第41話 「言えなかった」
和気藹々と過ごす稲豊とレフトの二人。
そんな団欒が破られたのは、伸びた影が二人の間に割って入ったからだ。同時に顔を上げる二人の前には、逆光を背負った仁王立ちの男が一人。爬虫類の眼で、稲豊を舐め回すように眺めていた。
比喩ではない。
男の目は正に爬虫類そのモノ。縦長な瞳孔を収縮し、雌黄色の瞳を、稲豊の全身に合わせ上下させている。正面からの姿形は、一見人間の青年に見えなくもない。背だって稲豊よりも十センチ高いくらいだろう……。しかし――――、黒のタンクトップから覗く肩から肘、首の後ろから下顎にまで伸びた深緑の鱗肌。白のズボンから顔を出す、同様の鱗板に覆われた太く長い尾は、彼が魔物である事を如実に物語っている。
「な、なんスか?」
爬虫類の瞳から齎される恐怖を誤魔化すように、稲豊は鼻白みながらも声を出す。訝しげな表情の稲豊を見下ろしていたその男は、ずらりと並んだ鋭い歯を口端より覗かせながら、寝起きの人間の様な鈍重な声を喉奥より吐き出した。
「あぁーわるいわるい。……あんたにちょっち聞きたい事があったんだわ」
寝惚けた様な顔をした男は、寝乱れた茶短髪を尖った爪で掻き乱す。そしてやたら緩慢に腰を屈め、稲豊と目線を等しく合わせた。
「貴方は確か“助っ人枠”の『タルタル』様ですね?」
口を挟んだのは、二人のやり取りを否が応にも隣で見せられていたレフトだ。
彼は自身の記憶を手繰り寄せ、屈む男の名に辿り着く。男はのんびりと首を縦に振り、レフトの言葉を無表情で肯定する。
「鰐の『爬虫類人間』のタルタルで合ってるよ。調査隊助っ人の」
タルタルは面倒くさそうに言葉を返す。
そんな男の正面で、「助っ人?」と首を捻るのは稲豊である。正規の隊員以外がいた事に少々の疑問が口を付いて出たのだが、レフトはそれを聞き逃す事無く真摯な応対を見せる。
「調査の場所によっては、土地勘のある者を都合する場合もあるのですよ。今回は彼以外にも数人の助っ人が、一時的な隊員として参加しております」
腕組みし納得の表情をする稲豊を余所に、タルタルは姿勢を戻すと、「じゃ」と短く告げて立ち去りに入る。
「いやいやいや!!」
稲豊とレフトの同時音声が広場に木霊する。
まさかの二人の二重奏に「うん?」と、疑問符を浮かべ振り返るタルタル。稲豊は二人を代表して男にツッコミを入れる事とする。
「『うん?』じゃないでしょ! 俺に聞きたい事があったって自分で言ってたじゃないスか!!」
「あぁー……そうだった、そうだった。えっと――――そうそう。…………そうだ! ヒャクを売ってたりする? 市場で」
面倒くさいのか、言葉を端折る独特な話し方をするタルタル。かろうじて意味を汲み取る事の出来た稲豊は、精神の消耗を実感しつつも問いに答える。
「モンペルガの市場でヒャク屋の手伝いなら偶にしてますよ。それが一体?」
「あー、今はそんだけ。じゃ」
稲豊に疲労感だけを与え、タルタルは最後までマイペースに去って行った。
「何だったのですかね?」
「…………さあ?」
困惑の渦に呑まれる稲豊達。
そんな二人を掬い上げたのは、リードが告げる休憩の終わりを知らせる言葉だった……。
:::::::::::::::::::::::::::
「猪車一つはこの広場で待機! 残り九台で三つに手分けし、赤い茎の植物を探索する! 補佐官殿が前にも伝えたと思うが、気になる物は茎が赤じゃなくても構わん。手当たり次第に採取するように!! 準備の整った三つの班が揃い次第出発しろ! 時計は持っているな? 何一つ発見出来ずとも、二刻後には戻る事!! 以上だ!!」
リードの言葉が終わると同時に、隊員達は雄叫びを上げる。
稲豊の料理により、生命力を必要以上に回復させた彼らの声は一際大きい。大気を震わせる振動と音に、稲豊の鼓膜は悲鳴を上げた。
未だ響く耳鳴りに片耳を押さえながら、稲豊は普段と様子の違うレフトに気付く。
周囲の隊員達は出発に備え、猪車の車輪の確認等に余念がない。それに対し緑の青年は、何をするでもなく、広場の隅で石像の様に動かない。
「どうかしたのか? 眉間に皺が寄ってるけど?」
顎に手を当て物思いに耽るレフトは、声を掛けられ少し驚いた様子で稲豊の方を見る。そして、何処か恥ずかし気にその胸の内を明かした。
