第73話 「お覚悟を!」
小心者には重すぎる荷を背負わされ、背中まで汗に塗れる青白い顔をした稲豊。
そんな彼とは対照的に、喜色満面のルートミリア。しかし、仲間が出来た事が心底嬉しそうである彼女に、今更拒否の言葉を吐くわけにもいかない。双肩に掛かるプレッシャーで途方に暮れる少年を我に返したのは、肩に置かれた白手袋に覆われた右手であった。
「アドバーンさん?」
「アドバーンです!」
屋敷で白手袋を装着するのは彼しかいない。
稲豊の予想通り、そこにいたのはハンカチを手にした老執事だ。彼は少年を憐れむように「うんうん」と首を小刻みに縦に振り、ハンカチで線のように細い目から溢れた涙を拭った。
「むっ! アドバーンか。全く、お前はいつの間にか近くにおるのぅ」
「今はミアキス殿もおりませんからな、念の為で御座います。お嬢様、イナホ殿を少しお借りしても?」
「別に構わんが。すぐに返せよ?」
放心状態の少年の肩を抱いたアドバーンは、稲豊をルトより少し離れた壁際へと誘導する。そして小声で彼へと語りかけた。
「イナホ殿。申し訳ありません。お嬢様は少し“ハイ”になっておられるようでして」
「一時のテンションで俺は国の未来を背負わされたんすか? 正直今にも逃げ出したいぐらい重いんですけど……」
「おいたわしや、イナホ殿。お嬢様は一度誓いを口にすれば、余程の事でも無い限り考えを改めません。残念ながら……」
「もう後戻りは出来ないって訳ッスね」
どうしようも無いのなら、最早稲豊の取るべき道は一つしかない。
出来る限りの誠意を尽くし、ダメならその時に考える。覚悟を決めた少年の顔は、少しだけ肌色に近付きつつあった。
「ううっ……!」
「大丈夫ですよアドバーンさん。逆に覚悟は決まりましたから」
またも泣き出すアドバーンに稲豊はフォローの言葉を掛けるが、「違うんです」と老執事は否定する。そして彼はチラと視線をルトに送り、深い深いため息を吐いた。
「私めがいま嘆いておるのは、お嬢様の事で御座います」
「ルト様の?」
ハンカチで大きく鼻をかんだアドバーンは、ぽつりぽつりと語りだした。
「お嬢様は実に世間知らずで御座います。と言うのも、半魔であるという理由とその性格も相まって、今まで一度もご友人をお作りになられた事が無いのです」
「今まで……一人も?」
「つまりは“ぼっち”というやつですな」
誰にでも分け隔てなく高圧的なルートミリア。
稲豊は少しだけ、彼女に友達が出来ない理由が分かる気がした。
「独りでいる時間は、姉妹達の中でも一番だったと記憶しております。そんなお嬢様は世間一般の常識に疎く、更に言えば色恋沙汰もからっきしでして……」
「い、色恋沙汰も?」
「ええ。恋愛などされた事も無いのでしょう。母親譲りの色気と、父親譲りの思わせ振りな態度から、言い寄る者もいはしたのですが……。どの方も一蹴されております。恐らく昨夜イナホ殿にした口付けも、本か何かで読んだ誓いの儀式の影響でしょう」
「はぁ~。なるほど――――って! 見てたんすか!?」
「執事の務めです」
「嘘だっ!!!! 出歯亀を正当化しないで下さい!!」
稲豊の出した大きな声に、首を傾げたルトが二人の方を見て「どうかしたかの?」と声を掛ける。それに対し男二人は「何でもないです」と返答し、更に部屋の隅までコソコソと移動した。
「まあ、つまりはイナホ殿。ご友人の居なかったお嬢様は“仲間”という存在に過敏になっておられます。面倒だとは思いますが、その想いに出来る範囲で応えてあげて頂きたい! お嬢様はイナホ殿に心を開いておいでの御様子。私めも可能な限りのお手伝いを致しますので……」
申し訳なさそうに頭を下げるアドバーンを見て、少年はそれを両手で静止する。誰が悪い訳でもない。稲豊は力強く老執事の両肩に手を置いた。
「大丈夫ですよアドバーンさん。俺だって、生半可な気持ちでルト様と誓いを結んだ訳じゃない。ルト様の理想に付き合う覚悟なら――昨晩に出来てます」
「おおお……なんと嬉しいお言葉! そのお覚悟、お忘れなきよう」
二人の密談が終わりを迎えた頃、痺れを切らしたルートミリアが彼らに近付く。
「話は終わったのかえ? ならば、シモンにやって欲しい事があるのじゃが」
「やって欲しい事?」
ルトからの頼み事は普段あまり無い分、重要度が高めとなっている。
稲豊は心の準備をしながら言葉を返した。
「うむ! 昨夜の誓いを実現する為に必要な事がある。それはシモン、お前の改造じゃ」
「改造!?」
稲豊の脳内で手術台に縛り付けられた己に、変な光線を照射するルトの姿が浮かび上がった。思わず身震いする少年だが、それは彼女の次の台詞で瓦解する。
「安心しろ。何もお前を魔物に変えようという訳ではない。妾達の目的を鑑みれば、今のままでは危う過ぎると思い至ったのじゃ。そう、“危うい”。シモン、お前は危う過ぎる」
