿り着いたのは普段使われていない屋敷の一室。
中央に正方形の卓があり、数個の椅子が適当に並べられているだけの簡素な部屋だ。広くも狭くもなく、これといった特徴も無い。稲豊は前に一度入った事があるが、退屈なその部屋を彼が記憶に留める事は無かった。
しかし見事と言うべきか。
全く使用していない部屋にも関わらず、埃などの汚れは探さなければ目につかない。特有のカビの臭いもせず、稲豊は少女メイドの仕事振りに、改めて感嘆の息を洩らした。
「――――でじゃ。は、話があるのじゃが」
「は、はい!」
暫くの無言の後、漸く話を切り出すルト。
彼女の戸惑いが稲豊にも伝わり、少年が思い出したのは昨夜の場面だ。
二人で誓った食糧改革。
そして、熱く痺れるような口付け――――
「妾達の繋がりを確かなものにさせようと思う。今まではただの主従じゃったが、誓約を結んだコレからは違う。更に上の関係となるべきじゃ」
“上の関係”、そして“繋がり”。
これはルトなりの告白ではないのだろうか? めくるめく妄想が稲豊の中で波紋のように広がったが、彼はそれも「強ち間違いではないのかも」と考えた。少なくとも、キスまでの好意を持たれている筈なのだから。
「上の関係ッスか!? それはつまり?」
「う、うむ。提案なのじゃが……。コレから妾達の関係を――――」
上質な絹のように美しい髪を右耳に掛けながら、ルトは意を決して口を開いた。
「お互い同じ志を持つ“仲間”として改めたいと思う!」
「……………………仲間?」
「そ、そうじゃ! ああ……言ってしまったのぅ」
頬を染めてモジモジと太ももを擦り合わせるルトとは対象的に、色気の無いその言葉の響き。稲豊は当然のように頬を引き攣らせて、困ったような顔を浮かべる。
予想外なのはいつもの事なので構わないが、喜べば良いのか、悲しめば良いのか分からない。
取るべき反応に悩む稲豊。
それに気付いたルートミリアは、一転して不安気な表情へと変貌する。
「もしかして、嫌なの……かの?」
「いい、イエイエ! 嬉しいッス! 無茶苦茶ハッピーです!!」
上ずった声では子供だって騙せない。
稲豊の返事に不満を露わにするルトだが、すぐに表情をパッと明るく変えた。
「そうか。お前は『仲間』がどれだけ破格の待遇なのか理解しておらんのだな? それならば、その反応も納得じゃの! そうかそうか!」
「確かに。分からないと言えば分かりませんが……」
勝手に納得するルトだが、口を挟んで悲しい顔をされるのも嫌だった稲豊は、特に口答えもせずその先の言葉を待った。
「仲間となったお前は、妾の良き相談役として務めて貰う事となる。つまりは相当な事が無い限り、屋敷から追い出すような真似はせん。前料理長みたいな事にはならんという訳じゃな」
「なるほど」
「勿論、給金も弾もう。そしてコレからは料理だけでなく、色々な件でお前に頼る事も出てくるだろう。妾からの寵愛も今までの比では無いぞ? もっと喜べ」
稲豊の期待していた関係ではなかったが、待遇が良くなったのは事実である。
彼女に認められたという実感が、今頃になって少年の胸に沸々と湧き上がり、彼の表情は自然と緩んでいった。
「ありがとうございます! ご期待に添えられるように頑張ります!」
「おおっ! 良く言ったぞシモン! それでこそ妾の“仲間”である。なればこそ、妾もそれに応えよう。そうじゃな…………」
稲豊の言葉が余程嬉しかったのか、ルトは両目を閉じた嬉しそうな顔で何かを模索する。そして「決めたぞ」と少年に告げた後、信頼の制約を口にした。
「妾はもうシモンの作った料理以外は口にしない!」
「ええっ!?」
右手人差し指をビシッと少年に向けて発した、突拍子も無いルトの宣言。
稲豊は嬉しさと驚きの入り混じった複雑な声を上げる。料理人としてコレほど嬉しい言葉も無いだろうが、その双肩に掛かるプレッシャーは軽いものではない。焦りにも似た感覚が稲豊の中で巻き起こる。
「そ、そんな滅相もない! 俺なんかの料理にそこまでの価値は――――!」
「おっと。妾の認めた料理人の悪口は許さんぞ? 例えそれが自身の事でもじゃ」
「うぐっ……」
稲豊必死の反論も、上機嫌のルトの前では無力に等しい。
人差し指を口に当てられる事により、あっという間に少年の言葉は封殺された。そして妖艶な笑みを浮かべた彼女は、先程まで稲豊の口唇に当てていた人差し指を、あろうことか自身の口唇に宛がい尋ねる。
「妾の口はお前のものじゃ。シモン専用の口じゃぞ? 嬉しく無いのか?」
「専用の…………口!?」
ルトの甘言に稲豊の煩悩が刺激され、自然と視線が吸い寄せられる彼女の甘く柔らかい口唇。昨日の口付けの感触が蘇り、もう一度味わいたいとさえ稲豊は思った。そこまで感じた少年が、首を横に振れる筈もなく。
「こ、光栄です……」
「うむ! それで良い」
敗北にも近い少年の肯定に、ルトは満面の笑みを返す。「彼女には敵わないな」そんな苦笑いを浮かべる稲豊だが、数秒後に彼は少し様子の変わったルトに気が付く。
先刻までとは違い、真剣な表情を浮かべるルートミリア。
彼女は美しい緋色の瞳を真っ直ぐに少年へと向け、真剣な顔に劣らぬ、真摯な声で言った。
「シモン。お前の身に何かあった時、それは妾の死も意味している。ひいては、魔王国の終わりを意味していると言っても過言ではない。妾の信頼を裏切るなよ?」
双肩に乗った魔王国の未来に、稲豊の頬はまたの引き攣りを見せた。




