第61話 「本当の気持ち」
「お待たせしました~!」
ワゴンに乗った料理と共に、中庭に姿を現す二人の料理人と助手弐号。
中庭にまで届いていた食欲を唆る香りに「今か今か」と心待ちにしていた者達は、諸手を挙げて歓迎した。
「お運びいたしますわ」
「…………私も」
メイド三人の申し出により、料理の盛られた器は中庭に並べられた卓の上へと運ばれていく。皿は相変わらずドームカバーに覆われていて、中身の見えない心憎い仕様となっている。
「ええ匂いやねぇ」
「我が屋敷の料理長じゃ。当然だのぅ」
「……くっ!」
鼻を高くし胸を張るルトの姿を恨めしそうに睨むマリー。
「俺様は縁側でいい」
「承知いたしました」
ターブは三つ目のメイドに声を掛け、皿を縁側まで運ばせる。
稲豊以外の皆が思い思いの席に着き、その前に二つの皿とグラスが並べられたところで、食事の準備は完了を告げる。
「屋外での食事は何だか不思議な感じが致しますわ」
「しゃあないわな。どっかの短気がウチの屋敷半壊させたんやから……」
「何処かの間抜けが欲望に従った結果じゃからの。恨むなら貴様の主人を恨め」
メイドの何気ない一言で、またも火花を散らせる姉妹。
相性の悪さは筋金入りのようである。
「食事に持ち込むのは食器と食い気だけにして、とにかく召し上がって下さい」
稲豊の音頭でようやく進みを見せる両家の簡易食事会。
二つのドームカバーを取った各々は様々な反応を見せた。味を想像し喉を鳴らす者。瞳を閉じ香りから堪能する者。落ち着き無く皆が口に運ぶのを待つ者。
その中身は小さめの深皿に入ったタルタルの味噌汁と、稲豊作の鶏料理が入ったディナープレートだ。
「こっちはさっき厨房で味見した味噌のシチューやな。んでこっちは鳥料理……? っと“コレ”は」
「な、何で御座いましょう?」
先程様々な反応を見せた一同だが、今度は皆が一様に不思議な表情を浮かべる。
ネタを知るミアキスとタルタル以外の者達にそんな顔をさせたのは、稲豊の作った鳥料理――――その隣に添えられた茶色の物体である。
「味噌……か? 何か混ざった上に、香りがより一層際立っておるな」
「――――良い匂い」
小さな小さな山のような形のそれは、ルトが言った通り味噌に相違ない。
しかし、ただの味噌で終わらせる稲豊ではなかった。
「これは『焼き味噌』って言います。味噌に刻んだギーネとヒャクの果汁を混ぜて、直火で焼き上げた料理ですね。そして、この鳥は味噌と水とヒャクの果汁で蒸したモモ肉に焼いたギーネを加え、食べやすいサイズにした物。お好みで焼き味噌を塗って食べて下さい。――と言っても、味噌の量が足りなかったので一口分しか無いんですけどね」
「ほぅ、面白い発想の料理じゃな」
「こんな食い物は初めて見るぜ」
感心な面持ちをする一同。
やがてその視線は二人の主に注がれる。一番身分のある者が最初に口にする権利を有していることに、下の者は本能で理解しているのだ。それだけ上級魔族は生物としての位が高いのである。
「皆待っとるみたいやから、まあしゃあ無しにルートミリアと同時に食べたるわ。ウチの寛大な心に感謝して――――」
「ふむ。中々美味じゃのぅ。焼き味噌か、気に入ったぞ」
「って、何もう食っとんねん!? ああもう! ウチも食べる!!」
ルトに負けじと蒸し鶏を頬張るマリー。
噛んだ瞬間、彼女は肉の柔らかさにまず驚く。そして歯と肉の隙間から溢れる肉汁の味に、二度目の驚いた顔を覗かせた。
マリーは思う。
鶏肉とはこんなにも柔らかい食材だっただろうか? こんなにも多量且つ美味しい肉汁が出ただろうか? ただでさえ美味いこの鶏肉に、焼き味噌を塗るとどれだけ……? 彼女が喉を鳴らしたのは、決して鶏肉を飲み込んだからだけではない。
焼き味噌をナイフの腹で蒸し鶏に塗り、少し覚悟を決めた後に口へと運ぶマリー。遂に彼女は、一つの料理で三度の驚きに翻弄された。
「ふわぁ~!!」
口内へと運んだ瞬間に鼻腔を突き抜ける芳醇な香り。
焼き味噌を塗ったガツンと来る暴力的な味覚への刺激は、先程までの肉に優しいという印象を彼女に持たせた。口いっぱいを濃厚な味に蹂躙され、マリーは思わず蕩けた表情を見せる。
「い、いただきます!!」
そんな顔を見せられたら、待っていた者達の辛抱が出来なくなるのも仕方が無いと言うものだ。皆次々と肉をスープを口へと運び、感嘆の吐息を洩らした。
「信じられないぐらいジューシーで、噛めば噛むほど肉汁が溢れてきますわ!」
「焼き味噌か。酒が飲みたくなる味だな」
「そんなターブ君や大人の皆様には、もちろんヒャクの果汁も用意してあります」
「オメェにしては気が利くじゃねぇか!」
グラスに注がれたヒャクの果汁を一息で呷り、堪らないと言った表情で息を吐き出すターブ。焼き味噌は酒にも良く合う事を稲豊は知っている。父が月に一度ぐらいの頻度で、焼き味噌をツマミに日本酒を呷っている姿を見ているからだ。
