第60話 「俺のせい?」
溢れ出る血は、床に出来た血溜まりの半径を益々大きくしていく。
その顔色は白へと変わり、冷たい汗に囲まれた双眸は何処か虚ろ。
このまま放置されれば、マリーの失血死は免れないだろう。
「ルト様。お願いします」
「不本意じゃがな」
死なれてしまっては説得も出来ない。
稲豊は魔法のエキスパートにマリーの治療を願い出る。ため息を吐きながらも、ルトは一度口にした事を遵守した。
彼女が指をパチンと鳴らすと、マリーの左足に大小三つの穴を作った氷の杭は砕け散る。それと同時に大量の血液が傷口より溢れ出るが、それも寸刻の間。続けてルトが発動した修復魔法により、三つの穴は跡形も無く塞がった。
「そこまでで構いませんわ、ルートミリア様。主の傷を塞いで戴き、マリお嬢様に代わって厚くお礼を申し上げます。そして心からのお詫びを……」
その言葉に稲豊とルトが振り返ると、部屋の入り口付近に全員で揃った使用人達の姿が見える。礼を言った三つ目のメイド。その隣は慌てんぼうのメイド。メイド達の背後にはこんな時でも呑気顔のタルタルだ。
彼女等は思い思いの最敬礼をした後、手際良く屋敷の主人をベッドへと座らせる。そして三つ目のメイドはマリーの左足に両手を添え、治癒魔法を展開した。
修復魔法で大まかな部分を形成し、細かい部分は治癒魔法で補う。
欠損箇所が生じた際の基本的な治療法である。修復魔法と比べれば、治癒魔法の魔素消費はとても少ない。故に生門の器が小さい者でも、治癒魔法を使用できるのだ。
ルトは彼女にマリーを託した後で、一息つく間も無く次の二人に声を掛ける。
「シモン。それと……、タルトじゃな? 二人共近う寄れ」
その言葉により、稲豊とタルトは彼女の正面に並ぶ。
最初にルトが治療したのは少年の人差し指、次に少女の左腕だ。そのいずれも、ものの数秒後には以前と変わらぬ姿へと戻る。二人は改めて魔法の偉大さと、ルトの凄さに舌を巻いた。
後のケアはミアキスだ。
彼女は誰かに命令されるでもなく、稲豊とタルトに治癒魔法を施す。かくして完全回復を遂げた二人は、喜色満面の表情で互いを見合った。
「頑張ったなタルト。良く気付いた! 偉い!」
「…………イナホも。偉いね」
稲豊は最初、この状況を打破した事について少女から褒められたのかと思ったのだが、どうやら違う。少女は、稲豊がマリーを庇った事に関して褒めていたのだ。彼女の顔の向きからそれに気付いた稲豊は、微笑みを浮かべながら「お前には敵わないな」と、少女の頭を惜しげもなく撫でた。
そんな二人の微笑ましいやり取りを横目でちらちらと眺めているのは、傷が回復したことにより多少の余裕を取り戻したマリーである。頬を桜色に上気させている彼女は、何処か恥ずかしそうにベッドで治療を受けている。傷の深さゆえ長く掛かる治癒魔法での治療に、マリーは落ち着かない面持ちでその終わりを無言にて待つ。ルトの展開する魔法が異常なだけで、凡人であれば治癒に時間が掛かるのは何ら異常ではない。
「この度は誠に申し訳御座いませんでした。イナホ様。私達も同罪で御座います。お恨みになられるのでしたら、どうぞ口に出して下さい。私はどんな罰でも受け入れますので」
タルトと稲豊の二人に近付いたのは、慌てんぼうのナリを潜めたメイドだ。彼女はまたも深く頭を下げ、謝罪と自らを戒める言葉を稲豊へと投げ掛ける。
「口説き文句なら幾らでも出しますけどね。今は残念ながらそういう状況では無いみたいなので」
そんな彼女に対して稲豊が返すのは軽口である。
メイドは初めポカンとした表情を浮かべた後で「それは残念」と相好を崩した。
「タルトちゃんもごめんなさいね? 貴方のお母様には、いつものお泊り会と伝えているみたいだから、そのまま家に戻っても大丈夫よ」
次に彼女が謝罪したのは、稲豊の足元に佇むタルトだ。
少女の方も事を荒立たせるつもりは無いようで、すぐに頷いて謝罪を受け入れる。