「俺ってそんなに危険人物ですか? ちょっとショックなんですけど」
「茶化すでない。妾が言っているのは、お前の危機意識の方じゃ。この世界に来てからを思い返して見ろ? お前は何度死にかけた?」
ルトに言われ、稲豊はこの二ヶ月間を振り返る。
異世界到着の直後にマルーに跳ねられかけて一回。その後ターブとの戦闘で一回。ネブに四回。アリスの谷で一回。マリー家で一回。
「しめて八回になりますね」
「多いわ!! 兵士でもないのに、お前には九死に一生が多すぎる!」
「なるほど、お嬢様。だから“改造”なのですね?」
「うむ! ここにアドバーンがおるのは丁度良かった。コレからシモンの“肉体改造”及び“意識改革”をする! 妾と一心同体とも言える大切な仲間、死なせる訳にはいかんからのぅ!」
メラメラと闘志を燃やすルートミリア。
稲豊は珍しい主の姿に、一抹の不安を感じずにはいられなかった。
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椅子に座らされた稲豊の正面には、青フレームの眼鏡を装着したルートミリアの姿があった。彼女はコツコツと足音を立てながら、稲豊の前を横切っては戻ったりしている。そして二度往復したところで足を止め、神妙な面持ちで口を開いた。
「まずはお前の心構えから変えていくぞシモン? 妾達の悲願である『魔物と人の友好』。コレを実現するに当たって、最も大きな障害がある。それが何なのか? お前には分かるな?」
「……魔物と人間との確執ですか?」
「その通りじゃ。魔王国とエデンでは、既に六百年以上も血で血を洗う戦争を繰り返しておる。国が出来る前から計算すればそれ以上じゃな。コレを解決するには、双方が互いに手を出さないという条約が必要となる。その為には、食糧改革は必要不可欠じゃ。ここまでは分かるな?」
腕を組んだルトの問いに、稲豊は力強く頷く。
それを見た彼女はニコリと笑い、少年に更なる問いを投げかけた。
「ではその次に大きな障害がなんであるか? シモンは知っておるか?」
「その次? 食糧問題ッスか?」
『人間との問題を別にすれば、後に来るのはやはり食糧問題だろう』
稲豊は自信を持って彼女の問いに答えた――――が。
「ハズレで御座います」
首を左右に振るアドバーンの言葉に、一刀のもとで切り捨てられる。
自信のある解答がハズレて悩む稲豊であったが、そんな彼に助け舟を出したのは、正面にいたルートミリアだ。
「お前はもうその“障害達”に遭遇しておるよ。アリスの谷でな」
「あっ!」
ルトの言葉により、稲豊はようやく理解する。
エデン国の誇る、殺戮集団。
「……エデンの軍隊」
「正解で御座います。彼等は例え我々が食糧問題を解決しようとも、進撃を止める事はありません。彼等が歩みを止めるのは、魔物が絶滅した時でしょうな」
感情の読みにくいアドバーンでさえ見せる物憂げな表情。
それを見た稲豊は何とも言えない感情と共に、あの場所で遭遇した三人を思い出していた。
何故か和装をしている忍者少女のシグオン。
攻撃的な性格且つ男勝りな少女、ティオス。
おっとりとした癒し系の回復少女、エルブ。
一見愛らしい少女の姿をしている者達だが、アリスの谷での惨劇を引き起こした張本人でもある。そしてこの三人の中でもティオスは、稲豊が最も憎むべき相手であるとも言えるのだ。
「…………っ!」
下口唇を強く噛んだ稲豊を見たルトは、そっと少年の頭を撫でる。
そして諭すような柔らかい声で語った。
「食糧改革を目指す上で、奴らの存在は避けて通れん。説得すら聞き入れん連中じゃ。場合によらずとも、排除せねばならん」
「…………排除?」
優しいルトの言葉の中で、その単語だけが稲豊の中で引っ掛かった。
「もちろん。殺すので御座います。どうしても相容れない場合は、当然の処置ですな」
「ころっ!? あっいや……戦争ですもんね。それは……そうか」
稲豊と同じか、それよりも下くらいの年齢の少女達。
それをあっさり「殺す」と宣言したアドバーンに少年は驚いたが、かと言って何もしなければ自分達が殺されてしまうのだ。窓から来た隙間風が、稲豊の心にやるせない悲しみを運んで去っていった。
「妾は魔王になるつもりじゃ。その為には、彼奴らとの戦闘は避けられん。そしてシモン。それはもしかしたら、お前にも言える事なのかも知れんぞ? 現にお前は既に遭遇しておる訳じゃしな」
「……俺も?」
俺が戦争に?
想像もしていなかった現実に、稲豊の目は泳ぎだす。
ルトは稲豊の頭から手を離し、混乱する少年に畳み掛けるように冷淡な声で告げた。
「シモン。人を殺す覚悟は出来ているか?」
ネブに襲われた回数修正。
正しくは二回→四回でした。m(_ _)m




