裏話 【アキサタナ=エンカウント】 後編
器測定をしたその日に、ボクはトロアスタ様と一緒に屋敷へと帰った。するとあの傲慢だった父と兄は、説明を聞くなりボクの目の前で額を床に擦り付けた。
そしていままでの非道を詫び、『これからは心を入れ替える』とトロアスタ様の前で宣言したのだ。
胸の中に溜まっていた黒い靄が、すべて晴れていくような気分だった。
やはり神はボクを見放さなかったのだ。
遂にボクは――――復讐を果たしたのだ。
ほどなくボクは【洗礼】を受け、正式に天使となる。
それからのボクの人生は一変した。
『アキサタナ様、なんと神々しいお姿!』
『天使様、我々をお導きください』
『喜んで奉仕いたします』
皆がボクを敬い、皆がボクに笑顔を振りまく。
ただ街を歩いているだけで、大勢に声をかけられた。
店に入れば、店主はタダで店の物を譲ってくれた。
ああ……なんて良い気分なんだろう。
ボクがただこうして存在しているだけで、皆が幸せを感じているのだ。
屋敷に帰っても、辛辣だった父と兄はいない。あの嫌な教育係にはクビを言い渡した。
そして神の心臓を得たいま、ボクは死すら超越した存在となったのだ。
なに不自由もない生活。
夢色の人生。
そこまでは、確かにそう思っていた。
あの日、トロアスタ様に呼び出されるまでは――――――
『え? ボクが……戦に…………ですか?』
『魔物との戦いは天使の職責。避けられぬ宿命なのですよ。期待しておりますぞ、アキサタナ“将軍”』
軍を率いた経験などあるはずもない。
魔法だって、爆破魔法以外は習得できなかった。
そんなボクに、どうしろと言うんだ…………。
『魔物共の襲撃です!! アキサタナ様! し、指示をッ!!』
『うわぁあぁあぁああ!!!!!!』
『ア、アキサタナ様……!? どこへ行かれるのですか……!!』
初陣の結果は惨憺たるものだった。
多くの兵が死に、ボクは命からがら戦場を逃げ出した。
アート・モーロへ逃げ戻ったボクは、ある覚悟をしていたんだ。
そう……罵られる覚悟を。
だがボクを待っていたのは、軽蔑でも、叱責でもなかった。
『さすがはアキサタナ将軍だ! 魔物たちへ一泡吹かせてきたのですね』
『素晴らしい! 生きてお戻りになられると信じておりました!』
称賛の声、声、声。
『ご苦労さまでした。アキサタナ将軍』
トロアスタ様に労われたボクは、城に留まるのが居た堪れず……久しぶりに屋敷へと帰った。
『やあやあやあ、天使様。何でも凄まじいご活躍だったそうで、我々も鼻が高いというものです』
『ええ、ええ。天使様がいる限り、このエンカウント家も安泰。祝福をありがとうございます』
そこでも、また称賛。
喜色満面の顔をする父と兄の姿を見たとき、黒い靄が再びボクの心を覆った。
それからだ。
誰にどんな称賛の言葉をかけられても、嬉しいと感じなくなった。
誰にどんな物を贈られても、ゴミにしか見えなくなった。
気付いたんだ。
ボクは気付いてしまったんだ。
『誰もボクを人間として見ていない』
皆が見ているのは“アキサタナ”ではなかった。
その後ろにある、天使という称号。天使という偶像。
あの洗礼を受けた日から、ボクは人ではなくなったんだ。
知ってしまったその日から、ボクの心は空虚となった。
庶民が手を出せない高価な物を食べても、美味くない。
好みの女をどれだけ抱いても、心が満たされない。
いつしかボクは、人への接し方がわからなくなっていった。
『ふん、なんて見窄らしい姿だ』
『て、天使様……申し訳ございません!』
『目障りなその顔を二度とボクに見せるなよ』
汚れていたエプロンが気に入らない。
そんな理由で、ボクは店先に立っていた中年の男に土下座を強要した。別段、珍しい光景でもない。普段からボクは、そうやって鬱憤を晴らしていたからだ。
だがその日は、いつもと少し違っていた――――――
『大丈夫ですか?』
黒髪の少女が、店の親父に手を差し伸べている。
少女は店主を立たせたあとで、キッとこちらを睨みつけた。
『あなたねぇ! ここまでさせることないでしょう!!』
