第39話 「振動魔法を誰か・・・・・・誰か!!」
「貴様が?」
「おう」
ルトの言葉に力強く頷くターブ。
稲豊はそこで初めて、もう一つの猪車の御者が誰であったのかを理解する。ターブは最初から、皆の話を猪車の陰より聞いていたのだ。
屋敷の主はオークの心の内を見透かす様に、緋色の魔眼で鋭く射抜く。
その眼光に冷や汗を浮かべたターブに、ルトは言葉で更なる追い打ちを掛けた。
「妾の虚無魔法で死にかけた貴様が、護衛をすると? そう言ったのかえ?」
「オ、オメェみたいな化物が特別なんだよ。そんじゃそこらの魔獣に遅れをとったことなんかねぇ!」
ターブは腰を引きながらも目を逸らさない。そして意外にもルトの方から視線を逸らし、次は手前に視線を這わせる。その視界の中心には、居心地の悪そうな少年の姿。しばらく森の木々すらも静寂に包まれた空間がその場を支配していたが……。やがて辺りは少しずつ音を取り戻していく。すると、不意にルトは美しい緋色の双眸を閉じて吐息を漏らし、薄く目を開け覇気の籠もった声で一言告げる。
「よい。護衛は貴様に任せる。報酬も別に払おう……。その代わりシモンの身だけは守れ。もしそれが守られなかったら、次は貴様の腹でなく胸に穴を開ける。肝に銘じろ」
それを一方的に告げた後で、ルトは振り返りもせず屋敷の中へと戻っていった。
稲豊はしばらく呆けていたが、その精神を現実へ引き戻したのはナナの一言である。
「良かったですねイナホ様!」
「あ、ああ……。俺が感謝してたって伝えといて」
何はともあれ再度同行の許可を得た稲豊は、ゆっくり訪れる喜びを噛み締める。そして功労者にも感謝の気持ちを言葉にして贈った。
「助かったよ。ありがとな! マジ感謝!」
「そう思うならテメェは絶対に怪我すんなよ。俺様が死ぬ」
無愛想な顔で猪車に戻るターブとは対極に、安堵の表情を浮かべ荷台に戻るレフト。それを確認した後、リザードマンは両手剣を使むと、猪車に乗車し猪の手綱を握る。そう、遂に出発の時である。
「ミアキスさんは本当に大丈夫なんだな?」
「明日になれば普段通りのミアキス様が戻って参りますので。イナホ様は安心して出発して下さい!」
「うん。信用した! じゃあ行って来る。期待して待っていてくれたまへ」
「はい!」
ナナから料理鞄を受け取った稲豊の後ろで、レフトを乗せた猪車は先に出発する。その位置と入れ替わるように前進したターブが手綱を握る猪車、それが稲豊の乗る猪車である。荷台に乗り込む前に、一度屋敷の方を振り返り、感謝の視線を送った後で、稲豊は荷物と共に荷台の中に乗り込んだ。
ゆっくりと速度を上げて行く猪車。
荷台の開いた後部部分から、小さくなっていく屋敷とナナを稲豊は眺める。
頭を下げ続ける少女の姿は、遂に稲豊から見えなくなるまで……。その姿勢を崩すことは無かった。
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王都モンペルガ東門。
その巨大な壁の外側には、十台の似通った猪車が所狭しと並んでいた。その先頭の猪車の前で、緑の青年は皆を鼓舞している。
「調査隊勇士の皆様! それではコレより北東にある“アリスの谷”へ赴きます!! 目的は赤い茎の植物! しかしそれ以外でも構いません! 新種の植物を発見した場合は、小官! 或いは唯一の人間の参加者であるイナホ様に渡して下さい! 赤旗の猪車が目印ですので、宜しくお願い致します!!」
どの猪車の幌部分にも一つの旗が立てられている。それは緑や黒、青に赤というように、様々な色でその存在を主張している。旗によってその猪車の役割が違うので、味方が見れば一目で誰が乗っているのか分かるという工夫である。その中でも重要な赤い旗を立てた二台の幌猪車、そのレフトではない方の猪車内部では、一人の人間が瀕死の状態となっていた……。
「ぐっ…………はぁ…………もう無理」
レフトの口より自らの名前が出たというのに、稲豊は全く反応をみせない。
押し寄せてくる吐き気と浮かぶ冷や汗に、青い顔で只々翻弄させられるだけとなっている。
その理由は、調査隊の猪車に全てが集約されている。
マルーの猪車とは違い、振動魔法の掛けられていない調査隊の幌猪車は、ジェットコースターの様な揺れで稲豊に襲いかかった。転び揺すられた稲豊は、あっという間に『車酔い』という名の悪魔に取り憑かれ、拷問の如き吐き気に悶え苦しまされている。
しかも吐き気の悪夢はまだまだ続く。
レフトが演説を終え、その赤い旗の猪車が目的地に向け出発すると。他の猪車も続々とその後へと続く。勿論それはもう一つの赤旗の幌猪車も例外では無く……。
「グアアァ!! 死ぬわこんなん!!」