「――――いえなに、谷に侵入して以来……少し違和を感じるものですから……。杞憂だとは思うのですが、難儀な性格なモノで」
「違和感?」
レフトの言葉に、稲豊は周囲をぐるりと見渡す。
しかし、引っ掛かるものを感じはしない。稲豊はもう一度レフトに向き直し、不足の事態を憂慮する。
「アリスの谷を住処にする魔獣が出る……とか?」
「まあその可能性も無くはありませんが、限りなく低いでしょうね。そんな噂は聞いたことありませんし、何より凶暴な生物なら、小官の魔能『エルフの耳』に引っ掛かるはずですから。現在も精霊達は穏やかなモノです」
「やっぱ便利だ。その魔能」
結局その違和感の正体に辿り着く事無く、レフトはリードが手綱を握る猪車の荷台へと乗り込む。その姿を見送る事しか出来ない稲豊は、心から申し訳無さそうに、彼に詫びを入れた。
「悪い。俺なんかが楽な待機組にしてもらって……。もっと活躍できたら良かったんだけど……」
「何を仰っているのですか! それが今回小官が貴方様に依頼した仕事ですよ。我々が植物を入手し、イナホ様がそれを鑑定する! 適材適所とは正にこの事!! 二刻程で戻りますので、お待ち下さいませ!!」
そう豪語するレフトだが……。
稲豊はとっくに気付いていた。猪車酔いに苦しむ稲豊の為と、レフトが気を利かせてくれていた事。
そんな彼の優しさを、無碍に出来るはずも無く……。今の稲豊に出来る事は、笑顔で彼を送り出す。ただ、それだけしかない。
「レフトの声なら、どこにいたって分かりそうだ」
「勿論!! 小官の声は何処までも響きます故!! それらしき植物を入手した暁には、この美声! 十km先からでも届けて見せますよ!!」
二人は一頻り笑い合ったあと、「後でまた」とこの場で別れる。
レフトの乗る幌猪車が裂け目の道へと進入し、その後ろに二台の幌猪車が続いて走った。これで待機組以外の猪車は全ていなくなる。
稲豊はレフトの猪車を見送った後、自身の乗ってきた猪車へと足を運んだ。
そこで見たのは、巨猪の体にブラシするターブの姿。暴れん坊の意外な姿に、稲豊は和んだ気分に浸りつつ、猪車の荷台で大の字に寝そべった。
「助っ人参加してたんだろ? 悪いな……。手柄奪っちまった」
相手の姿を見ずにそう話し掛けたのは稲豊から。
「全くだ。わざわざパイロに休みを貰ったってのによ……城務めの報酬がパアだぜ」
ターブ曰く、その植物を見つけた魔物には、栄誉ある調査隊への大抜擢が約束されていたとの事。そうとは知らなかった稲豊に少しの罪悪感が込み上げるが、ヒャク屋に護衛は必要不可欠。非人街に迷惑掛けた分の護衛を務めて貰おう。と、卑怯者は邪悪な笑みを浮かべた。
それから十分……二十分と時間は過ぎて行き。
時間を持て余した稲豊は、暇潰しに全力を注いだ。
「ブラシの掛け方教えて」
「ああ? チッ……こういう風に力を込めて――――」
巨猪のブラッシングをしてみたり――――。
「重箱の料理まだ一つ余ってんだろ。俺様に食わせろ」
「ダメ。コレは誰かの魔素が尽きた時用だからな」
「ケチな奴だな」
「そんな事より。ターブは好きな人いる?」
男子トークに勤しんでみたり――――。
「油アルバムって早口で三回言ってみそ」
「あぶらあるばむ・あぶばあぶらむ・あるばあばらむ…………言えねぇ……」
早口言葉で遊んだり。
しかし一時間も過ぎれば、やる事も無くなり。それに伴い会話も無くなる。ターブは猪車内で横になり、稲豊はと言うと……。広場中央の大岩に寝そべり、晴天に浮かぶ雲を眺めている。あの流れる雲から調査隊は見えているのだろうか? 呆けた表情でそんな事を考える稲豊だが。
彼は特に深く考えずに、こんな言葉を呟いた。
――――静かだ。
そんな彼の言葉が風に乗って届いたのか?
稲豊が呟いたのと奇しく同時刻。同じ言葉を零した者がいた。
稲豊のいる広場より五km程奥に進んだ裂け目の道。
赤旗の猪車内部にいるレフト。遂に違和感の正体に到達した彼は、その言葉を口にする。
「――――静かだ。静か過ぎる!?」
気付いた時にはもう手遅れ。
闇色の蛇の眼は、既に獲物を視界に捉え、後は牙を剥くだけとなっていた。