「あー。ごめんね? シモっちを罠に掛けて」
「止めろ! 一部の者にしか分からないカードみたいな名で呼ぶんじゃない!」
メイドと入れ替わりで謝りに来たのはタルタルだ。
本気で反省しているように見えないのは、彼の持ち味というものだろう。稲豊は真面目なタルタルを想像したが、どうにも出来そうになかった。
「……まあ、俺はお前を許すよ。魔物にとって人間は食料なんだろ? 牛や豚を食ってる俺が文句言うのもなんか違う気がするしな」
「俺様は許さねぇ。テメェのせいで貴族からの報酬がパアだ! 代わりにテメェが払え」
「はは。残念ー。おれはそんな金持ってないよー。二人には今度埋め合わせするわ。なんかで」
「絶対だからな!」
男三人で他愛ないやり取りをした後で、タルタルが視線を向けたのはやはりタルト。
屈むことにより目線を少女に合わせた彼は「ごめんね」と一言。
再度タルトが首を縦に振り、皆の蟠りもその殆どが解れたと言える。残すところは主同士のシコリである。
「それでシモン? どうするつもりなのじゃ?」
「そうですねぇ」
ルトの言葉にビクッと体を跳ねさせたのは、離れた位置にいるマリーだ。
九死に一生を得たとは言え、まだまだ安全圏とは程遠い。いつルトの気紛れで命を奪われても仕方がないのだ。耳を大きくした彼女は、稲豊とルトのやり取りに気が気でない。
「説得するに当たって準備が必要なんですけど」
そう話すや否や、稲豊はマリーとメイド達の前に立ち。
普段通りの口調でこう告げた。
「厨房と食材を貸して下さい」
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稲豊が解放されてから一時間が経過したマリーの屋敷、その中庭。
「卓と椅子の準備は整ったわね」
「ナイフやフォークも用意した方が良いかしら?」
「そうね。厨房に貰いにいきましょう」
広めのスペースに、テーブルや椅子を並べる二人のメイド。
そこから少し離れた縁側に腰掛けるのは、ルトとマリーの姉妹である。二人は横並びになり、何故かどちらも西洋人形を手に持っている。
「この人形。妾に似てる気がするのじゃが?」
「気のせいやろ。別に放り投げて遊んだり、殴ったりはしてへんけど?」
「ほぅ……そんな事はしておらんのか……」
「うん……してへんよぉ?」
視線も合わせず火花を散らす二人。
挑発とも取れるマリーの態度に、ルトの怒りは少しだけ再燃する。
白髪の人形を自身の顔の位置まで持ち上げ、人形の右手をマリーの方へと向ける。
「図に乗るでないぞ? 貴様の命は妾の気分次第であることを自覚するが良い」
「別に手ぇ出してもええよ? シモン君に嫌われてもええんやったらな?」
「…………何故そこでシモンが出て来る」
得意気な顔を見せるマリーに、ルトは面白くなさそうな表情で尋ねる。
「やってなぁ~。ぶち切れたルートミリアに言い聞かせられるのなんて、お父様だけやったやん? そ・れ・がぁ~! シモン君に言われたらコロッと意見変えるんやもん。ビックリしたわ~!」
「うるさい黙れ」
赤いドレスの人形を弄びながら、姉をさも楽しげにからかう妹。
それがどうしようもなく詰まらないルトは、何がマリーにダメージを与えられるかを思案し、やがてそのまま話題を返すという方法に辿り着いた。
「貴様の方こそ、シモンの事をどう思っているのじゃ? 先程の部屋で送っていた視線は、何処か熱を帯びているように見えたのだがのぅ?」
「うっさいなぁ」
悪戯な笑みを浮かべ言葉を返すルトに、マリーは人形で顔を隠した上で答える。
赤くなった耳が隠せていないので、照れているのは間違いないのだが、ルトはそれには触れず敢えて別の話題に切り替える。
「しかしどうするつもりじゃ? 腐っても姉妹。貴様の享楽主義は知っておる。シモンに『人を食べるな』と言われて『はいそうですか』と、信条を変えるマリアンヌではあるまいよ?」