いきなり怒鳴り付けられ、ボクは困惑する。
『い、良いのかそんな口を利いて? ボクは天使だぞ』
『あなたのどこが天使様なのよ! 天使様だって言うなら、もっと人に優しくしたらどうなの!』
『…………ふん』
返す言葉が思い付かず、ボクは逃げるようにその場を去った。
しかし、不思議と悪い気は起きなかった。
ボクは屋敷に戻るなり使用人に調査を命じ、少女が宿り木の家に住む孤児で“レトリア”という名前だと知った。
『レトリア……か』
あの日以来、少女の顔が忘れられない。
ボクのことを睨みつけたあの瞳が、頭から離れない。
そんなモヤモヤとした日々が続いたなかで、軍が魔物を捕らえたという噂を耳にした。好奇心からタルタロス監獄へ向かったボクは、その捕虜のいる牢屋の前で足を止める。
『奇っ怪な生き物だな。魔物という奴は』
牢屋の中には上半身が女、下半身が蜘蛛の、アラクネという魔物が拘束されていた。魔物は憎しみを込めた目で、ボクの姿を見つめている。
ふと、あの日のレトリアの瞳と重なった。
奇妙な劣情が、ボクの中で膨れ上がる。
どうしても、その魔物をボクの物にしたくなった。
だからボクは看守を天使の権限で離れさせたあとで、屋敷の者を利用し、魔物を屋敷の倉庫まで運ばせた。倉庫内で再び魔物を拘束したボクは――――――
『レトリア……レトリア…………!!』
少女の名を呼びながら、ボクは劣情のすべてを魔物にぶつけた。
それは得も言えぬ快感を生んだ。時間も忘れ、ボクは魔物を弄ぶことに没頭した。来る日も来る日も、魔物はボクの情欲の捌け口となった。
だがそんな退廃的な日々が、いつまでも続くはずもなく……。
『天使様、申し訳ございません! 今朝お世話しようと倉庫へ向かったら……捕虜が!』
報告を受け向かったボクが見たのは、もぬけの殻となった倉庫の中だった。急いで捜索したが、遂に発見には至らなかった。
しばらくはびくびくと恐れながら生活をしていたが、魔物は誰にも見つかることなくアート・モーロを出ていったようだ。そうでなければ、もっと大事になっていたことだろう。最後に会った時点でかなり弱っていたから、きっとどこかで野垂れ死んだに違いない。
安心したところで、ボクの心に再び欲が戻ってきた。
『次の魔物が……必要だ』
ボクにはもう、魔物なしでの生活は考えられなかった。
だから次に女型の魔物を手に入れたときは、もっと頑丈な檻、そして誰にも見つからない場所が必要だった。喪失感は、いつの間にか期待感へと変わっている。
次に魔物をこの手にするのは、いつのことだろうか?
そんな機会を心待ちにしていたときに、ボクは彼女と再会した。
『ああ、アキサタナ殿。彼女はこの度、天使の器を認められた者です』
『キミは――――――』
『……はじめまして。新天使となる予定の、レトリア=ガアプです』
夢にまで見た彼女が、ボクの目の前にいる。
声をかけようと何度も思い、結局なにもできなかったのに。
これはきっと運命なんだ。
神がボクと彼女を結ばせようとしているのだ。
『天使同士の親睦を深めるために、今夜……食事でもどうかな?』
『…………忙しいので、遠慮しておきます』
それから何度もアプローチをしたが、彼女の返事はいつもつれないものだった。しかし彼女が誘いを断れば断るほど、ボクの気持ちは強くなっていく。
やはり彼女は、声をかければホイホイついてくるそこらの女共とは違う。
ボクに相応しい、芯のある女性だ。
彼女といられるだけで、ボクの心は満たされていく。
だから彼女と離れなければならない遠征の軍務は、ただただ苦痛でしかなかった。今度の軍務は、北西の森の調査。なんてことはない、平凡な任務になる…………はずだった。
『なんで魔獣が……!? いつもいつも、ボクのときに限って……!!』
ボクの率いた調査隊は、壊滅した。
もう何度目になるだろう。
死に行く兵士たちの、絶望の瞳が脳にこびりついている。
救いを求める声が、耳の奥で木霊している。
ボクにどうしろと言うんだ?
ボクはどうしたら良かったんだ?
努力してもダメな人間は、どこへ向かえば良いと言うんだ?