「やき味噌もおいしいけど。タルタルちゃんの作ったお味噌汁もおいしいね! こすぎる味をちょうわして、いいあんばいにして――――」
「シモっち。チビの様子がおかしい」
「タルトは美味い物を食った時にやたら饒舌になるんだ。気にするな」
色々な姿を見せる者達だが、反応は上々。
瞬く間に胃の中へと消えていく鶏肉を眺める稲豊は、一人だけ食べていないにも関わらず、その表情は実に満足気だ。
だがそんな彼の耳にある人物からの指摘が飛び込んできたのは、その直後の事であった。
「でもなシモン君。この料理は“足りひん”よ?」
マリアンヌである。
彼女は和気藹々とした空気を棘のある言葉で切り裂き、新たな緊張感でその場を支配した。
「シモン君が『説得』いう形でこの料理を作った理由。ウチには分かったで? つまりシモン君はこう言いたいんやろ? 『人間よりも美味い物はある。だから人間を食べるな』。せやろ?」
真剣な顔をする彼女の一言に、周囲の者達は自然と視線をその矛先へと走らせた。
「その通りだ」
稲豊はそれを肯定する。
だが正解したと言うのに、マリーは嘆息を吐き落胆を表現する。その顔には、彼の返答に対する不満がありありと浮かんでいた。
「確かにシモン君の作った料理は格別やったよ? …………けどな! この料理には“説得力”が二つ足りてへんのや」
彼女の言葉で、稲穂の表情から色が消える。
無言でいる彼の代わりに、その欠点を答えたのはやはりマリーである。
「まずこの味噌やけど。ウチの魔能は誤魔化せへんで? これはこの世界に無い食物で作ったもんやろ? つまり数を増やせん上に、量にも限りがある。いずれ無くなる食料では、ウチの心は動かせへんよ?」
理に適った彼女の駄目出しに、両屋敷の者達の間を不穏な空気が割いて流れる。
しかしマリーは容赦しない。口撃の手を一切緩めず、次の欠点を皆の前で暴いて明かす。
「そして次のも決定的や。体験したシモン君も分かっとるやろ? この料理よりも――――」
「人間の方が旨い」
稲豊がそう言葉を被せると、マリーは複雑な表情で緩やかに頷いた。
「そう。ウチはより美味しい物が好き。料理に対する努力は認めるけど結果が全てや。残念ながらシモン君……『説得』は失敗やで?」
説得の失敗は、先程の部屋での出来事の再現に繋がりかねない。
沈黙が場を支配し、不穏な空気はその勢力を強めて中庭全てを飲み込んだ。
はらはらとした心情を隠すことの出来ないメイド達と少女。
寡黙なミアキスや呑気者のタルタルでさえ額に汗するその状況で、ルートミリアは一人静かに食事を進める。動じていない姿はさすがと言わざるを得ないが、漂わせる覇気は力を増していく。
「安心しいや。シモン君の料理で魔素を回復させた今なら、あの冷血女が相手でも簡単には遅れを取らん。あんたらが逃げる時間ぐらいは稼いだるから」
自らの使用人達を安心させようとマリーは声を掛けるが、メイド達は涙を零し首を横に振るだけ。タルタルもどうして良いか分からず、困惑顔のままで動けない。
「シモン君もごめんな? 折角助けて貰った命やのに、無駄にするような事をして……。でもな? ウチはウチを止める事は出来へんねん。ここで嘘ついて今だけ生き延びても、きっと同じ事を繰り返す。んで、今度はシモン君にも迷惑掛けるに決まっとる。やから……堪忍な?」
謝罪するその口調からは、一切の嘘を感じられない。
遂にルトは食事の手を止め、何処か力の宿った瞳を彼女へと向ける。
マリーが身構え、その時が来たとメイド達が目を瞑った。
――――その瞬間。
「マリアンヌ。俺はお前に言ったはずだよな?」
ずっと黙っていた稲豊が、深い溜め息と共にそう零す。
彼が何の事を言っているのか分からないマリーは、ただ首を傾げるのみである。
そんな困惑の渦中にある彼女に稲豊が向けるのは、眉を顰め口端を引き攣らせた怒りの表情。そして歪んだ口から溢れ出すのは、紛れもなく怒りの言葉だ。
「お前が意地を張らず考えを改めるなら、俺は別に何も言う気は無かった。でもお前は意地を張って俺を怒らせた。お前には二度も言ったはずだよな? 俺はSなんだよ」
初めて見た稲豊の怒り顔に、ルトでさえ驚きの表情を覗かせる。
そしてそれを向けられたマリーは、少し涙目になりながら後退り、震え声でこう尋ねた。
「な、なにする気なん?」
「お前がした事と同じコトだ」
そう返事した稲豊の意図がマリーには分からない。
彼女は少なくない恐怖を感じながら、それでも彼から目が離せないでいた。
「お前が俺の料理の欠点を暴いてくれたように、俺もお前の秘密を暴露する。こんな事態を招いた、お前の“本当の気持ち”だ」
「な、何の事や? ウチに隠し事なんて――――」
そこまで言ってもまだ認めないマリーに、稲豊は皆の前で決定的な言葉を告げた。
「マリアンヌ。お前、ルト様の事が大好きだろ?」