「そやね。ウチはきっと変わらんやろうね。でもシモン君がウチをどう説得するのか? それは少し楽しみやな。まあ、余程の事が無いと説得される気はないけどな~」
「性格悪いのぅ」
「あんたに言われとないわ」
どちらともなく視線を向けたのは屋敷の厨房、その中に居るであろう少年の事を考え、二人は複雑な感情の籠もるため息を同時に吐いた。
そんな姉妹の憂いなど露知らず、稲豊は厨房内にて調理作業に没頭する。
今回の助手は人狼のミアキスと、爬虫類人間のタルタルだ。
「タルタル。皿は人数分用意できそうか?」
「おーけー。さっき大分割れちゃったけど、なんとか人数分ありそうだねー」
「ミアキスさん。水に晒しといたギーネの水だけを交換して下さい」
「承知」
ギーネというのは一メートルぐらいある赤色の細長い野菜で、とてつもない苦味を持っている。生なら絶対に稲豊が食べられないその野菜も、水やヒャクの果実に晒す事により、苦味をかなり抑える事が可能となるのだ。この世界では、スープや肉に添えられる一般的な食材の一つである。
稲豊は二人に指示を飛ばしながら、自身は鳥を器用に捌いていく。
王都で手に入る料理本を読み漁った事もある稲豊。画期的な調理法を期待した彼だったが、約に立ったのは生物の解体方法だけであった。料理に関して勉強家の稲豊は、当然の如くその技術も習得している。
「おい。貰ってきてやったぞヒャク」
「…………足りる?」
「ああ、充分だ。お使いありがとなタルト!」
「俺様にも礼を言えよ、この野郎」
非人街より戻って来たターブとタルトは、沢山のヒャクを麻袋の中からカゴへと移す。
それが終わると同時に現れたのは、食器を貰いに来たメイド達。タルトは自主的に、ターブは少女から頼まれて、食器を手にメイド達と中庭へと戻って行った。
「鳥捌くの手伝うよー。おれも」
「助かる」
稲豊の隣に立つタルタル。
包丁を持った彼を見て、警戒を強めるミアキスは、いつでも動けるように稲豊の傍で作業を行う。それを知ってか知らずか? 稲豊は手を動かしながらも、此度の騒動に関して気になった点を問い掛けた。
「お前が調達してたのか? 非人街の……食材をさ?」
「おれだったり、メイド達だったりだねー」
際どい質問にも、タルタルはあっさりと答える。
彼にとっては、ただ野菜を買うぐらいの感覚でしかないのだ。
「お前は人を調理する時に何か思う事は無いのか?」
納得もしているし糾弾をするつもりも無い稲豊であったが、やはり人を捌いている姿を想像すると、胸に来るものはある。責めると言うより“知りたい”という思いで、稲豊はタルタルに尋ねた。
「そうだねー。鳥を捌くのと一緒かな? まー、さすがに生きてる人間を捌くのは初めてだったから、チビの時には若干の抵抗はあったけどねー」
「ちょっと待て! 生きてる人間は初めて?」
タルタルの零した何気ない一言に、稲豊は大きな反応を見せた。
「そうだよー? 前までは非人街の……、栄養失調で死んだ人間貰ってたんだけどねー。それが二ヶ月ぐらい前から全然出なくなってさー。仕方ないから、生きてるチビを食べようってなったワケだねー」
「へ、へぇ~」
「さらに言うとさー。チビを食べるのはもっと後だったんだよねー。シモっちが来てから、マリお嬢が『シモン君に栄養をつけてから食べよう!』なんて言い出してさー? チビを君に食べさせてから、シモっちを食べるってなったワケ」
「ほ、ほ~」
まさかのどちらも自分が間接的な原因だったことに、稲豊は大量の汗を掻きながら生返事をする。心の中でタルトに土下座する稲豊に、タルタルはそれを察したかのように別の話題を提供した。
「そんなことよりさー。なに作るの? 鳥料理ってことしか分かんないんだけど?」
「百聞は一見に如かず。もう後は焼くだけだから」
そう言いつつ、稲豊は大口の瓶を手にする。
残り少なくなった中身を見て、感慨深い思いが込み上げると共に、彼はそれに最後の仕事を依頼した。