『こんなハズじゃなかった……!!!!』
幼いときに母さんと夢見た幸せはこんなものじゃない。
貧しくても、苦しくても、あの頃はもっと心が暖かった。
母と向かい合って食事をし、その日あった他愛もない話で盛り上がる。ささやかで、穏やかだったあの頃。
『どこで狂った? どこからボクはおかしくなった?』
わからないわからない。
ボクはぐちゃぐちゃの心のままで、トロアスタ様の所へ向かう。
すべてがもう、限界だった。
『なんですと? 天使の任を解いてもらいたい……そう仰られる?』
『ボクには荷が重すぎるのです! もう耐えられません……。化け物のような不死身の体も、周囲だけが老いていく不老の力もいらない!! ボクはただ普通の人間として、普通に生きたい! 天使なんかじゃなく、アキサタナとして生きていきたいんです!!』
恥も外聞もない。
でも本心だった。
『父と兄だって、辛く当たろうとも昔はボクのことを人間として見ていた!! なのにいまは天使様、天使様……ボクの名すら呼ぼうとしない!! それにボクのせいで兵士たちが死ぬのも、もう懲り懲りだ!! 毎日のように彼らの悪夢に悩まされるのも、もうたくさんなんです!!』
ボクは額を床に擦り付けながら、思いの丈をぶつける。するとトロアスタ様はゆっくりとこちらの方へ歩み寄り、ボクの肩に優しく手を置いてから言った。
『それで良いのですよアキサタナ殿。貴殿のおかげで、人数調整が滞りなく進んでいるのですから』
あまり馴染みのない言葉が、頭に引っ掛かった。
『人数……調整?』
トロアスタ様は天使とは思えぬ笑顔を浮かべ、目の前の椅子に腰を下ろす。
『拙僧や大将軍アルバ、勇者の軍務失敗は沽券に関わります。かといってティフレールは我々の思惑通りに動いてくれない。なのでいくら失敗を重ねようと、評価の下がらぬ貴殿のような存在は、貴重なのですよ』
言葉の意味がわからない。
つまり……どういうことだ?
『まだ分かりませんか? 飢餓に喘ぐ未来を防ぐため、エデンには選定が必要なのですよ。能力の低い兵士を貴殿に預け、軍務の失敗という形で排除する。それが一番、波風の立たぬ方法なのです』
『で、ではいつも魔獣や魔物の襲撃を受けていたのは…………?』
『木を大きく育てるために、いらぬ枝を切らねばならないときもある。器が小さく、非力な兵士に与える食糧など、この国にはないのです』
ボクは愕然とした。
いままでの襲撃のすべてが仕組まれていた?
ならばボクは、彼らの人殺しに利用されていたのか?
猛烈な悪寒と吐き気が込み上げてきた。
『お願いします……! もう天使を……辞めさせてください……!!』
好きで天使になった訳じゃない。
ボクは再び懇願する。するとトロアスタ様は、やれやれと首を振った。
『仕方ない。では貴殿の仕事を、別の者に割り振らなくてはなりませんな』
その言葉を聞いた瞬間、ボクはハッと顔を上げた。
『新しく就任した天使殿にでも――――――』
『ダ、ダメだ!!!! それだけは……それだけは…………!!!!!!』
この苦悩を、この苦痛を……レトリアに味合わせる?
それだけは避けねばならない。
ボクのことを唯一、人間として扱ってくれる彼女。
彼女が人殺しの道具になるなど、許してはいけない。
きっと優しいレトリアでは、その事実に耐えられないだろう。
『ならば、これまで通り……頼みましたぞアキサタナ“将軍”』
ボクは肩を落としながら、トロアスタ様の部屋を出た。
するとそこには――――――
『あら? あなたも大司教様に用事?』
廊下に、首を傾げたレトリアの姿があった。
ボクは慌てて、いつもの顔を作る。
『ま、まあね。ちょっと相談したいことがあったから……。そんなことより、あとで食事なんてどうだい?』
『今日は調練の日だから、ちょっと無理ね』
『つれないなぁ。そんなところもまた、魅力的なんだけどね』
『はいはい、さようなら』
ああ、レトリア……。
キミさえいれば、ボクはどんな苦痛にだって耐えられる。
どんな天使の役目だって演じてみせる。
だからレトリア、ボクの側を離れないでくれ。
もしキミが離れたら、きっとボクは壊れてしまうから…………。
前編に対して後編が長くなり過ぎました……。
しばらくしてから、良い感じに文字数を揃えたいと思います。