またも悪魔の揺り籠に揺られながら。
稲豊はコレより二時間もの吐き気と戦う事となる。
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「一旦ココらで四半刻程小休止とする!! お前らは各自の顔を覚えると共に、もう一度それぞれの仕事を確認しとけ!!」
アリスの谷の入り口へと到着した調査隊一行は、隊長の言葉に「おう!!」と力強い返事をそれぞれが送り、各自猪車を降りてその指示に従う。レフトは未だ顔を見せない稲豊を心配し、その猪車内部を覗き込んで見る。するとそこには……。
「…………死んだ」
そう口から垂れ流す様に言葉を吐く、げっそりとした稲豊の姿があった。
顔色は青を通り越してどす黒くなっており、その目は廃人のそれである。「きゅ、救護班!!」レフトのそんな声を何処か遠くに聞きながら、稲豊はパタンと横に倒れた。
「猪車酔いに治癒魔法って利くのか?」
「…………知らん」
そんなやり取りをする救護班のコボルド達は、貧弱な人間にため息を零しながらも、稲豊に治癒魔法を施す。心なしか気分が回復した稲豊は、虚ろな目で周囲を見渡す。周りには十数人の様々な魔物達。
犬がそのまま大きくなった様な種族の『コボルド』。
鋭い嘴と、腕の下に巨大羽を持つ人面鳥『バードマン』。
小さな角が数本頭部に生えた、肌が黒い鬼の種族『オーガ』。
他にも何体かの魔物がいるが。
その誰もが稲豊よりも背が高く、その身に纏う筋肉もまるで違う。彼らが稲豊を貧弱だと感じるのも致し方無いといった所だ。革の鎧を着たり、上半身半裸だったり、救護班は白ローブだったりと、その様相も様々である。同じ点を上げるとすれば、皆が武装をしているという事だろう。
今度は谷の入り口に、稲豊は視線を向かわせる。
目の前には巨大な土色の岸壁が立ちはだかり、その間に十メートルの幅の溝が、道のように奥まで続いている。その悪路に更なる揺れを想像した稲豊は、自身の傍で心配そうに眺めるレフトに声を掛けた。
「空飛べる人に見つけて来てもらうってのは……駄目ですか?」
アイデアとしては悪く無いと感じた稲豊であったが、レフトは「残念ですが」と首を振り、それを却下する。絶望の視線を向けてくる少年にも分かるように、緑の青年はこの場所についての説明を始めた。
「この上空は突風が強くて空から探すのは無理なのです。なのでこの谷を虱潰しに探すしか、その植物を入手する方法はありません」
「じゃ、じゃあレフトの魔能で、精霊達に植物の場所を教えて貰うとか……。無理?」
食い下がる稲豊だが。その案も残念ながら通らない。
レフト曰く、精霊達の声というのも言葉となって聞こえる訳で無く。木々のざわめきや、雨の音の様に漠然とした音が聞こえるだけで、その精霊達の反応をレフトが察しているだけに過ぎない。との事である。
「上級精霊ともなると実体を持ち、人語を解する者も多いのですが……。下位精霊は実体が無い本能だけの存在に過ぎません。普段と違う事象が起きた場合や、危険が迫った時に騒いだその声を小官は拾ってるだけなのです。聞こえる声の大きさや位置で、危険な生物の位置は大体が把握出来ますが、逆に言えばそのぐらいしか出来ないのです……申し訳ない……」
「いえ……俺のワガママなんで気にしないで下さい。それに治癒魔法でだいぶ体調も戻ってきました。救護班の人達もありがとうございます。いつでも行けますんで!」
無理に笑顔を作り体を起こす稲豊に、レフトは申し訳無さそうな表情を浮かべ、もう一度謝罪した後に自身の仕事へと戻って行く。稲豊はそれを見送った後、不甲斐ない自分に気合を入れターブの猪車へと戻る。そして神経を集中し、次に猪車が動き出すのを静かに待った。
「それでは今から出発する!! コレまで通り、危険探知の出来る補佐官殿の猪車が先導するので。お前らはそれに続けぃ!!」
リードの野太い声が晴天に高らかに響くと、他の隊員達は地響きすら起こしかねない大声を次々と上げる。その様子を見た稲豊は「まるで戦争に行く前の兵士達だ」と、戦争映画の一場面を思い出していた。稲豊がそう感じたのはあながち間違いでも無かった、調査隊の仕事には様々な危険が降り掛かる。彼らにとって今から向かう先は、戦場以外の何モノでも無いのだから……。
「行くぞ」
ターブの発進の声と共に、稲豊の乗る幌猪車も歩みを始める。
続々とアリスの谷に足を踏む入れる調査隊の面々であったが、その一番先頭の猪車内部。そこで佇むレフトは、得体の知れない違和感を覚えていた。
「何だ……? 何かが……引っ掛かる」
実体の無い違和感のその声に……。
レフトは未だ気付けずにいた。




